3-48 化学と核の兵器の先に-Ⅰ
元居た場所――つまりは海上に稔達は戻ってきた。けれど、場所が場所。到着後、すぐに魔法を使わなかった引率者は一気に降下してしまった。一方で引率されている側の召使と精霊は自然に『離陸』を使用しており、稔を馬鹿にするしような視線を送っている。
「しょうがないなー」
そう言い、ラクトは彼氏の手を掴もうと稔の方へ向かっていった。一方、下から見ていた稔はラクトの顔ではなく双丘が見えることに気付いて動揺してしまう。『戦闘形態』という痴女衣装ではないのだが、悲しくも被曝を防ぐための作業着の上からでも見えたのである。これから何をするのかを再確認し、稔は不謹慎だと猛省した。
「ちゃんとしろよ、もう……」
ラクトはそう言って、ガスマスクの向こうにムスッとした表情を浮かばせた。猛省中の稔にしてみれば、彼女に対して言える言葉は自ずと限られてくる。「ごめん」「悪かった」など、自らの非を認めて謝罪する言葉だけだ。本来なら激怒するところだが、ラクトは稔の内心を読んで経緯を知って気にしない方針を示した。
「あれ、紫姫は?」
「紫姫は先へと進んでる。なにせ、私より素早く動けるしね。私もあれくらいの胸が良かったな……」
「全世界の貧乳女性を敵に回すような発言は止めろ。つか、任務遂行の為にも強い意思を持てよ」
「人の胸に目線を向かわして猛省してるようなバカに言われる筋合いは無いっつの」
ラクトが誰かを馬鹿にするのは日常茶飯事であり、稔は「悪かったな」と不貞腐れたような口調で言い返した。一方、返された赤髪は気にせず稔を上空へと誘う。高度にして三〇〇メートル程度、東京タワーより少し低いくらいの位置だ。そこまでくると、今度は紫姫を追いかけるべく前進していく。
「早く魔法使えよ。いつまで私に先導させる気なんだ」
「悪い悪い」
笑い話で茶化そうとするが、やるべきことを茶化すつもりはなかった稔。彼は任務遂行の為に立ち話をしている暇はないと考えて他の二人同様に『離陸』を使用し、続けて紫姫と軍機の事に関して情報を提供してもらおうとラクトに問うた。
「それで、紫姫が軍機を追いかけてるらしいけど?」
「そうなんだよ。で、一報を聞くべきだと思うんだけど……それは魂石越しで対応してもらわないと困る」
「分かった」
頼れる主人の背中を見せて欲しいという本心を隠し、ラクトは紫姫との情報共有作業を稔に任せた。そもそも、「軍機を発見できたら連絡をくれ」というサタン方式を採ったわけでない。だから、紫姫の安否確認も含めて連絡を取り合うべきなのである。そんな本心と本来の目的、両方をラクトは稔の言葉に込めて話していた。
「紫姫。聞こえるか?」
一方、稔は紫姫から一報を聞くために魂石へと声を当てた。精霊だけにしかない特権だが、紫姫から言葉がなければ捜索も視野に入れなければならない。とはいえ、紫姫と稔が離れてからは数十秒しか経過しておらず、彼女の声は比較的大きな声で届いた。直後、彼女が入手した情報が伝えられる。
「聞こえている。それと今、我は軍機を捉えている。貴台の内心を読んで理解した先程の軍機と同じ機体のものだ。細かなことは分からないが、場所的に機体が間違っているとは考え難い」
「本当か。ところで、その場所はどれくらい離れている地点だ?」
「キロ数にして四キロくらいだろう。……我の姿、見えないだろうか?」
「見えんな。雲の上か?」
「確かに、高度は一〇〇〇メートルを超えているから言えなくもないが――晴天だぞ?」
稔は魂石越しに紫姫の声を聞きつつ、視力が良いと自己主張する赤髪にその旨を告げようとした。だが、赤髪は人の内心を読む事が出来る人物である。それでも見抜けない情報は存在するが、稔のような正義感に溢れた人物が嘘を付いているはずもなく、ラクトは余裕で必要な情報を玉石混交とした中から選び抜いて機体の目視プロジェクトを始めていた。
「見えない……てか、日光が邪魔過ぎる」
ラクトが苦情を話したように、晴天下では太陽の日差しが強くて目視で上空を見るときには見れる場所が限られてしまっていた。集中力が削られる現場で高度差ありまくりな上空を見るのだ。首が疲れるのは言うまでもない。しかし、そんな苦が差し迫っていた状況でラクトは機体を見つけ出すことに成功した。
「見つけた」
「本当か!」
稔はラクトの発見に歓喜する。しかし紫姫は、はしゃぐ主人を切り捨てるような冷たい対応を取った。一方のラクトは、稔の内心からでしか情報が得られないために何が起こっているのかという情報は簡単に得られない。モヤモヤとしてムスッとした表情をまた浮かべていた。
「稔。魂石の使用方法で貴台が理解していないものが残っていた」
「なんだ?」
「『転送』する機能だ。サタンが使用していただろう?」
「あれ、機能だったのか……」
「今更知ったのか。もっとも、主人サイドが利用できない代物である。仕方がなかろう」
サタンがラクトを転送させていたのが精霊特権だった事を初めて知って驚愕した表情を浮かべる稔。連れのラクトも同じように驚いていた。そもそも彼女は召使であり、精霊に関して知らないことが多少残っていても何ら問題はない。『気が利くこと』と『学力が良いこと』は、必ずしもイコールで結ばれないのだ。
「まあ、そんなことはいい。これから我が『転送』で貴台らをこちらへ飛ばすから、あまり離れないで居て欲しいのだが――。距離的には一メートルといったところだ」
「俺の負担を軽減してくれるとは流石だな」
「便利屋と間違ったらダメだ。我にも拒否権は有るのだからな。これは厚意と考えよ」
「はいよ」
意味合い的には【厚意】だが、『転送』は紫姫の【好意】を現した形であった。ラクトは恋敵にされている事実を知っていたから、ある程度そういう事を把握する。一方で三角関係が築かれていることを詳しく知らない稔は、当然ながら女子勢が理解している事柄をどうこう言うことは出来なかった。
「では使用する」
紫姫はそう言ってワクワクするような展開を作ろうと心掛けた。その一方、自らが追っていた軍機の観察も続ける。暇をぶっこいている間にサリンを散布されたらタダ事ではなくなるから、紫姫の目線は同じ場所へと向かっていたのだ。そして紫姫は、その方向を見ながら一瞬立ち止まって使用を宣言する。
「――転送、此処に来たれ――!」
誰かを指定したりすることも出来るが、紫姫は特に事柄を指定したりはしなかった。そもそも精霊の個体は効力の対象外であり、現在サリン処理用に漂白剤探しにひた走っているサタンに効き目はない。術は罪源と召使が対象なのである。ちなみに、『転送』を使用する時に軸としている人物は主人だ。今回はその人物も同様に移動させるのだから、誰かを指定する必要なんて皆無。理論はそうだ。
「おお……!」
転送はエフェクトが凝っている訳でもなく、テレポートで移動する時間と同じくらいの時間で紫姫の元へと二人は移動出来た。再び合流した三人は、軍機の中に積まれているらしいサリンの回収をするべく尾行を続ける。警察の担当するような行為だが、服装からしたら完全に不審者である。もっとも、彼らに任された任務は警察が担当する範疇に無い難題だが。
「ところで、サリンは何処に置いてあるんだ。袋の中にでも入ってるのか?」
「袋ってのは内心解析で把握したよ。でも、本人はその場所を理解せずに搭乗したみたいなんだよね」
「もしかして、散布しなかった理由ってそれじゃ……」
「可能性は十分と考えられるね。でもさ、そうなると私たちの回収が困難になるじゃん?」
稔に異議はなかった。紫姫も同様である。だが刹那、稔が意見を変更する。彼は『困難』という言葉に反応して自分なりに考えを進め、過去の地下鉄テロの話も考えながらラクトの予想と反する内容の事柄を思ったのだ。稔は「いや――」と言い、続けてこう話す。
「でも、サリンが袋の中に入っているとしたら回収は楽だと思うぞ?」
「確かに、毒『ガス』だもんね。けどそれ、破られていないことが前提じゃん」
「でも、機体は傾いていない。高度的には上がっているが、上下に動いていないってことは内部でばら撒いた可能性は薄いはずだろ? 仮に袋の中に入っているとしたら、破られた可能性は少ないと思うんだ」
稔の理論に納得して頷くラクト。彼の記憶を読んでみると、日本で起きたサリン事件があった。まだ稔が生まれていない年の話だったが、首都で発生したテロ事件に関して詳しい話が親からなされないはずがなかった。横浜生まれ横浜育ちの学生が東京で仕事をしている親を持つのは、何もおかしな話ではない。
一方、紫姫は機体の尾行を続けていた。稔やラクトから明言された訳では無かったが、そこは内心が読める精霊として自らの役に立とうと頑張っていたのだ。役に立てるだけで感謝の言葉なんか要らない。そんな気持ちを胸に秘め、紫姫は作業を続けていた。
翻り、ラクトと稔は会話を続ける。
「でも、十二秒でいけるのかな?」
「難しいだろ。そんなの誰にだって分かる」
機体に取り付けられたボタンを押すことでサリンが撒かれる仕組みの可能性も有るし、機体の中に入っている可能性だってある。操縦士ですら置かれている場所を知らないのだから、時間が掛かると考えないほうが異常と言えた。操っている時に心を読んでも情報が得られない以上、ここで粘っても無駄なのだ。
「ねえ。機体をレープール島の砂浜に向かわさない?」
「でも、あそこは放射線が――」
「でも、こんな僻地の陸地なんかそうそう見つからないよ」
レープール島から離れた地点で投下したが、それは漁民が被曝した魚を食べないようにするための苦肉の策だ。国家の沿岸から遠く離れた無人島近海に投下したのは、指示が出るまでに到達してほしくないという稔の願いからだったのだ。
そんなラクトも稔の意向を汲んで話を進めていたから、しなければならない原爆の投下場所を選ぶ行為は慎重に進めていた。そういう経緯で選ばれたレープール島だが、これは俗に言う絶海の孤島だ。近くに陸地なんか無いし、仮に在ったとしても火山で噴火したばかりの島である。テレポート出来なければ一生そこで生きていくしか無いような、そういう場所なのだ。
そんな時である。
「ん?」
明らかに島らしき場所を紫姫が見つけたのだ。サリンの置き場に関して論争が深まる中で発見されたその島は、大きな砂浜と林を有するサバイバル用に使われそうな島。現実世界から持ってきたスマホを見ても圏外で、僻地だということに変わりはない。
「稔。あの島に軍機を降下できそうだが――どうする?」
「やろう。仮に漁民が居たとしても、情報を伝えておいて損は無いしな」
「了解だ。では、エルジクスを召喚して洗脳された軍人を操作したまえ」
「分かった」
ラクトの主張が崩れたが、化学的な分野で引き続き頼ることになる訳で無駄に批判しない稔。彼は紫姫の考えに同意して魔法陣からエルジクスを召喚する。放射能の恐怖から逃れられるような距離であったから、エルジクスは防備無しで姿を現した。そして、慣れたように洗脳下に置かれていた軍人の操作を行う。
「上下左右に視線を移せ。そして、海に浮かんだ島を捉えよ」
「……」
本来は浮いているわけではないが、見え方として間違っているわけではないので指摘は無い。それに、そもそも洗脳後の操作に関わる部分はエルジクスのテリトリーで、第三者である稔が足を踏み込むのは言語道断かつマナー違反と言うべき話でもある。つまり、精霊の人権を尊重するなら口出しなんて始めから出来ないのだ。
「捉えた島には砂浜が見えるはずだ。そこへ向かえ」
普段の性格や口調とは異なっていたが、稔はそんなエルジクスも受け入れて作業の進行を見守る。ラクトも紫姫も同じだ。とはいえ、見えた島は遠い上に名前も分からない不明な島だ。オカルト好きには堪らなさそうだが、稔陣営は肝試しするために来たわけではない。エルジクスが指示を出した後で機体が島へ向かったことを確認した稔は、引率者となって他二名と共に機体を追うことにした。
「では、一時的に戻らさせてもらいます」
エルジクスは自身が艦隊を率いていた提督の意思が宿った精霊だということをよく理解していて、急降下したり素早く移動したりするのが苦手だということも凄く分かっていた。だから、無理せず稔を頼る。代行主人の魔法陣内へと戻り、彼女は砂浜が見えるその時まで待機することにした。
「では、我も戻らさせてもらうことにする」
「後で回収するからね、作業着とガスマスク」
「了解した。では、話し上手に敵軍人の攻略を頼むとして、戻らさせてもらう」
稔もラクトも止めることはなく、戻っても良いということだと考えた紫姫は魂石へと帰還した。ラクトの指摘を受け、作業着とガスマスクは装備したままだ。
「気を引き締めて、頑張ろう」
「ああ、そうだな」
作戦に乱れが生じたが、そこは臨機応変に対応する稔陣営。一方、軍機はエルジクスの指示で謎の島に着陸しようとし始める。一千メートルからの緊急着陸は困難を極めたため、島の砂浜を着陸地点として機体は旋回をしていた。
その一方。稔とラクトは『離陸』の魔法使用を中断し、さながらパラグライディングを楽しみ始めた。パラシュート無しで飛べるのは魔法を使用出来るから可能なことだ。その途中で稔とラクトは右手と左手を繋ぎ、『二人三脚リレー』ならぬ『二人三脚パラグライディング』を行った。二人共々、顔面に吹き付ける強風が気持ちいいと大絶賛である。
「じゃ、頼むぜ」
「こちらこそ」
砂浜着陸前、二人はそんなことを話しながらサリン回収と処理への意思を強くしていた。誰にも被害を出さずに終わらせる。その考えのもと、砂浜に体当たりしないように二人は再び『離陸』を使用した。空中に体を浮かばせ、そこからはゆっくりと足から降下する。高さにして五十メートルくらいだ。
「先に着いたみたいだぞ、あの軍機」
「そうみたいだね。じゃ、テレポで急ごう」
テレポートして素早く安全に島へと降下しようという考えになり、稔は降下作業もテレポートで行ってみることにした。メートル数を間違えると足を痛めるので、理系なラクトを頼って距離の計算をしてもらう。そして、得た答えを稔が使う。
「――テレポート、四五メートル下へ――」




