3-41 傲慢罪源ルシフェル 【序】
「ボクとルシファーは姉妹関係だ。妹が政府なら、ボクはその逆を行く。ボクらはそういう姉妹なんだ」
「ルシファーは妹なのか。初耳だな」
ルシファーを配下の罪源にしたとはいえ、彼女の詳細なデータを入手していた訳ではなかった稔。『政府』と聞き、稔は帝国政府のトップ二人を殺してしまった悔しさを思い返しながら話していた。だが、そんな余裕を見せれた時間はごく僅か。稔に対して温厚さを見せつけたと思えば、刹那に態度を豹変したのである。ルシフェルのあまりの変貌には、流石の稔も度肝を抜かれた。
「ボクの姉を既に知っているのか。いや、キミはボクの姉の契約者という位置づけか」
「契約者と言えばそうだが、個人的に主従じゃなくて同盟が好きなんでな。極力『契約』はやめてほしい」
「盟約のほうが良いのか?」
「察しがいいな、ルシフェルさんは」
稔にとって、『契約』という言葉は極力使用を避けたい言葉であった。自分が大量の責任を負う司令官だという事実から逃げているのではない。「主従関係を結んでいるから反論できない」というような風潮が嫌だったのである。ルシフェルはそんなところも察して自身の脳内で的確に示せる言葉を検索、導き出した答えを稔に話していた。そんな彼女に対しては、稔も「察する力がある」という意味で尊敬の意を抱く。
だが、それはフラグだった。きっかけは紫姫のタレコミである。彼女が稔の耳元でこう話したのだ。
「(稔。奴は他人の心を可視化出来る能力を持っている。インキュバスの上位互換で、ラクトの能力から範囲制限を抜いたものと考えてもらえれば良い。離れていようが、奴は相手の名前を指定して内心を読むことが出来るようだ)」
精霊から聞かされた話は嘘であると信じたかったが、主人は突然入ってきたタレコミに「なんだと?」と驚いた表情を示した。加えて、嘘を付いたことが無いことが特徴の紫姫からの噂だ。デタラメを言っているとは思えない。だから、稔はルシフェルの肩を持つか紫姫の肩を持つべきか悩んでしまった。
「察しがいいのは幸いなことだ。でも、これは察しじゃない。――『読み』だ」
「……」
稔は葛藤していたのを止める。続け、紫姫に対して「警戒せよ」と命令を魂石越しに伝わす。だが、そんなことをしていても防ぐことは出来なかった。稔がバリアを張ろうとした少し前に攻撃を放ったのである。ルシフェルは罪源らしく不吉な笑みを浮かべていた。
「――強制帰還、姉の主君の魔法陣へ――」
それは言うまでもない、魔法使用の宣言だった。直後、イステルとティアが嫌な音に耳を抑える。それだけではあるまい。魔法陣が彼女らの帰還を待つ前、稔の魔法陣から紫色の光が放たれていたのである。紫姫はその光を見て、紛れも無い「強制応召の証拠」と話した。稔はどうにかして対抗しようとするが、提案自体が無駄だと紫姫は左右に首を振る。
「そんな……」
「主人の命令で召喚すること自体を一定期間封じる以上、そのような対抗策は不可能だ」
稔はやるせなさに襲われる。歯を食いしばって拳に汗を走らすほど強く握るが、そうしたところで精霊の帰還が止まるわけではない。もっとも、貸出期間中な事もあって稔の手元から離れるわけではない。それでも損害は甚大だった。サタンが稔に対して驚愕の事実を告げたのである。
「ラクトさんの護衛に向かいます。彼女は今、一人で戦闘をしているんです。精霊二名が戻る前に上がった光は、恐らくヘルさんとスルトさんが戻らされた証拠だと思います。――許可を、願います」
「行け。俺は指示も出さない。魂石越しに詳細を伝えてもらえれば結構だ」
「わかりました、先輩。精霊として、貴方の彼女を全力で守らせて頂きます」
そう言って稔の元を去るサタン。ラクトの元へと向かったことを確認すると、稔はルシフェルに対して猛抗議を行う。彼の手法として議論は外せなかったのだ。けれど、既に諸悪の根源と化した罪源と対話するのは容易なことではない。意味不明な会話文ではないにしても、浮かべた笑みと言動が落ち着くまで理解は困難を極めた。
「何故……何故こんなことをした?」
「反政府軍の陣営が政府軍に攻撃をする。そんな自明の理に対して、何か異議でもあるのか?」
「異議は無い」
「カッ。論破だな。――平伏せ、そして土下座しろ!」
ルシフェルはそう言うと、直後に紫姫をターゲットに波動化させた魔法を実行した。対する紫姫は、稔から借りたままだった紫剣を中央に構え、向かってきた波動を斬る。研ぎ澄まされた精神を行動に変えて示した彼女の行動に、余裕をぶっこいていたルシフェルは拍手を行った。
「我を斬り刻むのは百年早いぞ、悪党が」
「うむ、素晴らしい剣舞だ。しかし――キミは主人ではないッ!」
紫姫は確かに主人ではない。彼女は稔という主人の元に仕える、言わば臣民だからだ。そんな事柄を中心として、稔の内心を読んでルシフェルは対抗する術をどんどんと使用していく。けれど、ルシフェルの余裕とは裏腹に一発目から不発だった。理由は単純である。
「なん……だと……?」
「貸し出された精霊と契約したサモン系の召使が戻されたそうだが――我は一筋縄ではいかないぞ?」
「なんという悪な手法を……ッ!」
紫姫の配下にはアカウサギが居たのだ。正式な契約を結んだわけではないが、カースから譲渡された召使と言うべき動物を従えていたのである。そのこともあって、紫姫に対して使用された魔法で戻されたのはアカウサギだけだった。魔法を使用できる隊員が少なくなるのは頂けなかったが、それでもルシフェルの魔法を使用不可に出来たのは大きい。
「ルシフェルの魔法は我の『十二秒間の時間停止』よりも更に酷い制限が掛けられている。我がこのように弾いてしまった以上、もはや魂石を用いる精霊に対しての使用は出来まい」
「クソ……」
ルシフェルは吐き捨てるように言う。一方の稔からしてみれば、サタンの安否のほうがが気になる条項だった。しかし、魂石越しの会話でサタンが戻っていないことが判明する。ルシフェルが魔法を使用した場所から離れた場所であったことが幸いし、『跳ね返しの透徹鏡壁』を使用することで防げたのだ。幸運に恵まれたと稔は安堵の表情を浮かべ、ほっと一息吐く。
「貴台。これは返却するぞ」
「でも、いいのか?」
「構わん。奴は堅い装甲で覆われていないからな。それに、我と貴台は『二対』ではないか」
別にツインテールの事を言っているわけではない。『黒白』を形成しているのが二人であることを言っているのだ。対極に位置する色を使う者同士が、主人と精霊という対極に居る者同士が、一時の戦いの後から築いてきた絆で相手を倒していく――。だからこそ、『二対』なのである。
「双璧ではないし、双剣でもないし、双銃でもない。我と貴台は、あくまで『二対』なのだ」
紫姫はそう言って遂に稔へ剣を渡した。だが、そんな余裕を見せている二人は格好の餌食でしかない。ルシフェルは脳裏に掃討を描き、更に情緒不安定になりかねない笑いを上げながら『黒白』を構成する中でも精霊へと向かう。つまり、突撃作戦に出たのだ。もはや対抗策が無いと思ったようで、彼女はいつの間にか『覚醒状態』に入っていた。
「【詠唱】だけでは勝てるはずないぞ、『黒白』よ。――フッ!」
構えた剣は闇の光を発している。だが、それは自由自在に変化させられるものだった。ブラック属性と思ってしまうような色だとしても、その中身は変化できるのだ。火炎でも水流でも吸収でも光線でも、どのような付加効果を付けるかはルシフェル次第なのである。加えて『覚醒状態』と来た。勝てる確率は下がっている。つかの間の幸せがあった後、紫姫は不幸に襲われた。
「紫姫ッ!」
稔は紫姫を守るべく、『跳ね返しの透徹鏡壁』を用いる。だが――。
「無駄だ、妹の主人よ。――強制緊縛――」
「うあああああっ!」
見えない縄に縛られ、稔は叫声を上げてしまう。既に助け舟は殆ど居ない状況だ。いくら絆を深めたとはいえ、『黒白』としての限界を稔は見てしまった。その直後、ルシフェルによる拷問が始まる。
「痛いだろ? 痛いだろ? 痛いだろ?」
「うっ……」
見えない縄に対して抵抗を見せる稔。だがルシフェルは、見えないムチらしきもので捕虜とした稔を踊らした。抵抗の上に抵抗が重なり、自身の腹部や顎などの出っ張り部分を痛めてしまう。無論、生殖器も例外ではない。見えない縄に縛られた稔を見て、紫姫は自分がこれからされかねない事柄を連想してしまう。
「いぎっ……」
「やめろ! そんな処罰はやめ――」
必死に抵抗する紫姫に対し、ルシフェルは構えていた剣で紫姫に攻撃を加えた。けれども、ルシフェルのような悪い性格の女が刃の部分で最初から斬り刻むはずがあるまい。緊縛状態となった稔に対しての行動から分かることだが、彼女は拷問が大好きなのである。
「うごっ……」
「紫姫ッ!」
自らの手は修復できるという考えのもと。ルシフェルは刃の部分を持ち、柄で紫姫の腹部を狙って攻撃したのだ。子宮のある場所を目掛けて喰らわしている様を見てしまい、稔は去勢の恐怖が目前にあることを察する。震えが止まらず、稔は汗を走らせていた。
「精霊の生殖機能など要らないだろう。どうせ回復出来るんだしね。ふふふ……フッ!」
「やめ――」
ルシフェルは剣を捨てた。紫姫が弱ったことを見計らい、物理攻撃に移行したのだ。子宮に対しての攻撃であれば、足で腹部を踏むだけで結構。稔に屈辱を味わせるためにももってこいだ。そういった考えから、一切の躊躇い無しにルシフェルは紫姫へ暴行にひた走る。一方の稔は、泣き顔の紫姫を見ながら涙を流して絶望するしかなかった。
「この剣も使えないのか……ッ!」
稔には剣がある。二つも作り出したのだ。縄を斬ることなんて、至近距離なのだから容易い御用。でも、そんな一筋縄な話ではなかった。縄なんて切れたもんじゃない。そもそも可視化されていないのだから、魔法なり何なり使わない限りは拘束を解けないのである。
「助け……て……」
紫姫の堅い言動が壊れてきていた。それは即ち、彼女が極限まで追い込まれた事を示している。恋愛感情にしても危機感にしても、対応できなくなってきた時に発するSOS。格好良く言うなら、『ラストメッセージ』とでも言うべきものだ。稔はもちろん主人として走ろうとする。だが、それは不可能な話であった。
「股間が……痛ッ!」
緊縛された状況下、無闇に動くことは睾丸を痛めつけるだけである。紫姫が生殖器を破壊されているかと思えば、稔にまで恐怖は差し迫っていたのである。だから彼に出来たことは、紫姫を見て歯を食いしばることだけだった。
「ハッ。リョナ好きとしては晴れ晴れしい限りだッ! オラッ!」
「うがっ……」
主人と精霊の関係を切り裂くように、問答無用でルシフェルは稔の睾丸を潰しにかかった。去勢に対して一切の躊躇いが無いのである。もちろん、ろくな対抗手段なんてものはない。稔は痛みをじっと堪えるだけだ。――が、希望はある。
「――瞬時転移――」
「……したら、この女の内蔵を破裂させてあげる」
「な――」
ルシフェルは言い、ニヤリとした笑みを顔に浮かばせた。もはや勝ち目は無いと感じ、稔は渋々ながら従おうとする。だが、情けない主人の態度を見て紫姫が訴えた。稔という主人が、自分の尊敬する主人がそんな人物ではあってならないと。そう言う紫姫は、自分の体を犠牲にすることに一片の悔いを持っていなかった。そんな熱い思いが稔に通じ、遂に行動に動く。
「済まねえな、紫姫……」
「主人の権力の下では本来こうあるべきなのだ。それに、貴台のことを十分に理解した上での判断である。貴台が暴走することはないと、我はそう思うんだ」
「ごめん……!」
堪え切れず、稔は少しだけ瞳から涙を流した。それは悔し涙である。主人として、司令官として、情けない一面をあらゆる人々に見せてきた。解決出来ないと分かって暴走しようとした。そんな過去を否定はしない。それをバネにする気持ちを、稔は涙を流しながら内心に強く持つ。
だが同時、紫姫はルシフェルによって強く踏まれてしまった。




