3-25 対帝国政府-Ⅲ
門の前に転移して政府庁舎へ入る気持ちがわからなかったから、稔は政府庁舎の中でも重要な人物が待機している部屋の近辺へとテレポートすることにした。サタンが『魔法を封じる魔法』を授かった相手の部屋の近くのことである。
「申し訳なく思うのですが、魂石に戻らせてもらっていいでしょうか?」
「疲れたなら戻ってもいい。――が、俺が指示を出したら従うことが条件だ」
「分かりました。では、戻ります」
テレポートした時に手を繋いだから十分だとか、決してそういう訳ではない。サタンが戻った理由は疲れを少しでも取ろうとしたためである。それは稔も何となく文脈から察していた。それこそ争い続きの頃だ。稔の支配下に在る精霊の中でもトップクラスの実力を誇る以上、どうしても争いに勝つために必要な人材を失うわけにはいくまい。稔にはそんな強い思いが有った。
「紫姫。全力で護衛するから全力で護衛を頼む。――いいか?」
「娯楽作品において、殆どの作品で性別の違う者同士はペアを組むではないか。それが最終的に結ばれぬ運命であろうと、価値観や意思を共有したならば貫き通すべきであろう。我はこれらを所以として、貴台の護衛を引き受けたいと思う」
「長えよ。簡略化しろ」
稔は紫姫が長文を聞かせてくれたことに感謝の思いを微塵も感じなかった。もはや英語のリスニングテストである。凡人たる稔は、そんな普段から聞き慣れていない英語に四苦八苦していたのを思い出してしまった。訴訟を起こせるくらいのダメージではないものの、過去の傷を風化してから抉られた時の痛みは大変なものだと気付かされる。だがしかし、本題はそこではない。
「んじゃ、タッグを組むことが決まったところで。――奇襲を掛けるか?」
「『勝てば官軍負ければ賊軍』とよく言われるし、奇襲を掛けて首を取れば勝戦したも同義だろう。しかし、そうするべきではないという思いが我の心にはある。話し合いで解決出来ないのは見えているんだがな」
「まあ、あそこまで狂った兵士見たらな……」
稔も紫姫も、ついさっき見たばかりの狂いに狂った軍兵の指揮官の顔を思い出す。それと同時に、「あそこまで崩壊する精霊も中々居ない」という評価を紫姫は下した。現役の精霊から貰った評価だ。望まなくとも、お墨付きを得たと言っても大丈夫である。
「でも、奇襲くらいしか方法は無いのかもな……」
稔は小さく吐き捨てるように言う。奇襲作戦を決行するなら、相手に隙を突かれないように緻密な計画を練る必要があることを稔は知っていたため、そういった先行きの見えない不安に押しつぶされそうになっていたのである。でも、主人が心細い発言なんかするべきじゃない。やるかやらないか、選択肢は二つ。決定権は自分にだけ存在する。そして、これは精霊や召使に渡していいものではない。
「分かった。時間を停止させたり、敵を凍らせたりして戦おう。それが恐らくベストだと思う」
「しかし、奇襲作戦は最初の一発目が重要だろう?」
「確かにな」
稔は頷きながら紫姫の言っていることをダイレクトに受け止めた。奇襲作戦は最初の一発目が崩れれば全てが狂うのだ。コンピューターが入力をミスした刹那に機能を誤ると同じく、連結した歯車全てが狂うのである。緻密に計算された作戦だとしても、行うのは『機械』ではない。『人』と『精霊』だ。傷つく時は確実に傷を負う。逆も然りだ。
と。そんな風に『傷』のことを考えてみた時、稔はふと思った。相手が国家を仕切る独裁者ということもあり、旋律が走りそうになる状況だったことも相まってのことだ。そしてそれを、彼は紫姫に問う。
「そういや、お前が『究極形態』になったら、『時間停止』を使える時間は延びるのか?」
「単純だが重要な質問だ。時間さえあるなら、我は試しに使ってもよいが?」
「俺は範囲から除外しておけよ?」
「分かっている、そのくらい」
紫姫はそう言い、心の中に満ち溢れた自信を見せようとドヤ顔をした。その自信満々さはイライラしてくる程だったが、稔は「これくらいの単純さが彼女の原動力なのだ」と勝手に結論付けておく。だが、刹那のことだ。紫姫が単純さを失ってしまったのである。もちろん、その所以は平易なものだ。
「しかし、貴台。今から『究極形態』を使用するべきではないだろう。追い詰められたわけでもあるまい」
「通常の状態で一二秒もあるし、実際、延びる延びないは気にしなくていいのかもしれない」
「うむ。それに『温存』しておきたいんだろう? 貴台がこの場所に来た意は独裁者を倒すからではない」
「そう……だな」
紫姫から言われたことで、稔はこの場所に来た意味を更に強く脳裏に刻んだ。早急に解決しなければいけない、ラクトが連れされてしまった一連の事件。問いただすべき人物が待機しているサタナキアとは限らないから、彼を『倒すために』来たわけではないのである。もっとも、最後にどんな形であろうが決着は付けねばなるまいが。
「ん?」
紫姫と稔が政府庁舎へ戻ってきた意味を確認している中。紫色の髪の毛の頭上でジャンプしている赤色の妖族に目が行ってしまった稔。一方の紫姫は感覚的なもので髪の毛でジャンプされていることに気が付き、ポンポンとアカウサギを優しく叩いて落ち着くように慰める。けれど、赤色の小動物は動きを止めない。
「紫姫。恐らく、アカウサギは――」
稔がアカウサギの内心を読めるはずがなかった。でも、小動物は自身の目からは赤色の光線が出ている。その先を辿ってみたところ、稔はアカウサギが一体何を指しているのか察しを付けることが出来た。
「『退室中』……」
紛れも無い『退室中』と書かれた看板が、サディスティーアの部屋の扉に掛けられていたのである。紫姫は言葉を失ってしまったが、それは自分の頭上に居座っているアカウサギの内心が読めなかった自分への後悔の念の現れ。変なところで落ち込むところは以前の稔に似ていた。そんな共通点もあって、『黒白』の中で励ましの言葉が与えられる。
「心を読むことなんか、出来なくても問題ないじゃねえか。お前は欲張り過ぎだ」
「欲張りすぎ、というとどういうことだ?」
「そもそも『心を読んで時間を止めたら最終奥義』とか、恵まれ過ぎにも程があるってこと」
「そうだろうか?」
「自覚なしで発言出来るって幸せだよな……」
稔は感動を覚えた。けれど、それは褒めた意味ではない。恵まれすぎて視野が狭まっていることへの皮肉だ。使える技が多くある上、転用しないとろくに使えない魔法という訳でもない。だからこそ、転用ミスしたところで気にするなと、たかが一回のミスで何を気にしているんだと、稔はそう思って指摘を入れたのである。
「ミスを気にするな。全ての責任は俺が持ってやる」
「稔……」
単純な紫姫は息を呑んだ。格好つけて言った訳ではないのだが、稔は紫姫の純粋すぎる態度に自分の心が左右されそうで心配になってきた。頼られるのは嫌ではないのだが、その頼られ方にもよるということだ。
丁度そんな頃。今の状況を考え、ラクトを救出する為にサディスティーアの部屋を襲う奇襲攻撃を行うべきではないと結論が出た時のことだ。その部屋の主である一人の独裁者が稔と紫姫の背後から二人に声を掛けた。隣には、駅前で見た狂いに狂っていた者に限りなく近い衣装を着けた女の姿。明らかに隣の人物がガリアではないことを確認すると、稔に代わって紫姫が質問を投げる。
「貴女は何と申す?」
「『ルシファー』ト名ヲ受ケテイル」
天使の輪と悪魔の翼を併せ持った白色の服を着た女は、躊躇いも無しにそう名乗った。高貴な黒色の髪の毛と外人らしき感じを醸し出す碧色の眼。着ていた衣服は医師が着るような白衣である。女性らしくスカートも穿いているが、それもまた白色だった。
そしてなにより、古風と感じる髪の色と喋り口調が印象的だった。同類にしたくはなかったが、考えてみれば隣にいる紫髪も印象的な喋り口調である。そんな共通点のようなものを、稔は脳裏に思い浮かばせた。
「先に言っておこう。アガリアレプトは官房長官としての役職を務めている」
「ほう……。それで、ラクト――ブラッドは何処に監禁した?」
「その解答は、貴方がたがこの戦いに勝ってからとしましょう……フフ」
裏に何かを考えているとしか思えないような笑みは不吉に見え、独裁者サディスティーアの内心がどれだけ壊れているかを示していた。けれど、売られた喧嘩は買わない訳にはいかない。心を読んで正確な情報が得れるとは限れないことを知った今、少しでも正確な情報を知るためには相手を屈服させて尋問するしか道はなかったからだ。
「俺が勝ったら、ラクトの監禁場所付近に居る兵士らを全員回収しろ」
「なるほど……。分かりました、解答と停戦を掛けて戦うことを呑みましょう」
「それは助か――」
ようやく相手と対等な位置で戦えると思い、稔が安堵の息を吐いた時のことだ。勝つために手段を選ぶことのない『魔族』を中心の種族としたエルダレア帝国の独裁者だったサディスティーアは、巧妙な手口で隙を突いた。心が読めない事もあったが、稔はその手口に引っ掛かってしまう。
「隙ヲ見セタノガ命取リダッタヨウダナ……」
ルシファーは声を荒々しいものにし、狂い出していたことを表面上に見せていた。いつの間にか手には巨大な刀を持っており、それを天井方向へと彼女は向けている。稔は突如として始まった攻撃に心拍数を急激に上昇させるが、五秒程度で冷静さを取り戻し、指揮官としての冷静さを取り戻す。だが、狙われたのは紫姫だった。
「――明ケノ明星――」
時間を止める魔法を使用する可能性も否定出来なかったが、稔は「紫姫!」と声を大きく上げて紫姫の方へ走った。万が一に何か有ると嫌だったし、それこそ後で悔しがるのはもっと嫌だったからだ。だが、稔が出動する必要は無かった。紫髪を守ったのが頭上のアカウサギだったからだ。
「アカウサギ……」
紫姫を守るため、頭上のアカウサギはルシファーに赤色の光線をまた放っていた。だが、今回は『ライト』の役割をしていない。光線が担っている役割は『ブレイク』――即ち『破壊』だ。言い換えれば『攻撃』とも言えよう。
「ソノ抵抗、反逆トシテ対処サセテモラウ……。去レ――ッ!」
今度は特に魔法使用の宣言をするわけでもなく、持った剣から『特別』ではない『通常』の魔法を繰り出した。しかし、そんな魔法に紫姫が捕まってしまうはずがない。帝国政府に屈しないと決めたのは、いわば『第三党』の中心人物だと強い自覚を持ったようなもの。そう簡単に考えを折る訳には行かなかった。
でも、サディスティーアは悪でしかない。『勝利』の二文字しか見えていない独裁者にとってみれば、そこに結びつく作戦なんて気にするものでは無いという考え。だから、悪は下衆すぎて擁護のしようがない技を稔と紫姫に使用した。
「――魔法吸収――」
「――跳ね返しの透徹鏡壁』――」
サディスティーアの魔法使用宣言を受け、稔はそれを防ぐために自身の得意とする防御技を使用した。殆どの魔法から自分の身を守る事が容易にできるのが特徴のその魔法だが、何処かで範囲を言わないと跳ね返されてしまうのがネックだった。だから内心で言うのだが、それで相手にリードを許せば一巻の終わりだ。
流れる時間は一秒なのに、ビクビクしているせいで一分に感じそうになる。それに続き、「魔法使用宣言に続いた範囲指定の言葉を発する事にビクビクする主人なんて情けない」なんて、稔は自分の事を嘲笑した。だが、その嘲笑の後にバリアは形成されている。
ラクトを助けるために訪れた庁舎内、『黒白』だけでサタナキアの猛攻から逃げることが出来る方法としては唯一だった。時間を止めても使用には制限があるため、使うべきはそれではない。バリア、それも全体に掛かるものなのだ。
そして成功したことを稔が知ると、隣に居た紫姫が即座に動いた。両手には銃を所持していて目は赤く染まっている。それに続き、紫姫が稔の方向に向かって詠唱を行う。それは、『覚醒形態』へ移る意を彼女なりに伝える手段であった。
「死を恐れぬ紫蝶の散華を――覚醒ッ!」




