3-2 アニタと貪欲罪源ベルゼブブ
その殺風景で活力を感じ取れない駅の構内は、戦艦エルダを改良して作ったボン・クローネ・メッセといい勝負であった。国家が二分しているような状況であり、反政府を謳った組織ですら強姦に及んだのである。政府を嫌っていた矢先に見えた希望の光すら失った給料の少ない庶民は、無論ながらどちらにもつくことが出来ない。そういったところから漂う悲しい雰囲気は、やはりラクトも重大視していた。
「……許せない」
彼女は小さく言葉をこぼすが、それ以上には言わなかった。無理もない、口で言うのはとても簡単なのだ。他人を信用させることが出来る言葉を巧みに話していけるかは別として、提案も約束も出来る口頭での台詞は様々な方面で活用できる。
そう。古代の争いのように実力だけで何とかなるのではないのだ。既にネットワークが構築された現代において、真っ先に闘うべきは主犯格の側近。近寄る方法は脅しではなく巧みな話術だ。そういったことを――即ち自分が失敗した経験を、ラクトは活かしたいと考えていたから自分の考えを表明するに留めておく。
一方で戦場カメラマンのアニタはこのように述べた。
「確かに許しがたい行動では有りますが、帝を尊敬している民が存在しない帝国は滅んで良いのでは無いでしょうか。ろくなことに金を使わないで奴隷を放っておく帝など、民が尊敬する話が出なくて当然です」
「言っている話は分からなくもない。だが、だからといってテロリストを放っておいていいのか?」
「それは――」
アニタは黙り込んだ。三人は共に歩みを止めはしなかったが、若干ばかしアニタの歩調が稔とラクトと合っていない感じである。とはいえ彼女は、稔が庶民の味方として戦闘に参加することを認めたようなものである。もちろん、決して彼女は巧みな話術に騙されたと思ってはいない。
何かを封印するように黙りこんでいたが、そんなカメラマンは封印を解除して稔の問いに回答した。
「放っておいていいわけないじゃないですか」
「だと思っていた」
稔はそう言い、アニタの意見の正当性を強調してから自身の考えを述べていく。
「一つ言っておく。俺は庶民の味方をするだけだ。奴隷を認め、強姦を犯しながら革命をするのは非常識に決まっているし、だからと言って一二歳で水商売を認めている帝国軍が正義だと主張する気は毛頭ない」
「稔の最終的な目標は何なのさ?」
「エルダレアから種族差別や性差別、奴隷を無くすことかな。帝の存在に関しては国民に是か非か判断してもらうつもりでいる。国民に重い負担を強いる上位階級なんて、憎悪対象以外のなにものでもないしな」
「……」
遠回しに性犯罪の被害を家族が受けたラクトを擁護するような言い方で稔は話した。彼女はそれを知って感謝の気持ちを伝えるのも恥ずかしいと黙りこんでしまう。一方でアニタは二人の関係がどういうものなのか詳しく知りたくなる。だが、場所が場所なので彼女は昼時という時間を利用することにした。
「どうでしょう。昼時ですし、そちらのラーメン店に寄って行きませんか? 小難しい話も重要ですが、私としては革命を狙う稔さんと召使らを写真に収めたいので、少しコミュニケーションを深めたいと――」
「俺らのカメラマン? ……まあいい、身の安全は自分で確保しろよ?」
「分かりました」
アニタは特に笑顔を見せるわけでもなく、普通の応答として会話を終了させた。ラクトとしては関係を発展させてもらうのは結構だったが、あくまで同盟や友人関係の話。恋人関係においては発展させてほしいはずがない。けれども彼女は、アニタという新たなライバルは自分のポジション維持に役立つ気がしなくもなかったから、一〇〇パーセント歓迎していないわけではなかった。
「それと、私の罪源を紹介させて下さい」
「――ちょっと待て。お前、『罪源』って言ったよな?」
稔は『召使』と来るべきところが『罪源』となったことに気づき、同時に会話に一時停止を入れた。自分も二人の罪源を従えている以上、他者と協力できる部分があればしたくなるのは当然の結果である。
「ルシファーかベルゼブブってところだが、どっちだ?」
「後者になります。貪欲の罪源の蝿です。――とはいえ、生理的嫌悪を示すような容姿ではないのでご安心下さい。稔さんがどのような感情を抱くかは不明として」
「おいおい。褒め言葉を打ち消してんぞ、最後」
思ったことを言った稔。だが、その期待は良い意味で外れることになる。とはいえ、一切の断りをなしにアニタが突如として召喚作業に移ったのは目を疑った。「こいつ、これでも戦場カメラマンか?」と可哀想な目線を向けたくなる。だが、召喚された罪源を見て寸秒。目の保養となって考えという風船は破裂した。
「か、可愛い……!」
ラクトが小刻みに首を左右に振る。稔も彼女の思いには同意だったが、流石にドストレートに感情を表現されるのは抵抗を感じた。一方のアニタは二人の反応に感謝を述べると、続けて罪源の紹介を行っていく。
「私の罪源であり相棒のベルゼブブです。召喚タイプは『カムオン』ではなく『サモン』なので、生えている翼は特に気にしていません。それと、アホ毛はセンサーです。自由自在に気分によって変形します」
「あれか? 『?』マークをアホ毛で描くみたいなことするのか?」
稔が問うと、口を閉じていたベルゼブブがアニタより先に答えた。
「はい」
「かっ、かわいい……っ!」
ラクトはベルゼブブが仮に敵だったとしたら、自分が唯でさえ戦闘で弱いのにもかかわらず手を抜く可能性があるように感じた。ラクトは自分を失ったわけでは有るまい。だが彼女は、ベルゼブブのアホ毛をちょんちょんと優しく触ってセンサーを確かめていた。
アニタの召喚した罪源は、言わずと知れた悪魔・ベルゼブブ。七つの大罪では『貪欲の罪』として数えられている。ただ、そんなベルゼブブは稔が思っていたのとは大いに違う容姿であった。そう、いかにもロリなのである。そう、ロリ以外の何者でもない。
髪の毛は黒髪ロングヘアー。ロリであるから胸に膨らみが大きい訳でもないが、けれどもラクトと同じようにパーカーを着ていた。赤髪と赤髪だったら姉妹に見えなくも無さそうだが、考えてみれば女淫魔と蝿で構成される姉妹である。共通点が多いようには考えられない。
「……『お姉ちゃん』って呼んでもらおうかな」
「子供に対して自分の思いをドストレートにぶつけるのは、相手に対して自分の精神年齢がその程度ですって言っているようなもんだろ。義理の妹でも有るまいし、ここはそういうお店でも無いんだぞ?」
「じゃあ、『ねーさま』?」
「お前は髪の色と胸のサイズ的に言われる側だろ。てな具合で、某日常系作品を連想させる言い方はNG」
脳内を読んでようやく連想出来るようなネタを使った稔に対し、ラクトは「お前こそ連想させる言い方はNGだろ」と言いたくなる。けれど、ラクトは言わないでおいた。どうせツッコミとして挟んだネタである。そんなの明白だった。だから彼女は言ってもらいたい呼び方を考えていくことにする。
――と、その時だ。あまりの可愛さに場が静まり返ったのではない。血の繋がっていない彼女持ちの同じ髪色の男に対し、ベルゼブブが言ったのである。該当人物同士の容姿を対比させれば見えなくもないが、周囲には動揺と波紋がそれぞれ広がる。
「お兄ちゃん」
「なん――ん?」
耳に届いた素晴らしい響きに、稔は少し心を動かされそうになった。簡単にいえば、それは『妹を持っていない者の特権』である。だが稔は、あくまで紳士的な対応を努めた。言われて嫌な訳ではないけれど、だからといって見た感じがロリータである以上、言わせるのは気が重い。だが、それは隣から飛んできた言葉で消し去られた。
「稔。言っておくけど、罪源は一人足りとも処女じゃないからね?」
耳元でラクトにそう言われると、稔は重く伸し掛かっていた荷を即座に降ろした。加えて『貪欲』というのは『欲が深い』と同意義の言葉である。『何かを欲しがる』のだから、言い方は悪いが、なればベルゼブブがヤリマンの可能性は否めない。処女厨が一気に発狂しそうな話だが、稔はそういう男ではないので特に気にせず話を進めていく。
「ベルゼブブが気に入った名前なら、俺はどんな呼び方でも構わないぞ」
「『ヤリチンお兄ちゃん』」
「おい!」
ラクトが失笑すると、アニタは頭を抱えて「駄目だこいつ」と手遅れな事を改めて知った。では稔はというと、彼はツッコんでからアニタと同じように頭を抱えていた。とはいえ稔は、十回も一心不乱に腰を振っていた記憶が蘇ってしまった。何人もと関係を持ったわけではないにしろ、昨晩の一件は常識を凌駕する話でもある。だから完全に否定することは出来ない。
「『お兄ちゃん』?」
「それで頼む。人を罵倒したければ付けてもいいかもしれないが、ニックネーム本体で付けるのはダメだ」
「了解、お兄ちゃん」
ベルゼブブが単語で話す系の女だと知り、稔は今後のコミュニケーション発展のためにも脳裏に刻んでおいた。それから数秒も経たないうち、近くで自分を嘲笑した赤髪に対して罰を与える。頭グリグリも考えたが、自分が得する事も考えてこちょこちょに出る。
「さて、ラクトよ。――最後に言い残すことはあるか?」
「こ、怖いよ?」
「否定出来ない部分は確かにあったが、それは一割か二割じゃねえか。それを笑いやがって」
「す、すいませんでした! こちょこちょ弱いんだってば! 勘弁し――」
「問答無用だ」
ラクトは抵抗しようと身体をジタバタさせることを考えだしたが、それと同じくして稔が言い放った。刹那に開始される稔による脇の下集中攻撃。彼女に対してしているとはいえ、太ももの付け根をくすぐるのは気が咎める話だった。でもそれは当人の考えでしか無く、周囲からすれば「リア充」という言葉で収まる。
「あはは、ダメだっ、あはっ! ちょっ、さり気なく触んなっ、こらっ、あひゃっ――」
続く攻撃に耐えるのが厳しい状況が続く。稔は意識して胸に手を当ててしまったわけではなかったが、ラクトはそれを知って言ってくれた。本来であれば稔は察することが得意ではないから「ごめん」と言って謝るところなのだが、稔は正確に事を察して一切の手を緩めない。それに対し、ラクトは諦めなかった。こちょこちょという攻撃に対抗する手段を見出そうとしていたのだ。が、しかし。
「お姉ちゃん、成敗加えられてる。喜んでる」
「なっ、んなわ――あひゃっ」
ベルゼブブがラクトの様子を報告すると、稔は「やっぱりマゾじゃん」と言ってくすぐりを止めた。言われて攻撃を止められたラクトは喜ぶと思ったのだ。だが彼女には刺激が相当な快感だったようで、その場に倒れこんでしまった。顔に出ている笑いは演じているように見える。だが、ラクトは本当に数秒だけ意識が飛んでいた事を示す証拠に過ぎなかった。
「おいおい、大丈夫かよ」
「お前のせいだろーがっ!」
ラクトは結構な怒りを持っていた。こちょこちょを数秒されるくらいならまだ良かったのだが、自分が気を失うほどにしてくれたのである。稔が差し伸べた右手の肉をつまみ、彼に痛みを負わせることにした。だが、悲鳴を上げる程度の痛みではない。甘噛みされた程度の痛みである。
「二人とも、よく駅の構内でイチャつけますね?」
「俺らの関係はそういうもんだ。とは言えど、俺もラクトも恥ずかしさを持っているんだがな」
「そうなんですか。取り敢えずコミュニケーションは取れたと思うので、店内へ入りましょう」
「そうだな。金は割り勘とかじゃなく、召使分は契約した主人が出すってことでいいか?」
「はい。その方向でいきましょう」
アニタも稔も二人分の代金を払うことになった。四人の合計金額を四で割った代金を支払う訳ではないにしろ、意味合い的には似ているように思えなくもないが話は全然違う。単純だ。「主人が召使を含めた二人分の食費を全額負担する」という話でしかないのである。
「取り敢えず、これ」
「……金の話から飛びすぎじゃね?」
ラクトは預かっていた主人のパスポートを胸のポケットから取り出した。稔からは疑問の声が飛んできたが、彼女はこう回答して自身の考えを明らかにする。
「いやいや。パスポートみたいな無くすと大変な重要書類は、サモン系にきっちり管理してもらわないと」
「でもお前、複製出来るんだろ?」
「出来なくはないけど、彼氏の顔を複製するのは嫌なんだよね」
「俺の顔が放送事故って言いたいのか?」
「違うよっ! 彼氏は一つで十分ってこと。言わせんな」
ラクトがそう言うと、稔は「意識しすぎじゃね?」と少し馬鹿にしてみる。でも、素直に嬉しい気持ちもあったので、それ以上に嘲弄することはない。かわりに書類の保管を頼もうと召使を魔法陣から呼び出す――が、何処にも姿はない。
「後ろっす」
ヘルだ。何かとお世話になっているが扱き使っているように思えてきたので、稔はそろそろスルトを呼び出して管理させようかと考え始める。だがヘルは、スルトと自分の立場という観点から指摘を入れる。
「スルトでも良いと思うっすけど、一応は私が責任を取ることになるんすよ?」
「ああ……」
ヘルがスルトの主人であることを今更に思い出すと、稔は「そういうことか」と言ってから返答した。
「んじゃ責任の観点から、お前が基本的な魔法陣内の書類管理担当ってことだ」
「重いものはスルトと共同で担当すればいいっすしね。把握したっす」
ヘルはそう言い、稔の隣を歩いてラクトの元へと向かった。そして彼女から主人のパスポートを受け取ると、それを責任持って管理すると内心で誓ってから魔法陣の中へと戻っていった。「んじゃ、戻るっすよ」と一言言ってからだったが、稔はいい匂いがしてきたので眼中にない。
「ヘルは?」
「稔がいい匂いに心を奪われている間に戻ったよ」
稔はラクトから事実を告げられると、「マジか」とヘルに詫びを入れようと思わざるを得なくなった。けれど、立ち止まって数十秒も経過していると店側にも迷惑である。故に稔は他三人を店の中へ入れさせることにした。
「んじゃ、昼飯な」




