2-91 パスポートチェック
「奴隷……だと?」
重々しい雰囲気が稔とラクトを包んだ。エルダレアの最高位として鎮座する帝が居ることは承知していたから、帝国主義という考えに一驚を抱くことはなかった。独裁政治も納得がいく。男尊女卑に関してはラクトが活動を起こした理由であり、無論ながら喫驚の思いは無い。無法地帯というのは包括した話である。
けれど、『奴隷』という単語が入っていたのは驚きだった。現実世界で奴隷制を復活させようという取り組みを行う過激派組織が有るのは稔も承知していたが、よりによって似たような組織の本拠地に攻めこむのである。もっとも「復活させる」のではなく、復活もなにも「現状として存在している」という話だが。
「それと、エルダレアはエルフィリアよりも魔法に疎い人は少ないよ。なにせ、敗戦国として傷を負ったわけじゃないんだ。むしろ窮地の状況を打破した国家として自信を持ってる。――それが過信だって言えればこっちのもんなんだけどね」
「おいおい、待ってくれよ。それって『失われた七人の騎士』と同等かそれ以上の実力を持った奴が、エルダレアにうじゃうじゃ居るってことじゃねえか」
稔はラクトの台詞に対し、疑問とも推察とも受け取れる台詞を発す。一方で彼女は稔の話に補足した。肯定し、続けて事実を根拠として話を展開していく。革命を起こそうとした活動家らしく、自国に誇りを抱いている様子は無い。
「そうだね。エルダレアは人口二億でエルフィリアの一〇倍も有る。少数精鋭部隊で展開しようにも、奴らは魔法が使えるんだ。それも私らが使う魔法以上の強力な魔法を使用できる者さえ居る。軽く見ちゃダメだ」
「軽く見るわけねえだろ」
「そっか。――でも一応、考えておいたほうがいいよ。稔はエルフィリアを代表している人なんだから」
「……どういうことだ?」
稔は首を傾げた。一方のラクトは「嫌だなぁ」と稔に言葉を投げ、それでも彼に説明を行う。彼女の行った説明は特に凝った内容ではなく、多少知能の発達している子供であれば考えられるような話だった。
「王都陥落」
「――」
稔は口篭った。刹那に何が起こるか把握したのだ。彼は王都へ出向いたことは無かったが、それでもリートという王国の象徴的立場の人物と関わりを持っている。エルフィリアでは通信網が発達しているが、ハッキングという手法を用いて悪用に走るエルダレア関係者も少なからず居るはずだ。そうなれば、稔とリートの交友関係が暴露され、知られた以上は王都へ攻撃が入る可能性がある。
テロか、空爆かは分からない。――が、危険が及ぶのは明白であった。
「実力行使に踏み切らないほうが良いってわけじゃないよ。悪に対抗する正義は言葉だけじゃ対抗できないから。けど、踏み切るんだったら命を捨てると決意したほうがいい」
「その『命』ってのは、俺とリートと織桜ってことだろ?」
稔の言葉にラクトは小さく頷いた。正解という意である。
「でも、精霊五体でどうにか出来ないのか?」
「出来るかもしれないけど、それでも『精霊』は言い換えれば『消耗品』だ。魂石にも魔法陣にも戻れない召使でない限りは生き返ることが容易だけど、それでも攻撃を受けてから回復完了までには時間が掛かる」
一対一ならまだいいが、それでも精鋭部隊と総動員部隊が激突した場合には消耗戦が始まるのが目に見えている。精鋭部隊は数少ないけれど、総動員部隊は烏合の衆から精鋭までを揃えた国家の命運を掛けた大軍。なれば、総合火力は凄まじいことになるはずである。
「『回復の薬』である程度は補うことが出来るかもしれない。でも、それも限られてる」
「そうだよな……」
「だから取り敢えず、今日は攻撃のことなんか考えないで居ようよ。イステルとの戦いで皆疲れてる」
ラクトが言ったように、精霊は回復するまでに時間を欲す。治癒する条件が『カムオン系』の召使よりも限られている以上、仕方がないというのは確かである。が、それでも稔は一日も治癒に掛からないだろうと思った。
「けど、精霊の回復作業に一日も付き合う必要はあるのか?」
「二四時間も掛かるわけじゃないけど、皆傷ついたんだ。少なくとも十時間は掛かると思う」
「十時間も掛かるのか!」
稔は驚きの声を上げた。それこそ、詰め込み過ぎるスケジュールでは主人側が疲労困憊に陥る可能性があったが、それでも六時間の睡眠を取ったのだ。約九〇分サイクルで起きるとスムーズに活動が出来るのが人間な以上、稔は作戦を今日のうちに立てておくことが重要では無いかと考えた。
「それくらいが普通だよ。落ち着いて考えなくちゃ勝利は見えないと思うし、今日くらいはいいじゃん」
「会議は確かに数分で終わるかもしれないけど、だからって先延ばしにするってのは危機感が薄れるだろ」
「自分の意志を曲げないことは素晴らしいと思うけど、重荷を下ろすためには休暇も要るんだよ?」
ラクトの言っていることは理に適っていた。たった三〇分程度の仮眠だったが、稔とラクトはそれを取ったことで以降も万全に戦えた。仕掛けられた爆弾に挑み、スポーツに打ち込み、魔力の回復作業に打ち込むことも出来たのである。彼女の『休暇』という話は反論する余地が多く残されている話ではなかった。
「まあ、急を要する話ってわけでもないか」
稔はそう言い、ラクトの考えを遠回しな言い方で支持した。エルダレアはエルフィリアより広いのは分かっていたことであり、それだけ楽しめる場所も有るのだろうと考えたのだ。一応は論争を最初に行う主義の稔は活かされない可能性も考えたが、それでも使う資料的な意味も含め、旅行をする気持ちに熱意を燃やし始めた。
だが、旅行の案は『鉄道』では不可能だという事に気が付かされる。
「エルダレアは広いんだよ? 広大な土地を鉄道で動きまわるのは限界が有るに決まってるじゃんか」
「つまり――飛行機?」
「いやいや、常識的に考えて『瞬時転移』だろ……」
車窓から見る景色も堪らないものだが、テレポートして道中の風景を見ない事にして時間を短縮したくなる人だって居るのだ。もっとも、ラクトが稔に対して時間短縮の交渉に踏み切った理由は「車窓からの景色は必要無い」ということでは無いが。
「ああ、それと――」
今丁度に思い出したような言い回しで、ラクトは話の内容を切り替える。
「今晩の宿は私が確保していいかな?」
「背筋に電流が走ったんだが、嫌な予感じゃないよな?」
「確かに風俗街の一角だけど――」
「何処に連れてく気だよ! あの世か? あの世なのか?」
ラクトは「そうじゃなくて……」と言うが、既に稔はガクガクと震えていた。確かに大勢を前に性欲をぶちまけるという行為を連想した日があったのは事実だが、既に一〇回も彼女に放出しているのである。日付が変わってから戦いに踏み切ったのだから、一日で何度も腰を振って痛めるのは御免だった。
「別にサキュバスが居る訳じゃないんだから、心配しないでよ」
「普通、それを元淫魔のお前が言うか?」
「でも、本当のことなんだよ! サキュバス――というか半サキュバスだけど、それは私だけだって!」
稔は「知らねえよ」と言いたくなったが、必死に話しているラクトに拒むような言い回しはやめておいた。何処に有るかもわからないような場所に行くのは恐怖が付きまとったが、もし由々しき事態に陥ったらラクトのせいにしようと考えたのである。責任転嫁ではない。それは責任の押し付けである。
「それで、それは何処に有るんだ?」
「この列車の終着駅の近辺の風俗街だよ。エルダレアの中では言わずと知れた風俗街だと思う」
「ふーん。で、その終着駅の名前を答えろって話なんだが?」
「ご、ごめんっ!」
ラクトは音を立てて手を合わした。インドであれば「ナマステ」であるが、ラクトが手を合わせた意味は挨拶ではなくて謝罪を示していた。最初こそどぎまぎした表情を浮かべた彼女だが、すぐに冷静さを取り戻す。咳払いをして気を落ち着かせたのだ。
「『ロパンリ』って街だよ。私らは街の中心駅である『ロパンリ駅』に向かっているわけだけど、そこから徒歩十分も掛からないような場所に風俗街はある。まあ、風俗街に十八歳未満が立ち寄るのは如何なものかってことだけどさ」
「風俗嬢らしい職業に就いていたお前が何を言うか」
「あの頃は誇りを持っていたけど、今になると殺した人たちを可哀想に思う」
冴えない男の性処理をしていたラクトなわけだが、彼女はその職業に誇りを持っていたらしい。稔は意外過ぎる発言だと目を丸くしたが、デモ起こすくらいの資金回収には持って来いで恨みを晴らすにも持って来いだったのだから、そうなるのも当然の結果と言える。
「過去は覆らない。やらかしたことは忘れてはならないけど、表面上は忘れなくちゃダメだ。歴史の否定も歴史の改竄もするべきじゃない。本音と建前を使い分けてこそ、未来は切り拓けるってわけだ」
「でも私は、私がやった残忍な行為で命を奪われた人の余生を無駄に――」
「デモをしたのは命を投げ捨てた行為かもな。けど、だから今があるんだろ?」
稔の台詞の裏に何か隠されているのではないかと思ったラクトは、刹那に彼の心の中を覗いた。すると、稔が多くの召使や精霊や罪源と接して分かったことを整理した上で一つの考えを持っていることをラクトは知った。あまりの喫驚で心の奥底から喉まで走ってきた言葉というランナーが居たけれど、奴は声帯という医師役にドクターストップを掛けられてしまう。けれど心の中では制御が不能だった。
「(過去に『トラウマ』を持っている――?)」
トラウマという名目で過去の記憶を呼び覚ませば、ラクトの脳裏に真っ先に浮かぶのはインキュバスによる母と姉への強姦事件、及び自分の父親の反逆行為による過労死である。それは肉体的ではないにしろ、彼女の精神的な部分が経験した痛みであり、忘れることは出来ないような話だ。
他にはティアの性奴隷扱い、スルトの去勢、レヴィアの慰安婦事情――など、他にも色々と列挙できることがあった。そんなことで競うつもりはないが、けれど呼び覚ましたいわけでもない。あくまで心や脳の片隅に置いておきたい話だ。けれど話したことで、稔が結論までは辿り着かなくても推論を導いた。
「もしかして、前世で嫌な死に方をした奴が召使になっていると思ってる?」
「それは精霊全員が当てはまることだから、無いことは無いだろうけど――他の召使全員が嫌な記憶を持っていると断言出来るわけじゃない。爆弾魔の野郎はヘルに酷い扱いをしていたらしいけど、詳しく聞かされていないし。だから、あくまで俺と親しい奴らの場合ってことだ」
必ずしもトラウマ持ちが精霊になっているのか、そんな事を証明できる程のデータを稔は所持していない。けれどそれは、酷い扱いを受けている召使や精霊や罪源、死んで転生したわけではないのなら『奴隷』も含め、解放してやりたい気持ちから考えたことだ。データが無いからと証明を諦めるつもりはない。でも、何事にも限界は付きまとう。頭を回転させ過ぎてもエラーを起こすと考え、稔は片隅に置いておくことにした。
「そういう考えが浮かぶのは良いことだと思う。解放したい気持ちの一心で推論へ導いたんじゃん」
「俺らしいってか。サンキューな」
ラクトは感謝されると少し照れた様子を顔に浮かばせた。けれど少しずつ照れた顔に笑顔が見え始める。それは、主人に褒められて嫌な召使が居ないということを意味していた。一方の稔も、笑顔を見て心が和んだ感じである。重々しかった数分前の空気は短時間で変化の兆しを見せていた。
そんな時だ。
「ご利用ありがとうございます。パスポートの確認をいたしますので、お名前と序列をお教え下さい」
「序列?」
「主人、召使、精霊・罪源、未契約者、のどの位置に居るのか教えてくれって言ってるんだよ」
「そういうことか」
ラクトから助言が飛ぶと、稔は話をしてきた列車の乗員とみられる男性の問いを十二分に理解することが出来た。そのため一切の隠蔽を無しに回答をする。「どうせパスポートと照合するつもりなんだろ?」と考えたのだ。密入国者を防ごうという試みであれば、照合したくなる気持ちは分からなくもない。もっとも、それを島国出身者が言うべきことかという話だが。
「夜城稔。序列は主人だ。こいつはラクト。俺の召使」
「ありがとうございます。では、パスポートの確認作業への協力をお願い致します」
リートから直々に貰ったわけではないが、実質そういう話に出来なくもない経路を辿って稔の元に届いたパスポート。ラクトは自身が管理していたそれを、何の考えも無しに渡した。テロリストである可能性は低いと内心や脳を読んで解析したのである。当然の結果か、乗員は持ってきた紙にボールペンで文字を書いていた。それだけではない。稔のパスポートにサインを刻んでいる。
「印鑑じゃないんだ?」
「マドーロムでは印鑑よりもサインが一般的です」
乗員は笑みを浮かばせた。営業スマイルに他ならないものである。
「では、パスポートを返却致します。快適な鉄道の旅をお楽しみ下さいませ」
乗員はそう言って頭を下げ、三〇度の角度で礼をした。けれど彼は、それだけで立ち去ろうとはしない。目の前に見た召使と主人のカップリングに目を奪われたのである。男性を見下していたラクトだったが、その面影は無い。だから余計に神がかった彼女に見えたのだ。乗員は稔の耳にその思いを語る。
「可愛い彼女さんですね。毎日お盛んですか?」
「余計なお世話だ。仕事に戻れ、馬鹿」
「これは失礼致しました」
稔は駅員に帰るように指示をするが、単にクレームである。一企業の上層部が命令している訳ではない。流石に大切な客を失うことは避けたかったから、いくら語ろうという強い気持ちを持ってしても乗員は立ち去ることを決意しなければならなかった。今度は礼をすることなく、彼はその場を立ち去る。それと時を同じくして、ラクトが稔をいじり始めた。
「褒めてもらって嬉しいな」
「建前かもしれないぞ?」
「本心だから問題ない」
駅員の純粋に見えなくもない心を断り無しで読んだラクトには、稔は少し頂けないような箇所があるように思えた。でも、彼女はそれを公衆の面前で言いふらすような女ではない。言うのは稔か紫姫などの親しい奴の弱み程度である。誰かを弄りたい気持ちはあるけれど、だからといって嫌われたい気持ちは無いのだ。
「それで、もうすぐエルダレアらしいけど?」
「そうなのか。バレブリュッケから国境って相当近いんだな」
特急列車であるが故に駅を通過していたが、バレブリュッケ市で考えれば国境と市境を一緒にしている箇所が半分くらいだ。特急列車となれば駅に止まる事が減るのだから、国境を越した後までの途中の駅で止まることは殆ど無いという訳である。事件や事故さえ置きなければ、一切の臨時停車をする必要は無いのだ。
けれど、現実とは非情である。
「キャ――――ッ!」
突如として隣の車両から聞こえる女性の叫び声。乗客が少ない特急列車である。身代わりとなって戦う勇気ある者は居ないと言っても過言ではなかろう。だからこそ、稔は自分の出番が来たと思って隣の車両へ掛けた。それと同時、聞こえたのは乗員が消えていった方向と同じだということにラクトが気づく。
「まさか……」
ラクトは嫌な予感を覚えて寒気を身体に感じた。けれど主人の前進行為に逆らうことはなく、乗員が消えていった方向へと稔と共に進んでいく。そんな最中、人一倍に音に過敏なイステルが魔法陣から飛び出してしまった。彼女は出てきて早々、稔に向かっては驚愕の、ラクトに向かっては理解可能な台詞を発した。
「主犯格は先程の乗員ですわ。稔さん、ラクトさん、急ぎますわよ」
テレポートすることはなく、稔とラクトはイステルの言葉に「了解」と合わせて返答すると、揺れる特急列車を早足で移動した。事件が起こった可能性が極めて高い以上、一人の犠牲者も出さない為には迅速な行動が必要だ。僅かながらに稔は汗をかいたが、焦りを見せることはない。
乗員の消えた方向を目指して早足で向かって到着した、ラクトの購入した座席を有する車両の端。目の前に見た引き戸型のドアを稔は開け、開けて即に紫色の光を放つ剣を背後に構えて足を踏み出した。
「今すぐにその行為を止めろ!」
「あ?」
飛び込んできたのは衝撃だ。ラクトが安全な奴だと思ってパスポートを見せた男が、乗客一人に暴行を加えていた真っ最中だったのである。暴行を加えられた乗客は血を噴いており、意識の回復や生存するには急を要する状態だ。稔からラクトはスマホを奪取しようとするが、ヘルに任せようと稔はラクトに停止を求む。それだけではない。同時に紫色の光を放つ剣も置いたのだ。
「俺の話が聞けないのか?」
「ああ。なにせ、この列車は僕が運行しているんだ。だから君に発言権は無いよ」
「ほう。つまり、その行為を止めないってことだな?」
「弱いのが悪いんだ。僕は一切の罪を犯していないよ」
乗員は不吉な笑みを浮かべる。彼が稔に煽りを入れているのは分かりきっていることだ。もちろん、ここまでくれば話し合いで解決するはずがない。理由が揃った以上、『正義』の名の下に稔は最終手段へと乗り出すことにした。
「――歯ァ食いしばれッ!」




