2-89 ストロベリーアイス
列車に乗ってみるが、知り合いの顔は何処にもなかった。もっとも、異世界人である稔が異世界人と遭遇しただけで奇跡だというのに、加えて『知り合い』となれば確率は更に減少の傾向を辿らざるを得ないはずだ。一方のラクトはエルダレアの生まれであり、彼女の友人は居てもおかしくなかったが――居なかった。
見回してみれば、車内には空席が目立っているの気がつく。エルフィリアで生活を営んでいる人は二〇〇〇万人程度であり、エルダレアを含む他国いずれかと比べれば差は歴然たるものとなる。が、やはりもっと乗っていて欲しかった。この程度の人数では車掌が可哀想で他ならない。
とはいうものの、稔は政府機関の役人に当てはめられている人物であった。取材を受けないのは正式に認められている訳ではないからであり、それこそリートと面識を持っているだけでも相当な強みである。立場をわきまえて発言すべきなのだ。加え、マモンだのマノンだの多くの人と鉄道を通して親しくなってしまったことが影響し、鉄道に対して文句を口から言う気にはならなかった。
ラクトが指定した号車に乗り込んで指定した座席に稔が先に座ると、車窓から二人は駅の構内の方へ視線を向けた。やはり過疎っている。この街は衰退の一途を辿っているのではないかと痛心するくらいだ。織桜のような、あれくらいの力量を発揮してくれる政治家が居ればいいのにと思うが、そう簡単に行かないのが政治の怖いところである。
「(というより、織桜って政治家じゃ無くね?)」
情景を捉えて色々な事を察してしまった稔だったが、結局はそれを思って終了した。それと同じくして、心の中を読んで話が終わるのを待っていたラクトが稔の足を踏んだ。彼女の顔には完全勝利したと言わんばかりの顔が浮かんでいる。「こんな奴をよく彼女にしたな」と半ば呆れ返る稔だが、それでもラクトを嫌うことは出来なかった。
「別に巻き爪ってわけじゃねえけどさ、流石に痛いからやめて」
「ノリ悪くなったね」
「痛みを背負ったからだっての。要するにお前のせいだ、バカ」
稔は言い、ラクトの左右の頬を引っ張って遊ぶ。顔を作って楽しんでいた昔の記憶を稔は脳裏に蘇らせるが、だからといってラクトには必要最低限を越した痛みを与えることはしない。マーカーで顔に落書きした仲であるから、「たかがこれくらい」と稔は安易な気持ちで頬を左右に引っ張っていたが――隙を突かれてしまった。
「いっ……」
歯を食いしばる稔。股間部を狙われた訳では有るまい。だが、頬を引っ張っていた両手は行く場所を見失った。言い換えれば墜落したようなものであり、それは地面へ――つまり机面に触れて激震を走らせる。二段階の痛みに襲われ、両手を振って痛みを和らげるしかなかった。
「本当に痛いから止めて。力強すぎ」
「股間に蹴りを入れたら消沈するだろうね」
「お前の男嫌いは相当過ぎて太刀打ち出来ないっての……」
足の痛み、手の痛み、そして狙われた腹部の痛み。嘔吐することは無かったが、それは奇跡と言って過言ではないだろう。稔は痛みに襲われていた間は冷静な思考回路が出来上がっていなかった。電気回路に例えるのであれば即ち回路が崩れた状態であり、もちろんランプが付くはずもない。ランプは言い換えれば脳である。
「まあ、足のグリグリは想定外だったのは確か。異論は認める」
「いやそれでいいよ。お前も喫茶店で辱めを受けたようなもんだし」
「あ、あれは――」
ラクトは貰ったチョコ菓子を稔から食べさせて貰った際、顔を赤らめすぎて魂が飛んでいきそうになっていたのを意外な一面と思ったが、それはそれで可愛いものと考え、稔は反応を脳裏に焼き付けてしまっていた。無論、弱みを握れば会話のペースは掴んだも同然だ。だから稔はそのまま話を進める。
「可愛かったな。清純派ビッチって感じ」
「理由が有ったと何回言えばいいのさ」
「ごめんごめん」
稔は軽くラクトに謝った。弱みを握っている癖して批判が入ったら止めるスタイルも、それはそれでいかがなものかと思いはしたラクトだが、深々しい謝罪をされるよりは気が楽なので何も言わないでおく。翻って稔はラクトが何も言わないことを察しており、続けて下らない雑談を交えることにした。
「そういや、力の入れ具合で思い出したんだけどさ、男より女のほうが重たいんだっけ?」
「二次性徴は女子の方が早いから、一五歳辺りで比べれば男子より女子の方が重くなる。でも、成人だとそう変わらないと思うけどな。脂肪が付くか筋肉が付くかの話なんだし」
「脂肪の塊を二つ持ってる人は大変なんだろうな」
「体重維持とか、ある程度の気を遣ってれば無問題でしょ。要するに見境なしに菓子類や清涼飲料に手を出さなきゃいいだけじゃん。そういうのが出来ない人が『ダイエットしたい』とかほざくだけであって」
ラクトは厳しい論調で話していたが、それは否定を出来る話では無かった。太っていなければダイエットなんてする必要が無いわけで、それこそ平均体重を二桁もオーバーしていない限りは過度なダイエットをする必要なんて無いのだ。もっとも、何処からが「太っている」という解釈に至るかは性別や年代に応じて変化するのは確かな話だが。
「てかなに。私を太りすぎだとでも?」
「彼女に言うのは失礼だと思うけど、あれ程の痛みを負わされたんだ。至って普通じゃないか?」
「そうかもね。けど、心配する必要は無いさ。一六四センチで五三キロだし」
「それくらいなら肩車して無理は無さそうだな」
「当てられてドキドキするような脱童貞野郎には、おんぶがお似合いなんじゃない?」
「うるせえよ」
パソコンの前の椅子に長時間座っている稔だが、別に運動が出来ないわけではない。帰宅部でろくな運動をしていない奴でも短距離で謎の神がかり的な記録を出すことは可能なのだ。もちろん、その裏にはある程度の筋肉が付いているという話が存在する。言い換えれば、簡単におんぶやら肩車が出来るのだ。
そういう風に話が進んでいた中、ラクトが話を戻らせて体重の件を話し始めた。稔の内心に丁度の時間で浮かんでいた話では無かったのだが、話を聞いていた時に彼の脳裏に蘇った情報を紐解いたのである。
「ちょっと話を戻すけどさ、稔的にはどうなの? 五〇キロ超えの女って」
「ある程度の肉があれば痩せてても太ってても良いと思う。――限度は考えて欲しいけどな」
「意外と『デブ』とか言わないんだね」
「一六四センチだろ? ちょっと身長が平均より上なんだから、体重だって平均より上でいいじゃん」
「それ、体重を気にしすぎる系女子に言ってやって欲しいな」
「励ましのコメントを怠けのコメントに変えられると悪いので却下だ」
稔はそう言ってメッセージを発信することはしないでおいた。何事においても統一出来る筈がないのだ。規律は統一出来るかもしれないが、学力を統一するのはロボットでなければ不可能である。同じように体重だって身長だってそうだ。計算は可能だが、全て同じように管理することは不可能である。もちろん人間は知能も発達しているから、コメントをどう受け取るかだって千差万別と言っていい。
「まあ、適度に運動してれば脂肪と一緒に筋肉も付くじゃん。お前はそれ意外に胸もあるんだし、それくらい無いとむしろ奇形って思われるんじゃないか? ホント、小さい数だからいいってもんじゃねえよ」
稔は加えてそう話しておいた。それと同じくし、駅のホームに停車していた列車が動き出した。ラクトは母国へ死んで帰国すると同義、稔はまだ見ぬ国へと入国すると同義だ。――と、そんなことを考えているとパスポートの件を稔はふと思い出した。体重の話は雑談でしか無かったのに、そういう重要なところを忘れていたのである。
稔は目の前に座っていた彼女のパーカーを見て、ジロジロ見ないように注意しながら胸ポケットに膨らみがあることを目に焼き付けておいた。それがパスポートの証拠である。自分の切符があることも同じように確認したが、稔はパスポートの中に切符を一緒に入れておこうと提案する。
「パスポートの中に切符を入れておかないか?」
「そうだね。紛失の心配は無さそうだし」
ラクトからの承諾も貰うと、稔は彼女からパスポートを取り上げようとするが――やはり触れるものは触れる。あからさまに変な声を上げるが、それはラクトによる稔に対しての報復攻撃でしかなかった。でも、そんな彼女の甘い声には冷淡な反応を示し、稔は取り出したパスポートの最終ページに切符を挟んだ。
「んじゃ、後はよろしく」
「任されましたー」
軽く流すように言い、ラクトは稔からパスポートを再度預かった。彼女は自分の切符も同じように最終ページに挟み、何故か自分で胸ポケットに入れて甘い声を上げる。稔は彼女の行動が客に迷惑を掛けているのではないかと思ったが、ラクトが馬鹿な真似をしたら責任を取るのは自分か二人共々であることに感づき、どちらにせよ自分には敗北しか待っていないことを知ってしまった。当然、その先に待つは注意だ。
「性的興奮を覚えさせるような声を上げるんじゃない。乗り物の中だからって燥ぐのは大概にしろ」
「燥ぐとか子供じゃん」
「お前のことを示してるんだよ!」
ラクトの喧嘩を売るような発言に、怒号の声を発するかのような口調で稔は言った。「お前のことを言っている」というのは言われなくても分かっているようなものだったが、ラクトは敢えてそう言ったのだ。何年何十年という長い間ではないが、二四時間付きっきりで過ごして彼女が何を考えてツッコミを求めるか分かっていた。そのため、もはやツッコミを入れることに抵抗は無く、むしろバンバン入れていく気だった。
「煩い声出さないでよ」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「私のせいだと思ってる」
「なんなの、もう……」
稔はラクトの返しに大きな嘆息を付いた。それをし終え、目を覆い隠すように右手を該当部分に持ってきて顔を左右に振ったのは「手遅れ」を表している。そんな稔は胸の内、「俺にも心を読める能力を下さい」と願っていた。もちろん魔法でも無い特殊能力が容易く搭載されたら超展開過ぎる訳で、そうは問屋が卸さない。ノーチートは揺るがないのだ。
一方、ラクトは「やりすぎたかな?」と思っていた。一応は長い間を共にする仲であり、活発に会話を交わせない関係よりは交わせる関係の方が親密さが増す気がする。だからこそ、「こちらとしても軽くごめんねと言うべきなのか――」との考えに至りそうになっていた。
そんな時である。二人が作った車内の重々しい雰囲気を壊すようにモニターが起動した。最先端のテクノロジーを最大限に活用したものではない。寿司屋で口頭注文ではない場合において迅速に品物を運ぶ為に使われる、既存の技術を改変したものだった。とはいえ列車内という場所であり、それこそ車体は高価な料理を提供する見た目ではない。だから寿司なんてものは無かった。――が。
「アイス……だと?」
稔は口頭で喉から出てきた言葉を零すように話し、チラリと横を見る。見ればニヤけているラクトの姿。浮かべた微笑が何を示しているのかは即に分かった。財布の紐を握っているのは紛れもなくラクトなのだが、それは共有財産という訳ではない。自分の金を預けているようなものだ。なれば、横暴な使い方をされては困るという話になる。
「……念の為に聞こうか。値段は?」
「二五〇フィクス」
「高いな。却下だ。チョコ菓子一つにコーヒー一杯、それに加えてアイスなんて腹壊すぞ」
「『回復の薬』のコピー方法は知ってるからね。問題ないんだな、これが」
稔は「流石は悪魔だ」と、考える次元が違うことに何となく気がついて思った。だが問題はそこではない。コピー方法なんてどうでもいいのだ。薬に関してはティアから拝借しても差し支えない。本題は支払い金額である。でも結局、稔は「ケチるべきじゃない」という考えになった。
「二五〇フィクスの対価、払えよ?」
「うん」
もっとも、稔だってゲームのソフトやアニメ関連商品で有り金を溶かすような野郎だ。「ケチるべきじゃない」というのは、即ち「商品が食べ物になっただけ」という結論である。ラクトから対価を払ってもらうことも承認してもらえた為、稔は彼女に購入許可を出した。
「稔は要らないの?」
「俺はいいよ」
「じゃあ、ちょっと食べていいってことが対価ってことでいい?」
「なら、そうしてくれ」
稔の回答を聞いて「分かった」と言うと、ラクトは商品が表示されているモニタの箇所をタップして商品を注文する作業へ移る。チョコ味の菓子は既に食べていたから、今度はストロベリー味の菓子にした。追加で商品を頼む外道な行為は行わず、稔に許可を貰ったアイス一つ――二五〇円のいかにもラクトアイスに見えるストロベリー味のそれをタップし、購入に踏み切った。
「決定!」




