2-88 駅中喫茶
「いらっしゃいませ」
店員の声を耳にしても言うことがない二人は、気にせずに視界に捉えた座席へと向かった。同じ心を持った人間では無いから、座る場所も異なると考えるのが妥当かもしれない。だが、座った場所は対面する場所だった。別に似たもの同士とかそういう事ではなく、ラクトが心を読んだだけにすぎない話だが。
それから僅かしか経っていない頃、店員がうさ耳を付けて登場した。彼女は極普通のおぼんに透明なコップを二つ置き、中に水が入った状態で運んでいた。熟練の店員に見えるような格好では無いが、運んでいた姿は落とさないように神経を尖らせていた訳ではなかったから、喫茶店に勤めて何年にも及ぶのだろう。
「ご注文はお決まりですか?」
うさぎの耳を付けた女性は同時にメイド服を着こなしていた。黒と白が使われている一般的な衣装である。そんな彼女はおぼんから水の入ったコップを稔とラクトの前に置く。熟練の店員は零さないように冷静になったりはしていない。
「コーヒーをお願いします。俺は無糖、ラクトは――」
「私も無糖でいいよ。煎りたてコーヒーなんて苦いほうが美味しいじゃん」
「お前の価値観は聞いてねえよ。……では、店員さん。無糖コーヒー二つでお願いします」
店員は「かしこまりました」と笑顔で接客する。そんな中、稔が立っている店員に向けて送っていた視線が当たったのは胸だった。ちらりと横のラクトを見るが、彼女は何を見られているか感づいたようで腕を抓る。一方の店員は「仲が良いんですね」と、当てられた視線を気にしては居ない様子だった。
店員がコーヒーを煎りにレジ隣のコーヒー豆が入った機械へと向かった一方で、ラクトは稔が店員に下心しか無い視線を送ったことに苛立ちを抱えていることを告白した。けれど話を聞いていくうち、苛立ちを向けていたのが稔では無いことが明らかとなった。
「十回じゃ足りなかった?」
「そのネタ引きずるのやめようぜ。俺の心が折れる」
「下心を剥き出しにして視線を送ったんだから、これくらいが妥当な罰ってもんでしょ」
「そうかな?」
「そうだよ。てか、あの店員さん私よりでかいね。ぱっと見で分かった。俗にいう隠れだよ、あれは」
ラクトからの報告を聞くと、稔は呆れたような物言いでこう返す。
「あのさぁ。確かにラクトはビッチに見えるかもしれないから良いかもしれないけど、だからって色んな人が出入りするような喫茶店で言うか?」
「ビッチ言うな。身体を売ったのは金を稼ぐためにすぎないっての」
「そういう発言を止めろって言ってるんだが」
「知って――痛いっ」
「人に迷惑を掛けた罰だ。恥を知れ」
ラクトは対面に座っていたが、僅か六〇センチ程度の距離である。会話の最中にラクトが頭を少し出していたことも相まって、稔は簡単に彼女の頭部へグリグリ攻撃を行うことが出来た。格好つけるように稔が理由づけした後、ラクトは「うう……」と不満気な顔を浮かべる。
そんな時だ。煎りたて淹れたてのコーヒーが届いた。胸の大きな先程の店員が、おぼん上にティーカップを二つ置いて持ってきている。けれどもコーヒーが入っていること以外に変わっていることがあった。菓子の存在である。コーヒーに自家製のパイを一緒に持ってきていた。ブラウン系統の色で塗られており、見た目はチョコを連想させる。
「苦味ばかりで胃を壊されるのは店側としても憂慮すべきことですし、どうでしょう。お口直しと言うべきかは分かりませんが、お菓子類の方はお召し上がりになりますか?」
「追加料金は?」
「結構ですよ。公衆の面前でいちゃラブしてるようなお二人ですし、楽しんでいただきたいのです」
最大限のサービスをしているのか、それとも馬鹿にしているのか。詳しいことは分からなかったが、稔は取り敢えず追加料金がゼロ円だったので菓子を頂戴することにした。菓子に手を伸ばそうとするが、店員が「いえ、大丈夫です」と拒んだので下げる。ふと前方を見れば、先程の一件に追加の当件。更にラクトの機嫌は悪くなっていた。
「ごゆっくりどうぞ」
カップコースターと共に無糖コーヒーの煎りたて淹れたてのコーヒーが入ったものをさっと置き、菓子も同じように置いて、店員は逃げるようにレジへと戻っていく。その一方、椅子に座ったままの二人は話しづらい雰囲気を感じていた。だが、稔が意を決して行動を取って話が動いた。
「ほら、口開けろ」
「えっ……」
ラクトは驚いたような顔を見せるが、当然の結果である。稔のキャラクター的にはやらないであろうことをされたのだ。俗にいう「あーん」である。稔は抵抗している様子を見せなかったが、される方のラクトはドキドキしてしまった。驚いた上の心臓のバクバクであり、倒れてしまうかと思ったくらいだ。
「あ、あー……」
とはいえ抵抗を見せないラクト。口を開け、彼女はブラウン系統の色で塗られた菓子を口中に入れていく。美味しそうに食べているが、何処かエロい感じもしなくない。もぐもぐ、と目を瞑って食べているのである。唾液こそ垂れていないが、出ていれば完全にアウトである。
「美味しいか?」
「美味しいけど、一つまるごと食べてよかったの?」
「構わねえよ。つか、お前こそチョコ菓子とか大好きじゃないのか?」
「大好きだけど、それでも稔だって食べたくないはずじゃ――」
「日頃の感謝だ。一日しか一緒に生活してないけどな」
稔は笑いを浮かばせながら言い、カップコースターの上に置かれたコップの持つところに適切な指を入れて口へと運んでいった。ずずず、と汚い音を立てることはせずに飲んでいく姿は印象的である。
「おお、美味いな」
「苦い?」
「苦味がいいアクセントってところだと思う。この残る感触がコーヒーって感じ」
「やっぱり煎りたてコーヒーは別格ってことなんだね」
頷きながらラクトは言う。そして彼女も、稔と同じように特にそれといった抵抗を見せずに口の中へ運んでいった。ブラックコーヒーを飲み始めると厨二病患者と疑われることがあるようだが、稔もラクトも該当していないと自己主張をしている。もっとも、美味しいから飲んでいるのに酷い言われ様では話になるまい。
「これは美味い」
「喫茶店には悪いが、出発まで残り一〇分程度だ。時間が無いから長くは居座れねえぞ?」
「分かってるってば。稔も全部飲み干しちゃいなよ」
「その通りにするよ」
稔とラクトは会話を終わらせてから飲み物に手を付けた。まるでビールを飲むかのような飲みっぷりを見せ、二人は三秒足らずで飲み干してしまった。稔もラクトも既に少量は飲んでいたわけだから、数秒で飲み干すのは当然の話である。
「んじゃ、会計行ってら」
「私がするんだね、やっぱり」
「俺より金を持っているくせに、よく言うよ」
「預けてるだけだと思うけど?」
「財布の紐はお前が握るんじゃねえのか?」
「そうでしたね、すいませんね」
ラクトはキレ芸でもするかのような言い回しで話していた。ただ、別に本気で怒っているわけではなく、キャラクターを演じているだけでしかない。何を隠そう、ラクトである。怒ることは人並み以下だ。沸点が低いわけではないのである。
「五三〇フィクスになりますが、店長の意向で五〇〇フィクスになります」
「優しい店長さんですね」
「店長は私なんですけどね。ふふ」
笑顔を見せてレジ担当をしていたのはうさ耳の女性であった。自身を店長と名乗っており、彼女はそれを話した時に口に手を当てて綺麗に笑っていた。さり気ない気遣いには感謝を覚えたが、時間のことを指摘されていたので五〇〇フィクス硬貨を払うとレシートを丁寧に貰い、走って店の中から外へ出た。道中で誰かにぶつかることが無かったのは運が良かっただけである。
「切符もらえるか?」
「うん」
ラクトが預かっていたパスポートの中から切符を取り出すと、それを稔に渡した。席は指定されているようで、昨日クローネ・ポートへ行った時のように立ち歩きは出来ないようだ。とはいえ、切符には『車内販売あり』と併記されていた。稔は飲料に困ることが無いだけでもありがたかった。
「トイレ立ちはオッケーだろ?」
「二人同時はやるべきじゃないけどね」
「了解した」
稔はそう言うと再度切符を見る。やはり併記されている『車内販売あり』の文字には疑問が残っていた。
「車内販売があるってことは、そんなに長い距離を移動するつもりなのか?」
「山岳地帯を越えていくから、軽く三時間は掛かるんじゃないかな?」
「長いな。昼の一二時頃に目的地へ到着するのか」
「うん。まあ、携帯電話が繋がらない秘境ってわけじゃないから安心していいよ」
悪魔の国とはいえ全員が非道を働いているわけではないし、当然ながら救急隊だって存在している。彼女はそういったことを稔に対して話しておくことにした。でも、あまり陳腐な話をするのも嫌だったので「電話が繋がる」ということだけに話は留めておいた。
「列車は何番線ホーム発車だ?」
「二番線を九時に発車。階段と地下道があるけど、どっちから行く?」
「地下でいいんじゃないか?」
「んじゃ、そうしよう」
テレポートを使えば二番線まで一気に行くことができるが、稔は無銭乗車する気は毛頭無かった。単純である。正義を訴えている人間が非道な行為を行ってどうするという話だ。イステルを教育するとは言ったのは確かだが、悪い方面へ教育する訳ではない。教育を行うならば、まずは自分が立派な背中を見せてやるのが一番である。
「それじゃ、行きますか」
「ああ」
時計を確認すれば八時五二分だ。歩いて間に合うのは目に見えており、加えて駅構内でやることは既に終わっている。異世界だからと稔は緊張することもなく、ラクトと共に二人は切符を使用して改札口を抜け、一番ホームへと出た。
「バレブリュッケ駅って大きい駅って訳じゃないんだな」
「嘘付け。ここからエルダレアとギレリアルへ二線に分岐するってのに何言ってんだ。私達が朝まで居たボン・クローネから新幹線も繋がってるのに。――でも、利用客数が少なすぎるのは認める」
通勤ラッシュが終わったとはいえ、まだ朝の九時少し前である。遅く出勤する人だって居るはずだが、経済面は『ニューレ・イドーラ』や『クローネ・ポート』に吸い取られていることが理解可能な光景が広がっていた。言わずもがな、バレブリュッケ駅は過疎っていたのである。
「まあ、足踏みしてる訳にもいかないしね。地下道から二番線へ行こう。――それと、仕返し」
「肘にクッションがあるけど、当ててる?」
稔が問うと、ラクトは「そういうこと」と頷いて返答した。そうしてイチャラブバカップルは、地下へと下っていく階段が広がる前方へと足を進めていく。薄暗くて化け物が出そうな地下道だが、そもそも召使は死んでいる訳だ。死んでいる女の子を連れて歩いているのに怖いなんてのは話がおかしい。
下りてみれば、白地に[1]と黒文字が書かれて蛍光灯の光のような色で光っている文字が見える。そこから先へ視線を向けると、今度は「2」と「3」が同じような明るさで光っていた。ちなみに、その先は地下に広がるデパートのようだ。ふと後ろを振り返っても、同じようにデパートがあった。
「一日しか過ごしてないくせに、思い入れでもしちゃったの?」
「まあな。けど、俺の使命は使命だ。――絶対にこの世界を変えてやる」
稔の熱い決意が語られた後、二人は階段を上って該当列車に乗った。