2-85 敵地襲撃 -精霊篇Ⅱ-
銃弾を打ち込む予定だった『紫氷の弾剣』から、紫姫も稔も同じく紫色に光を発する剣を持ってイステルへと突撃していく『紫氷の双剣』となり、稔と紫姫の意思疎通が必要になったが――流石は初期の頃から居る紫姫。ラクトとの関係を越せないではいても、稔との間に溝を作っていたわけではなかった。
もっとも、内心を読めるというのはラクトも紫姫も同じであり、そういったことが作用したのだと考えられなくもないが。――が、そんな事を言えた頃ではなかった。冷静さの欠片はあるとしても、稔も紫姫も一刀に魂を込めていたが故、イステルに攻撃を加えること以外に頭が動かなかったのだ。
「はああああああああッッ!」
絶叫。雷が轟くように耳へ侵入してくる叫び声。
稔が、紫姫が、それぞれ声を上げて剣を振り下ろす。前者は右手で、後者は両手で。
「なんです――」
音には誰よりも過剰に反応するようなイステルだ。特に叫び声に反応しない訳があるまい。イステルは絶叫の声を聞いて音源を特定する作業に掛かるが――時は既に遅く、もはや為す術はなかった。単純である。
「――時間停止――」
紫姫は自身の技名を大体に変更したが、魔法など意味さえ通じれば何と言おうが正解である。イステルが自身の事を十二分に理解していた以上、紫姫は身を隠すような真似をする必要があると感じたのだ。そしてそれを形に表した結果が技名の変更である。
時間は止まった。叫び声が聞こえているのは稔と紫姫の二人だけだ。時間が停止されている中、何が合ったのかを魔法の効力が切れた直後に理解できるのはラクトだけである。要は、何も言わなければ三人の秘密となるのだ。もちろん、稔は話せと言われて話さないような男ではないが。
「アメジスト。この一二秒間で、我も貴台も一心不乱にイステルに斬り込んでいくぞ」
「ああ、分かってる!」
紫姫は自分一人だけが魔力の効力受ける身とすることも出来るが、そこは主人の特権。ボン・クローネ駅でペレと対峙した時に彼女へ向かっていった時も、紫姫は稔を時間を止めた世界から弾いていた。とはいえ、召使一人などに限って除外することは出来ない。主人一人を除外することだけが可能なのだ。
とはいえ、稔以外の召使も精霊も罪源も手出し出来ない状況下だ。その特権を活かさなければ主人として恥ずかしいに等しい。バカがバカなりに努力をするように、自分が置かれた状況を投げ出さずに前を向いて頑張るべきなのである。もちろんそれは、チートが使える使えないの話ではない。
「はあああああッ!」
「ていやあああッ!」
紫姫が叫び、稔が叫び、表情を一切変えないイステルの身体へ紫色の光を放つ剣を降ろしていく。止まった時間は戻るはずがないが、それでも止まっているのは僅か一二秒という限られた時間だ。対象者にはそれが一秒に見えるから『時間停止』と名されているだけなのである。
「――」
しかし、残り二秒程度で稔は言葉を失ってしまった。これが道徳の有る攻撃なのかと思ったのだ。時間を停止するという行為自体がチート能力に極めて近い存在といって良い以上、そのような外道能力を使って集団で攻撃を仕組む以上、稔は相手に負けない程度に力を加減しようと思い始めた。
でも、そんな考えに紫姫が納得をするはずがない。それこそ連携して双方向から剣で斬っていた最中であり、紫姫は彼の台詞にがっかりだった。でも、残り僅か三秒という時間で紫姫も足を止めてしまう。
「……」
チート能力を使って道徳に背いた戦い方をしないほうが良い、と稔が言っていた理由が何となくわかったような気がした紫姫。それは、目の前に身体から鮮血を上げるイステルを見たからであった。神経まで斬り込みが入ったわけではあるまい。が、イステルは更に狂っていく。マスクの白を紅にそめるくらいにである。
「主人が自分を見失えば、精霊もそれに比例する――ということなのか?」
「我にも分からない……済まない、頼れぬ精霊で」
稔と紫姫が壊されたイステルを前に呆然と立ち尽くすことしか出来なくなりつつあった時。イステルが自身の魔法の名称を把握していたからと敢えて変更してまで使用した魔法が、使用してから一二秒間を経過して遂に効力を失った。
そして訪れる『一打逆転のチャンス』と言わんべき事態。稔も紫姫も戦意を喪失した今、スルトとサタンというデュエットが一体何処までやってくれるのかは不明であるが、彼女らに望みを託す他ない。――が、稔と紫姫は隙を見せているわけである。ティアに攻撃を及ばせなかったとしても、イステルを倒すまでの攻撃を食らわせたわけではなかった。だから二人とも生存している。
つまり、どちらとも殺されるリスクがあるのだ。ティアという精霊も、サタンや紫姫といった稔陣営も、もちろんイステルという精霊も。エイブは――混乱の末に自暴自棄に出る可能性が一番に高いか。
「先輩、止まらないで下さい! 奴は迫ってきています!」
後方からのサタンの声だ。そして同じく、稔は時間を止めて魔法を使用するべきではなかったと思ってしまった。簡単な話である。それではサタンが得意とする魔法の複製の手順が面倒くさくなるのだ。紫姫が心を読むことに転用できる魔法が使えるからまだしも、出来なかったら踏む手順は多くなるすぎる。そしてそれは、手の内を明かしているようなものだ。
サタンが最凶にして最悪を貫いている理由はそこにあった。自分が不利になるような行動は取るべきでは無い。ラクトはそういった自分の欠点を隠すように実力行使に出ていた過去があるが、サタンは稔と同じで最後まで潜在的な能力を明かすことはしないスタイルだ。だからこそ、今だって前線部隊に配置されても最前線に向かわない。
しかし、サタンは遂に察した。前の二人は既に気を失うように戦意を失っている。司令官であるはずのラクトとの交信は容易に出来ていない。隣を窺えば、スルトも崩壊していくイステルの様を見て戦意を失っていた。スルトは以前の主人に仕えていた時にされた『去勢』というトラウマがあるせいで、主人と同じような行動を取りがちなのである。心は違えど行動は同じ、と言い表せば妥当だろう。
ヘルにエイブを任すのは無理だ。治癒を行っている彼女に負担を追わせる訳にはいかない。ラクトを呼ぶとなっても、彼女に一体何ができるというのか。稔の折れた心はそう簡単に治るものではないはずだ。それこそ彼女は、状態異常系が弾かれるようなバトル面に置いては『役立たず』に等しい。
「――行くしか無いってことなんですかね」
サタンは覚悟を決める。戦えるのは自分だけだ。他の全員は配置に付いたりハートをブレイクされたりしている。でもサタンは、そんな皆の心に寄り添えるような精霊ではないと自覚していた。基本的にサポート系は向いていないと考えていたのである。
「待てよ、サタン」
「――ラクト?」
ラクトはテレポートも魔法をコピーすることも出来ない以上、『離陸』して少し浮いて前方方向へと行くしか参戦方法は無かった。サタンからすれば「役立たず」に近い存在の登場は望んでいたものではなかったが――話は妙に共感できるような話であった。
「私も同行する。自己中心的だと嘲ったり罵ったりするなら、文句は言わないから自由にすればいいさ。けど、根性論でイステルを潰せるとは思わないけど、彼氏を半ば殺されたんだ。彼女が黙って見過ごすとでも思ってるのか?」
背後でイステルが『覚醒状態』をしようとしているのが窺える中、サタンは頷きながらラクトの話す内容を聞いていた。彼氏なんか存在した経験は僅かしかないサタンであったが、小説作品の読み過ぎとか思いながらも共感してしまう。
そしてその思い――要はラクトに気を許したような思いは、対イステルの構図が稔サイドとイステルの『二対一』となった現段階において、稔サイド側の同盟に繋がるようなものだ。考えを共有できる能力や魔法を共に所持している以上、サタンは同盟を組んだ後の攻撃はスムーズに行くと考えた。――が、魔法をコピーするノウハウが無いラクト。彼女へ与えられるのは――双剣だ。
「ラクトも私も二刀流で構えて、それでイステルに掛かりませんか?」
「つまり、私ももう二つ剣を作れってこと? ……まあいいけど」
サタンの要求をあっさりと呑むと、ラクトは稔と紫姫から剣をそれぞれ取り上げる。「やるべきじゃなかった」とか後悔するのは嫌だったから、彼女は二人に「持っていくよ」と一言声を掛けてから取り上げていた。そして入手した剣を一つ、サタンへと渡す。サタンはラクトの特別魔法一つを複製し、それを自分のものにして貰った一つの剣と同じ性能やら形やらの剣を作った。ラクトも同様である。
「これで準備は完了だよね?」
「そうです」
ラクトとサタンがそんな会話をしている一方で、イステルは遂に『覚醒状態』へと進化を遂げようとしていた。エイブの仲間達はボン・クローネ市内で待機する必要性がある以上、援護には来てくれていない。場の殆どが戦意を喪失した今、求められたイステルを倒すという稔の計画を継ぎ、司令官であり彼女であるラクトは最凶にして最悪の精霊を率いてイステルへと歯向かっていく。
「さあ、サタン。本当に覚醒する前に倒し……え?」
「遅かったみたいですね」
「そんな――」
稔と紫姫が戦意を喪失したのは、イステルが紅色をしたドロドロの液体を噴き上げたからに過ぎない。ラクトは『去勢』と軽々言えるように免疫をある程度は持っていたのだが、いざ目の前にするとどうしても怖い。目を丸くして怖さで焦点が合わなくなり、結果として握っていた剣を落としそうになった。
「先輩は貴方とセットなんです。言ったじゃないですか、『半ば殺された彼氏の敵討を彼女が行う』って」
「そう……だね」
言葉を正確に記憶していたわけではなかったサタンは、別に「だいたいあってる」と言って欲しい訳ではなかった。だが、彼女の口から出てきた台詞はそう言って欲しそうである。サタンがしているのはラクトの勇気づけであり、彼女を笑わせることではないが――ラクトはほんのり優しい笑顔を浮かべた。
そしてラクトは、『覚醒状態』になったからと精霊に負けるわけには行かないんだと強い決意を固める。サタンはラクトが足手まといにならないことを祈りつつ、もしそれが実現するのならば作戦を共有しようとの考えに至る。会話の上では既に友人として認識していたが、サタンは精霊戦争にとやかく出てくるべきじゃないと思っていたのだ。だから、そういった古い認識をぶち壊してほしく有った。
そんなサタンの思いをラクトは聞いた。心を読んで聞く。でも彼女は、サタンの思っていることを口には出さなかった。性交時でもそうでなくても元がサキュバスであったから、キャラクターを演じたり思いを隠すことには慣れており、ラクトはそこまで抵抗を感じてはいなかった。難しそうにも思わなかった。
そして遂に――。二対一という圧倒的に不利になる状況で、イステルが『覚醒状態』をし始めてしまった。並行し、第五の精霊は精霊魂石であるクリーダイトに込められた意思を唱していく。
「――『第二次世界大戦争』にて帝国魂を『精霊魂石』に秘めた、『失われた七人の騎士』中の『第五の騎士』様。私を最強の精霊にしてくださいまし――ッ!」
刹那。イステルが首にかけていたアクセサリーに在った『クリーダイト』は、イステルが同様に出していた紅色の血を凌駕するような橙の夕陽のような色に光り、そしてそれと同じくして昨日晩に見たような翼を彼女は生やした。カロリーネが連れていたホルスが生やしていたような色の翼だ。
緑色をしていた髪の毛は銀色へと変化を遂げ、広げた橙の翼の後ろには巨大な銃を構えている。何も付けていなかったはずの肘より下には手を覆うような鎧を装着しており、その色は紅の色をしていた。そしてその紅の両端は弓と矢をそれぞれ掴んでいる。
そして『覚醒状態』に堕ちたイステルは番えた矢をサタンへと向け、技の名を発す。ラクトは精霊戦争に加担するのはエルジクス×カロリーネに続いて二回目だったが、違う精霊からの攻撃技だ。そのため、自身が狙われていないからと言って落ち着いたりはしない。
「――猛焔業火の弓矢――」
イステルの魔法使用宣言。銀色の髪の色を染め上げる灼熱の焔。それを纏った矢を少女は放つ。サタンという最凶最悪の精霊と罪源を共に占拠したと言っていい少女に対し、彼女はそれを撃ち放つ。矢はサタンを狙いに定めると彼女だけを狙う。隠すことが出来たのなら、確実に仕留めることが出来るチート技になりそうだ。
「イステルさんは少し……頭を冷やしてきて下さいッ!」
しかし。サタンを狙いを定めて撃った矢など、効果が無いに等しい。自分を狙ってくれたのだから、『複製』するのには持って来いだ。加えて稔の『跳ね返しの透徹鏡壁』をしようと思えば、狙われている身から狙う身へと一八〇度も立場を逆転することが可能だ。
サタンはそれを狙い、『複製』したイステルの『猛焔業火の弓矢』を技を使用した本人へと撃ち込みに行くが――相手も特別魔法が使える身だ。一つだけ使用した場面を見ただけで弱いと判断するのは道理ではない。もっとも、イステルは既に糸を使って相手を拘束する魔法を見せているのも確かだが。
「あれが――巨大銃?」
そしてサタンが調子をこいた罰なのかは不明として、ラクトがイステルの気が向いていないうちにティアを救出しようとした矢先だった。なんと、イステルは背負っていた黒光りする巨大な銃を構えたのである。しかし、ラクトが上げた声はイステルに気が付かれてしまった。
「執行対象へ――攻撃を実行しますわ!」
「そうは……させるかああああッ!」
ラクトは握っていた紫色の光を発する剣をイステルへと投げつけ、イステルへ『入眠』を撃って眠らせるまではいかずとも眠気を誘わせた上、糸が自らの方へ来ないように『凍結』を糸へと撃って凍らせ、それを使用不能とした。
「ティアッ!」
ラクトは叫ぶ。イステルが誰かの発する音に非常に敏感であることは知っていたはずだが、既に自分を眼中に置いていないと勘違いしたのである。イステルが巨大な銃を向けたのがサタンだったのだから、自分には何も飛んでこないと、被弾する可能性はゼロだと思ったのだ。だけれど現実とは非情であり、運のない人間には見境なく攻撃を飛ばしてくる。
「後ろです! ラクトさ――」
ティアが発した声はラクトに届いていなかった。
「う――――ッ!」
「ラクトさん!」
イステルが『猛焔業火の弓矢』で狙ったのはサタンだ。一方のサタンは自らの命を守るため、『跳ね返しの透徹鏡壁』を使用した。けれどその後、サタンが跳ね返した矢は稔と紫姫が戦意喪失した場所をすれすれで躱し、イステルも軽々しくそれを躱した。障害が無かったために道を外れなかった矢は、敵として認識していたラクトの背中に命中してしまった。
事態は一八〇度変わるはずだった。でも今、サタンは知った。今回の一件では「足手まとい」と言って彼女を責めることは出来ないのだと、安易に弓を跳ね返した自分も悪いのだと、サタンはそう認識した。
翻ってラクトは、背中から血を噴き上げてティアの元へと散っていた。誰からの助けもないままに、拘束されたティアを解除することすら出来なかった自分を悔しみながら、彼女はティアの拘束された直ぐ目の前に倒れ込む。