2-83 敵地襲撃 -騎士篇Ⅱ-
ビル陰とビル陰が交差する僅かな隙間を抜けると、現れたのは銀色の何の変哲もないドアだった。壊れている箇所も特に無いから、変に風を通すわけではなさそうである。けれど薄暗い細い道は怖さを増させ、ラクトは一度だけ身体を震え上がらせた。
「風でも吹いたか?」
稔はそれを見てそう言い、ラクトを嘲笑する。彼女は稔に「うっせ」と反論出来るわけでもない中、貰った会話のボールを返した。目の前にある扉の向こうに待ち構えているエイブを目にしてはいないが、それでも場に漂う緊張感が怖さを凌駕する。そして恐怖すらも凌駕してしまった緊張感は、稔の言葉を持って消された。
「突入する」
稔は格好つけるようにそう言って扉を勢い良く開けた。カチャッ、と音が鳴って鍵が掛かっていないことを理解した彼は、エイブの待ち構えているであろう場所を目指して建物内を前進する。共に前へと進むラクトに緊張感は無く、けれどいつものように笑顔を浮かばせていない。昨日の寿司を作っていた時の真剣な顔とは少し意味が違うが、真剣な表情を浮かばせているのだ。
と、その時である。稔はイステルを支配下に置いているわけではないけれど、彼女を自分の仲間のようにして率いていたのだが――見えない線に引っ掛かったらしい。彼女は音によって『入眠』から目を覚まし、刹那に稔とラクトを捉えて『侵入者』と定める。
「分かっていますわよね……?」
「――」
黙りこむ稔とラクトに、狂気を見せて至高の笑みを浮かべるイステル。無論、敵地へ乗り込むような真似をした側に何かを訴える権利があるとは到底言えないだろう。加え、眠らせて自分の主人が居る場所へと運ばれてきた訳だ。当然ながら彼らへ手加減することなど一切考えなかった。
となれば、どのような結果が待ち構えているのかは大体分かる。
「ふふふ……」
消火器を壊した時と同じような顔になっていくイステルは、暗い闇の通路すらも容易く通行した。彼女が継いだ意思を持っていた『失われた七人の騎士』の一人は、そもそもが陸軍の司令官である。故にそれほど飛行速度は早くないのだが――耳は相当優れているようだった。その証拠に、彼女は浮かべた笑みの後にこのように述べている。
「いくら精霊を仕えさせようたって、分かっていますわ。――逃げたって無駄ですのよ?」
暗闇という優位点を使ってイステルを巻こうとするが、ラクトは彼女が迫ってくる気配を感じたらしい。黙って足音一つ立てずに走るのは流石に難しいと判断し、稔は『瞬時転移』を用いて何とかメートルを刻んで逃げていく。だがもちろん、壁と壁の隙間に逃げるのは不可能である。素材と素材が食い込むような場所に逃げ込めば、人体が裂けてしまうに決まっているだろう。
逃げる場所が限られているからこそ、脳を使わなければならない。汗を流すほどには疲れなくても緊張や恐怖は微量ながら存在しており、ラクトの手を握った時、稔は自分が汗を少し発生させているのに気がついた。でもそれは変に臭うようなものではないし、水分というわけではない。霧のようななりかけである。
「(どうなってんだよッ!)」
だが、そんな冷静な思考回路を保っていた一方。稔もラクトも構内図を見ないで咄嗟にイステルから逃げていたこともあって、今通っている道が一体全体どこへ繋がっているかなんて分かりもしなかった。電気で照らされた道を行くわけではないから、敵が突如現れたりしたら大変なのは重々承知だ。だが、メートルで刻んでいくのをやめようとしない稔。
イステルの魔法を見てはいないが、精霊の力である。魂石という物体にある意思を継ぐ女を精霊と言うのだから――要するに、魔法陣とは別の物体を用いて精霊が生きているのだから、精霊と召使は似て非なるもの。召使が団結すれば大変な強さを発揮するが、精霊は一人でも相当な力を発揮する。そしてそれはチートレベルだ。
しかしながら稔は、彼女らが万全の状態で戦いに参戦できるようにとの思いでアジト内を駆けていた。思いを知ったラクトも同様である。イステルから逃げるているのも事実だけれど、稔もラクトもポジティブ思考を貫いた。『時間稼ぎをしている』と考えたのである。でも、時計なんか見えないほどに暗い。スマホを懐中電灯代わり使えば、必ずや光を辿ってイステルは来るだろう。
声を出すことも出来ず、暗闇に光を灯すことも出来ぬまま。稔とラクトはその逆境を乗り越えた先にエイブが待っていると思ったから、辛いことだとは思っても前向きに考えて一歩進めた足を止めたりはしなかった。――そんな刹那だ。
「光か……」
稔は目の前に扉を見る。何も考えずに一心不乱に進んできた結果、黒色の紙で光を遮っているけれども光が漏れてそれが在ることを分かる場所へ来ていた。歩いた時間は少なくとも六〇秒を超えている。しかし、あまりに一心不乱に来たので六〇秒以下な気もしなくなかった。
そう、振り返った束の間。稔は背中を叩かれた。その威力は優しいもので他人を考えているものだと理解を示せたが、だからといって稔を助けに来た人物の叩いた様子ではない。ラクトは誰が背後に居るか気がつく。そして同じく、二人は黒色の紙で遮られた光を一身に浴びる。
「うっ……」
暗闇を通ってきた二人に取って、束の間の光は少しのダメージとなった。睡眠不足が堆積しているという訳ではなかったが、たった一日だったとしても睡眠時間をそこまで多くとったわけではないラクトは、眩しいと悲鳴を訴えるように右目を瞑ってしまう。
「ふふふッ!」
しかしそれは言うまでもなく、敵へと見せてしまった隙だった。お嬢様のような口調と笑みを浮かばせたのは紛れもないイステルは、けれども言っておきながら剣を振ったりはしない。単純な話だ。稔が恐れていたイステルも恐れる人物が居る。自分が精霊として仕えている『エイブ』だ。
「敵地へ乗り込むような度胸か。――なるほど、君はそういう人間だったか」
白衣を着たエイブは研究者のようであるが、この男は『差別主義者』である。それは国際基準的なものであるから仕方がないとはいえ、だからといって該当種族が一番多い国家で警察官をやっている人間が、それに該当する人たちをバカにして良いことが有るというのだろうか。……無いはずだ。
「それで、一体何をしに来たんだい?」
「――お前の精霊を回収しに来た。話し合いで俺が借りさせてもらう」
稔はエイブに言ったって無駄であることは十二分に理解していたし、彼がどのような人間なのか今一度考えていた。でも、最終的に導き出された彼の結論は、『まずは話し合いで解決するところから』というものだった。戦いなんて起こそうと思えば幾らでも起こせる。でも、まずは被害が最小限のところから責めるべきだと思ったのだ。当然、出席者が口を開けて正直にならなければ意味は無いが。
「精霊を借りる? おいおい、自分がどんな立場だと思って――」
エイブは未だに稔を許したわけではないようだが、そもそも罪を犯した事実は無い。ボン・クローネの駅で爆破事件を引き起こしてくれたのはペレである。現在のところは行方不明だが、種族的な問題を含め、彼女が魔法で移動するのは不可能だろう。そう考えれば、国内の何処かに居るのではないかと検討は付く。
けれどもう、稔はペレの一件は忘れたも同然だった。事の発端から終息までを目に焼き付けるほど鮮明に覚えてはいたが、エイブの傷を抉るような戦法に納得をする事が出来ない稔。でも、別にそれは自分に対して言われているわけではないことは知っていたから、スルースキルで交わしておいた。
「まあ、いい案だと僕は思うけどね」
稔から返答が無かったことを想定しておらず、エイブは少しは動揺したが外見から窺えないほどに押しつぶしており、彼は稔の意見を肯定するようなコメントを発した。それに続き、このように話していく。
「要するに『精霊戦争』をすると言っているようだが、僕が君に負けるとでも思うのか?」
「……ああ、負けるさ」
「その自信、何処から来てい――――」
エイブは会話を続けようとしたが、ある意味それは「自分は強いですよ」というアピールにしか過ぎなかった。エイブを悪く言う稔も自分の強さを説明しようとするが、それは証拠を持っての説明である。一方でエイブは証拠なしで説明しようとするので、稔からすれば質が悪いという評価を付けられたし、もちろんながら彼は聞きたくもなかった。
最初こそ「こいつと話し合うのは無理だな」とかネガティブ思考だった癖に、稔は何時の間にか「これならイける」とポジティブ思考へ変化していた。戦いをしにエイブのアジトへ来たのではない。エイブを完膚なきまでに叩きのめすことをしようと来たのである。もちろん、その方法は『戦争』だけとは限らない。
「嘘……だろ?」
稔は勝てると思ったため、自分と契約を結んだ二人も他人から貸借の口約束を結んで入手した二人も――つまりは支配下に置いていた精霊四体を全て、エイブの前に現すこととした。流石のエイブも精霊四体を前に冷静な思考回路が乱れ始める。挑発的で見下すような態度を取ってきていたエイブだが、稔が出現させた四体から彼の方へ視線を向けた時には既に跪いていた。
それで終わるならハッピーエンドだ。でも、そうは問屋が卸さない。
「稔、あれ見て」
ラクトが指さした方向を稔は見た。するとそこには精霊らの姿。サタン、紫姫、エルジクス、ティア、そしてイステル。合計五体が揃っていた。けれど彼女らは笑顔で居ない。そう。殺る気満々だったのだ。稔が手の内を明かしたことが引き金となった事態である。
ふと横を見れば、そこには首を振って壊れてしまった研究者らしき白衣のエイブの姿がある。稔は咄嗟にエルヴィーラなどの召使達が何処で何をしているのか、協力を要請しようと話をしたいと告げてみるが――ダメだった。エイブはコミュニティ障害でも発生させたかのような強烈な寒気に襲われていた。それは稔の発した言葉一つ一つが起こした音波が、エイブへ向けての冷風を起こしているかのようだ。
でも、そんな時に頼りになるのがラクトである。
「もうすぐバレーボールの大会らしくて、それでボン・クローネから戻ってこれないんだってさ」
「そんな――」
エイブの内心を読み解いた時、稔は深くため息をついてしまった。一方のエイブは一切の冷静さを戻さないでいる。涙も流せぬような悲しみらしい。でも、稔はそんなエイブに共闘の依頼を申し込もうとしていた。イステルが自分の手ではどうにもできない事を稔が把握したからだ。貸し借りもしていない今じゃ、敵対しているような今じゃ、彼女が話を呑んであげてもいいと妥協するのはエイブくらいだろう。
翻って、同じく稔も自分が精霊たちを率いなければいけない。だが目を凝らしてよく見てみれば、稔の精霊一体がイステルが作り出したとみられる糸に絡ませられているのを確認できた。彼女に戻れなんて指示は出せない。一方でエイブに対しても、自ら酷い暴行を加えてまで立たせようとはしなかった。
「あれは――ティア?」
稔は眼鏡を掛けるほどに視力は悪いわけではなかったが、眩い光を感じて瞑るように目を閉じたから把握するのに時間が掛かった。なんとか乗り越えて見てみれば、イステルのすぐ側でユースティティアがお得意の糸ではなくて縄の付いた時限装置で巻かれていた。
「(織桜、ごめん……)」
ティアは死んだわけではないが、稔は織桜に悪いことをしているという気持ちで一杯だった。貸してもらわなければこんなことにはならなかったはずなのに。それなのに――と自省の念に駆られる。それが稔の長所であり短所な訳だが、今回は長所としてではなくて短所として受け取られたため、稔はラクトから注意を受けてしまった。
「――謝ってなっての、バカで変態な主人のくせにさ。今すぐに暴走した精霊に妥当な裁きを与え、捕らわれた精霊を解放してやれよ? もう、ティアは仲間じゃんか。それに、謝らないことが正義じゃないのかよ?」
「ああ、わかってる」
稔はそう言った後に息を整え、それから唾を呑んだ。味はしない。喉にイガイガがあるわけでもない。だが、それで思いは整った。やるべきことは頭の中に浮かんで記録された。
「救出作戦、スタート!」
稔とラクトはグータッチし、稔は第五の精霊の右サイドへと飛び立った。『離陸』して不安定になることもない稔は、自身の精霊らを先導する身となるため、果敢に隙が何処にあるのかをチェックしていく。一方のラクトはエイブの近くで待機することにした。狂った精霊を止められない以上、ラクトが得意とする状態異常系の魔法なんか無意味に近いからだ。
ラクトは稔から送られてくる情報を頼りに解析し、戦闘へ向かった稔の代わりの指揮官として動き出す。彼はヘルとスルトも召喚しておき、全員総参加の救出作戦が遂に幕を開けた。
「サタン、紫姫、エルジクス。戦場司令は俺、全体司令はラクトだ。俺が先導する。攻撃を喰らわないように前進せよ!」




