2-78 二日目の幕開け
朝七時を過ぎた頃。稔は腹部に何かが当たったような感覚を覚え、何が起こったのか確認するべく目を覚ました。この部屋に居るのは自分の召使か精霊か罪源であることは承知の上、もしかしたら敵対する誰かが侵入してきたのではないかとも思ってしまうけれど、取り敢えず無いことを願って眼を開いた。
「……ん?」
見渡してみると、ホテルの従業員が気づきやすいように部屋に入って即に見えるような位置に籠が置かれていた。中には浴衣が数着入っており、自分以外の召使と精霊が着替えたことを意味していると稔は思う。けれど動いてみた時、肌に直接触れる毛布らしき布の感触を覚えた。
「あれ?」
恐る恐る掛け布団を取ってみると、稔は自分が上半身裸で寝ていることに気が付いてしまった。それだけではない。動き方が顔だけだったから気が付かなかったが、下半身にも直に毛布らしき布が当たっていたのである。
「まさか――」
稔はそう言い、籠の中に入れられていた数着の浴衣の枚数がどれだけであるかを数え始める。すると、驚愕の事実を知ることになってしまった。自分以外の七着ではなく、自分を含めた八着だったのである。当然ながら事情を知っているであろう彼女を問いただそうとするわけだが、稔の視界に彼女らしき女性は居ない。
「おや?」
稔は気づいた。ラクトという存在がこの部屋に居ることを――否、この布団の中に居ることを。バレた側は堂々とした態度を貫くわけだが、気付かなかった側は気付くまでに一〇秒以上掛かったことを悔しがる。けれどそんな状態のままでいられるはずもなく、稔はラクトに問うた。
「……何してんだ?」
見てみれば、彼女は猫耳と猫しっぽを付けた上のメイド服姿で居た。「バレちゃったか」ということを笑って誤魔化そうとしているようで、「えへへ」という言葉が妥当な笑みを浮かばせている。そんな彼女への仕打ちとして掛け布団を全て取っ払おうと行動に出るが、稔はそこで昨日に比べて腰が痛いことに気がついた。
「うっ……」
片目を瞑って稔は痛みを訴える。歯こそ食いしばっていないけれど、腰へ痛みが来ることはゲーマーたるもの久しぶりだった。「何歳だよ」と自分を馬鹿にしたい気持ちは有りつつも、絶対に自分を笑っていい内容じゃないことは感づいており、稔はラクトに対して質問をしようとしたが――先に彼女が述べた。
「一〇回もしたんだから仕方ないよ」
「ふ、二桁もいったのか?」
「意味合いが違う気がしなくもないけど、その、まあ、なんというか……ね?」
ラクトは言葉が見当たらず、どう表現するべきかと戸惑っていた。捧げた後に同じ行為を二桁も行ったのが確かだと把握し、加えて意味深長な言葉を吐かれたと思ったために顔を紅潮させる。一方の稔も、意味深な言葉を言っていることに気付かしてくれた彼女に感謝の気持ちは持ってはいたけれど、やはり恥ずかしい。
「と、取り敢えず! もしもラクトが妊娠したら、責任は俺が取るからな?」
「う、うん……」
話が弾む可能性はゼロではない。けれどやはり、ラクトが言っていたように雰囲気が大事なのである。そういった方面への『知識』が疎いわけでない二人だが、当事者同士の話なので弾む訳ではなかった。
「なあ、これ――」
そんな二人に追い打ちを掛けるかのように、白色の布団に七個のピンク色が彩られている。そのゴムは袋のような形をしており、どちらかが踏みつぶしたのか、ドロドロの液体が出てきているものもある。何を意味しているかは二人とも理解しており、会話は弾むことを知らなかった。
「元淫魔の私もゴムが切れた七回でダウンしそうになったのに、それでも止めなかった結果」
「……」
「でも私は完全に堕ちてるんだし、大切にしてくれるならそれでいいよ」
ラクトは他に何かを考えている訳では無さそうな、そんな純粋な笑顔を浮かべる。ラクトは自分を『堕ちた女』と表現していたが、それは一方の稔も同じだった。互いに既に堕ちてしまっていたのである。
「とりあえず。稔が欲求を解放すると『手の付けられない淫魔のような男』になるから、今後は注意しなくちゃってのは分かった。てか、やり過ぎたせいで感触とか残ってるし」
「怒ってるってことか?」
「そんな訳ないじゃん。ただ、後先考えてほしいってこと。男性サイドは出せば終わりだろうし、すぐに出し切れると思う。けど、こっちは出されたものを最後まで処理するのが大変なんだぞ?」
「怒ってるじゃん。――ごめんな」
稔は起きて早々謝ることに対して抵抗は無い。けれどラクトは稔のそんな態度が気に食わなかったようだ。メイド服姿から、昨日着用していたパーカーとは異なる青色のパーカーに灰色のスカートというラフな格好になり、それから稔の目線に焦点を当てて【くさい台詞】を言う。
「それまで経験しなかったミスをしてされるのは怒号を浴びせられることじゃなくて、注意とかアドバイスでしょ。要は、怒られるのは同じミスを繰り返したときだけでいいじゃんってことだ。だから謝るなって言いまくってんのに、なんで聞かないかな」
「そういう意味だったのか」
ラクトは何度も『謝るな』と言ってきたが、それは小さなことを気にするなという意味が大多数を占めていた。けれどそれ以外に言いたいこともあった。それは、今の【くさい台詞】の中にもあるようなことだ。同じミスを繰り返して持たれる感情が『怒り』で、一度行ったミスを指摘されるのが『注意』であるということである。
放火にしても強姦にしても、罪を犯せば警察に捕まる。それ相応の罪を償った上で彼ら彼女らは出所なり釈放なりされる訳だが、警察たちは「更生しろ」という思いを持って償わせているに過ぎないのだ。だからこそ、犯した罪を繰り返せば償いは重く辛いものとなる。
「さてと。取り敢えず、稔には服を着てもらおうかな。下着一枚じゃホテル内を歩けないだろうし」
「ごもっともだ。服は一応洗ってあるけど、同じ服を着るほうがいいのかな?」
「私に聞くなよっ! 別に嫌なニオイが付いているわけでもあるまいし、最後は稔の判断じゃないの?」
「んじゃ、同じのを着ることにするかな」
「オッケー。ああ、服はそっちに畳んでおいたから」
ラクトの指さした方向には畳まれた衣服とズボンが置かれてあった。上下左右に何か置かれているわけではなく、ポツンとそれが一つ置かれているだけだ。稔は腰の痛みを覚えつつもそれの置かれた方向へと立って向かい、そのまま着替えていく。
同じく、さっきから忘れられなかった浴衣の件について質問を述べた。
「ところでこの浴衣八着を畳んだのは誰だ? 器用な召使はお前やヘルくらいだろうが、そこら辺か?」
「よく分かったね。てか、ヘルを家政婦扱いすんな。大切な仲間じゃないの?」
「確かにヘルは俺にとって大切な仲間であることに変わりはないよ。でも、それはヘルが好きでやってることじゃんか。自殺するわけでもないし、自分の意志でやっていることに外野がとやかく口出す必要は無いと思うぞ」
稔がラクトを説得すると、彼女は「そういう考えも有るんだね」と稔の意見を受け入れる。初めて召使として主人の元で生活をした彼女は、一日で相当変わったらしい。実力を行使してまで自分の考えをぶつけようとはもう思っていないようだ。そんな点を踏まえて稔は、ラクトが別人のようだと思ってしまう。
「別人な訳ないじゃん。夜の営みを交わしたせいで逆らえなくなっただけだよ、バーカ」
「そっか。でも俺はお前を奴隷として扱わないぞ?」
「知ってるよ、そんなの。――ほら、早く着替えて着替えて。朝の七時で腹減ってんだよこっちは」
「集団の行動を乱すようで悪いな。……じゃあ、俺が着替えてる間に朝飯の料金を見積もっとけ」
「もう終わってるから大丈夫」
ラクトの言葉に稔は「なに!」と、思わず声を上げて驚いてしまう。一方で彼女は「事実を述べているのか指摘された」と思ったので、白色の財布を手に持って作ったわけではない紙幣数枚を手に取る。そしてそれを事実であることを証明するものであるとした。
「(聞いてないのかよっ!)」
しかしながらラクトの話に稔は耳を一切傾けていなかった。集団行動を乱していることを猛省したことが相まって、彼は他人の話に耳を貸す時間など無かったのである。喉から出そうになる台詞を抑えつけて内心に戻すが、それでも消し去ることは出来ずに心の中でそう言った。
「……取り敢えずは着替え終えた。さあ、ラクト。朝飯を食いに行こうか」
「私だけじゃないよ。エルジクスとティアの主人も追加して一〇人でお食事。良かったね、一人だけ男で」
「やっぱり怒ってる?」
「ちょっと嫉妬してる。でも、元が元だからね。私は誰かを束縛するような主義じゃないよ」
サキュバスは子供を作るために必要な液体を回収しようと夜な夜な飛び回る。そういうイメージが強いエロい悪魔だ。インキュバスはその液体を許可無く頒布して孕ませる。そういうイメージが強い悪魔だ。前者に該当していた過去を持つ以上、ラクトは束縛するような気持ちは無いらしい。
「要は、あの誓いを守るんだったら何してもいいよ。私は基本的にその方針でいこうと思ってる」
「常識の範疇ってなら、ってことだろ?」
「そうそう。性犯罪に手を染められちゃ、『新国家元首』って呼んでくれてる姫やその側近が可哀想になるしね。そもそも稔は初対面でキスしたりハグするような人じゃないし、それでいいでしょ?」
「ああ、不満は無いな」
稔はラクトの言っていることに賛同し、そう言った。ラクトが考えてくれている色々なことを自身の心や脳裏に刻み、常識の範疇からはみ出ない行動を続けることを誓う。口頭では足りないとか言わないところに束縛しないラクトの主義が窺えるが、裏を返せばそれは『行動で示せ』という話だった。
とはいえど、そんなことに会話を長引かせる必要は無い。稔はエイブという差別主義者を更生するべく、イステルやエルヴィーラを追って一日の幕開けが行われると思ったから、取り敢えずは情報収集含めてカロリーネに近づくことにした。
「ところで食べる場所は何処だ?」
「七時開店の『ボンイン飯店』ってごはん処が一階にあるから、そこで食べる約束をしておいたよ」
「メニューにどんなやつがあるか分かるか?」
「おにぎりとか味噌汁とか、和風の朝ごはんを提供してるって聞いた」
「おお。もしあったら玉子焼きを食べようかな。んじゃほら行こうぜ、俺の嫁」
「文字数的に俳句の後ろの方に聞こえるんだけど、狙った?」
「ああ」
稔は言い方を変えただけで根本を変えていなかったことに後から気が付き、思っていたことを白状する羽目になった。ただ、それは会話が弾む証拠でもある――と、そんな方向に考えが向いた時に稔は思った。
「この布団は一体どうするんだ?」
「敷いた人が特殊な加工を施した素材を敷いたようで、それを捨てたらシーツだけ変えれば大丈夫みたい」
「やっぱり、このゴムと液体ってのは……」
「本物だよ」
「そうか。じゃ、洗濯にこのシーツぶち込んでから飯屋に行こうな?」
時間が掛かることを要求されたとラクトはため息をつくが、バレたくない一心の稔が捻じ曲げるはずが無かった。主人命令となる前にラクトはその要求を呑んで行動を始める。一方の稔にはゴムと特殊素材の廃棄を手伝ってもらい、負担を軽減してもらった。
「さてと、ごはん処へと向かいますかね」
「おう!」
一段落終わって適当な距離感を理解した稔とラクトは、対称となるよう互いに手を出して温かな感触を感じる。ぎゅっ、と互いに握り合うって稔が魔法の使用宣言を始めるが、今度はラクトが合わせることはなかった。
「――テレポート、ボンイン飯店へ――!」
ふとみた時計は朝の七時一〇分を過ぎた頃だった。そんなことを脳裏に焼き付かせた上、稔はラクトと共にごはん処を訪れる。




