2-77 深夜01時
深夜一時を回った頃だ。二時まで起きていなければいけないかと稔は思っていたが、ラクトが思いがけない事を言って事態は急展開を迎えた。交代交代で浴衣に着替えて終えているから、あとはやることをやって寝るだけ――と、互いに恥ずかしさとかを感じないままに三〇分ぐらい部屋に居た中だった。
「乾燥機に入れっぱで、明日起きたら取り出せばいいと思うんだけど――どうかな?」
「変にニオイを発生させる訳でも無さそうだったし、いいんじゃないか?」
「何か事が起きたら稔のせいにするね」
「おいっ!」
ラクトは稔に責任転嫁する旨を何の咎めも無しに言った。ツッコミを入れている側も返す言葉が本当にそれでいいのかと思ってしまうくらいだ。もう少し追及したくもあったが、ラクトの特別魔法で服を作ってもらえば良いじゃないかという理由から止めておいた。
「――で、既にお前は乾燥機に衣服をぶち込んだのか?」
「うん。ボタンを押してあるから、乾燥機は仕事を始めてる」
問いにラクトが返すと、稔は「そうか」と言った。だが時を同じくして、ラクトが淫魔として生活していた過去の顔を見せ始める。翼も尻尾も無いけれど、耳が楕円形から耳の上を鋭くさせたような三角形に近づいていた。でも、そんな稔の観察にラクトが笑いながら反論を述べる。
「変化してないって。最初からこうだよ?」
「多少たりとも――か?」
「うん」
ラクトは言って頷く。だが次の瞬間、ラクトの身体に異変が起こってしまった。何か伏線が有ったのかと思い返してみるが、サキュバスだということや過去にトラウマを抱えていること以外に、何か言っていた事実が有ったのを確認することが出来ない。
夜の悪魔ということで外の光景に関係があるのかと思ったが、それなら外出した時に変化が起きておかしくないはずだ。稔は考えれば考える程に、ラクトの身体に異変が起こったのか理解できない。
赤い髪、赤い瞳、大きな胸――と。淫魔だと思える要素は多々あるが、それでも足りない『翼』と『尻尾』。そんな二つを、ついにラクトは自身の身に取り戻した。それが身体への変化だ。基本的に悪魔キャラは尻尾や翼が弱い法則があるため、稔はそんなことを考えて触ってみる。
「ひゃうっ」
「おお」
浴衣を越して翼が生えていた。触り心地は悪くない。尻尾は浴衣の中に収まっているのだが、それでも形は浮かび上がっている。着用している服の一部から出すのが一番の改善策とは思ったが、結局は浴衣を着ているラクト。なれば、前から出すしか無い訳だ。
「可愛い反応だな。――で、なんで尻尾とか翼が生えたんだよ?」
「変なことを誰かが想像した結果かもね」
「なるほど。お前の欲が溜まりに溜まって爆発したのか。この欲求不満女め」
「その言い方はやめて! 私を犯罪者みたいに扱わないで! てか、欲求不満じゃないっ!」
性欲が抑えきれなくなって性犯罪に走ったかのような言い回しは、ラクトも歓迎できるものではない。サキュバス時代であれば「だからなんだ」という話になるけれど、今は一人の召使である。過去は過去だ。生まれ変わったような身の今、ラクトはそんな扱いをしてほしくなかった。
それに、『欲求不満』なんて言われたら溜まったものではない。主人の前であるとはいえ、一応は彼氏としている訳である。「そういう評価か」と思ってもおかしくないようなものは避けて欲しかった。
「ごめんな。けど、浴衣着てたら尻尾とか翼とか違和感有りまくりじゃないのか?」
「それは――」
「あっち向いてるから、取り敢えず魔法で着替えろよ。それなら洗わなくていいと思うし」
稔がそう言って僅か数秒だった。ラクトが「うん」と言い出しそうになった時、尻尾も翼も姿を消したのだ。欲求不満だとすれば、まだ解消されたとは考え難い。そんな理由から、爆発したと考えるのが妥当と稔は思い始める。一方のラクトはそれに対して抵抗をした。
「消えて喜んでいる矢先に何を考えてるんだよ!」
「いいじゃん。貞操を捧げることになったんだし、そういうのを言える仲だろ?」
「そりゃ、話が弾むのは確かだよ? けど、そういう話にもジャンルがあるわけで――」
無論、ヲタ知識満載の話をされたら付いていけない人が当然生まれる。それはスポーツにしてもカルチャーにしても、トラフィックにしても同じだ。サッカー選手の名前を聞かされたところで、今期アニメのヒロインを比べられたところで、キハとモハの違いを語られたところで、自分の趣味の範囲の知らない情報でなければ聞く価値など無い。というか、聞きたくないだろう。
ラクトの場合で考えてみれば、『多くの話に対応可能だが、自分向けのいやらしい話は苦手』というところだろう。事実、パンチラされるのは嫌なのは確かだ。もっともそれは、電車内という他人の目が向けられている場所ということもあってな訳だが。
「デリカシーが無いというわけか。それは悪かった」
「別にいいんだけど、その、ほら、ムードというか……」
「なら、こういう状況じゃなければそういう話を話してもいいのか?」
「いいけど、極力は私に振ったほうがいいと思う。稔の支配下に居る女の子全員がそういう話に免疫を持っているとは限らないし。特に紫姫はね。ヘルは免疫がありそうだけど、許可無しなら基本は私にどうぞ」
ラクトは遠回しにすることでムードを壊さないように心掛ける。言おうと思えばドストレートに言えるのだ。稔だって性欲が無いわけではないし、年齢も年齢だから話が分からないわけではない。会話が弾む可能性は十二分に有る。――が、やはり雰囲気は大切だと考えていた。
でも、稔はそんな雰囲気を重んじる元淫魔に対し、元淫魔なのかと思ってしまうくらいの発言をする。
「『許可無し』ってエロい響きだな」
ラクトにはお手上げだった。「そうだね」と肯定しようにも、「そうかな」と否定しようにも、それに関する話が続くのは目に見えている。だったら無視してしまうのも一手ではないかと思った。
「すいません、調子乗りました」
「謝れとは言ってないのに。そういうところ、治せって言っても治らないよね。流石はチキンマスター」
「鶏肉のマスターってどういうことだよ。……まあ、意味はわかるけどさ」
稔はツッコミを入れる。けれどそれは否定ではない。ハーレムを目指しているわけではないし、ラクトを彼女にして即座にがっついたりはしなかったけれど、性欲が無いわけではない。否定できる要素は微塵もないため、言われて「そうだな」という風にしか言えなかった。
「取り敢えず消灯しようよ。私はそこのライトを持ってくるからさ」
「ライト――ああ、ベッドの近くに置くやつか」
稔は理解を示し、六〇五号室の部屋の照明を落すことにした。一方でラクトは置かれていたフロアライトの底面を手に持って布団の近くに運んでいく。そんな運ぶ最中、ラクトはフロアライトにコードというものはなかったことに驚いた。どうやら魔力で動くようだ。
「んじゃ、消灯します」
稔がラクトに許可を求めるように言うが、ラクトからの返答は無い。そんな彼女の反応を目で捉え、無視されたことの腹いせという訳も含め、ラクトがライトを点けた訳でもないのに部屋の電気を稔は消した。
「消すなよっ!」
「真っ暗な訳じゃ無いんだし、ムードとか訴えるんだったら月光が差している方がいいと思うが」
「『はだけた浴衣、照れた頬、差している月光――』って感じの地の文が好きなんだ?」
「そういう訳じゃ無いよ。つか、童貞だと馬鹿にしたいなら幾らでもどうぞ」
稔が言いながら布団の敷かれた方へ戻り始める。ただそんな彼に対し、ラクトは笑いながら問うた。
「マゾ?」
「違うわっ!」
マゾヒストではないと言う稔だが、サディストなのかとも疑問になる。召使達を『支配下におく』と言うのであれば、主従関係があって慕われているわけだから『サディスト』の方に近くなるだろう。でもラクトのような召使の扱いに困っていることを踏まえると、そうだと断定するのは難しい。
「でもまあ、これくらいの光が有るなライトは要らないかもね」
「光に向かって敷かれてる訳じゃないから、伏臥して読書は出来ないだろうけどな」
「スマホ持ちがそれを言うとか」
「いやいや。寝る前にブルーライトを発する機器を使うと寝られなくなるから、そもそもしないと思うぞ?それこそ、寝る前に読書したら頭も目も覚めてしまうだろ」
読書中に難解な言葉が出たらストップが掛かるかもしれないが、笑えるような話であれば覚めてくるのは明白である。「寝よう」と思って睡魔が強い訳でないのに寝る場合は特に該当するはずだ。
「でも普通、そうだとしても仰臥したら寝られると思うよ?」
「いやいや、眠りに入りやすい寝方は人それぞれだから」
稔はそんなことを言いながら、ラクトよりも先に掛け布団を手に持った。冬に使うような掛け布団を少し薄くした感じのものだ。コートが必要なくらいに外が寒いことを考えるが、ホテル内は暖房設備が効いているから充分なのだろう。
「調度いい温かさだな」
「ふうん。てか、枕のないところに頭を置くな!」
「悪いな。転げたんだ」
「嘘つけ! 狙ってそこに入ったんだろ!」
「そうともいう」
後の番組に歌番組を控えた金曜夜七時半のノリで言って、それから稔はクスっと微笑した。身体を左の方に動かし、枕の中央部分に頭を乗っける。意外にも合ったサイズだった枕に、頭をボールのように一度打ち付けて稔は確認してみた。すると、反発力が凄いことに気がついた。クッション性抜群のようだ。
「そんなにいい枕なんだ」
「身長に合ってるからな。お前も試してみろよ」
「じゃあ、失礼しま――」
「夜這いかな」
「そもそも、同じ布団で『夜這い』って意味が分からないから!」
稔は「ご尤もだな」と言い、それから頷こうとしたが止める。なんだか枕にスリスリしているようで、いくら洗われているものだと言っても気持ちが悪い。潔癖ではないし付けようとも思わないけど、涎が付く可能性は否めないのだ。だから、そこら辺はしっかりしていた。
「素晴らしい山脈だよな。でもやっぱり、浴衣は太ももが見えないのが残念だと思う」
「見える場所は確かに少ないね。でも、簡単な構造なのに恥ずかしさを抱かず着られるのは凄いと思う」
「帯と布を取ったら――だもんな。着るのは知識が居るけど脱ぐのは簡単だしな」
「ごめん。それ、全部の衣装に言える」
激論に至る前に切られてしまったが、稔は「そっか」と言っておくに留まった。一方のラクトは、彼が「太ももが出ないのが浴衣の残念なところ」と言っていたことを踏まえた話をし始めようとする。でも、まずは布団の中に入ってからだ。
「取り敢えずうつ伏せになって会話しよう」
「顔が近いからって理由からか?」
「違――」
「エロ用語を自分に向かって言っていいとか余裕こいてるのに、なに消沈してんだ」
稔は「バーカ」と最後に付けて笑ってやった。ラクトは頬を膨らまして良い気では無いことを示すが、稔は勝ち誇ったような顔を浮かべている。心の中でも馬鹿にしていることを知り、ラクトはぷいっと稔とは違う方向に顔を向けた。
「こんな主人に堕とされた私が悔しいよ、ホント」
「依存してるからか?」
「そうだね。抜け出せないし」
「でも、恋愛ってそういうものだと思うよ? 互いに依存しあって成立するもんじゃん」
ラクトは稔の話を聞くと、「そうかもね」と言って頷いた。結婚した後は夫婦間の役割が決まって、機械扱いし出す男女も居るから必ずしも互いに依存する訳ではないことも考えながら。そんな中、自分のほうを向いていないラクトに対して稔は言った。
「それで。俺がお前に対して捧げなければいけないものが有ると思うんだが、それはどうするんだ?」
「あ、あれは撤回――」
「悪いな。男に二言はないんだ」
「それって自分が言ったら約束を守るって意味だけどさ、言い出したのは私な訳で――」
ラクトはそう言ったが、稔は彼女の話を聞こうとはしなかった。ラクトが依存している自分を馬鹿にしているのとは反対に、稔は依存している自分を前面に押し出そうとしていたのだ。やり過ぎれば悪評しか付かないから、引くのも出るのも意識しながら話を進めていく。
「ラクト。こっちを向いてくれ」
「な、なに……?」
「目を閉じてくれ」
ラクトは逆らうこと無く稔の方を向く。そして追加された指示を呑み、ラクトは目を瞑った。そして数秒の間を置いて温かくて柔らかな感触を覚える。後頭部に手を回されていたのを把握して目を開こうとするが、頬を赤く染めていくせいで容易ではなかった。
互いの心臓の早い鼓動を聞くように十秒程度そのままで居た二人。そんな稔とラクトが唇と唇を触れ合わせなくなったかと思うと、稔はラクトに対して言った。後頭部に向かわした手は自分の方へと戻して真剣な表情を向ける。
「お前が嫌じゃなければ、俺は言ったことを守らせてもらいたい」
「わっ、わかった……」
特に拒否する理由も無く。ラクトは稔に向けた赤く染めた顔を、掛け布団と敷布団の間を見るように俯かせた。角度にして九〇度だが、暗くてよく見えない。
「取り敢えず、これ……」
「わ、悪い」
ラクトは稔にピンク色のゴムを渡した。俯かせる角度を九〇度から三〇度程度にし、少し身体を動かして稔の胸を借りてそこに顔を埋めた。けれど、だからといって顔をスリスリした訳ではなかった。




