2-76 深夜デート ~ホテルの名物コーヒー!?~
時刻は深夜の一二時二五分。互い、少しの照れ笑いを浮かべる。一方で変に干渉したりすることはない。「その――」とか、「それで――」とか、そんな言葉で会話は始まらなかった。テレポートして数秒しか経たないうち、目の前に見つけたアイスに赤髪の元淫魔が飛びついたためである。
「アイス……ッ!」
目をしいたけにして輝かせるかと思えば、彼女は首を左右に振って犬のような姿を見せる。稔は見れば見るほどに頭を抱えてしまい、「俺には手に負えない」と首を振ってしまった。狙っているとしか思えないが、実際問題、稔が赤髪のしいたけ淫魔に名付けた『ラクト』の由来は『ラクトアイス』である。彼女がそれを好きでいたから「ラクト」と呼ぶ――もとい、稔は名付けることにした。
「お前、コーヒー牛乳どうすんだよ?」
「アイスは乳成分使ってるじゃん! それに見てみろ、これはコーヒー味だぞっ!」
「俺が買うわけじゃないんだ。お前が好きなやつを買えばいいさ」
「えと――、私は稔に『買ってあげる』なんて一言たりとも言った覚えは無いんですが、それは……」
稔は全身に震えが走ったのを確認した。まるで半袖半ズボンか水着の状態で冬の外を出歩いたか、と思うくらいである。ラクトが五〇〇フィクスしか与えなかったというのに、彼女がそれを遙かに大きく上回る金額のアイスを要求してくるかと思ったのだ。そう思えば気が気でなくなって当然である。
「……もしかして、私を貯金できない女だと思ってる?」
「それもあるけど、俺が不利益になる約束を破ろうとしているんじゃないかって思ってさ」
「いくら私といえど、一応は稔に忠誠を固く誓ったじゃん。流石にその考え方は主人としてどうかと思う」
「じゃあ、五〇〇円――じゃなくてフィクスしか無いことを考えて購入できるのか?」
「それより、寝る前だから甘い物を控えようとするところに意識を置こうよ……」
ラクトは嘆息し、だが咳払いしてアイスコーナーを足早に去った。
「ちょ――」
稔に対して不機嫌な態度を示しているように見えたが、それは一時の顔でしかない。彼女は稔に追いついてもらえる程度の距離まで歩くと、そこで棚の中身を指さした。金属で出来ているらしく銀色をしていたそれは、稔の可もなく不可もなしな視力で、『スチール』と書かれていることが確認できた。
少し近づき、稔は銀色のスチール缶に白ペン――修正ペンで書かれていた文字を見る。彼の行動を心の中を読んで把握しつつ、ラクトは稔に事情の説明を行った。「あーあ」という感じだが、その言葉は使わない。
「名物のコーヒー牛乳の在庫を見てみたけど、やっぱり無いみたいだね」
「このスチール缶はダミーなのか」
「『売切』って下手な字で書いてあるじゃん」
「そうだな――じゃなくて。お前今、『下手な』って言ったよな? どんだけ失礼な客なんだよ!」
稔はラクトが行った発言が失言だったとして撤回を求める。だが、彼女は一切撤回への動きを進めないでいた。現品のサンプル品を置いておくならまだしも、流石に何処かのゴミ捨て場で拾ってきたような潰されていないスチール缶を入れているようなもの。これはひどい、と嘆かざるをえない。
「未来なんて分からなかったわけだし、取り敢えずは違う飲み物でも買おうよ」
「アイスは買わないのか? 何フィクスだったかは忘れたが――」
「いや、飲み物でいいよ。噛めばアイスは溶けるけど、風呂あがりは固体より液体でしょ」
「液体みたいなもんじゃねえか」
ラクトは「そうかもね」と、理由付けで論破できなかった自分を嘲る。とはいえ、稔は理解できていない訳ではなかった。いくら風呂あがりだと言えど、一日にアイスを何個も平らげるのは腹を壊す要因にしかならないと思ったのだ。もっともそれは、ラクトの考えの一つでもあった。
「俺はラクトが飲料を選ぶかアイスを選ぶかに制限を掛ける気は無いけど、結局、どっちにするんだ?」
「現品を持ってきたほうがいいかな?」
「自由にしてくれ。俺は残り残金で何か買うから心配すんな」
稔はラクトのことを信頼し、「五〇〇フィクス以内であれば幾らでも買ってこい」という風に言って背中を押した。最悪、五〇〇フィクスが分解されて残った小銭でガムか何かは買えるだろう。もし仮に残らないとしても、ここは土産屋。展示されている菓子でも食べればいい――となると、それはそれで話が違ってくる。
「じゃあ、これ」
「これでいいのか? 値段は……、九七フィ――九七フィクスなのか!」
「そんなに驚くことでもないと思うけど……」
稔はラクトが持った容器と同じデザインの容器が有る場所に目線をやる。見えてくるのは容器が向こうからこちらへ並んできているところの更に下、要するに値段の表示だ。安さを追求するスーパーは基本的に一〇〇円を切るくらいの値段で売っているが、お土産屋もそれだけ安さを追求しているようだ。
「そうか? ――それより、この飲料の製造場所って国内なんだな」
「それがどうかしたの?」
「いや、流石に国内産で九七フィクスは安すぎると思ったんだよ」
「食品添加物を知らない人かっての。虫で色出したり、塩素で皮を剥いたりしてるの知らないの?」
「そ、そうなのか……」
稔は驚いた。添加物が危険なものでは無いと認められているのだろうが、それでも塩素とか虫とか聞くだけで吐き気がしてくる。彼は無論、寒気もしていて悍ましく感じていた。
「といっても、それは一部の製品の話だよ。添加物は確かに入っているけど、別に着色料無いし。それこそ果物の皮を剥いたやつを食感として感じるわけじゃないもん。ほら――」
ラクトは言い、稔に買ってもらおうと原材料の表記を示した。羅列された文字は老人には見えないだろうが、まだまだ若い年齢の稔には容易いこと。表記が偽造でないことを信じつつ、ひと通り材料を見てから成分の表示を見た。
「砂糖無し、か。――これ、本当にアイス好きのバカが飲む飲料か?」
「スイーツは女子の嗜みだからね。私だって太るのは嫌だから、体重を維持するのに必死なんだよ?」
「ウエストどれくらいだっけか?」
「六四センチ。でも一つ言うと、このバストでウエスト六〇下回ったら奇形だと思うんだよね」
「ラノベのキャラって大抵変なスリーサイズ設定されるよな、ホント」
「だよねえ。『おい作者、そいつのBMI調べてこいよ』って声掛けてやりたいレベル」
二人はダイエット――ではなく、どのように食生活を送るかなどを会話し始める。デートというよりかは対談に近くなりつつあったが、そんな笑いあえる真剣な場を作ったラクトが稔の手を強く握った。――が、それは『好き』という感情を表現するだけのものではない。
「なっ……」
「五〇〇フィクスは返してもらったぞ、悪魔め!」
「悪魔はお前だ、馬鹿!」
稔が持っていた五〇〇フィクスは、元を辿ればラクトのものである。それこそ『悪魔』なんて根も葉もないようなことは言われたくなかった。『サキュバス』なんて、それこそ知名度は相当なものだ。尻尾や特有の翼が無いとはいえ、エロさしか感じない肉付きで「悪魔」と断定しないのはおかしい。
とはいえラクトは、五〇〇フィクスという硬貨を奢る気を失ったのを原因として奪還したわけではなかった。むしろ逆に、彼女は奢る額を増やそうとしたのである。土産屋であるから、菓子も飲料も玩具も多く取り寄せているのは言うまでもない。
「私はこのジュースでいいや。稔は何を買うつもり?」
「俺はコーヒーでいいや。無糖で頼む。クリームとかオプション無しの、ごくごく一般的なものな」
「私が選んでいいの?」
「お前が健康に気を配っているらしいから、そういうところを見習おうって思ってさ」
「言うほどじゃないのに」
そうラクトは笑うと、自分自身が飲む飲料の二つ上の段に並べられていた無糖コーヒーから一つを選び、それを稔に手渡した。風呂あがりだということを意識してか、ラクトは冷たいものを選んでやる。プレゼントする時には「はい、どうぞ」とか言ってからが一般的だが、ラクトはアドバイスをやってから手渡した。
「無糖コーヒーは胃を壊す可能性があるんだし、くれぐれも摂り過ぎないように注意しろよな?」
「はいはい。それはいいとして、なんで俺に渡したんだよ?」
「……」
ラクトは不意に稔に渡していたことに気がついた。それは「遅刻する~」とか言ってパンを咥え、ハッと目を覚ますアニメや漫画のキャラクターのようだ。彼女は『ダッシュ』ではなく『奪取』し、コーヒーとジュースを手に持ってレジへと向かった。
「意外な一面があるもんだな」
稔はそう言葉を零し、ラクトの後ろについてレジへと向かった。彼女が通った棚と棚の間の通路には、数多くのストラップや縫いぐるみ、エルフィリアの国花であるサクラの髪飾りなど、多種多様なものを取り揃えているのが窺えた。だが一箇所、『ここは成人向けです』とシールが貼ってあった場所も確認できた。
「(成人向けのお土産ってなんだよ一体……)」
稔はそんなことを思いながらラクトが会計を済ますのを待った。ラクトと面と面を向かわしているレジの店員は、手際の良さを見せつけるように白色のペンキで塗られたような、それこそアニメショップで使われそうな不透明の袋の中に入れていく。
入れ終わってラクトが五〇〇フィクスの硬貨を出す前、店員はラクトに質問した。
「後ろの方は彼氏さんでいらっしゃいますか?」
「は、はい……」
「ここはホテルですけど、一応は普通のホテルなんです。あまり盛らないでくださいね?」
「そ、そういうのはあまり言わないで下さいっ!」
「ふふ……」
店員は若そうな女性で、女子大生に近い雰囲気を漂わせていた。ラクトは年齢で言えば高校生であるが、歳の差は広くても一〇歳程度。外見的にはラクトよりも大人っぽいが、それほど変わらなさそうな年齢の女の子だと思って、店員はある種のアドバイスと自分への皮肉を言った。
「――では、お釣りのお返しです。店はもう閉めますので、早急に退店してもらえるでしょうか?」
「ああ、すいません……」
「いいんですよ。ラストオーダーの時間が今な訳ですし」
ラクトは周囲を見渡して掛けられた時計を確認すると、時刻は既に午前〇時半を回っている。この土産屋の閉店時間ギリギリに稔とラクトは入ったことを今更ながら知り、二人とも申し訳ない気持ちで店を去る。提案したのはラクトな訳だが、稔が自販機に行ったのも原因である。よって二人は互いに責めることはしなかった。
「盛らないで、だってさ」
「あの店員さん、どう考えても深夜テンションだろ……」
「分かる。昼間は普通に接客している女性って感じなんだと思う。というか、あれってアドバイスなの?」
「注意に決まってるだろ。お前を淫魔だって察したんじゃないか?」
稔が回答して更に質問すると、ラクトは「それはないよ」と言って笑う。一方の稔は引かずに返ってきた会話という名のボールを返す。
「淫魔だと察したから、『彼氏ですか?』って聞いたと思うんだが」
「流石に深読みしすぎだろ――と言いたいけど、それには言い返しが効かないなぁ」
稔は気持ちよくなったりはしなかったが、一応はラクトを論破したことと同義だった。ラクトは「むう」と頬を膨らましている。稔とは違い、彼女は言い返せなくて相当悔しいようだ。けれど、そうなればそうなった。ラクトは実力を行使してまで勝とうとしていた訳だ。そんな彼女の血が騒いでくれる。
「ええい、早く部屋へ戻るぞ!」
「はいはい、分かりましたよ」
稔は諦めるように言い、ラクトの手を握った。そして、六〇五号室へと戻ることにする。精霊も召使も寝ている今、何かを恐れて寝られない訳でもない今。戻って浴衣に着替えて早く寝ようと、そんな心で稔は言う。だが今は、ラクトも稔の言葉に被せて言った。
「「――テレポート、このホテルの六〇五号室へ――!」」
突然に被せて言われた稔はラクトに「何故被せたし」と言おうとしたが、「魔法が狂うかもしれない」と心配を覚えてしまい、言うのは後回しにすることにした。
深夜〇時三五分。六〇五号室へ戻ってきた稔とラクトは、取り敢えず浴衣に着替えることにした。今着用している服は洗濯機に掛けて乾燥機に掛け、その後に完走したものを身に着ければ良いという考えだ。
「稔の案は良案だと思うけどさ、それって睡眠時間を減らしすぎない?」
「なんでだ?」
「洗濯機に掛ける時間を見積もって三〇分、乾燥機に掛ける時間を見積もって一時間。でも洗い終わったら、私たちが着ている浴衣を洗って乾燥させなきゃダメでしょ?」
「なるほど……」
稔はラクトが恐れていることを何となく悟った。現在時刻を午前の一二時半と見た時、ラクトが述べた見積もりの時間を足しあわせて約九〇分だ。浴衣も同じくするわけだから、掛かる時間は倍以上である。
浴衣着用者は現在、ヘル、スルト、紫姫、サタン、ティア、エルジクスの以上六名だ。追加で二名なのだから、全ての服を投入して乾燥させるならば、通常のモードでは綺麗に仕上がらない可能性すら浮かび上がってくる。
だが、浴衣が『借り物』であることは間違いない。ホテルの棚の中に入っていた誰が着用しても大丈夫な物である。洗濯機もあるのだから、洗うのがマナーと考えて何らおかしくはない。
「(ん?)」
考えてみればそれは、自分たちが良い行いをしようとしている結果だった。稔はラクトが進めようとしている浴衣洗濯に関し、従業員に聞いてみるほうが効率的にいくのではと思って言ってみる。
「だが、ラクト。考えは分からなくないが、浴衣は洗う必要があるのか?」
「……どういうこと?」
「俺らが洗った洗濯物をホテル側でも洗っているのなら、意味が無いって話」
「そういうことか!」
ラクトは左手をパーにし、グーにした右手をポンとのせるように叩く。閃いたようだが、それは違う。彼女は理解したという事を示しただけにすぎない。
「そういうことだ。――ロビーに問い合わせていいか?」
ラクトは稔の許可申請に頷く。「了解した」と言ってすぐ、稔は部屋の電話が置かれているところへ向かった。受話器を手にし、ロビーの番号を選択して掛ける。
通話を終えると、稔はラクトに伝えた。
「浴衣はホテルのものだから、洗わなくていいって」
「了解」
ラクトがそう言ったと同時、稔があと一時間半起きていることが確定した。




