2-70 深夜12時
ラクトがスパゲッティを食べ終わった時、時計の長針は『一一』を指していた。フォークとスプーンを作って彼女はスパゲッティを食べ進めていったわけだが、フォークに麺をから回せるのが得意ではないらしく、それで時間を取ってしまったのだ。
「下手な奴め」
「『完璧な召使など居ない』っていう話は常識の範疇だと思うけど」
「逆に言えば、『欠陥だらけの召使は居ない』ってことだろ?」
稔の意見に「そうなるね」と同意を示すラクト。だが、やはり食べ方の指摘を受けて相当落ち込んでしまっていた。もっとも、ラクトは箸が持てる。それだけで繊細な人と言って過言ではない。でもその一方、スパゲッティの麺をフォークに巻きつけることが下手なのである。
要するに、経験をあまりしていないのが問題なのだ。彼女の発言から滲み出る男への差別的な発言は、いずれもトラウマが原因である。アダルト関係に口を突っ込まなかったり、しょっちゅう胸を当ててくるところは、風俗嬢さながらの仕事をしていたのが原因だ。スパゲッティの麺をフォークに巻きつけるのが下手なのも、つまりはそういうことである。
「まあ、そう落ち込むな。俺は不得意でも得意でも無いから」
「稔は現実世界でスパゲッティとか食べてたの?」
「食べてたな。学校の昼飯にスパゲッティがあるくらいだし、大抵の日本人は食べたこと有るはずだぞ」
「でもそれ、私みたいな人からしたら公開処刑だよね」
「留学生とかには麺を啜れない人も居るだろうから、それも公開処刑だと思うが」
公開処刑にどんなものがあるのか、と二人は膨らませて考えてみる。そんな中でラクトは、稔から日本人の麺文化の一面を聞くと理解できないところが生まれてしまった。
「め、麺を啜るの……?」
「蕎麦も饂飩も拉麺も啜るぞ」
「啜るのがマナーなんだ?」
「啜るのを嫌がる人もいるけど、大抵の人は啜って食べてるな。もっとも、スパゲッティは啜らないが」
言われ、即にラクトはホッとした。スパゲッティを啜るかと思ってしまって聞いてみれば、結果的に返ってきたのは「その麺類は該当しない」という回答。折角フォークで巻いたものを啜って食べるのは、意味が分からない。箸で持ち上げたからこそ食べやすく啜るのであって、食べやすく巻いた後に啜る必要は微塵もない。
「それはそれとして。稔が言ってる麺類って美味しいの?」
「……食べたこと無いのか?」
「蕎麦はある。わさびが薬味に有るからね」
「なるほど」
ラクトは寿司が作るのが上手だ。酢飯の上から刺身で挟み、基本は具と飯の間に山葵を一定量ぐらい入れておく。綴れば簡単な話だが、魚介類独特のにおいを嫌がって調理しない人も居るはずだ。もちろんそんな人は、箸を使わずして寿司を食べたいとは思わないだろうが。
要するに。彼女はそういった寿司作りで山葵を使うことから、麺類ジャンルの蕎麦へ手を付けたと言えるのだ。鼻にくるツンとした感じ方が多種なその刺激。慣れれば美味、慣れなければ激辛。そんなところに興味を持ったラクトだからこそ、蕎麦へと手を出したのではないか――と。稔はそんなふうに考察していた。
「稔の意見は間違いを述べたものじゃない。でも、正解でもない」
「――というと?」
「私は辛いものより甘いものが好きだってことさ」
「そういうことね」
彼女は「山葵に興味を持っていない」と主張しなかった。興味を示さないほど嫌っているわけではないのだ。でも、過剰なまでに愛するくらい好きではない。要は『普通』、『どちらにもつかない』のだ。
「でも、あんまり菓子食べてると太るぞ?」
「ガリガリよりは少し肉が有ったほうがエロスを覚えない?」
「確かにな」
太り過ぎるのが禁物というのは、稔もラクトも一緒の考えだった。加え、多少の肉付きがあるとエロいと思っているのも同じだ。男性らしいムキムキな身体になるのか、女性らしいムチムチの身体になるのか。そんな話せば長くなるような話が始まるを告げる。
「でも、胸が大きい人は身体も大きい気がするんだが?」
「デブと言いたいのか、こんにゃろー!」
胸の下に手を組み、その巨乳を見せつけるラクト。
「お前はデブじゃないと思う。腹じゃなくて胸と尻に栄養が奪われたんじゃないかと思うレベル」
「お腹にはパートナーからの液体を注入して子を授かるからね。仕方ないね」
「人を変態扱いするくせ、お前は何を言ってるんだよ!」
「抽象的すぎた?」
「具体的に言ったら駄目だからな!」
稔はそう言うが、本来それは言ってならない。『○○をしては駄目』と制限されるのは、かえって破られるものだ。人は知能が発達している分、どのような作戦も脳で考えることが出来る。バレなきゃ犯罪じゃない(捕まらない)このご時世では、意味が無いのだ。無論、ラクトも二つ返事で済ます。もちろんそれは、どう考えても気持ちよく受け入れたとは思えない。
「さて、あと数分で日付が変わる訳ですが」
「色々と有ったよな。デートし、バトルし、本当にお前と一緒に過ごして散々な目に遭った」
「失敬な。なるべくしてなったんだ。私が居たからってのは暴論だと思う」
「そうか?」
ラクトは「そうだ」と意見を変えたりしなかった。とはいえ、稔はラクトに感謝の気持ちを持っている。
「まあ、そんな散々な目に遭っているからこそ、ラクトに世話になってるわけだけど」
「私も世話になってるよ。こんなに召使の行動に制約を入れない主人だとは思わなかったし」
「制約を入れるほど世話がかかる奴に言われたくないな」
「うっせー!」
ラクトが怒りを露わにして声を上げる。でも間もなくそれは収まった。稔がラクトに右手を前に出したのである。ラクトは内心でそれが何を意味しているのか理解したが、違う事を指しているのだと思うように装って言った。
「切って欲しいの?」
「違うわっ!」
稔は言った刹那に悪寒を覚えた。風俗嬢のような仕事で『ような』が入っている理由、男を殺していたという理由からだった。どのように殺していたかは不明として、切られるということで去勢されるんじゃないかと不安になる。そのため、念を押しておく稔。
「切るんじゃないぞ。頼むから、な?」
「嫌いは好きの裏返しって言うし、去勢されたがってるのならやってあげるよ?」
「俺、そんなに酷いことしたか?」
稔は涙目になりつつあった。でも、これ以上に主人を弄り続けるのも可哀想に思ってきたので、ラクトは「大丈夫、しないから」と笑いながら話を切ろうとした。それと同時、彼が内心で思っていたことをするべく行動に移るわけだが、出した稔の右手を握ろうとする前に手首を握られたラクト。
「痛い痛い痛いっ!」
「前科あるんだから、いい加減にしておけ……」
「すっ、すいませ――」
「謝ったのも裏返しか?」
「ちが――」
「そうか。なら、仕方ないな」
心の中に眠っていたサディストとしての気持ちが働き、稔は更にラクトの手首を強く握っていく。顔には狂気の笑みなど浮かんでいない。ごく普通の表情だ。一方のラクトに浮かぶは、涙を構成する水分。痛みに歯を食いしばる彼女だが、もはや壊れるくらいの力には太刀打ち出来ずに涙を流し始めていた。
――と。
「痛――えっ?」
ラクトが瞳を麗して一〇秒ぐらいが経った時だ。稔は掴んでいたラクトの手首を自分の方へ導き、咄嗟に彼女の胴体を自分の方へとくっつける為に左手を背中へ回す。そしてまず、謝罪から入る。
「ごめんな、こんな痛みを味わわせちゃって」
「そ、そうだよ! 私は言葉でやってただけで本気でやろうと思ってた訳じゃないし――」
「それは確かだが、こうなる原因を作ったのがお前だってことは間違いの無い話だと思うけどな」
「人の心を読んで何を企んでるか理解したのに、稔を馬鹿にしたのは確かです」
「そうか。まあ、痛みを味わわせた俺が最終的に悪いわけだ。それは謝罪するし、罪を償わせて欲しい。手段はラクトが決めてくれ。痛みを負うような償い方は嫌だから、出来れば去勢は無しの方向で頼む」
稔は言った。場に重たい空気が漂うが、ラクトが何かを考えて思わず笑みを零した。去勢される可能性が先程より上がった気がして少し怖かった稔だが、彼女が言ったのはそれではなかった。
「一緒に朝まで寝てくれたら許す」
「……それってどういう意味だ?」
「一緒の布団で寝ようということ。『寝る』って意味は何かを隠した言葉だけど」
「な、ななっ――」
ラクトの笑みをサキュバスの笑みなのかと思い、稔は首を小さく左右に振って落胆してしまった。外見からはエロさの欠片も感じない稔だが、思春期の男子高校生だ。『寝る』という言葉の裏に何が隠されているのかなんてすぐに分かる。そしてラクトは、また笑みを浮かべてから言った。
「そんなに嫌そうな顔するなら、去勢と寝るのとどっちがいいのさ?」
「……」
究極の二択。黙り込んでしまった稔の心をブレイクするように、ラクトは続く。
「去勢、嫌なんでしょ?」
「こいつ――」
子孫の顔が見れずに生きるのは辛い。反面、貞操を簡単に捧げるような男だと思われるのも、プライドがズタズタにされてしまって傷が深い。でも、この選択肢から逃れることは出来ない。「どう償うか」の提案はラクトに有るからだ。ギャルゲの選択肢のように、セーブなんて出来ない。あるのは『逃げ』だ。
「(逃げたら、格好悪いよな……)」
唾を呑み、深い嘆息をする。もう一度考えてみて、痛みを負わないのは後者しか無いと稔は思った。貞操を捧げるか子供を捧げるか。将来的なものを見据えた時、彼に選択肢は一つしか見えなかった。
「『寝る』方向で頼む」
「変態主人」
「……」
マゾなら感謝の思いを言葉にするくらいの笑みを浮かばせる、サディストを装うラクト。笑みがこぼれた時、ちょうど時刻は深夜一二時を回った。ホテル内のアナウンス放送で、風呂場の利用を出来る性別が『不問』となったことが発表される。ラクトから聞いていた話だから、稔は特に耳を傾ける必要もないと感じていたが、ラクトが確認のために聞いたので結果的に傾けていた。
『深夜〇時を回りました。当ホテルの二階大浴場では、これより性別を不問として入浴可能と致します。時間は本日の深夜一時三〇分までとさせて頂きますが、くれぐれも性的逸脱など、常識の範疇外の行為はおやめてくださいますよう、よろしくお願い致します。繰り返します――』
部屋の中へは入っておらず、廊下だけだ。でも二人とも話し声を上げなかったことが影響し、耳に届かせようと部屋と廊下を隔てる扉の向こうへ行くことはなかった。
繰り返しの放送が終わると、「ピンポンパンポーン」と鉄琴の音色が放送で流れた。それと同じく、稔はラクトに抱きつかれてしまう。笑顔のままでいい匂いを振り撒くラクトにため息を当てる稔。口臭に文句は無いようだったが、ラクトは「なにするんだ」と言っておいた。そして、続けて交渉する。
「寝るのは少し後だけど、取り敢えず大浴場に行こうよ」
「そうだな。シャンプーとかは持って行くか?」
「そういうのは向こうのを使うからいいや。でも、タオルは要るね」
ラクトは言って、バスタオルとタオルを一枚ずつ、それを二セット作った。色や柄にはこだわっておらず、シンプルな白色だ。もちろん自分一人の手に持っていたりはせず、後々手を繋がない方の手にワンセットを持った。身体さえ触れれば十分なことを承知の上だったが、ラクトは「稔からの償い」という意味も込めて積極的に手を握りにいったのだ。
「ところで、大浴場には誰か居るのかな?」
「ラクトは居たほうがいいのか?」
「変なことしなくて済むのは、人が居ない時の方だと思うけど」
「放送聞いてたよ……な?」
「聞いてたけど、もしかしたら――」
稔は身震いした後に「やめろよ」と、真剣な眼差しをラクトに向けて言っておいた。一方の彼女は、「しないよ」と返答をする。嘘を付かれて信用する気になれなかった稔だが、最終的には信用するに至った。
「んじゃ、風呂場へ向かって」
「――テレポート――!」
内心で何処の場所へ向かうのかを言い、それを魔法使用の宣言として言い切った稔。目を閉じなければ広がる湯気のような白色の光の中を通って、稔はラクトの手を握りながら向かっていった。
二階の大浴場前に着いた時、そこが銭湯のような構造であることを即座に稔は理解した。脱衣所こそ一つしか無いものの、暖簾が有ったり脱いだ下着や衣服を入れるための籠が、それを入れる棚が有ったからだ。
「女子物の下着があるね。どうやら、二人くらい先客が居るっぽい」
「お前からの攻撃を受けないのは有難いけど、男一人に女三人くらいはマズイような気がする。性欲を抑えようが、浴場に向かった刹那に攻撃が飛んできそう」
「だったら、お得意の特別魔法で跳ね返せばいいじゃん」
「それいいな!」
ラクトの提案を聞いて、稔は手をポンと叩いて合わせた。裸体を見られることを承知で来ているとを考えれば、攻撃を受ける筋合いではない。
「ラクト。こっちにも二人分の下着と服があるんだが」
「ということは、四名入浴中ということだね。良かったじゃん」
「何がだよ?」
「目の保養になると思ったんだけど。……ならないかな?」
「ならなくないな。それは素晴らしい考えだ」
ラクトは「そうでしょ」と自分の考えを肯定され、自身の顎に手を軽く当てて笑顔を浮かばせる程に大喜びだった。当たっていない方の手が腰に来ているのを見ると、どうしてもふざけているようにしか見えなくなるのは仕様だ。
「ところで、何処で着替えるつもりなの? 私は何処でもいいけど」
「廊下で着替えられるのか?」
「そ、そんなの出来るわけ無いじゃん。頭大丈夫、稔?」
「大丈夫だ、問題ない」
言い、稔は咳払いしてから続けて言った。
「取り敢えず近くで着替えるのは嫌なんで、少し遠ざかるかな」
「なんで嫌なの?」
「見られたくねえんだよ。捧げることが確定したのとは別に」
「了解しましたー」
軽く流すように返答し、ラクトと稔は背を向ける。浴場に近い方へと互いに進むが、籠を入れられる棚は四列ある。うち二列は壁のようになっていて、ラクトが脱衣しているのか否かを確認することは稔に出来ない。
「(そういや、二一時から二三時五九分までが女性専用の浴場なんだよな。ということは、今残っている女性陣って――)」
稔はポケットの中のスマートフォンを見る。ロック画面に表示された時刻は午前〇時五分だ。まだ五分しか経っていない。それに続き、稔は脱衣所内にスピーカーが存在するか確認する。――が。
「(おいおい、スピーカー無いじゃねえか……)」
周囲を見渡してみても、スピーカーの形をしたものは何処にもない。あるのは棚と籠に入った下着だけだ。確かに部屋の中に風呂場が有るから、執事やメイドはそっちを利用するのだと考えるのが普通といえばそうなのだが――。
「(頼むから、俺以外に男性陣来てくれよ……)」
稔は淡い期待を抱いた。異性と話すことが出来ない訳ではないが、場所が場所だ。召喚して仲間を現しようが、支配下にある召使は全員が女であることも影響して話し相手に同性を持ってくることは不可能である。
「仕方ない、か」
稔は小さく言葉を吐き出すように洩らす。ラクトに迷惑を掛けるのもどうかと思って、取り敢えずは着替えることにした。期待なんて期待でしかない。思ったことが何でも現実になるような魔法なんて使えないから、稔は自分を笑って上着に手を掛け、脱いだ。
脱衣所で全裸になってから下を隠す為にタオルをし、稔が準備を整え終えた時だ。ラクトが帯のようなタオルを作製し、それを胸にして登場した。稔同様に下を隠すためにタオルをしているが、きつく胸にタオルをしているために白い目で見てしまう。
「痛くないのか?」
「仕方ないじゃん。サイズ考えないでタオル作っちゃったんだから」
「馬鹿め。でも、湯に浸かるときは脱がなくちゃいけない気がするんだが」
「早着替え出来る私をナメるな」
ラクトは考慮して胸に当てるためのタオルを作製した事もあって、少しばかし自信あり気に言った。でも、そんな自信満々の表情と態度のラクトは少しで終わる。
「んじゃ、行こう!」
「ラクトに先導される必要はないんだがな」
そんな会話の後、稔は大浴場と脱衣所の間の扉をガラガラと引く。足を前に踏み出すと、前方は湯気に包まれていて視界が悪い。だが数歩進んで、籠に入れてあった布類の数だけ――要するに四人の女性が入浴しているのを確認できた。
「な、なぜ男の方が入ってきているんですの……」
「イステ――」
「女子の聖域へ入ってきたのが運の尽きですわ! 消えて下さいまし!」
「ちょ、なんで攻撃態勢に入っ――」
イステルは弓矢を番った。矢を放つときには両手を使うが、彼女は何発も撃ちこむことを考えたのだろう。矢を三本も指と指の間に挟んでいる。




