2-49 ツヴァイ・バレイボウル-Ⅰ
時を同じくして、稔は目を閉じる。左手に、黄色を母体とした色と手裏剣のように描かれた青色のバレーボールのボールを持ち、右手はボールに触れるのみ。まるで魂を込めたように見せ、稔は二回バウンドさせた。
「(サーブ神と呼ばれたこの俺を……舐めんじゃねーぞ!)」
心の中でそう言うと、稔は落下地点とサーブ地点を定めた。後衛が届きづらそうな右角、打つ場所は――中央の少し左寄りから。下よりも上のほうが格好良い為、当然打つのは上からだ。そこには、ラクトが指摘する『厨二病としての稔』が見え隠れしていた。
そして、紫姫がブザーを鳴らして手信号を出した。サーブ許可の合図である。同時に稔は上からのサーブ、即ちスパイクサーブ(ジャンプサーブ)を決めにいく。計算し尽くしていくスタイルでは無いものの、稔の視線の先には相手コートの右角しか無かった。
「うおっ……」
ラクトが驚きのあまり声を上げた。自分の主人にこんな特技が有ったとは思わず、同じく口も押さえた。
ボールはラクトの頭上を通過し、そのままネットを越えて相手コートへと入った。もちろん、まだ高さは維持している。相手は動き出すのを躊躇っているが、これは見切りなのだろうか。否――そうではない。
「なっ――」
動かなかったのは前衛だけだった。動きづらいだろうと稔に考えられて右角を狙われた後衛は、見事に落下地点を予測して動き出していたのである。彼女の顔には、「ざまあみろ」と言わんばかりに綻んだ顔が浮かぶ。悪い顔、と言えばその通りの顔だ。
「そうはいかせないのじゃ!」
彼女の口調に違和感が何処と無く募る稔だったが、今はプレー中である。そんなことを気にしている暇など無い。それよりかは、相手がどれ位の強さなのかをはかるべきだろう。その根底には、理性なしに根性論でスポーツを行うなんて言語道断だという稔の思いがあった。
相手後衛は、相手の前衛へ向けてアンダーでボールを上へと上げた。身長的には稔に敵う程ではないが、ラクトとは五十歩百歩である。そのため稔はアタックを決められる可能性を危惧し、自ら前方へと足を進ませた。それはブロックするという意味もあったが、後方を捨てたという意味でもあった。
「クラウディア!」
相手後衛は、相手の前衛の名前を発した。もっともこの手の全員参加型のスポーツは、何処かしらに連携プレーが仕組まれるものだ。野球、蹴球、籠球、排球、羽球――。人数が少なければ尚更のこと、連携プレーは増えていく。多ければ尚更のこと、一人の失敗は取り返しをしずらいものとなる。
「オッケー、エルヴィーラ!」
同じく前衛も、後衛のように名前を発した。またこれで、前衛と後衛の名が判明したことになる。前衛はクラウディア、後衛はエルヴィーラ、ということだ。もちろん、彼女らの口調は全然と違う。でも、連携は非常に強い。だから、相手へのフェイントを掛けることも容易かった。
「トス、だと?」
至極ネットに近い位置に居たクラウディアは、稔サイドのコードの後衛が空いていることを捉えてトスを上げた。本来であれば、クラウディアが相手コートにスパイク(アタック)を打っても無問題な配置場所だ。しかし、敢えて彼女はトスを上げた。
「サーブが決まった程度で、私達に勝ったと思うのでは無いぞ……ッ!」
そう言い、後ろからひょっと出てきたエルヴィーラがボールに触れた。軽く、とても軽くだ。
「なっ……」
ネットに触れるか触れないか、ギリギリの判定ライン。稔は後ろに来るとは思わなかったので前に居たが、エルヴィーラが軽く触れた先に有ったのは稔とラクトの居る地点のちょうど中間地点だった。そのため、稔は動きづらくなってしまう。
けれどラクトは、このゲームのルールを思い返して行動に繋げられた。
「(魔法じゃなきゃ、オッケーだもんなっ!)」
ラクトの心を読める力は『魔法』ではない。『魔力』を使用して実行される『魔法』では無くて、俗に言う『能力』に相当するものなのだ。いくら『魔法』を封じに来ようが、『魔力』を使っていない以上、『能力』を封じることなど不可能に近い。
「稔、ここは私が預かったッ!」
そう言い、ラクトは落ちてきたボールを打ち返すための行動に動く。跳ねたために彼女の両胸が揺れ、稔は「オッケー」と言おうとしたのを止める。もちろんすぐに気を戻したが、いくら特別扱いされようが思春期の男であることに変わりはないのだ。
「稔、二打目!」
ボールを敢えて後方へと向かわせ、ラクトは決める準備を整えた。右手の指々に触れた後は少し痺れたが、稔の二打目が自分の方向へ来た後にも痺れは来るわけだと思って堪える。
「おうよ!」
後ろへ飛ばされたボールは上の方向へと若干上がっていたが、稔の方へ来る頃には落下し始めていた。流石にそんなボールを上で受け止めるなど意味不明であり、稔はレシーブしてラクトへと渡す。だが、流石にレシーブからのスパイクは久々に経験した稔。一応の高さは確保したものの、心配が生じた。
「(やべっ、打ち上げすぎたか……?)」
高さにして三メートルはあるボール。それだけの高さを確保したのだから、そのボールを上げた力は相当だ。それが相手コートへと向けられていたなら、恐らく旗が上がってアウトを取っていたことだろう。
でも、女性の身長としては高身長なのがラクトだ。それぐらいのボールは、むしろ自分に取ってベストな高さだった。彼女は唾を呑み、ジャンプして相手コートへと決めに掛かる。
「やべっ――!」
ラクトの渾身の一撃と言わんばかりのアタック攻撃は、コートの右のラインの内側ギリギリを直撃した。クラウディアもエルヴィーラもアウトだと見切っていたため、その攻撃に手を出すことなど出来そうとしても、覆水盆に返らずの状態。魔法を使えない以上、取り返しなどつかない。
「おっしゃあああッ!」
ラクトが右手でガッツポーズを決めると、稔が喜びを露わにした。でもまだ勝利したわけでは無いから、互いに大はしゃぎするほどの結果を生んだわけではない。そのため一瞬にして、稔の顔は冷然として真剣さを醸し出す顔へと変わる。
「あの巨乳赤髪女め……っ!」
紫姫が稔サイドのコートの方に右手で手信号を送ったと同時、歯を食いしばったのが相手サイドだった。点を決められたのもそうだが、ラクトが自分たちよりもでかい二つの丘を抱えていることもあり、彼女らの怒りは二倍に達する。もちろんその怒りは闘志となり、彼女らの熱情を込み上がらせた。
「クラウディア、用意じゃ」
「了解しました」
クラウディアとエルヴィーラが意思を統一すると、紫姫は持っていたブザーを鳴らした。そして稔サイドのコートの方に身体を少しだけ向け、そちらで手信号を出してサーブの許可を出す。
「(掛け、いくか)」
稔が『掛け』と称しているのは、簡単にいえば『揺さぶり』である。サーブ可能エリアの中央に立ち、そこからネットを越すか越さないかのギリギリを目掛けて打つのだ。もちろん、決まった時に動けるのはごくわずかだ。
しかし当然、このような手法は相当な集中力を要する。偶然に決めるのならまだしも、狙って決めるのは並大抵の者の所業では難しい。だが、稔はそれを殆ど可能にしている。『サーブ神』と呼ばれていた理由は、この『掛け』に有ったのだ。
「……」
稔が無言になったまま、紫姫からサーブ許可が下りてから五秒以上が経過した。相手から時間稼ぎだと非難の声が飛んできそうになったが、それは集中力を高めているだけに過ぎない。
「(よし――!)」
心内で打つ意思を確定付けると、稔はボールを上げた。そして、ネットギリギリを狙って――打つ。
「(そんなボール、ネットに弾かれて終……あれ?)」
前衛のクラウディアは、ボールがネットに弾かれて自分たちのポイントになると予測を立てた。しかし、それは稔の思う壺にはまったということだ。『サーブ神』と呼ばれていた稔が、そう簡単に外す訳が無い。
「クラウディア! そのボール、打って!」
「無理、無理ぃ!」
僅か数ミリしか無いようなネットの最上部に当て、稔は相手コートの前衛が取りづらいところを狙う。もちろん、思う壺にはまったクラウディアが打ち返せるはずもない。そのため結果として出てきたのは、稔サイドの得点ということだった。
「ちっ!」
強く舌打ちし、苛立ちを露わにするエルヴィーラ。クラウディアに当たることはなかったが、チームのメンバーである彼女にも当たりそうになっていた。バレーボールに闘志を燃やしていたのは互いに同じだったが、クラウディアよりもエルヴィーラの方が燃やす量は多かったというわけだ。
そして紫姫の手信号は、また稔サイドのコート側の右手で行われた。
「ネットの最上部、注意するのじゃ!」
サーブ許可を紫姫が出した直後にエルヴィーラは言い、クラウディアに細心の注意を払わせた。だが、同じ作戦を繰り返し行えば勝てるというのは甘すぎる考えである。スポーツでの作戦はウイルスへの対抗と同じで、何度も敵に同じ技を繰り出していれば、いつしか効かない時が来てしまうのだ。
無論、『サーブ神』がそれを気にしない訳がなかった。稔はあたかも手玉に取るように強烈なサーブを打つ。それは上からではなく、下からのサーブだった。もちろん、強烈なサーブが高くならない訳がない。でもそれは、アウトと見切ってはダメな位置へ向けられたサーブだった。
「残念じゃなっ!」
クラウディアを非難できるほど強い闘志を持っていたエルヴィーラは、クラウディアと比較すれば強いに決まっていた。もっとも稔が狙った右角への攻撃を返したのだから、理由付けもされている。
「クラウディア、あいつらに一発決めるのじゃっ!」
「分かった!」
当たりそうになっていたとは思えない口調だが、心を読む魔法なんて一つも使えないクラウディアが気付くはずなかった。魔法が使えない今、それは当然の結果である。
「はあああっ!」
クラウディアは口から声を出しながら、力を込めて相手の方へとボールを打つ。もちろん、稔サイドのコートでは前衛のラクトが左右へ俊敏に動いていた。ブロックしてボールを跳ね返そうとしていたのである。だが、彼女の予測していた動きは出来なかった。
「嘘――」
左右の手を盾のように上げたのだが、ラクトの左右の手にボールは当たらなかった。クラウディアがスパイクをした時、ラクトの身長に両手が上の方に向けられたものよりも上の高さだったのだ。
「ラクト、準備しておけよっ!」
しかし、このバレーボール対決は一人対一人の勝負ではない。二人と二人の勝負なのだ。そのため、連携さえ取れれば勝ちに近づく。ブロックを外してしまったからといって、床に落下しなければ負けではない。
「うん!」
ラクトは稔の発言にそう返し、一方の稔はレシーブの構えを取った。ラクトは他人の心内を読むことを可能にする『能力』を持っているが、稔は作戦指示をラクトに口頭で行った。作戦バレするのは避けて通りたい道だったが、相手に魔法使用を疑われるよりはマシだ。
稔はそんなことを思いながらレシーブを打つための姿勢を取ったままに、力を少々入れてボールをラクトの方向へと飛ばした。高さは多少上がり、同時に稔はラクトへ言い放ってネット間近へと動く。
「上に上げてくれ!」
稔から飛んできたボールは、ラクトが頭上キャッチ出来る高さだった。しかし、それをしたらルール違反である。もちろん、そんな野暮な真似をラクトがする訳ない。声を上げ、彼女は返答してトスを上げるだけだ。
「はいよっ!」
上げられたボールは、前方のネット間近へ移動した稔の方向へと方向転換した。高さは十分、打った時の強さも十分なものと考えられる。触れてはいなかったが、稔はぱっと見でそう悟った。
「返してみろよ、エルヴィーラッ!」
その後、稔は前衛と後衛が取りづらい位置を――つまりは相手コートの中央部を狙い打って、口で挑発した。でも、喧嘩を売られたエルヴィーラも何もしない訳が無い。クラウディアが取れない位置で有るのは予想が付いたから、エルヴィーラは瞬時に動いた。