2-39 ADQと爆弾処理-Ⅵ
廊下に居て肌寒いと感じた訳ではなかったが、ドアを開けた先の部屋の中は温かかった。執事、メイド、総勢二〇名は軽く超える人達が集結しているのだから、当然である。もっとも、『人』のように見えるだけであってどうせ魔法を使えるのだから、もしかしたら誰かが魔法を使って温かくしているのかもしれないが。
だが、そんなことはどうでもいい。
「あっ……」
体感温度に気が向いたのは稔の感覚器官が機能したのも一つだったが、大きな理由はそれではなかった。ドアを開け、目の前に着替えをしているメイドを見てしまったのである。しかも、それは一人じゃなくて一〇人を超す。目を凝らしてみれば、執事は現在一人も居ない。
「……」
「稔、ちょっと出ようか」
「あ、ああ……」
ラクトはメイドの着替えるシーンを見たところで欲情することもないし、無問題だった。一方の稔はそういった感情が無いわけではないが、展開が展開だったので脳がそういう方面へ働かない。
ドアを出てすぐにラクトは溜息を付くと、稔に対してラクトは言い放った。
「欲情したら殺す」
「ひっ……」
嫉妬という意味も若干は含まれていたが、稔がラッキースケベ展開に遭遇したことで、男を毛嫌うラクトの本性が彼の方へと矛先を向けそうになってきていた。顔には怒りの形相が浮かび、稔は咄嗟に声を漏らす。
「あんまり深く考え過ぎたか。でも、稔が私の男嫌いのためにお姫様抱っこしたのに実際に居たのはメイドだったとは――。なるほど、建設した稔はフラグ建築士と兼業でフラグ破壊士もしてんだね」
「……」
稔はラクトに褒められた気がしなかった。無論、これは皮肉である。けれど、そこは主人の最初の召使だ。稔が落ち込むのも考えての発言だったので、ラクトは彼の背中を優しく撫でながら励ましの言葉を送ることにした。けれど、やはり酷い言い方は続く。流石は『煽りの神』の称号を持つだけある。
「でもまあ、メイドさん達からは色々と言われると思うけど、謝罪することは得意分野じゃん?」
「得意分野って酷いな!」
「いやいや。私とほぼデートに近いことをした時もそうだったし、稔ってすぐ土下座しそう」
「ひっでえ……」
流石にそこまでプライドの無い人間ではない、と稔は内心で強く思った。でも、端から見たらそう思われても仕方がないだろう。いくら努力しようが、些細な事でも「ごめん」と言葉が出てしまうのである。謝罪の言葉は言えば言うほど効果が薄れるものだから、本来多用するのは控えるべきなのにも関わらず。
「でも、一つ忠告」
「なに?」
「謝るのは必要なことだし、土下座は稔が考えてするかしないか決めればいいと思う。もし仮に土下座をしようなら、絶対に謝って許してもらえたからって上を見上げるな。それは、即ち死を意味するから」
「なんで死ぬんだよ?」
「私が覗いても問題かもしれないけど、稔が覗けば大問題だから。てか、察しろ馬鹿。言わせんな」
メイド服の構造も考え、絶対に視線を上にしてはいけないということを稔に伝えたまでは良い話だった。でもそういう話は、嫌いではないがしたい話でもない話らしい。だからラクトは、最後にそう付け加えた。
「それと、稔は一人で謝罪してね」
「いやいや、お前も入室……」
「着替え終わってなかったら大事になっちゃうし、私入りたくないな……」
「こいつ……」
ラクトが男であれば、その意見は聞き逃せない話だっただろう。けれど今、それとは違う意味で聞き逃せない話を彼女はしていた。一人で入室して裁きを受けることになれば、メイド側に一方的に有利になるのは目に見えている。その理由から、要は、稔に対して重い負担を背負わせようという話なのである。
「仕方ないな、後でなんでも言うこと聞くから――」
「ん? 今なんでも言うことを聞くって……」
「みだらな行為は無しだ馬鹿。一応サキュバスの血が消えた訳じゃないから、やり始めたら死んじゃう」
「俺が?」
「そう」
ラクトが稔を殺すほどの性欲――否、体力や能力を持っているとは考えづらいが、それでも彼女が酷く心配して言っている感じが伝わってきたため、稔も変なことを要求することは出来ないことを再確認した。もっとも稔も召使との契約を大切にしたいので、みだらな行為は最初からする気など無かったが。
「じゃ、アイス俺が奢るわ。だから来いよ、ラクト」
「餌付けには応じな……アイス?」
「(釣れたか……?)」
「バーカ、行かねーよ」
「ちっ……」
ラクトは名前の由来の通り、ラクトアイスが大の好物である。けれど、それは餌付けされるほどではない。目に止まって美味しそうだと思ったら手に取るのは普通、貰えば食うのは普通だが、ある種の餌付けで食うのは違うらしい。彼女も彼女なりに、軸はブレないようにしっかりと立てているようだ。
「でもまあ、稔がそこまで私を連れて行きたいというなら――」
アイスという餌には喰い付かず、稔からの主人命令でも無いので命令には従わず。そんな反抗的な態度と見て取れる行動を取ってきたラクトだったが、稔の事を思っていないわけではなかったので行動に出た。
「――最後の励まし、これでいい?」
ラクトは稔の左肩の近くに顔を置いて耳元で囁いた。稔の胸辺りに両手を前に出し、軽く重ねる。ラクトの特徴であるその大きな胸が背中の中央辺りに当たると、稔も次第に一人で謝罪に行く意思を固めていく。若干ながら言われたことで少々ドキッとしてしまったが、稔は気を取り戻すと微笑を浮かべて声を小さく言う。
「しゃーねーな……」
「うん。ファイト!」
まるで軍隊として戦地へ派遣されるかのようだが、話はそこまで大きいことじゃない。確かにメイドしか居ないというのは、さながら戦地のようでは無くもない。また『タラータ・カルテット』を形成している以上は、組織であることは軍隊と共通していなくもないところだ。
稔はラクトから励まして貰うと、自分で土下座する覚悟を決めた。そして、再度ドアを押す。でも今度は、しっかりとノックをして入ることにした。控え室であることを忘れた自分に対して罵詈雑言を浴びせたい気分になりながらも、それを悪だと捉えて殺滅し、真面目な態度で入室する。
「何の用ですか? 先程は私達の着替えを見てしまったようだけれど……」
ドアを閉めると、稔はメイド達が着替え終わっている事を確認して行動に移った。彼女らメイドの中でも一番偉そうな人が前に出てきて、眼を飛ばすような態度を稔に取る。貴族的な人たちはメイドや執事を個々に持っているのだろうが、このパーティー用にリーダー格の人物を作ったのだろうか。
ただ、稔がそんな事に気を取られている暇なんて無い。場の空気が重くなって爆弾処理に時間を削れなくなるのだけは避けたかったことや、それをふくめて心臓を色々な方面の影響でバクバクさせる羽目になった為だ。そして若干の緊張感を持ちながら、稔は約九〇度に頭を下げて言った。
「先程は、大変申し訳ございませんでした。私は貴方がたの下僕となることは出来ませんが、最大限の謝罪と罪の償いをさせて頂きたいと思います。ですので、どうか御許し頂けないでしょうか?」
「用件はそれだけなのね、ふうん……」
メイドのリーダー格の人物は稔の謝罪に対してイチャモンを付けたり、文句を付けたりすることは無かった。でも態度が態度だったので、稔は彼女を怒らせてしまったのではないかと間違えて察し、考えてしまった。そしてそんな考えのせいで、土下座に発展することになった。
「申し訳ございませんでした」
ラクトからスカートの中を覗けば犯罪であることは何度も言われている訳だ。流石に手を突っ込むことは出来ないだろうが、見ることは不可抗力として有り得る。だからこそ稔は、目を瞑って土下座をした。右膝、左膝、右手、左手と来て、目を瞑ったままに土下座の姿勢を取る。
「私は貴方に土下座をしろなんて要求は言っていないし、勘違いは程々にして貰えないかしら? それよりも、貴方がどのような罪の償いをしてくれるのかが聞きたいわね。それによって許すかも決まるわ」
「罪の償い方法……」
「あら、考えていなかったのかしら? なら――許さないわよ?」
稔はきれいな言葉で包み込むことで理解を得ようとしていたが、それは失敗に終わってしまった。むしろ、事態が悪化してしまっただけである。言葉を述べる時に理由を付けたほうが失敗しないとカロリーネから教わっているはずなのに、それを稔は活かせなかったのだ。だから、彼の気分の落ち込みは類を見ないほどに激しかった。
「(助けてくれ……)」
情けない男だ、主人だ、と自分に言い聞かせながら、稔はドアの外で待つラクトに助け舟を出して貰えないかと願望を脳裏に浮かばせていく。『煽りの神』という称号を貰う反面で的確な指摘をするラクトは、こういう状況では欠かせない存在なのである。
「(あーあ、やっぱりこうなちゃった。まあいいや、後であの馬鹿にはアイス一つ奢ってもらうか……)」
ラクトはドアの外でそんなことを考えながら稔を馬鹿にした風に内心で言ったが、それは自分が平然を保っていられるようにするための方法だ。『煽りの神』と言われるように、誰かを馬鹿にすることで自分の本来の力を発揮できるのがラクトであるから、それはごく自然な方法と言える。
「さて――」
ラクトは言い、唾を呑んでからドアを押した。ドアを突然押すのは危ないわけだが、稔がドアのすぐ近辺に居ないだろうと考えたために強く押した。メイドの事も考えるべきだと思ったが、まだ彼女らは敵であるため、稔よりは考えないことにした。まずは主人の補助が最優先事項だと感じながら、ラクトは乗り込む。
「ねえ、メイドさん。『罪の償い』の『償い』って、どういう意味か知ってますか?」
「ええ。金や行動で解決することじゃないのかしら?」
「そうですね。――じゃあ、もう何をするか分かってるじゃないですか」
「貴方は何を言っているのかしら? 流石に『行動』は大雑把すぎるでしょう。具体性に欠けているわ」
「具体性……ね」
ラクトは頷きながら、一部を復唱した。そして、続けて言う。
「では聞きましょう。貴方が言う『具体性』って何ですか?」
「私は質問をした側でしょう? そういうことも考えないで言わないで頂戴。回答するのは私ではないわ」
「逃げるんですね。……まあいいです」
ラクトは、メイドのリーダー格の人物が言った台詞をそう解釈した。わからない言葉だから逃げているとか、その言葉の意味を説明して間違ったら嫌だから逃げたとか、そういうことも含めながらの解釈だ。けれど、あまり強硬的な態度を取っていても話は進むはずがない。だからラクトは、柔軟な対応を取ることに方向を転換した。
「――貴方が言わないようなので、『具体性』に関しては私から言わせてもらえませんか?」
「ええ、いいでしょう」
メイドのリーダー格は自信ありげにそう言う。一方のラクトも、心の中に一つも自信が無いわけじゃなかった。でも、そうなると強硬的な態度に出そうなので内心に留めておく。冷静に居て、対話の扉は開く形で待つのが真の大人な対応だと考え、メイドのリーダー格を子供だと馬鹿にするように思いながら、ラクトは言った。
「私の主人が犯した罪の償いとして、あなた達一人一人に一〇万フィクス渡しましょう」
「一〇万……!」
メイドのリーダー格をはじめ、貰える側のメイド達は全員が驚いた。一〇万フィクスということは、日本円にして約一〇万円だ。自分達の一月の給料よりも全然多いその額に、メイド達は喰い付かないはずがなかった。そして男子禁制タイムだった控え室は、一気に主人への罵詈雑言大会の場と化す。
「……そのかわり、今の件は全て不問にして頂けないでしょうか?」
煽らず、冷静に、柔らかく、会話は閉ざさないままに。メイドの心の中を覗いて、ラクトは何を考えているのかも考えながら話を進めていった。覗けば「『好条件』だがもっと貰いたい」とか、メイドのリーダー格の汚い一面が見えてくる。そしてそれを、煽らない話に活かしていく。
「結論はそう簡単に出ないと思いますが、もう聞きましょう。――呑みますか、呑みませんか?」
メイドのリーダー格が汚い人物だとわかったからこそ、ラクトの顔にも笑顔が浮かんだ。一方でメイドのリーダー格の内心に浮かぶのは、「もっとくれよ」とかの被害者面。ノックをしない稔も悪いけれど、着替えの時に鍵を掛けないメイドが本当は一番悪いのだ。でもまずは、それを言うより決断を問うべきだ。
「呑みましょう」
「分かりました。では明日の朝、一人分を一〇万フィクスとしてこの部屋の机の上に置いておきましょう」
「わかったわ」
メイドのリーダー格の女はラクトと握手を行った。これは一種の交わした内容の確認である。そして何時の間にやら、メイドの一人がボールペンを握って交わした言葉を書き綴っていた。ただ、期限は明日朝だ。一〇万フィクス分の紙幣を机の上に置くのは容易な仕事だが、回収したり作り出すのは面倒臭いので後に回す。
そしてようやく本題に入れることをメイドたちの内心を読んで確認し、メイド達から批判を浴びるのは避けたかったのでラクトが話の進行をすることとし、爆弾処理に関しての説明を行うことにした。
「では、忠告します。この部屋には爆弾が仕掛けられています」




