2-33 悪に堕ちた七騎士ADQ-Ⅵ
「貴方、この男性を知って――」
カロリーネは提示した写真に目線を移し、稔にそう訊いた。
無論、稔がふと口から溢してしまったのは他でもない。先程は精霊戦争なる戦争に参加した二人だったが、戦争という剣の交えを一度終えれば仲間――とはいかずとも、ある程度の関係は構築された。嘘を付こうに付けない性格というか特徴の稔は、それ故に質問にあった答を述べる。
「ああ、知っている。こいつは悪を犯した神族の女を平気で取り調べ無しで釈放するような、身勝手な奴だ」
「この男がエルフィートを見下していることを、ご存知のようですね……」
カロリーネは悲しげな表情を浮かばせながら言った。裏に隠れているのは、一つのトラウマ的なものだろう。しかし、本当に親しい関係で無ければ平気でトラウマを話す人は少ない。稔がラクトから色々とかつての事を聞けるというのは、そういった要因があるわけだ。
だが。稔が考え込んでいくと、それはいつしかフラグと化していた。
「この男は私の上司なんですが……。早い話が、酷い命令ばかり下す悪魔なんです」
「そうか」
酷い命令――と聞き、稔は何か嫌な予感がした。ここで聞き出したら、話しだしたカロリーネが泣き出すとか、それこそ自分が悲しい目に遭うんじゃないかとか思った。だから敢えて聞かないでおく。自分の気持ちという板に、嘘という黒色のペンキを塗ったのだ。
「話せばいくらでも嫌なところは挙げられますが……」
カロリーネは特に悲しげな表情を浮かばしたりしていなかった。むしろ、端から見れば好印象と思われるような笑顔を見せている。もっとも、気持ちに嘘を付くことは難しいことではないだろうから、その裏に何かが隠れているにおいがプンプンすると稔は感じる訳だが。
「それで私は、今日この日まで窺っていたんです。何時になったらこの男の元から開放されるんだろう、とか思いながら。――でも、それが返って自分を苦しめる結果になってしまって……」
稔が頷きながら話を聞くと、カロリーネはなおも続けて言う。
「左目の視力を失ってしまったのも、右耳の聴力を失ってしまったのも。全てはあいつが原因なんです」
あまりダラダラと話す事はせず、カロリーネはエイブがどれほどの悪党で有るかを稔たちに話した。持ちかけられて話を進められたのに感想も言わないのはどうかとも思ったが、稔は一つこんな提案をした。
「なあ、カロリーネ。俺に策がある」
「なんですか?」
「サタンに色々と手伝って貰う必要が有るわけだが、取り敢えずはお前の『怒り』を利用する」
「……と言いますと?」
カロリーネは疑義の念を抱いて、稔に問うた。一方の稔は余裕を見せている。――が、彼が始めようとしている作戦は、サタンが承諾しなければ始まらない。半ば強制的に勧めるのも嫌なので、稔は一応の作戦を伝えようとしたのだが……。あろうことか、稔がサタンを呼んだ瞬間に彼女は言った。
「――その作戦、実行します」
サタンのその発言に、「おい待て!」と稔。そう言った理由は単純である。突然では無いにしても、まだ説明が不十分過ぎると思ったのだ。否、不十分なんてものじゃない。まだゼロしか説明していないというのに、これっぽっちも説明していないというのに、決断が早過ぎるのだ。
ただ、そう言われてしまっては話し始めるのも躊躇してしまうものだ。そこで稔は、一言言ってみる。
「サタン。お前は、俺がどんな作戦を提案しようとも呑むんだな?」
「そっ、そうは言っていないですが……」
焦るようにそう言い、サタンは必死に釈明した。「『なんでもいい』とは言った覚えが無い!」と彼女は主張するのだが、彼女の主張は稔の耳を右から左へ流れていくわけで全く入ってこない。
「うう……」
加え、稔はサタンが言ったことに一切の反応を稔は示さなかった。だから当然、彼女の怒りも溜まってくる。そしてそれは内心で抑えきれなくなって、頬を膨らませて可愛らしい怒り顔を見せる羽目になった。
「サタンは怒った顔のほうが可愛いな」
「サイテーですね、稔様は」
「うっせ」
稔様、と言われると何処かリートの喋り口調っぽく聞こえてくる稔だったが、それは錯覚で比喩だ。目の前に居るのは怒りが少し溜まってきたサタンであったから、特に敬語を使ったりもせずに稔はそう返す。そして話を切り替え、自らに都合がいい様に話を進めた。
「サタン。もしお前が良ければ、俺と契約してくれ」
「けっ、契約……」
それは即ち――キスをする可能性が生じる訳だ。そして、そう考えてしまえば妄想が加速するのが悪魔というものらしい。サタンは顔を紅潮させ、身体を震わしている。だが一方、そういったプライベートな事を気にして言っていた訳じゃない稔からすれば、何が何だか分からなかった。
「なんでそんなにブルブルしてんだよ。敬語を使うのはお前らしいが、動揺するのはお前らしく無いぞ?」
「らっ、らしさとかどうでもいいんです!」
サタンは返しには困っていない。ただ、考えすぎて困っているだけなのだ。そして主人が鈍感であることを悟った召使と精霊は、共に石や魔法陣の中へと戻っていく。レヴィアは移動出来ないからそこに居た訳だが、戻る場所が稔の近くしかないラクトが稔の服を背中から掴む。そして、事実を知っていたから述べる。
「稔ってさ、なんなの? 馬鹿なの? アホなの? 死ぬの?」
「死なねーよ!」
「……ツッコミはいいんだ。で、なんで鈍感なの?」
「俺は鈍感なわけ――」
稔はそう言い切って主張する。だが会話をしていたラクトは、それを見てすぐにため息を付いた。オーバーリアクション気味に額へ右の手のひらを当てると、重い口を開くように話し始める。
「さっきは察しが良かったりしたんだけどな。……で、軽くハーレム作っている今、女の子の気持ちを分からないでどうするよ? 稔がそれでいいなら私はこれ以上言わないけど、ある程度は気にした方がいいよ」
デートでの掟のようなものもあった訳だが、それは、本日二度目のラクト氏による『ご法度通達』である。そして稔は、事実上『ハーレム』になっていることを今更ながら気付くことになった。
「――全くもう。これから爆弾の処理作業をするっていうのに、なんで召使も精霊も戻してんだか」
「勝手に帰ったんだろ?」
「あーもう!」
ラクトはとてもイライラしているが、稔には何故そうなったのか理解できなかった。ただラクトは、稔が右頬を人差し指の爪で掻いて考えているところを見てしまって怒りが爆発していしまい、言い放ってしまう。
「勝手に帰ったわけ無いじゃん! どうせこれから命令を下されるのは見えたことだし、それだったら普通居るに決まってるじゃんか! 魔法陣や精霊魂石の中に戻ったのは稔に抗議するためだ、バカヤロー!」
「……」
稔は軽く首を左右に振ってみると、呆然とした表情で俯いてしまった。召使や精霊が言葉無しで行動を取っても正しい解釈が出来ない自分に、酷く落ち込んでしまったのだ。
「それと、サタンが今ドギマギしているのは、精霊との契約でキスされる可能性……」
「わー、わー、わー、わー!」
ラクトが言い始めるとサタンが乱入して止めようとする。だがラクトは、まるで餌に掛かったと言わんばかりに微笑を浮かばせた。そしてラクトは、サタンが稔に近づけるように背中を押してみる。それは、「心を魔法未使用で覗ける」という、いわばチートクラスの能力に感謝しながら行動を起こしただけだ。
しかし、ラクトが考えていたことが見事に起きた。
「んむっ……?」
「ん……!?」
ラッキースケベ、ではない。どさくさ紛れのキス――と言えば言える。そんな口付け。
「ごっ、ごめっ――」
稔は咄嗟に頭を下げた。正義だのなんだの言われて頭は下げるなと言われていた彼だが、流石に女の子のファーストキスを奪ってしまったら大変だと思い、一切サタンを直視することなしに目をぎゅっと瞑って謝る。
「だ、大丈夫です! 私はこれくらいで動じるような純粋な女では……」
稔もサタンも、これまでは同盟という関係に有った。けれど今、儀式的には契約完了だ。半ば強制的にとはこのことだと稔は落胆したが、まだ残る柔らかなサタンの唇の感触が離れずに身を震わした。
「(こうでもしないとこのまま進まないし、しゃーなしでしょ)」
内心で言って、ラクトは稔とサタンが口付けした後に照れ顔を見せ合っている光景をニヤニヤして見ていた。だが光景を見ていた者はサタンだけではなく、レヴィアやカロリーネも同じだ。カロリーネは耐性があるようで、また興味も無いようで気にも留めていなかったが。
「これが俗にいう正妻の余裕、というやつですかね?」
カロリーネは興味が無いから何も言わなかった。しかし、レヴィアは普段は見ることの出来ないようなニヤけ顔を浮かばせている。そしてそう言うことによって、本来ラクトの担当である『煽り』を行った。
「せせせ、正妻って何を言って……っ!」
ラクトは煽り返すことが出来ないままだったが、ニヤけて強力化したレヴィアに対抗しようとした。だが、そう簡単に行くはずがない。普通の召使が罪源で召使に対抗しているのである。しかも、嫉妬という感情が具体化した女だ。当然の如く、太刀打ちするのは難しいと言える。
「他の女とキスするくらいでは動じない、自分だけを見ているのだからどうでもいい。ああ、素晴らしい」
「違う! それ、全然違うからな!」
ラクトは必死に全否定するけれど、簡単に論破されたりしては面子が持たないと思っていたレヴィア。『正妻』とか『キス』とか、反応しそうな言葉を使って煽っていた。まるで思春期の少年少女のような感じだが、それは一度は経験するような煽り合いだ。
「まあ、いいじゃないですか。スタイルは良いし、自分だけを見てくれるし、家事も出来るんですし、ご主人様は貴方をきっと認めてくれます。ご主人様が一番好きな召使や精霊、罪源が誰かは、隠していますが」
「――」
ラクトは黙り込んだ。稔とサタンがようやく落ち着いて会話出来そうな雰囲気になったところで、だった。しかし、ようやく復活したのが二人というのは大きかった。サタンには軽々としてやれなかった『頭ポンポン』も、ラクトであれば稔は容易く出来た。
「(おお……)」
「なんでそんな顔真っ赤にしてんだよ。……もう、爆弾解除したのか?」
「ちっ、違っ――」
「じゃ、熱か? 熱なら病院に診察に行ってくれば――」
「違うんだってば! 本当、なんでもないから! 何でもないったら、何でもないんだよ! へへん!」
ラクトはキャラを作っているのが見え見えな行動を取った。胸の下で手を組んで上を見上げてドヤ顔を見せようとするが、焦点が合わない。行動も意味不明なことなどから、変わっていることが見え見えであることには、流石に稔もすぐに気付いてしまう。
「キャラを飾るなってば。お前はキャラを作らなくても十分可愛いんだし、無理しないで」
「……」
慰められると、ラクトは更に心臓の鼓動を早めてしまった。いくら主人と言おうが話の意思疎通が図れていなければ、打つ手が無いとか手が負えないとかでお手上げモードになってしまう。
「――取り敢えず。私は石の中に戻りますね、稔様」
「了解した」
サタンは稔とラクトだけにしようという風に考え、契約したばかりの稔の首に掛けられた石の中に戻った。紫姫の石、サタンの石、と並んだ二つの石。別に精霊戦争でもぎ取ったわけではない。平和的に所持を可能にしたのだ。もっとも、戦いがあったからこそ結果が生まれたとも言えなくないが。
「それでは、私も移動を~」
鼻歌を歌いながらレヴィアは笑顔を見せていた。他人の不幸で飯が美味いとでも思ったのだろう。しかしそれと同時に、動いたことによって仕事がカロリーネから課されてしまった。
「あの、レヴィアさん……ですか? 私の爆弾回収作業に協力頂けませんかね?」
「ご主人様とラクトの二人きりにするという意味で遠ざかっているので、別に大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。――では早速、参りましょう!」
「ちょっ……!」
レヴィアはウェアラブルデバイスを手首に装着している訳だから、稔たちといつでも会話が出来るようになっている。けれどそれは、あくまで『出来る』という話。しなければならないわけじゃない。報告が必要になればその都度向こうから電話なり何なり掛かってくると考え、何も言わずにカロリーネと共にレヴィア出発した。
そして、意図的に作られた二人だけの時間。基本的には気楽に生きているのがモットーみたいなラクトだから、重たい空気は流れないはずなのだ。しかし、色々とあって重たい空気が一二回の一角には漂っている。それは、稔がいくら頑張って払拭しようとしても難しい。
「ラクトは、その、俺が契約で紫姫とかサタンとキスしたから……怒ってるのか?」
「違うよ。怒ってなんかない」
「でも、そういう風にしか聞こえないっていうか……」
「違うから安心してって。あんまりしつこいと、それなりの罰を与えるぞ?」
「脅しか!」
稔もラクトも、重たい空気を無くそうと奮闘しているのは確かだ。しかし、会話が途切れるのも同じく事実だ。言いたいことは双方に伝わっているはずなのに、それでも重たい空気が簡単には消えてくれない。
「その……」
「ん?」
稔は聞き返す。声が小さすぎて聞こえなかったのである。「もう一回言って」と言ってもらうことにしてから、稔はラクトから自分がサタンと会話していた時に裏で何が有ったのかを説明してくれた。
「レヴィアに『正妻』とか煽られたんだよ。それで意識しすぎて――馬鹿みたいだよね」
「馬鹿じゃないだろ」
稔の言ったことが意外だと感じて、稔が言った後にラクトは「え?」と言葉を口から溢してしまった。ただ稔は、そんな彼女のことを気にしないで続けてこう言う。
「煽る人が居れば煽られる人もいる。意識すぎて話が止まりそうになるのは俺も困るけど、そんなの誰にだって有るじゃんか。真面目な人が怒り狂ったり、不真面目そうな顔の人が優等生だったりする社会だ。『正妻』って煽られて意識し過ぎるくらい、なんの問題もねえよ」
稔は、召使に元気づけに名言じみたことを与える。すると、ラクトの自虐的になった核心をやっつけることが出来た。当然の如く心を読めたりしないわけだが、稔は心の中の傷が無くなったことを感じ、ラクトの名を呼ぶ。
「ラクト」
「ん……」
無言、音量皆無。稔は、名を呼んでラクトの唇と自らの唇を触れ合わせた。そして、まだそのキスの余韻が残っているラクトのことも若干考えながら、稔は彼女の背中に手を当てて言った。
「爆弾解除作業、行くぞ」




