2-30 悪に堕ちた七騎士ADQ-Ⅲ
「でも、自分は精霊。正々堂々と戦うということは、即ち死すことも――」
エルジクスは、悲しげな表情を見せながら訴えるように言った。彼女の眼帯の下部に涙腺が緩んで流れてきたのだろう、少々湿っているのが窺える。頬を伝ってこそいなかったが、それでも彼女は紫姫に説得されるような状況になり、自分の境遇を考えた時に自然と涙が零れたのだろう。
「……エルジクス、だっけか?」
「なんでしょう? 自分に用があるんですか?」
「まあ、そういうことだな」
紫姫に替わり、今度は稔がエルジクスを説得する番となった。精霊同士ということで多少の面識は有ったのだろうが、流石に第三の騎士として知られた顔が変化していてエルジクスも驚いていた。もっとも、「本当にこの男が契約した主人なのか?」と質問するのは失礼だと彼女が肝に銘じたので、質問はなかったが。
「――今日のボンクローネ駅でのテロ、止めたのは俺だ」
「そう……なんですか」
「んでもって、その時に使った手段というのは『戦闘』なんかじゃない」
「……と言いますと?」
エルジクスは首を傾げる。無論、その場に立ち会っていなかったのだ。そうしてもおかしくなかろう。
「戦闘は最終手段だと俺は考えているからな。だから俺は『説得』した。戦いを起こす前にまずは話し合いだ。ただ、忘れないでくれ。俺は論議で何でも解決できるとか、そんな脳内お花畑な発想は無いから」
「は、はあ……」
エルジクスが反応に困っているのがよく分かったが、稔は詳しく説明を続ける事はしなかった。
「流石にお前が自害するまでに傷つくとは思わなかったんだ。正義として悪いことをしたと感じている」
「確かに気が狂って精霊魂石を壊そうとしたのは事実ですが、それは自分が狂ったのであって、貴方が――」
「いや、やり過ぎたってことだろ。……済まない」
稔はひとまず謝った。もちろん状況が状況だから、戦いにおいての余裕や挑発と受け取られそうな態度でもある。けれど、エルジクスはそういう風に受け取らなかった。
「謝らないでください。正義が頭を下げるなんて、あってはいけないことです」
「……」
エルジクスの言ったその言葉の意味は二通りだ。勝てば正義だから頭を下げなくていいということ、正義なのに謝罪が有ったらそれは悪だということ、だ。もちろん、彼女からそれ以上の説明はない。だが、稔は察しが良かった。頷きながら「そういうことか」と心の中で思う。
「それでなんだが、一つ協力してもらえないか?」
「精霊魂石を壊さない精霊同士の戦いをする、ということですか? それなら自分は――」
「――いや、そうじゃない」
稔はエルジクスが話している途中で言葉を割りこませ、彼女の話を断った。そして、こう続く。
「――精霊魂石の中へ戻れ。そうすれば、お前の主人に傷を負わせないことを誓う」
「……」
エルジクスは黙り込んでしまった。なぜなら、それが『戦闘中止』を締結する意味を持っていたからだ。
しかし、ボンクローネ駅での一件は結果論にしか過ぎないとも言える。不確かな情報であるから、エルジクスの疑いの目が稔に向けられた。口約束はいつ破られてもおかしくない。それに、敵であった者の命令に従うのは捕虜になるという意味が有る気がした。だからこそ、エルジクスは軽々しく容認しない。
「では、最終確認を行わせてください。その言葉は、虚偽の報告では有りませんか?」
「あ、ああ……」
「そう、ですか。では――」
エルジクスは間を取り、その間に氷の壁の方向を指さした。そして、眼帯に薄っすらと浮かんでいた湿っぽさがいつの間にか無くなったと同時に、彼女は自らの右手に濃青色の光を放つ剣を握った。どうやら、体内の水分を剣の方へと回したらしい。その青色は色が変化して薄くなり、剣は水をまとっている。
そしてエルジクスが口を開いて言った。ヤンデレのそれに近い口調で、彼女は顔に怖さを醸し出す笑みを浮かべている。そしてその刹那、彼女が振りかざした剣を中心にして猛烈な寒波が稔と紫姫を襲った。
「――なんであの女が主人の作りだした壁を壊しているんですか?」
それは事実だった。ラクトが火傷を負わせる魔法を転用して駆使しつつ、絶賛闇堕ち中のカロリーネが『氷結の構え』で作り出した氷の壁に攻撃を加えていたのである。もちろんそれは、『覚醒状態』を許可したことから稔の命令であり、稔が責任を負うべき事だ。
「……いいです、今のではっきりしました」
心が何かに汚染されたのか、既に壊れているのか。判断に困るほどに狂い出してしまったエルジクスを止めようにも、シアン属性の中でも特異である氷結系の魔法を使ってくれているので、行動するのは容易いことではない。
「――貴方の言っていることは信用できませんので、これより『最重要執行対象』として、自分は精霊としてカロリーネ様に尽くします。何が『説得』、何が『会話で解決』。マドーロムで重要なことは、特別魔法です。ふざけたことを言わないでください――」
エルジクスは言いながら構えた剣を持って紫姫の方向へと駆け出した。――が、道半ばで方向を転換する。即ち、執行対象がこれで確定した。執行対象は隠すこともないだろう、稔である。
「アメジスト!」
紫姫に名を呼ばれるが、稔も受け身は出来ていた。執行対象に相応しい行動を取ってやろうと、自らの紫色の光に輝く剣を構えてエルジクスを待つ。それと同時、『六方向砲弾』も放った。少しでも行動を遅くしてやろうという狙いだ。もちろん、見え見えの作戦でもあったが。
「うっ……」
しかし、流石は稔。ゲームで鍛えられた動体視力があったから、砲弾三つをエルジクスに命中させることが出来た。しかも、その砲弾の一つは剣を持っていない方の手に当たっている。織桜並みに剣を巧みに操れる訳ではない上、剣を持って右の方に重心がいっていたこともあって、エルジクスは見事に失速した。
「――白色の銃弾――!」
それと同じくして、紫姫も攻撃に入る。主人という大黒柱を失ってしまっては大問題であり、カロリーネをラクトに任せた以上は自分の活躍する場所を無くす訳にはいかない。また、ラクトという恋敵に少しでも差をつけておこうとしたのも理由の一つだ。
しかし、そんな事を考えている暇は無い。一弾撃ってまた一弾。紫姫は、その氷の拳銃が体温によって解けてしまう前に全て撃ってしまおうと考えた。だから、時間には限りがある。裏を返せば、行動にも制約が出てくる。
「邪魔を……するな!」
しかし、そこは精霊同士。戦いにおいては五十歩百歩、どちらも譲らない状況が続く。
「――洗脳の波動――!」
拳銃を構えて『西方氷雪の銃弾』をすることはせず、敢えてその特別魔法をエルジクスは使った。ただ、それは作戦としては一理あるだろう。行動を不能にしてから――否、自らに従わせてから銃弾を確実に撃ちこむのである。加え、精霊を止めれば一対一だから自らに有利になる。
「――」
紫姫は黙り込んだ。理由は単純である。今の自分に太刀打ちできることが有るとしたら、もはや打つ術が無いからだ。たとえ時間を伸ばしたとしても、いずれは攻撃を喰らってしまう。心を入れ替えたところで洗脳は止まないから、根本的な解決は不可能。銃弾で波動をどうこうできないし、自らの身体を光に包み込んで体当たりしようものなら、洗脳を喰らいに行くようなもの。
もはやエルジクスは、紫姫に太刀打ち出来る相手ではなくなった。麻痺の状態異常もいつの間にか破られており、ラクトの攻撃が一時的なものである事を今一度痛感した。――だが。
「スル……ト……?」
元々は巨人であり、もちろん空を飛ぶことが不可能ではないが得意ではない。そんな彼女が。
「巨人の堅き壁ァァァァ!」
前に何かを押し出すように両手を構えると、スルトは叫んだ。声を殺すような叫び声が、『氷結の構え』と『巨人の堅き壁』に反射して大きなものになる。だが、そんなことで文句を言っているような場合ではない。自らを助けてもらった事実に変わりはなく、紫姫は素直にスルトが駆けつけてくれたことを喜んだ。
「はぁ……はぁ……」
「スルト。ありがとう」
「一時的なものです。――それと、マスターに伝えておいてください」
スルトはバリアを解除しないまま、紫姫の右耳元に口元を近づかせて声を当てるように言った。
「マスターは精霊を司る契約者です。なので、特別魔法は織桜さんのように三つ使うことが出来る。そして、マスターの三つ目の魔法は――『跳ね返しの透徹鏡盾』」
「それは、一体どんな魔法なんだ?」
「相手の使用した魔法を跳ね返すことが出来る。――要するに、チートクラスの特別魔法というわけです」
「……」
黙りこむ紫姫。これまでチート無しで共に戦ってきたというのに、まるでチートな技を使われては困ると紫姫は思ってしまった。だが、魔法は適材適所で使わなければ意味を成さない。だから結局、「使える魔法で有る以上は適材適所で活かしてもらわないでどうするのか」という考えに至った。
「取り敢えず今は、ヘルの加護を守備するのが私の仕事なので宜しくお願いします。では」
言い残すことはなく、スルトはそのままヘルの元へと帰っていった。帰ってもなお壁は残っている訳だが、これはこれでいい。『洗脳の波動』を防いだ事もあるから頑丈さは相当なものであると言えるし、紫姫が最終的に至った「適材適所で活かす」とは、まさにこのことだからだ。
「波動を壁で跳ね返すとは……侮れません、貴方達」
エルジクスが紫姫を洗脳できなかったことを悔やんでいる中で、紫姫は稔に駆け寄った。スルトが言い残していったことを話すためである。戦闘の重要な局面、隙が出来ている今を逃すわけにはいかなかった。
「アメジスト。スルトから聞いたんだが、貴台には三つ目の魔法が有るらしい。名は『跳ね返しの透徹鏡盾』、効果は相手の攻撃を跳ね返すとのことだ。それだけ言っておけと言われたかから言っておく」
「ありがとな。でも、まずはこのバリアから出る必要が有るだろ」
「この戦闘に本気を出したいみたいだな、貴台は。……ならば、貴台の魔法を使えばいい」
「ああ、言わなくても分かってる!」
稔は言い、即座に紫姫の左手を奪った。そして、テレポートを行ってエルジクスのすぐ近くに近づくと心の中で言い放った。まだ一度も使用したことのない魔法だったし、幼い女の子が伝えてくれた物ではない。けれど、自分の召使から伝えてもらった魔法な上に強そうな魔法。活用しないという手は無かろう。
「(――跳ね返しの透徹鏡盾――)」
稔が言ったのは、テレポートしてエルジクスの目の前に移動してきたことが敵に気付かれた刹那だった。精霊であって戦闘狂であるエルジクスは、そんな一瞬をも逃さない。これまで見せていた隙のある行動が全て罠だったかのように拳銃を構え、その白色の拳銃を赤い血で汚そうと言わんばかりの恐い目つきを浮かべる。
そして、引き金を引いて銃弾を放つ。一発、二発と撃つ度に顔は一気に綻び、『戦闘狂』という言葉の前に『病んでいる』という言葉が付きそうだ。当然、それだけ自信がある攻撃の威力が低いはずが無い。
「うぐ――――――ッ!」
が、しかし。稔と紫姫を狙った攻撃は見事に跳ね返された。銃弾の一つは避けられてしまったが、反射した銃弾の一つがエルジクスの右腕の中央辺りに傷を負わせた。それまで綻ぶ一方だった表情は一変させ、痛みに襲われて患部を抑える哀れな姿となる。そして、痛みを堪え切れずに叫んだ。
「あああああああああ――――――!」
右腕を抑えているその姿は、何も知らない人が見れば『厨二病』だと感じてしまうかもしれない。眼帯も付けているからなおさらだ。だがしかし、命中したのは右腕の中央辺りである。だから、銃弾は筋肉を裂き、骨も削り取り、勢いそのままに右腕の中央辺りを貫通してくれた。
「痛っ……」
悲痛と悲鳴、涙を堪えながらも戦う姿勢は崩さないエルジクスには感銘を受けるほどだ。しかし今は敵。まだ何故このような真似をするのかということを聞いていないから、流石に容赦をしないのは違う。けれど正義を訴える以上、悪だと見做したエルジクスに攻撃を加えないもの違う。
「(流石に可哀想だな……)」
敵であるエルジクスに「正義が謝ってどうする」と先程言われているのにもかかわらず、稔はそう思ってしまった。――だが、戦闘狂は戦闘狂だ。死ぬかもしれないことを分かっていて戦闘に命を懸けて戦っているのだから、どのような攻撃を受けようと痛みを跳ね除けて戦うのは目に見えている。
故に、稔の考えも変化した。同時に、エルジクスの痛みを訴える行動も終わった。
「――跳ね返しとは、これまたよく考えられている」
「褒めてもらって嬉しいぞ、エルジクス。全く、可愛い顔が台無しになるのに戦いを続けるとは流石だ」
「貴様に『可愛い』と言われる筋合いはない。――仕方がない、自分の主人を馬鹿にしてくれた仕返しだ」
「一体何を――って、なっ……」
戦闘狂ではあったが、エルジクスは状況を見ずに戦うことはしない主義らしい。今現在、二人一組で跳ね返しの魔法を使用できるという圧倒的不利な状況に立たされてしまったから、エルジクスは、一対一で戦闘しているカロリーネ対ラクト戦に参戦した。
「なんて卑怯な真似をしてくれる。あいつは精霊が意思の無い戦う道具だと考えているんだろうか……」
紫姫は同じ精霊として、エルジクスの取った行動が理解できなかった。精霊が戦闘道具であるのは間違い無い。でも、だからといって意思無しで戦闘をするものが有るだろうか。――無いだろう、それでは意思を継いだものとはいえない。それでは、人間の悪い感情が具現化した『七人の罪源』と同じだ。
「――まあいい。なあ、アメジスト。ラクトを救出するために向かうことは異議無しか?」
「無いに決まってるだろ。唯でさえ体力や魔力を消費するんだし、後方援助しないで味方と言えるか」
考えを共有し、二人とも透明な跳ね返し用の壁を維持したままにラクトを救出しようと決めた。しかし稔と紫姫は、氷の壁を燃やそうと努力しているラクトではないラクトを目にしてしまった。
「嘘、だろ?」
日頃のラクトからは感じ取ることが出来ない、戦闘に捧げる情熱。それが溢れ出るような剣の捌き。状態異常系の魔法を駆使しつつ、縦横無尽に俊敏な行動を見せる。まるでそれは別人のようだ。
「あれが、『覚醒状態』なのか……」
「何酔ってんだ、アメジスト。援助するんだろ?」
「……悪い」
「我は貴台の精霊だ。貴台の方針がどうであれ構わん。ただ、決めた事はしっかりと従ってもらい、従わせてもらうぞ。――そういう訳で、早くテレポートをするんだ。ミスター・ナイトキャッスル」
「急かすな、そしてその呼び方は止めろ」
稔は紫姫の右頬を微量の力で抓ると、それで繋がっているということでテレポートを心内で宣言した。一方で手を繋ぐ必要がないことを知っていた紫姫だったが、不意打ち的な側面もあって驚いてしまった。