1-8 集落にて。
すぐ目の前にはサキュバスの娘でヴァンパイアの娘、ラクトの顔があった。降下中、キスをしたりだとかすることはなかった。だが、後ろから抱き寄せられていたので胸が当たってきていて、自分の息子との格闘は大変だった。
そんなことを思いながら、稔は口に出した。
「サキュバスがこんな鬼畜娘だったとは思わなかった……」
地面に急降下することは、どうみても鬼畜の所業である。ため息と、蔑んだ目を同時にサキュバスの娘、ラクトに稔が当てた。ただ、言ってもサキュバスといえば誘惑して男を殺すという輩である。そう考えてみたら、鬼畜の所業などというのは当然のことであるのかもしれない。
一方で、彼女自身から「もうそれはない」という言葉も有った。そのため、「鬼畜の所業」の理由が「男を殺すため」等と考えると、矛盾する。
「鬼畜なんてやだなぁ、ご主人様。――まあでも、ほら、地表面に着陸できてよかったね」
急降下している際、確かにラクトは俺の事を自分自身の方に抱き寄せていた。勿論、稔に変なことをされてはいないし、してもいない。ただ純粋に、自分自身のご主人様である彼を抱き寄せていただけだった。
「本当だよ。一瞬、垂直に落ちていくもんだから、本当にあの場面では『死』を覚悟したよ――」
「大袈裟だなぁ……」
ただ、それは本当に間違っていることではなかった。男女の差、主従の差、そう言ったところで差は生まれるから価値観が異なるのは仕方がないことである。が、稔は先程本当に死ぬかと思っていた。そして何よりも、ラクトでさえ一瞬、最悪の事態を考えていた。
「あれ、あと数メーター違ったら、俺もお前も死んでたよな?」
「まあね。それは事実だよ」
「自分の主人にそんなことさせるとは、やっぱり鬼畜以外の何者でもないな」
「違うよ! だって、私だって転生されたばかりで飛行は久しぶりで――」
「でも、魔族だった事も空は飛んでいたんだろ?」
「そうだけどさ……」
「まあでも、俺もお前も死ななかっただけで十分か。――地表面に着陸する程度で死んだら、悲しすぎる人生の結末な訳だし」
稔が言うと、ラクトは「そうだね」とだけ言って、あまり過度な反応を取らなかった。彼女自身、稔同様に一時は恐怖に陥っていた。その為、「少しは自分の責任か」と思って取らなかったのだ。
暴走の果てに見えた、自分の欠損している箇所のようなところ。それが今回の結果に繋がった。
「それで、稔さ――えっ」
地表面に着陸して間もなく、稔とラクトの顔が異常に近い場面。見つかってしまっては完全に『修羅場』と言える場面であるが、見事に見つかってしまい、リートは口を開いたままにしてしまった。
「いや、これはだな、あの、その、だな?」
「動揺しているということは、稔様。押し倒して、あんな事やこんな事をするつもりだったのですか?」
「違うっ! 断じて違うっ!」
「でも、そこまで否定することもないと思いますよ。正直な話、ラクトさんは女性としての魅力は十二分にあるわけですし、ムチムチしているわけですしね。通常の殿方であれば、そう思うのも普通なのでは?」
修羅場を掻い潜ろうとした為、稔は凄く焦って動揺していた。だが、それが見事に仇となって返ってきた。リートの勘違いはそこまで酷い方向に進んでいたわけでもなかったため、稔の恥ずかしさはどんどん大きくなっていき、終いには顔を凄く真っ赤に染め上げた。そして地面で跪き、失意体前屈の姿勢をとった。
「まあ、誤解だったようなのでそれは素直に謝罪いたします。――まあしかし、この短時間で凄く関係を進展させられましたね、稔様は」
「か、関係ってお前――」
「ですから、何故深い意味で捉えるのでしょう?」
ついさっきまで話していたことだった。自分で口を開けた時、折角頭を上げたのにもかかわらず、そんなことすら一瞬で忘れてしまった稔は、すぐに姿勢を失意体前屈に戻した。理由は恥ずかしさを隠すため、自分の反省点を見つけるため、それくらいだ。
「それで、稔様」
「なんだ?」
顔を上げぬまま、稔はリートからの会話のボールをキャッチし、それをまた投げる。
「タワーに上るのもいいですが、先に集落に行ってみませんか? 正直、私もう山道歩いて腹ぺこなので腹ごしらえがしたいんです。まあ、幸いここらへんは王族にも縁のある場所ですし」
「そうなのか。んじゃまあ、俺はリートの決断に任せることにするよ」
「分かりました。では、参りましょうか、集落へ」
「ああ」
言って、稔、ラクト、リートの三人は集落へと足を進めた。だが、集落はそれほど遠い場所にはなく、タワーから直線距離で僅か二〇〇メートル程度だった。上空から受ける光はそれほど強くなく、歩く事も苦ではないほどの気温だった。そのため、非常に快調に足は進んだ。
ただ、タワーの敷地内は非常に広大であり、集落までへの道のりの三分の二程度はその敷地内の道だった。直線距離では半分半分程度なのにもかかわらず、道のりではそうではなかったのだった。でも、それは芝生とかが有るだけの話で、そこまで苦な道というわけではなかった。
「しっかし高いな……」
「だねえ。エルフィートって、こういうの建てるの好きなの?」
歩きながら、稔の言ったことを聞いてラクトがリートに質問をする。
「別に嫌いというわけでは有りませんね。ニューレ・イドーラ市内にしても、ボン・クローネ市内にしても、高い建物は結構点在していますからね。――もっとも、それはエルフィートではなく、ヒュームルトが創りだしたものが殆どです」
「ということは、これは結構価値のある建物なんだな」
「はい、そういうことです」
高い建物――つまり、高層建築物や超高層建築物。そういったものを建てられるのは人族だけだと、稔は思っていた。そのため、このエルフィリア・メモリアル・センター・タワーズビルを見た瞬間に、「ここは人間世界か?」という事を考えていたりした。
でも口には出さなかったし、ほんの一瞬の話であったため、特に気には留めていなかった。そのため、今聞いたことが何処か新鮮なことに聞こえた。……そもそも、今の話はリートから言われていない話で有るし。
「ところで、集落へってこの道をまっすぐ行けばいいのか?」
「別に私が案内いたしますのに、少々強引ですね、稔様?」
「悪いな。ただ、ちょっと『食べ物』って聞いたら、後から何か無性に食べたくなってきてな――」
「稔様、案外子供っぽいところもあるのですね。可愛らしいです」
「俺からすれば、リートやラクトの方が可愛いんだけどな……」
「まあ、そう言ってもらえるのは嬉しいです」
そんな会話が続く。でも、集落までの道はそれほど長くないのが実情だ。故に、話はそこまで長くは出来なかった。でも、直線距離が二〇〇メートルということであり、歩く距離は大体三〇○メートルくらいだった。そのため、案外考えていたよりかは会話が出来た気がした。
「はい、着きました」
言って、リートは背伸びをした。辺りには「集落」と呼べるほどの人しかここに住んでいないんだ、ということが窺えるのような程しか一軒家が建っていなかった。勿論、地震大国だとか火山大国だとか、そういう意味なのかはわからないし、日本にならって作られたかだとかも分からなかったが、家は木造りのものが大半――もとい、全てだった。
「しかしさ、なんでこんなに木造りの家が多いんだ?」
「ああ。それはですね、ただ単純に作りやすいからです。見ての通り、辺りには山が広がっておりますから、木材となる木々も生い茂っております。加えて、非常に作りやすく、コストも低く出来ます。また、エルフィリアとは昔から馴染みのあります。ですから、『木材』を使って作っているのです」
「なるほど」
稔は、エルフィリアは何処となく日本に似ていると思った。
日本だって和風建築は木材を用いて行われる。今は外国産の木材が押しているけど、かつては自国で賄うためにも木々を使うしか他なかった。だから、それこそリートが言ったように、『作りやすい』『コストがあまり掛からない』『馴染みがある』の三拍子揃った状態で、建築業界は発展してきた。
でも今、大都市の都心に木造の建物はない。都心に有るのは歴史の街である京都くらいだ。そう考えてみると、何処かこう悲しい気分がしてこなくもない。
「そういえば、日本も木とは密接な関係なんですよね?」
「まあな。世界遺産に日本の木造建築物が登録されているくらいだから、そう言わざるを得ないわな」
「やっぱりそうなんですか」
「そうだ。それで、その話ってもしかして、ボン・クローネとかいう街に住んでいる、お前が会いに行こうとしている奴から聞いた話なのか?」
「ビンゴ、です」
稔の思っていたことは正解だった。ボン・クローネとかいう話は結構さっきから出ているため、「これは伏線なのでは?」と思ったのだ。そして、思い切って言ってみたら正解したに至った。
だが、もう日本の話はここまでで切り上げ、日本のことは今は後回しにしておくことにした。自分が得するだけでは何もいいことはない訳であるが、歩き疲れたわけではないが、やはり食べ物のことを考えると無性に何か食べたくなってくるので、リートに聞いた。
「食べ物屋は何処ですか?」
「せっかちですね」
「うっせ」
「まあ、正確にはアイス屋さんです。美味しいアイスですから、早く行きましょうか。特別暑いわけでは有りませんが、腹減りましたしね」
「やったー!」
アイスで腹の足しになるのかは心配だったが、稔とラクトはリートに付いていった。無論、ラクトが付いてくのは当然の話だが。




