第三章 狂刀
今回は案外すっきりするようにできたと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。
『呪刀・渡』の件があってからちょうど一年が過ぎたころ。寛七郎は行きつけの質屋にいた。定期的に刀を売りに来る質屋である。この質屋自体はいい仕事をするのだが何分店主の性格に難があり、とても面倒なのである。
「や、寛七郎。今日はどんな業物を持ってきてくれたんだい」
何ともいやらしい笑みを浮かべる店主。勘兵衛もこの質屋によく行くと言っていたが、たぶん師匠がそうさせているのだろう。その話をするときの本人は心底嫌そうな顔をしていた。俺はこの店主と長い付き合いだから慣れてしまったが、それでも心中察するところはある。
「業物なんてもってきてねぇよ。いつも持ってくるような普通の刀だ」
「またまたぁ、そう謙遜しちゃってぇ。旦那の刀はてんで普通なんかじゃないですよ。毎度毎度何ともいかした形ばかりじゃないですか」
「そんなにいかしてはいねぇだろ」
異化してはいるがな。
「まったく旦那はほんと謙虚でいらっしゃる。もっと自分の刀を誇らしく思ったらどうですか。そうすれば『異形造りの寛七郎』なんてふざけた呼び方もされなくなりますよ」
何とも気に障るニタニタとした顔に言動。しかしここで怒れば店主の思う壺である。ここはこちらが大人の対応をしなければいけない。
「そうかいそうかい。それよりも早くこの刀を買い取っちゃくれねぇかな」
「おっとすまねえな」
ようやく寛七郎の持ってきた店主曰く、いかした刀を値踏みし始めた。
「ほうほう、これはまた……」
「いくらなんだ?」
「これは……」
店主は思わせぶりな様子で何度も深く頷く。
「いつもと変わらん値だ」
「そうかい」
寛七郎は店主から金をもらうとすぐに店を出た。あの店主に騙され少しばかり期待していた自分が恥ずかしくてあの場にいられなくなったのである。それに、去り際に見せた店主のあの顔がまた何とも腹の立つこと。
寛七郎は早足でとある場所へと向かう。その道中で行きかう人々に『異形造りの寛七郎』について尋ねてみたところ、皆口々にその名を馬鹿にした。
自分の二つ名である『異形造りの寛七郎』には宗介から初めて聞かされてそれ以来結構お気に入りだった。それに自分の造った刀に誇りを持っている。それを少し形がほかの刀と違うだけで、刀のことなんてほとんど何も知らない一般大衆に嘲笑されなければならないのか。全く持って腹が立つ。殺意を覚えるほどに。
あの店主に対してもほとんど怒らずにいるほど寛容なはずの寛七郎が何かに対して激しい怒りを覚えるなど珍しい。
そうして青筋を立てながら向かった先は、町はずれにある闘技場である。
酒を飲んでこの怒りを忘れるという案も考えたがしかし、本能的に酒よりも血なまぐさい決闘の方を選んだ。
「まったく、テメーらに俺の刀の何がわかるってんだ……」
闘技場に着いてからもぶつぶつと愚痴を垂れながら、今日買い取ってもらった刀の金をすべて賭けにつぎ込む。
闘技場は一対一の勝ち抜け戦で最後まで残ったものが優勝となり、その人に賭けた者たちだけ配当金が渡される仕組みだ。その中で寛七郎は出場者唯一の女剣士に全額を賭けた。
「そうだ、この刀……」
寛七郎はそう呟いて懐から短刀を取り出した。その数十本。どれも皆、歪な形をしている。どれも先ほど売ろうとしたが店主の言葉を聞いて嫌気がさし、売らなかった刀達である。寛七郎はその刀を持って出場する者たちの集まる場所へと行き、その中にいた女剣士にそれを渡す。
齢にして十八程度のその女は胸にさらしを巻き、男のような恰好をした女らしくない女だった。しかし、いくら男の格好をしようと、さらしでは隠し切れないふくらみと、その顔立ちが彼女を女として見させていた。
「え……え?」
刀を渡された彼女の方は突然のことで戸惑っている。
「おい、俺はアンタに今持っている金全額を賭けた。それで負けられちゃ、俺はこれ以上食っていけなくなる。だからこの刀たちをアンタに渡す」
「は?」
こいつはいきなり何を言っているんだと、口には出さなかったがその表情だけでそう言いたいのは十分すぎるほどに伝わった。
「俺は刀鍛冶なんだ。そして俺は今すごく虫の居所が悪い。アンタにとっちゃそんなの知ったこっちゃねぇだろうが、それでも俺にとっては、勝って俺の憂さ晴らしをしてもらわなきゃ困る。だから刀を渡した。それで少しは勝つ確率が上がるだろう」
「は、はぁ。どうも、ありがとう」
寛七郎の怒りがにじみ出る低い声に、女は気圧されてしまい訳が分からぬまま頷いてしまっていた。
「頼んだぞ」
そう言い残すと観客席に戻る。いきなりのことでぽかんとしていた女は自分の名前が呼ばれて我に返る。
もちろん寛七郎のしたことは規則違反だ。しかも規則を作っているのは裏の世界の住民だ。下手すれば死んでいたかもしれない。それでも、寛七郎のようなことをするやつは大勢いる。
富豪たちの賄賂にも似た武器の支給である。
「さてと、これで少しは俺の刀のすごさがわかるだろう」
そう小声で呟いて観客席で不気味にケタケタと笑う。
そうこうする間にさっそくあの女剣士の試合だ。対戦相手は大きな鍬を持った巨漢である。体格差からして勝負は火を見るより明らかだ。
ただ、先ほど言い忘れていたが、別に形が歪だからといってそれが戦闘に向いていないとは誰も言っていない。歪だから弱いわけでは、ない。むしろその逆である。
つまり、彼女は勝ったのだ。
自分の武器である刀をあっさりと弾き飛ばされ絶体絶命になった時、寛七郎の渡した短刀を投げた。投げたところまではわかったのだが、それからどうなったのか、どうやって巨漢が死んだのか誰にもわからなかった。
刀を投げた本人でさえ。
その後の試合も女剣士が刀を投げると、たちまち対戦相手は死んでしまった。別に刀に特殊な力があるわけではない。ただ、女が敵の急所に狙いを定めて投げた次の瞬間には死んでいるのである。
試合が終わり、寛七郎が賭けた女剣士が優勝した。さっそく配当金をもらい彼女のもとへ。
「やぁ、お疲れ。俺の刀たちを有意義に使ってくれて、ありがとうな」
闘技場から少し離れた木陰で休んでいた彼女へ労いと感謝の言葉をかける。
「アンタ、いったいこの刀は、何なんだ?」
彼女は木にもたれかかっていた体を起こし、懐に仕込んであった例の刀を取り出す。
「この刀をくれたことには感謝している。これのおかげで勝ち進むことができたのだから。でも、この刀は明らかに狂っている」
恰好だけでなく喋り方まで男のようである。しかしその声は震えていた。優勝して大金を手にすることができた喜びももちろんあるのだろう。しかしそれだけではなく、恐怖心から来る震えも混ざっていた。
彼女は疲れて重たい体を必死に起き上がらせて寛七郎の胸ぐらを掴み押し倒す。
「こんなおかしな刀を渡して、いったいアンタは何がしたかったんだ?」
「憂さ晴らし」
実にあっさりと、何の躊躇いもなく言ってのけた。
「憂さ晴らしって最初から言っていただろう」
それを聞いた女は驚愕の表情をしていた。
「それにアンタは剣闘士だ。別に強い力が与えられて困ることはないだろう」
「それはそうだが、しかし……」
「この刀が狂っていようといまいと、お前さんは勝てた。俺は憂さが晴れた。それで十分だろう。これ以上何を求める?」
それを聞いて女は掴んでいた寛七郎の胸ぐらを離し刀を押し付けてかどこかへ走っていってしまった。彼女の壮快なまでの勝ち方を見て鬱憤も晴れた寛七郎も刀を持ってその場から去る。
認めたくはないが、女に渡した刀は質屋の店主が言う通りいかした形をしている。自分で見てもそう思うくらいだから他人から見たらいったいどれほどまでに奇異なものとして映っているのか、そしてそれを馬鹿にする人たちの気持ちも少しばかり理解できてしまった。
そんなことが少しでも理解できてしまう自分が嫌いでならないが、それでも言わせておけばいい。そんな程度のことで俺の造る刀は変わらない。
とまあ、質屋でのやり取りからこれまでのことを事細かに、飯屋でばったり会った勘兵衛に話していた。
「つまりだなぁ、俺は自分のやり方は曲げねぇってこった」
いきなり一緒に食べようと誘われて、いきなりそんな話を聞かされて、どう返していいかわからない勘兵衛は、とりあえず苦笑いを浮かべながら頷くことしかできないでいる。
「俺の話ばかりになっちまったが、勘兵衛はその後どうなんだ?」
ようやくこの何とも言えない気まずさから解放されることに胸をなでおろす。
「最近やっと刀を打たせてもらっています」
目を輝かせて嬉しそうに、この幸せを逃がさぬように、手を固く握りしめながら、自分の刀が打てる。そう言った。
それを見ていた寛七郎の表情も自然と綻ぶ。
「そうか、よかったな」
本当に、よかったと、そう思う。
「寛七郎さんが師匠に話をしてくれたんですよね。ありがとうございます」
「いや……」
俺はあの時、一緒に呪刀を鍛えたときに勘兵衛の才能の片鱗を見た。その事実を勘兵衛の師匠である俺の親友に話した。別に刀を打たせてやってくれとは言ってはいない。ただ、一緒に打っていて思ったことをあるがままに話した。
だから。
「それはお前の師匠が判断したことだ。俺は関係ない」
「ですが師匠は……」
「関係ない」
「そうですか」
何とも納得のいかない顔をしていたが、それでいい。
それから飯を食いながら他愛のない世間話に花を咲かせた。
腹も膨れ時間的にも頃合いなので飯屋を出ようとしたら、店先に先ほどの女剣士がいた。
驚いた。なぜここにいるのだと。だがそんなもの少し考えればすぐにわかることだ。彼女にどんな事情があるのかは知らないが飯屋くらいは普通に来るだろうと。
「ちょうどいいところに。アンタを探してたんだよ。『異形造りの寛七郎』さま」
彼女は快活に笑いながらそう言う。その裏表のない笑顔を見れば悪気があっていっていることではないと、それどころか尊敬の念すらこめていることなどわかっているのに、それなのにも関わらず、その言葉で腹を立ててしまう自分がいる。
「あの、寛七郎殿、この方はいったい……?」
「ああ、この人は……」
はて、誰なんだ? 剣闘士をしているのは知っている。だがこの人はだれかと聞かれていると俺は全く知らない。
「私は春菊ってんだ。よろしくな坊主」
何とも溌剌たる性格の女性である。
俺は春菊と互いに自己紹介を済ませ、さすがに立ち話もなんだということで店に戻る。
「寛七郎は刀鍛冶をやってるんだよな」
「そうだ。闘技場で言っただろう」
「いやぁ、あの後仲間にアンタのことを訊いたらなんかすごい刀鍛冶っていうからさ」
すごい刀鍛冶か。それだけ聞くとうれしいが実際はどうなんだかわかったものではない。
「あの、それで寛七郎殿に何の用なのでしょうか?」
「あの刀を譲ってほしい」
あの刀とはたぶん俺が試合前に渡した刀たちのことであろう。
「なぜ急に? さっきは狂っているとか言っていたくせに」
「力が欲しいから」
「「力?」」
寛七郎と勘兵衛は同時に声をあげる。
「あの闘技場をぶっ壊すことができるだけの、強大な力が欲しい」
切実に願うように、しかし貪欲に欲するように、顔を歪ませ、腕に力を入れる。
「…………」
は?
「あの、何を言って?」
分からない。春菊が何を言ったのかが俺にはさっぱりわからない。
「だから、あの闘技場をぶっ壊すくらいの力が欲しいから、刀を譲ってくれと言っているんだ」
今度は先ほどよりもわかりやすく言ったつもりなのだろうが、余計に何を言っているのか分からなくなった。
闘技場をぶっ壊す。そんなことはまず無理だ。そりゃ、あの柵とかなら壊せるだろう。しかしその制度自体を壊すには金持ちの富豪たちを敵に回すことになる。そんなことになったら勝ち目などありはしない。それなのにこの女はいったい何を言っているのだ。
「なぁ、二人とも、破壊衝動って知ってるか?」
今度は唐突にそんなことを訊いてくる。
「ええ、まあ」
「知ってますよ」
「私にはそれがある。抑えるのも困難なほどに」
滔々と語りだし歌春菊の言葉に二人は頷くことしかできない。何も言えなくなるような圧力というか、何かそれに似た狂気のようなものを感じた。
「私は物心ついたその時から異様に何かを壊したくて壊したくてたまらなかった。だからその本能的ともいえるような欲求に従って周りのものを壊し続けた」
背筋が寒くなる。嫌な汗を掻く。それでも止められない。
「まあそれでもガキのやることだ。そこまでの力もなかったから大したものは壊せなかった。でも、異常ではあったのかもしれない。周りからすべて消えた。あの頃の私には何が起こったのか解らなかった。でも、このままでは生きていけないということだけはわかった。だから、今度は人を壊した。壊して、盗んだ。」
たぶん春菊にとっては辛くて苦しくて話したくない過去なのだろう。その証拠に涙をこぼしながら話している。でも、その顔は笑顔で歪んでいた。悪寒が走るほどの歪み切った笑顔。
「子供ながらに壊せたのには理由がある。空腹で倒れていた私に一本の小刀をくれた人がいた。その刀を使って人を壊した。それで何年か経ったある日、私は闘技場というものを見つけた。そこは人殺しが正当化される楽園だった」
狂っていると横にいた勘兵衛がつぶやく。しかしそれが聞こえていなかったのかそれとも全く意に介していないのか、やめる気配はない。
「だからそこで私は人を壊した。この欲望が満たされるまで。でも、満たされないまま、ここまで来た」
俺も狂っていると、口に出しはしなかったが心の中でそう思った。寒気がした。しかし不思議と嫌悪は抱かなかった。
「おかしなことを言っているのは自分でもわかっている。でも、お願いだ」
春菊の頼みに考えるよりも先に体が動いた。そしてそれを止めようとしても止められないまま刀を渡してしまった。
「助かる」
感謝の言葉。それに対して何か言おうとした。しかし声が出ない。恐怖、とも少し違う。これは畏怖の念。さっきの話を聞いて抱いた畏怖の念が強すぎて言葉が出てこない。
「これからまた試合があるからよかったら見てくれ。また勝たせてやるよ」
笑顔で、しかしその中に狂気をにじませながら飯屋を出て行った。
勘兵衛は工房に帰って師匠の手伝いなどをしなければならないということで飯屋で別れた。
寛七郎は刀を売るために町に下りてきただけなのでこの後別段何かをする予定もない。なので、春菊の試合がある明日の日まで暇をつぶすための何かを探すため、町を練り歩くことにした。
暖かな日差し、活気よく行き交う商人たち、元気にはしゃぎまわる子供たち、きれいにおめかしした若い女性たち、世間話に花を咲かせている主婦の人たち。賑やかで飽きない町だ。暇をつぶすものを探すなどといったが、実際はこの街を眺めながら歩くだけで十分だ。だとすればだ、どこかの茶屋にでも入り御団子とお茶をもらってゆったりするだけで十分というわけだ。
寛七郎には行きつけ、というほど頻繁に行ってはいないがそれでも町に下りたら必ず一度はよる店があり、今日はそこでのんびりと過ごすことにする。
お団子とお茶を頼んで椅子に腰かける。
雲の穏やかな動きを眺めながら少し待つと、この茶屋の看板娘が頼んだ品を運んできてくれた。
「お待ちどうさまです」
それを受け取り金を払う。
「ありがとう」
「では、ごゆっくりどうぞ」
おしぼりを一つ置いて彼女は店の中へと入っていった。
にしても綺麗な女性だ、看板娘なだけのことはある。
清楚で物腰柔らかで、おまけに気配りもできる。嫁に欲しいくらいだ。
「まあ、こんな刀打つしか能がない奴に嫁ぐ馬鹿はいないだろうけどな」
自分で言って哀しくなる。だがまあ、一人でのんびりしていると本当にどうでもいいことから悩み事まで、頭が回ってそういうことについて色々と考えてしまう。
なんで空は青いのかとか、なんで雲はあんなにも自由なのかとか、どうしたらこの店の看板娘が俺のところに嫁に来てくれるだろうかとか、明日の試合のこと、とか。
そうして夕方になるまでずっと店の人たちや客たちと他愛もない話をしていた。
今夜寝る場所が寛七郎にはない。それでも金はあるのだから宿を取ればいいのだが、今日は親友のところに厄介になることにした。なんとなく、しいて理由をあげても何となくとしか言えない。ただ、あとから思えば勘兵衛もいるから春菊の話がしやすいと思ったからかもしれない。
「おーい、喜三郎やーい」
親友の工房の前で親友の名を呼ぶ。
「なんだい寛七郎、何か用か?」
「泊めてくれ」
少し驚いていた。
「おいおい、お前が無鉄砲なのは昔っからだが、それにしてもいきなりだな」
少しに苦笑を浮かべていたがそれでも頼むともうひと押ししたらあっさり折れてくれた。
「さすがは俺の親友だ。分かってくれると信じていた」
「何を調子のいいこと」
そうして二人で笑いながら工房の奥へと入る。それから寛七郎と喜三郎と一緒に飯を食べ、銭湯へと向かった。
「いやー久しぶりの風呂はやっぱり気持ちがいいなぁ。喜三郎と勘兵衛よ」
「いや、我々は毎日入っていますよ」
「そうだぞ寛七郎、お前が山なんかにこもってるからだ。町暮らしの俺たちは毎日行ってるんだよ」
「羨ましい。俺なんて、毎日近くの川で水浴びしかしていないというのに」
「お前が山にこもるのが悪い」
「そうは言ってもよぉ」
「まぁ、なんだ、そんなことよりもお前、明日勘兵衛と一緒に闘技場に行くらしいじゃないか」
「そうだよ」
喜三郎の言葉に頷くと急に小声になった。
「お前よぉ、勘兵衛にはまだそういうのは早いって」
寛七郎もつられて小声で答える。
「そうか? あいつ孤児だから案外俺たちよりもそういうものの事情には詳しいかもよ」
「そういう問題じゃないだろう」
「じゃあ、何がいけないんだよ」
「お前なぁ……」
ああこいつは馬鹿だ。そう言わんばかりにあからさまなため息をつく。
すると後ろから勘兵衛が声をかけてきた。
「さっきからお二人で何を話しているのですか?」
「「うわっ」」
二人して大きな声をあげて驚く。
「な、何でもないよ。なあ喜三郎」
「お、おう。そうだ、何でもないぞ」
「そうですか」
勘兵衛は湯船の中へと戻ってゆく。
「とにかくだ、あんまり変なこと吹き込むなよ」
「はいはい」
工房に戻り部屋を一つ貸してくれた。部屋を貸せるほどの余裕があることに少々羨ましく思ったが、ここは素直に礼を言う。去り際に喜三郎はこう言った。
「無鉄砲なのは長所だが、それでも少しは直せよ。出ないと痛い目見ることになるぞ」
余計なお世話だ。別に俺も好きで無鉄砲なわけではない。それに無鉄砲で何が悪いというのだ。別に死ぬわけでもなしに。
今日だって俺が無鉄砲だったからこそ春菊が勝てたんじゃないか。そうでなかったら春菊に短刀など渡してはいなかった。
そういえばあの短刀、造ったはいいがまだ試作品でちゃんと完成してないんだよな。
「大丈夫かぁ?」
それと、彼女から感じる只ならぬ狂気。本当に明日の試合は大丈夫なのだろうか。いくら今日知り合っただけの仲とはいえ、さすがに俺もそこまで冷徹じゃない。危ない勝負ならやめてほしいと思えるだけには仲を深めたつもりでいる。
「はぁ、これが人間の情の不思議な所だよなぁ」
ほんの少し悩みを聞いただけで、これだけ心配できてしまうのだから。
そうだ。
寛七郎は布団を敷く手を止め部屋を出ていく。
「勘兵衛はどこにいる?」
喜三郎の部屋に行き尋ねる。
「たぶんまだ工房のほうにいるんじゃないのか」
「ありがとな」
工房に行くと喜三郎の言った通り、勘兵衛がいた。
「何をしているんだ? こんな夜遅くまで」
「……あ、寛七郎殿。自分の刀を打っているのですよ」
「ほほう。で、進み具合はどうだ?」
「それがなかなか」
「そうだろうな。なんせ初めてなのだから」
「はい」
それから二人は少し無言になった。
「そういえば、寛七郎殿はどうしてここに?」
勘兵衛が先に口を開く。
「いやなに、明日の試合についてちょっとばかしほかのやつと話したくなってな」
「は、はぁ」
勘兵衛は少々困惑の色を浮かべる。
「お前は春菊を見てどう思った?」
「どうって別に、普通だと思いました」
あれ、と寛七郎の言葉が止まる。
勘兵衛はあの春菊の言葉を普通と言った。狂っているではなく、周りとさして何も変わらないと、そう言った。
「すまん、ちょっと厠に行きたかっただけだから、これで」
声が震えていた、自分でもわかるくらいに。
そのまま部屋に帰り敷かけの布団にねころぶ。
そして先ほどの勘兵衛の言葉を反芻する。何度も何度も。そしてそれを否定する。何という矛盾であろう。心配しているはずなのに狂気であってほしいと思い、信用したいのに自ら違うと否定する。これも人の情のなせる業か。それとも何かまた別の、自らに対する意地のような何か、いやもっと欲深く汚いもの。
矛盾こそが人の真理だと言うやつがいた。だとしたらこれが、この矛盾が本来あるべき姿なのか。
統一こそがこの世界のあるべき姿だと唱える奴もいた。だとするならば、俺はこの世界の異端であり、狂っているとでもいうのか。
春菊の言葉を狂っていると感じた私の感性は間違っていて、あの感覚はすべて嘘だというのか。まぁ、狂っていないことに越したことはないが、それでも納得がいかない。
頭がぐちゃぐちゃになって、それでも否定する。
私は普通で、春菊が狂っていると。だが、そうすると矛盾が生じてまたぐちゃぐちゃになって。
たった一人のほんの些細な言葉で、揺らぐ。
何が正しく、何かが狂っている。
それとも、おかしな刀を造っているから俺は狂っているのか。
春菊にあの刀を渡したから、そしてその試合を見たからこそそう思えるのか。
じゃあ、刀が狂っている?
分からない。
それからは同じことをぐるぐるぐるぐると考え続け、気が付いたら朝になっていた。
眠たい目をこすりながら勘兵衛と二人で闘技場へと向かう。その間、二人はずっと無言のままだった。
闘技場に着くと春菊が話しかけてくれた。
「やあ、寛七郎に勘兵衛君。今日惚れの生きざまをしかと目に焼き付けてくれよ」
やはり男勝りで豪快な性格の女性だ。そしてその言葉からは狂気を感じる。
背筋が寒くなる。
そして、試合が始まる。
昨日と同じであの刀を投げるとそれに貫かれて対戦相手は次々と死んでいった。それを俺は狂っていると、そう思った。
勘兵衛は。
「……きれいだ」
息をのんで見守っていて、試合が終わるとそう呟いた。
刹那、激しい衝動が体を襲う。
走り出す。
そして喜三郎の工房へ。
「おい喜三郎! 鋼玉はどこにある⁉」
「あ? 急に帰ってきたと思ったらなんだ?」
「いいから!」
体が勝手に動く。口が勝手に開く。声が勝手に出る。体が自分のものじゃないみたいだ。でもこれは紛れもなく自分の意志だ。この腹の底から流れくる感情の奔流は間違いなく自分自身のものだ。
「これでいいか?」
「十分!」
無鉄砲に感情の波にこの身を任せる。衝動に従い受入れ預ける。
「おい、何するつもりだ?」
「刀を造る! 手伝え!」
「お前刀を造るって……」
「いいから!」
それからのことはほとんど覚えていない。途中勘兵衛も加わって三人で刀を打っていた。
刀の構想も練らないままに、感じたまま、狂っているとか、矛盾とかそんな小難しいことは全部取っ払ってただ、俺の真ん中の部分からあふれる熱いものに腕を、足を、頭を、体のすべてをゆだねる。本能の赴くままに、感情のなすがままに刀を打つ。
ざっと四日たっていた。自分では全く気が付かず体力の続く限り打ち続けた。
今までで一番気持ちよく刀を打つことができた。何も考えずに打つことの心地よさと言ったら、雲間に日が差し込むように、晴れ渡る大空のように爽快な気分だ。
完成した刀を持って闘技場に。
それを春菊に渡そうと思う。別に頼まれていたというわけではない。ただ、自分の自己満足の為だけに刀を渡す。売るのではなくあくまで渡すためであって金はとらない。
春菊も今度は腰を抜かして驚いていた。そしてすぐに起き上り、喜びに打ち震えていた。力を手にする喜び。壊せなかったものが壊せる、そんな狂った喜び。
なぜ私のためにこんなものを渡すのか訊いてきた。理由は、見てみたかったから。何を見たいのかまではわからない。ただ、この刀と春菊が合わさった時の何かが見たいから。
ちょうどこの日は前の試合、俺たちに見てほしいと言った試合の次の試合らしい。
そして、規則が大幅に変更になっていた。まず今までのものは全く適用せず、柵の中で各地の強豪たちと全員で一気に殺し合いをする。これをバトルロワイヤルというらしい。そして勝者は生き残った一名だけ。
「ありがたく使わせてもらう」
「勝てよ」
「ああ」
試合が始まる。
こんな俺は狂っているだろうか。興奮気味で人殺しの道具を造ってそれを人殺しをする奴に渡すなんて。
闘技場に上った彼女が持っているもの、一言で言うならばそれは大きな鎌だ。綺麗な三日月のような形をした、刀と呼ぶにはあまりも異形な、そんな刀。
彼女の試合は圧倒的だった。初めて扱うはずの武器を、まるで昔から慣れ親しんできたかのように扱う。優雅に空を舞う蝶のように、しかし力強い獅子のように。野生の強さと人の強さ、その二つが春菊の中で混ざり合い溶け合う。
「美しい。なんと、なんと美しいんだ……」
相手の腕を切り落とし、足をはね飛ばし、攻撃を華麗にいなす。
そうしてほかの剣士たちが次々と死んでゆく。彼女ともう一人を除いて。
そんな殺戮劇を見て、それでもなお綺麗で美しいと感じてしまう。
やがて春菊と、もう一人の剣士だけが残る。
少しの間が空く。
無言の牽制。
次の瞬間二人同時に動き、交錯する。
立っていたのは、刀に血をしたたらせた、春菊だ。
彼女は明らかに狂っている。そして俺も。いや、俺だけではない。勘兵衛や喜三郎。それどころか人間なんてのはみんなどこかに狂気を抱えている。それが表に出るかどうかという本当に些細な違いだけだ。
そして、刀はただそこにあるだけだ。狂わすのは使う人間だ。狂わされるのも使う人間しだいだ。
ただ、狂ったことでも、それが行き過ぎると美しく思えたり、かっこよく見えたりする。春菊の破壊衝動と言うたった一つの本能に付き従う生き様のように。
「刀のために何もかもを捨ててしまえるような、そんな生き様のように。ですね寛七郎殿」
「勘兵衛か。確かにその通りだ」
怖いくらいに的を射ている。
彼ら三人はあの後、彼女が試合で負った重傷を治すために医者に連れて行った。何とか一命はとりとめることができたようだ。
よかった。
そして俺は春菊を含めた四人で喜三郎の工房にいる。
「この刀は、本当にもらっていいのか」
「いいよ。前のは返してもらったし、それに、とてもいいものが見れた。それで十分だ」
「そうか、助かる」
だが、たぶんもうその身体では試合はできそうにないだろう。だから提案する。
「春菊、働いてみないか?」
「働く?」
「そうだ」
「無理だよ。破壊衝動のために剣闘士になったって言ったがありゃ半分は嘘だ。もう半分は私が奴隷階級の子だからだ。しかも親は早くに死んでいる。こんな私を雇ってくれるとこなどありはしない」
「いいや、ある。俺が話をつけてきた」
「どこだ?」
「刀造りに必要な鋼を調達してくる仕事だ。これなら破壊衝動も抑制できると思うぞ」
寛七郎の提案に彼女は少しの間を置き、首を横に振った。
「やっぱり駄目だ。私はぶっ壊すって決めたものがある。それがまだなんだ。この刀で実現に近づいた。だから、ごめん」
たぶん彼女の言うぶっ壊すものとは闘技場の、いや、その制度自体のことだろう。そしてそんなことは決して無理だ。だから俺としては止めるべきなのかもしれない。でも、あんな試合を見てしまってはその彼女の狂気を止めることはできない。
「そうか、なら、頑張ってぶっ壊せよ」
「まかせろ!」
俺はその日、一人の偉大なる生き様を見た。それは、背筋が凍るほど怖く、動けなくるような狂気に満ちていて、胸がすくような爽快なものだった。
人が狂い、刀が狂う。その刀の名は『狂刀・世斬』
使用者の偉大で悲惨な生き様をその身に刻む狂気の刀。
私の些末な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。面白かったなどと言っていただけると幸いです。
次は過去編でも書こうかと思います。