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第一章 守刀

刀を題材にした物語としては少々異質ですが楽しんでいただけたら幸いです。

 刀鍛冶としての全盛期。齢にしてちょうど二十くらいの時の話だ。

今日もいつもと同じように刀を打っていた。カンッカンッカンッと打っていた。狭くて蒸し暑い工房で、汗をだらだらとまるで滝のように流しながら打っていた。

 ただその日はなんだか刀を打ちたい気分ではなかった。なぜだろうな、自分でもわからない。ただ、刀を打つ手がふいに止まりそうになるんだ。それでも打つことはやめない。やめられない。それはお金のためということももちろんあるが、しかしそんなの理由のほんの一部に過ぎない。打ちたい気分ではないのに、なのにやめられない。それはもう職業病といってもよかった。それをしていないと落ち着かなくて、何か見えないものに激しく追い立てられているような感覚に陥って。だから打つことをやめない。

 そんなことを思いながら刀を造っていた時のことだ。

 こんな鍛冶屋の工房には似つかわしくない好青年が一人訪ねてきたのである。

 出で立ちは武士なのだが、何分若い。こんなところに来なくとも、もっといいところはいくらでもあったろうに。何とも酔狂な奴だ。

 ただまあ、色々と勘ぐってしまったが、どんな理由があるにせよ刀鍛冶のところに来たということはそれすなわち刀を作ってほしいということだろう。

 だからまず、第一声でどんな刀を作ってほしいのか訊いてみた。

「なぁアンタ、こんなくたびれた鍛冶工房に何の用だ? 造ってほしい刀でもあるのか?」

 だが、その青年は寛七郎の問いかけに全く取り合わず、刀を打っていた俺の身体をおもむろに担ぎ上げそのまま山を下り始めた。

 突然のことで一瞬思考が追いつかなかったが、すぐに誘拐されたのだと気付く。

そこまで焦りはしなかった。たかだか誘拐程度、この江戸の世では日常茶飯事。工房の近くに山賊たちが来ることがあるが、どの山賊たちも町の人を誘拐していた。そんなものを見ている俺にとってはどうということはなかった。ただ、誘拐されたのが他人から自分になっただけだ。大した違いはない。

 しかしそれでもどこに連れて行かれるのかについては少々興味があった。

「おい、俺をどこに連れてく気だ?」

「手荒な真似をしてすまない。ただ、ここでは話すことができぬのだ。少々な辛抱だ、耐えてくれ」

 苦虫を噛み潰したような顔になって青年はそう言った。

これ以上は何も言えぬとでもいうように口を固く結ぶ。何か込み入った事情があるらしい。それについても気にはなったが、彼の表情を見ると尋ねる気も失せる。

 それに先ほどの会話で殺意がないことはわかった。立ち居振る舞いからして相当な剣の達人だと思ってはいたが、それが人切や山賊の一味ではないとわかって安心した。

 しかしそうなるといよいよわからなくなった。どうして俺ごとき刀鍛冶なんかを誘拐する?

「なぜ俺なんかを誘拐する? 町を探した方がもっといい鍛冶職人がいるはずだろう」

「…………」

案の定何も答えてくれなかった。こんなことも話してはいけないのか。

その後もいろいろと質問をぶつけてみたがすべて無視されてしまった。いったいなぜそこまでかたくなに口を閉ざすのかが余計に気になったが、それよりも先に言うべきことがあったと気付く。

「すまんが下してもらえないか。なぁに、逃げたりはしない。それに俺も気分転換のために町まで下りようと思っていたところなんだ。目的地が一緒なんだ、別に逃げる理由もないしな」

 青年は数秒ほど足を止め、俺を下ろし、両腕を縄で縛った。そこまでするほどの価値が一体俺のどこにあるというのだ。と疑念が募るばかりである。

 ただそれでも自分の足で歩けるというのは自分が今まで思っていた以上にいいものだと、人生で初めて、担がれてそんな当たり前のことに気づいた。

青年が話し相手になってくれなくてつまらなくても、そのことに気づけただけでも誘拐された価値はあったということだ。

 なんてくだらないことを思いながら山道を下ってゆく。黙黙と下りてゆく。

 それからどれほどの時が過ぎたのだろう。江戸の町に下りたときには辺りはもうすっかり更けていた。

 さすがに歩き疲れたので近くの茶屋で一休みでもしないかと提案したのだが、これも聞こえぬふりをする。何度か同じことを言ってみたが全く取り合ってもらえず。その代わりに腕を縛っている縄を引っ張ってくる。

 それから道行く人々に奇異のまなざしを向けられながらしばらく町の中を歩き、たどり着いた場所が。

「…………お城⁉」

 


 城内の庭園を歩いているときにはたと気づいた。なぜあそこまで頑なに口を開こうとしなかったのか。

 お城に使える役人様ならそりゃ仕方ないわなぁ。どんな些細なことでもほかに漏れれば大問題だ。これで納得がいった。

 それから城の中の一室に案内されると、青年は腕の縄をほどきこれまでの無礼な行いを謝罪した。

「もうそんなことはいいから少し休ませてくれ。歩き通しで足が棒だ」

「すまない、すぐに寝床を用意させる」

「いいよそんなの。ただここで寝そべれればそれで。それよりもなんで俺をこんな大層な場所に連れてきたりしたんだ?」

「それは……」

 青年は畳の上に正座しながら滔々と語りだした。

 彼の名前は崎島宗介というらしい。なんでもここの城のお姫様の側近を代々務めているとか。

「私には人を斬ることができぬのだ。試合などで木刀を扱えば、自分で言うのも何なのだが、相当に強い。だがひとたび真剣を持つとどうしても腕が震えて、腰が引けてきて、斬ろう斬ろうと思っても体が言うことをきいてくれないのだ」

 それから宗介は、自分が姫様を守る理由。どのような気持ちで姫様を守ってきたのか。人が斬れないことの苦悩。色々なことを語った。

 うれしそうに、ありがたそうに、そして、苦しそうに。見ず知らずの刀鍛冶ごときにそこまで話してもいいのかと思うくらいに。

「そこであなたに頼みごとがあるのです。どうか私に刀を、人を斬らずに済むような刀を作っていただけませんか。人を斬らずとも姫様を守り通すことができるだけの力を、どうか私に授けてはいただけないでしょうか」

 お願いしますと青年は頭を下げた。

 寛七郎はもちろんその依頼を受けた。快諾だ。だが一つだけ問題なのが。

「斬らない刀、かぁ」

 刀とはそれすなわち斬るもの。斬れなければ刀としての意味をなさない。だから俺はいつも斬れる刀を模索し、造ってきた。できるならば鉄をも斬る刀をと、そう思いながらいつも刀を打っていた。だから斬れない刀、というのは初めての試みで、確かにそういう刀があるのはうわさでは聞いていたがまさか自分が造ることになるなんて想像もしていなかった。

「まいったなぁ。どうしても完成図が思い浮かべられない」

 宗介はその言葉に顔を蒼くする。

「そんな……! お願いです。異形造りの寛七郎と呼ばれたあなたなら、私のわがままに付き合ってくれると思っていたのに。もう、あなたしかいないんです。どうか……」

「頭を上げろ。別に造れないとは言ってはいないだろう。ただ困難だと。そう言いたかっただけだ。だから心配するな、必ず造る」

宗介ははっとしたような顔になり、ありがとうございます。と、またしても深々と頭を下げた。

「そこまで感謝する必要はない。なんせ俺は刀鍛冶なんだから」

「そう言ってもらえると、助かる」

 しかしどうしたものか。必ずといった割には全然いい案が思い浮かばない。

 すると、突然部屋のふすまが開きそこから何やら豪奢な着物を着た一人の女性が現れた。

「お帰りなさい、宗介。そして初めまして、寛七郎様。私、雪と申します。以後お見知りおきを」

 その女性はとても美しかった。絶世の美女という言葉があるが、まさにそれである。そしてとてもお淑やかだ。一城の姫など金持ちで傲慢なものだと思い込んでいた寛七郎にとっては、その姫様の立ち居振る舞いはとても衝撃的なものだった。

 宗介と姫様の会話を見ていると、二人がどれだけ信頼しあっているのかも見受けられる。

 雰囲気的に見てもどうやら俺はお邪魔なようだな。

「あの、すまんが俺の寝る部屋というのはあるのだろうか? それとも俺はここで寝ればいいのか?」

「ああ、すまぬな。今用意させる」

 宗介はそう言うと使用人の一人に部屋の用意をするように命じた。

 しばらくして使用人から部屋の用意ができたとの報告を受けた宗介は部屋に案内してくれた。

「この部屋だ」

 部屋は予想以上に広かった。明らかに複数人で使用するような部屋の大きさだ。それを客間として使用するなんて、さすがはお屋敷といったところだ。

「すまないねぇ。二人でいい雰囲気だったのに」

「いい雰囲気とはいったい何のことだ?」

「あんたとお姫様だよ」

「私と姫様が? おぬしはいったい何を言っているのだ?」

「……いや、もういいや」

「?」

 宗介は寛七郎の言った言葉の意味が本当に分からないらしく、首をひねっていた。

 しかしここまで鈍いとは。あの姫様の様子を見るに、確実に宗介に惚れている。姫様も必死で悟られぬようにしているのだろうが、それが逆に不自然でならない。

「では、私はこれで」

「おう、おやすみ」

「おやすみなさい」

パタン、という音を立てて襖が閉まる。

 寛七郎は敷かれていた布団の上に寝転がり、どのような刀を造ったらいいのか考えていた。

 しかしなんだなぁ。俺の名前ってのは案外知られているんだな。『異形造りの寛七郎』ねぇ。俺はそんなにおかしな刀を造った覚えはないんだがなぁ。やっぱりたまには町に下りてみるものだ、色々と面白い発見がある。

「はははっ、にしても、異形造りね。我ながら笑えちまうな。まさか俺の造った刀たちが異形の刀なんて呼ばれてるなんてよ」

 さて、そんな俺が今度も異形の刀を造ろうとしているわけだが。どうせなら刀で偉業を作りたかったね。

 とまあ言葉遊びはさておき、本当にどうしよう。守る刀。斬らない刀。難しい。異形造りでもこれは無理なんじゃないか? なんてな。

 ま、今日はもう疲れたから寝るか。

 寛七郎はろうそくの灯を消して部屋を暗くする。ちなみに、江戸時代で蝋燭といえば相当高価なものである。それを平気で何本も使えるのだからやはり城に暮らす人たちはすごいと思った寛七郎であった。

 布団にもぐり目を瞑る。言うまでもないが、布団や枕も上質なものを使ってある。そのせいかいつもよりも早く寛七郎の意識はまどろみの中にとけていった。

 そういや風呂、それに飯…………………………



 日が昇り始め、辺りがうっすらと明るくなりだしたころ。寛七郎が布団から起きるとそこは知らない天井だった。あれ、ここはどこ? なんて呟いて、自分が城に連れてこられたことを思い出して布団から飛び起きる。

「風呂と飯。昨日の夜、疲れててそのまま寝ちまったのか」

 銭湯行った後に飯屋にでも行くか。なんて思って布団をたたんでいたら、ある一つの事実に気づく。

「そういや、着物の替えも財布も全部工房においてきたんだった」

 さて、どうしたものか?

 と、そこに。

「お困りのようですね。よかったら一緒にどうですか? 着物なら私のを使ってください。もちろん御飯もご馳走しますよ」

 風呂の用意を持った宗介が部屋にやってきてそんなことを言った。



 場所は移り変わって銭湯の男湯の中。

 寛七郎は宗介の言葉に甘えて一緒に銭湯へと訪れているのである。

「いやぁ悪いねぇ」

「いえいえ、いいんですよ。元はといえば私があなたのことを強引に連れてきたのが悪いのですから」

「しかしお前さんもなんでまたこんな時間に銭湯なんぞに? 城の風呂もあっただろうに」

「城のは姫様が使っております。それに私はあの後もお勤めがありましたから」

「もしかして寝てねーのか?」

「はい」

「ほぁ、よく体力が持つなぁ」

「鍛えてますから」

 笑顔でそう言った宗介の身体は確かに鍛えられたいい体つきをしていた。

「刀鍛冶なんてただ座って刀打ってるだけだからな」

「そんなに謙遜なさるな。あなたのその腕。私なんて目じゃないくらいに立派な腕です。こんな、人を斬ることしかできぬような腕に比べれば」

 それでも私はその人すら斬れないんですけどね。なんて、苦しそうに笑った。

 寛七郎は自分の両腕を見た。今まで刀を打ち続けた自らの両の腕を。火傷や切り傷の跡が残るごつごつとした腕を。

 手のひらを握ってみる。腕に力を入れてみる。そしてその力を一気に抜く。

「あんたが言うほど俺の腕は立派なものなのかね。俺だってあんまり変わらない。人殺しの、人斬りの道具を造っているのだからな」

「そんなことありませんよ。立派です。あなたは実に立派ですよ。人々の役に立っている。それに刀が人斬りの手に渡るかどうかなんて誰にも分らない」

「そう言ってもらえるといくらか楽になるよ」

「いえいえ」

 そうか、そうだよな。確かにそうだ。刀鍛冶が刀の行く末を決めることなんてできない。俺たちはただ魂込めて打って、刀たちを大切にしてくれる奴のところに渡ることを祈ることしかできないだな。

 それでもなぁ。刀ってのは俺の息子娘のような存在だからな。できるなら、行く末を俺が決めてやりたい。

「なぁ、一つだけ、いいかな?」

「はい、何でしょう」

「お前は姫様を守り通すって心に決めてるんだよな」

「ええ、そうですよ」

 そう言った宗介は、迷いひとつなか覚悟を決めた漢の顔をしていた。

「だったらよぉ。俺のわがまま、聞いてくれねぇかな」

「はい、私にできることならば」

「まださ、造れてないし、それどころかどんな刀になるのかもわからないのに、こんなこと言うのもおかしな話だけどさぁ。それでも、どんな刀になっても、姫様と同じくらい大切にしてやってくれねぇかな」

 寛七郎がこんな事を頼んだのは今までの人生で初めてで、そしてたぶん、これからの人生でも頼むことは二度とないだろう。

刀を大切にしてほしいという思いはいつも心の隅にあった。だけどそれを打ち明けて、あまつさえそれを頼むなんて。

「俺はさ、というか刀鍛冶ってやつはさ。どんなちんけな刀を造ったとしても、その一つ一つが息子娘のように愛おしく感じる生き物なんだ。だからさ、頼むよ」

 寛七郎の真剣な頼み事。それを聞いた宗介は数秒の間をおいて。

「この命に代えても」

 


 その後二人は銭湯を出て近くの茶屋で朝食をとって城へと帰った。

 その時も姫様は宗介が帰ってくると真っ先に会いに来た。嬉しそうな、それでいて上品な笑顔で、お帰りなさい、と。

 またしても寛七郎はお邪魔な感じになったので、仕方なく街を散策することに。とはいっても、城にいたところでやることもなかったわけで。そう考えると町をぶらつくのも悪くない。

「いやぁ、やっぱり江戸の町ってのは活気があっていいねぇ」

 その中には、盗人だぁ! 捕まえてくれぇ! なんて物騒なものも含まれていたが、それも含めて江戸の活気というものだ。

「ちょっと、そこの! そのガキ捕まえてくれ!」

 向こうの方からすさまじい速度で走ってくる一人の少年とそれを追いかける商人が一人。

 そしてたぶん商人が言っているのは俺のことだろう。ちょうど少年の走る方向と同じところにいるのだから。

 こういうのも江戸の町って感じがするなぁ。

 のんきなことを考えていながらもしかし、寛七郎はしっかりと少年を捕まえていた。

「どんなに腹ぁ空かしていても盗みはいけねぇや」

「クソ! 離せ! 離せよ‼」

「ありがとな、アンタ。そのガキこっちに渡してくれ」

「もし、ちょいといいかな」

「ん? なんだい?」

「この少年をどうするつもりだ?」

「そんなの決まってんだろ。懲らしめてやんだよ。もう二度と盗みなんてできないくらいにな」

 商人は腕まくりをして寛七郎が抱えている少年を掴もうとする。

「ちょいと待ってくれよ。この少年は俺が懲らしめとく。それでいいだろ?」

「いやいいって、あんたはただ巻き込まれただけなんだからよ。そんな面倒なことやらなくてもいいだろう」

「まぁまぁ、巻き込まれついでにさ、ダメかね?」

「……まあ、アンタがそれでいいってんなら」

「ありがとな」

「おい坊主。もう二度と盗みなんてすんじゃねぇぞ」

 商人は少年にそう言い残し自分の店へと帰っていった。

「おいオッサン。何の真似だ?」

「そういきり立つな。別に懲らしめようとかって腹じゃねぇよ」

「じゃあなんで?」

「ほい、これ」

 寛七郎は着物の袖から一本の小刀を取り出した。

「なんだよ、なんでこんなもんを俺に渡すんだよ⁉」

 少年はその小刀に動揺を隠し切れないでいる。

「俺は刀鍛冶だ。んでそれは俺の打った刀だ。質屋に行って寛七郎が打った刀だって言えばそれなりの値で買い取ってくれる。それともう一つ。偽物だと言われたらこれを質屋に渡せ」

 そう言って一枚の紙切れを少年に渡した。

少年はいきなりのことで目を丸くしている。

「なんで見ず知らずのガキのためにここまでするんだ?」

 少年はそんなことをきいてきた。

「気まぐれだ。じゃあな少年。漢なら強く、そして気高く生きろよ」

 


「どちらに行っていたのですか!?」

 寛七郎は城に帰って早々に宗介に詰め寄られた。

「どこって、ただ町を散策してただけだよ」

「何もなかったですか?」

「ああ、別に何も……なかったよ」

「……ならいいでしょう」

 少々言いよどんでしまったので感づかれるかと思ったが、どうやらその心配はなさそうだ。

「なんでそんな怖い顔して問い詰めてきたんだよ」

「それは、姫様が何者かに狙われているからです」

「っ! なんだよそりゃ! いったいどういうことだ!?」

「我々にもわかりません。しかし、狙われているのは確かです。なので軽率な行動はできるだけ慎んでください」

 宗介はきつく念を押すように言うと早足で城の中へと入っていった。

 寛七郎も城の中に入る。


 城の中ではみなせわしなく動き回っていた。宗介もその例外ではない。

 寛七郎はやることがないので今度は城内を散策することにした。

 城の中ならば問題はないだろう。

 そうして城の中を見て回ると色々な部屋があった。その部屋のどれにも寛七郎の見たことのない豪華な装飾が施されていて、一つ一つ内装が違っていたことからも手の込みようがうかがえる。

 その中でもより一層豪奢な部屋を見つける。なぜここだけこんなにも豪奢なんだろうと疑問に思い、もとい興味がわき、その部屋に入ってみた。

 その時は全く何も考えずに、ただ自分の好奇心の赴くままに部屋の中を見て回っていた。だが、少しだけ思いとどまって考えるべきであった。なぜ他よりも豪奢なのか。その意味するところを。

「何者だ」

 寛七郎は部屋にはいてすぐに、両脇からのびる刀を首元に当てられたのである。

 さすがにこれには動揺したが、辺りをよく見まわすと、部屋の奥の方にすだれがかかった場所があり、そこの前で幾人のも役人と思しき人たちが頭を垂れていた。

 まさかここは姫様のお部屋なのでは、と今更ながら気づく。

 今のこの状況に激しく狼狽し、そして自らの犯した愚行に深く後悔した。

 あんなに愉快にお姫様の部屋に入ったんだ。こんなに無礼なことはない。もしかしたら死罪かもな。ああ、俺の人生長いようで案外短いもんだったな。思えば刀しか打っていなかった気がするなぁ。刀鍛冶だから当然と言えば当然か。それに、打ってきた刀も人殺しのための刀ばかりだったな。それも仕方ないか。なんせ依頼人が皆そういう奴ばかりだったのだから。でも、一度でいいから、宗介が言うような刀も打ってみたかったなぁ。

「皆の者、下がれ」

 唐突に、雪姫様の声が部屋に響いた。それは有無を言わせぬ力こめられた、絶対の言葉。それは姫という立場以前に、雪がもともと持つ力。

 その言葉に部下の人たちは体を震わし、すぐに部屋から出て行った。

 そして俺は、金縛りにあったがごとくその場から動けないでいた。

「無礼をお許しください、寛七郎様」

 雪姫様はすだれのかかった場所から出てきて頭を下げた。

 今度はさっきのような威圧感などは全くなく、代わりに、人の上に立つのにふさわしい気品と風格を兼ね備えた姫がそこにはいた

「……い、いえ。こちらこそ、申し訳ありません」

 寛七郎は一城の姫というものをどこか軽く考えていた。初めて会ったときに、姫様はやはりすごいと、そう認識したはずなのに、それでも頭の隅の方にそういった考えを持っていた。

 だが、今、寛七郎の頭の中からはそんな愚かしい考えがすべて吹き飛んでいた。代わりに姫に対する畏怖の念が、これでもかと植えつけられた。

「あの、すみません。助けてもらって」

「いえ、こちらこそ大事なお客人に無礼なことをして申し訳ありません」

 悪いことなど、謝るようなことなど何もしていないのに、なのに、頭を下げる。それなのに、とても気高い。俺なんて及びもつかないくらい。

 これが、上に立つ者。

 これが、治める者。

 これが、一城の姫。

「美しい…………」

 思わず口に出てしまった。しかもそれが聞こえていたらしく、暇様はほめても何も出ませんよ、と笑いながら言った。

「すみません」

「いいんですよ、別に。それよりも、宗介さんの刀。造ってくれるということで」

「ええ、まあ」

「ありがとうございます」

「なぜ、あなたが礼を?」

「宗介さん。いつも苦しそうだったから。でも、刀ができればそういうこともなくなるって、言っていたから。だから……」

 姫様のその顔はまるで、宗介が苦しみから解放されることに深く安堵しているようだった。いや、実際にそうなのであろう。たとえ姫様といえどもひとりの人間なのだから。愛している者が苦しみ傷つく姿は見たくないものだ。

「寛七郎様、私はね、あの人のことが、宗介さんのことが大好きなの。できるならこのまま駆け落ちしてしまいたいくらいに。ですが、あと七日で私は嫁入りするのです」

 やはり、そうだったか。でも。

「なぜ刀鍛冶ごときにそのような話を?」

「だからです。あなた方は決してそういうことを外へは漏らさない」

「……ええ、確かに」

 刀鍛冶というのは、というか職人というのは依頼主の秘密を知ったとしてもそれを外に漏らすということは絶対にしない。作品や職人の心にその話が影響することはあってもだ。

そして俺もその例外ではない。それが当たり前だと、そう思っていた。

 しかし、なぜだろうな。どうして。

「あなた方の瞳は常に自分の作品に、自分の魂をかけるに値する何かにしか向いていない。その愚かしいまでにまっすぐな瞳を見ればわかります。だから私はあなたに話すのです。この話が、刀造りの手助けになれという思いを込めて」

「私が物心ついたころから宗介は私の隣にいました。まるでそれが当たり前で、それだけが自分の生きる意味だとでもいうように」

「私は幼かった。遊び相手が常に一緒にいてくれる。怖いときも寂しいときもうれしいときも、常に一緒にいてくれる人がいる。命と引き換えにしても守ると、そう言ってくれる人がいることが、そのことがどれだけありがたいものか、それがちっともわかっていなかった」

「姫だから当然だと、常にそう思っていた」

「でも、私が十二か十三のころ、私は宗介の苦悩を知った」

「久しぶりに町に出かけたときのことだ。私は一人の浪人に襲われそうになったのだ。そばにいた宗介はすぐに動いた。腰の剣を抜いてその浪人を止めてくれた。私も宗介の強さなら当然と思っていた。でも、その時の宗介の顔は、絶望に染まっていた」

「その時からです。宗介が悩むようになったのは。私もどうにかしようと思いました。それでも、私の前ではいつも笑うのです。疲れているはずなのに、苦しいはずなのに、なのに、それを全部押し込めて、笑うのです……」

「姫様、もう、いいです。ありがとうございました」

 寛七郎は雪姫の語りを手で制し、ゆっくりと立ち上がって部屋を出ていく。

「任せてくださいよ。何とかして見せますから」



 斬らない刀。すべての敵から姫を守る刀。すべてのしがらみを砕く、剛剣。

 


 寛七郎は宗介のところへと走った。

 宗介の部屋に飛び込みそのまま彼の顔面を殴る。

 突然のことで困惑して、殴られた頬を押さえる宗介を部屋から、城の中から引っ張り出す。

「寛七郎殿、どうしたというのだ⁉」

 寛七郎は答えない。ただ無言で歩く。宗介は寛七郎に引っ張られてそれを振りほどけないまま、なすがままである。

 そのまま山を登り、工房へと帰ってくる。

 つくと同時に宗介のことを放る。

「これは一体どういうことだ⁉」

 宗介は突然のことで訳が分からず寛七郎に説明を求める。

 しかし彼はそれに取り合わず、工房の中にある一本の刀を宗介に手渡した。

「なんだ、この刀は?」

 その刀は、とても重たかった。宗介はその重さに驚き刀を取り落した。すると、地面が抉れた。あまりの重たさに地面が抉れ、へこんだ。

 見た目はどこにでもあるような真剣である。

「宗介。今からその刀をもってこの鉱石を取って来い」

 寛七郎から一枚の紙切れを渡された。

「そこに地図と採るものが書いてある。期限は五日だ。それ以上は待てない」

「いったい何を言っているのだ?」

「刀を造るって言ってんだ! 早く行け!」

 怒号が響いた。今までの彼からは想像もつかないほど、どすの利いた声だ。

 宗介はその言葉に弾かれたように、刀をもって走って行った。

「姫様が心配してんだ‼ 守るって言っておいてなんて体たらくだ‼ てめぇはその程度の男か⁉ 違うだろ‼」

 宗介の背中に怒鳴る。

 少しだけ宗介は足を止めたがしかしすぐに走り出す。

 寛七郎は工房の中へと入り鉄を溶かし始める。



 姫様の言っていたこと、全部ぶちまけようとしたのになぁ。やっぱ駄目だな。体が先に動いてしまった。全く、俺もまだまだ子供だなぁ。それでも最後にちょっとだけだけど言えたからよしとするか。できれば駆け落ちの話のほうがしたかったが、そんなことを話したらあいつの頭がどうにかなってしまうからな。

 あいつ、ちゃんと帰って来られるかな? あそこの辺りは山賊たちの抗争が激しい場所だからな。ま、帰ってこれなかったらその程度の男だったってことだ。そんな奴に刀造ってやるほど俺は落ちぶれちゃいない。

 姫様にあれだけ心配かけてんだ。見せてくれよ。お前の覚悟のほどを。



 それから五日が経った。

 宗介は、満身創痍の姿で戻っていた。目的の物を抱えて、瞳には強い、これまでにない意志の灯を宿らせて。

「これでいいのだな、寛七郎殿」

「ああ、上出来だ。これで仕上げができる」

「それと、この刀、返そう」

 落ちただけで地面を抉るほど重たかった刀を、まるで重さなど感じないといった様子で寛七郎へと返す。

 使った痕跡はあった。しかしその刀身には、血が一滴もついていなかった。もちろん拭き取ったり洗ったりした跡もない。

「それが、お前の答えか」

「はい」

「わかった。待ってろ。すぐに仕上げる」


 出来上がった刀は大きく、重く。刀身は宗介の二倍ほどの幅があり、刃の部分はあるが、それは斬るというよりもどちらかというと砕く、というのに近い形状をしていた。

 その、自分の倍以上する大きさの刀を、宗介は受け取る。


「『破砕刀(はさいとう)豪傑(ごうけつ)』といったところかな」


「重い。自分に扱えるか? こんなにも重たい代物を」

「大丈夫だ。アンタは決めたんだろ。だったら、重たくても背負えるはずだ」

「…………そうだな、そうだ。ありがとう。感謝する。それと、名前」

「ん?」

「刀の名前だ。そんなものではなく、もっといいのは、ないかな?」


「………………『守刀(かみとう)矛盾(ほこたて)』」


「守刀・矛盾……。いい名だ。では、さらばだ。少しの間だったが、色々と世話になった」

「こちらこそ」

 宗介は矛盾を背負いながら山を下りて行った。俺はその姿が見えなくなるまでその場をうごかなかった。




 風のうわさでこんな話を聞いた。

 なんでも、一人の男が雪姫様をさらったと。

 なんでも、その男はずたぼろだったとか。

 なんでも、その男の持っていた刀は、今までに類を見ないほど巨大なものだったとか。

 なんでも、死者は一人も出なかったとか。

 この男はのちに、剛剣使いとしてその歴史に名を刻むこととなる。

つたない文章ですが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。次の話もアップしていく予定です

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