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そして僕等は夜に溶ける  作者: 林 りょう
CASE2《とあるホストの場合》
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親友



 シャツ一枚で朝刊を取りに外へ出ると、そろそろ身震いしてしまう空気の澄んだ季節。タクトはその日も、寝覚めの一杯を存分に味わっていた。

 トースト一枚に、新鮮な野菜を使ったサラダ。朝食がパン派なのは、コーヒーとの相性によるものだ。

 自分がカフェインにどっぷり依存している自覚は大いにある。なにせ空腹であっても気にせず、ストレスを抱えていたり落ち着かないときなどは、どうしても手が伸びてしまうのだから。おかげでタクトは、たびたび胃痛に悩まされることがあった。

 最近は客の来ない静かな日々が続いていた。最後に依頼を受けてから、そろそろ三週間近くなるだろう。

 けれどタクトは、相変わらずのんびりと過ごしている。何せその前が大変だったのだ。

 一度請け負えば立て続けに舞い込んでくることも多々あるが、先月は全て依頼で潰れてしまった。だというのに、有意義な内容のものは一つもないつまらない結果だ。

 あまりの引きの悪さで、人を見る目が落ちたのかと不安になってしまったほどである。

 当然ただの杞憂だが、それでもリフレッシュもかねて何度か遠出をし、本を大量に買い込むついでで人間観察に勤しんだりもした。

 朝食を食べ終え、後片付けが済んだタクトは窓から空を見上げ、見事な青天に今日も出かけようかと考える。

 他人を眺める行為は、程よい刺激を与えてくれる。シュチュエーションによって作られる光景は違うし、雰囲気も段違いだ。

 たとえばデートスポットだと、微笑ましい気持ちになれ、時折喧嘩を始めてしまってから仲直りするまでに遭遇した時などは、こちらまで嬉しくなれる。公園などだと今度は、子供を連れた家族や長年の絆が滲み出る老夫婦の散歩する姿があり、穏やかさをもらえたりする。

 けれど、大体の予定が立ったところで、年老いた扉があまりの乱暴さで悲鳴を上げた。


「タクトぉ、お疲れ~」

「もう少し静かに開けてもらえませんか? 労わってくれないと、壊れます」

「堅いこと言うなってぇ」


 事務所の扉がノックもなしに開くのは珍しい。というよりも、横暴で礼儀のなっていない客だった場合か、ここを訪れる許しのある友人のどちらかだ。

 今回はどう考えても後者である。その中でも、扉を破壊しかねない豪快さを持っているのはただ一人。


「麗華さんが来たんですね」

「そうなんだよー。あの女、人の事をホテルまで引きずってったんだぜ?」


 その人物は勝手知ったるなんとやら、事務所に入るなり高級感のあるスーツを脱ぎ出し、タクトの呆れた態度はまるっきり無視している。

 タクトの物静かな雰囲気とは対照的な野性味溢れる雰囲気を持ち、疲れと寝不足で威圧的な視線となっている目は、けれどもとても友好的だ。

 溌剌さを醸し出す短髪をだらしなく掻きながら、ズルズルと足跡のように衣服を脱ぎ散らかして向ったのはバスルーム。タクトとの会話もそこそこに、あっという間でその中へと消えてしまった。

 タクトは甲斐甲斐しく全てを拾い、スーツの上着とスラックスをハンガーにかけている。バスルームの前に最後の一枚として落ちている下着まで辿り着いた時には、慣れた様子で苦笑を零していた。まるで奥さんになった気分だと、それらを洗濯機へ放り込みながら今日の予定は全てなかったことにして、そのまま寝室へと向う。


「――(つかさ)さん、着替えとタオル置いておきましたんで」

「おー、サンキュ」


 そして、この一年で大分増えてしまった置き忘れの着替えを持って扉越しに声を掛けた。

 反響しながらの返事は、熱いお湯を浴びても大分眠たそうだ。相当疲れているのだろう。

 彼はタクトが一年前まで勤めていたホストクラブ『soire'e(ソワレ)』での先輩だった人だ。この街で最も稼ぎを出し、自身の勤める店では不動のナンバーワンとしてマネージャーからの信頼も厚い。まさしくホストとして生まれてきたと言っても過言ではない男。

 そして、タクトが人生の中で最も交流を持っている友人でもある。おそらく親友と位置付けて差障りがないだろう。

 だからこそ、タクトが店を辞めてからも誰よりも連絡を取り合い、遠慮なく豪快に自身の領域へと入ることを許している。

 司がこうして朝一でやってくるのは、大抵客とホテルに泊まったその帰りだ。

 そして今日のように疲れが目立つ時は、先ほど名が出た女性の相手をした時だった。この街で最も派手でさばさばしたキャバ嬢として有名な彼女もまたタクトの友人であり、長谷部一葉の一件では警察が捜していることをいち早く伝えてくれた人でもある。

 ある意味ビッグな両者だが、だからといって恋人同士というわけではけっしてない。二人共がお互いをお気に入りなだけで、彼らは誰よりも割り切ることを知っている。まあ、だからこそ麗華の場合は司に対して遠慮をしないのだが。

 タクトは洗濯機を操作し終えると、バスルームから聞こえる麗華に対して大分過激な司のぼやきに肩を竦め、彼用のコーヒーを用意する為キッチンへと向った。

 最近、穏やかな日々が続いているからだろうか。それともネオンから遠ざかり、もう一年も経ったからかもしれない。タクトは久しぶりに、司と共に働いていた時のことを思い出す。不動のナンバーワンを脅かす新人と言われていたことを懐かしく思った。

 タクトからすれば、司は今まで見てきたホストの中で、誰よりも真面目な人だった。短気で手を出し易く、プライベートで呑んだ時は事あるごとに喧嘩を売り買いし、何度も警察沙汰を起こして長嶋の世話になったりするトラブルメーカーではあるが。それでも、仕事に対する姿勢は目を瞠るモノがある。

 かくいうタクトは、ホストの中でも相当に不純だったことだろう。彼の客は、ホスト遊びをしに来店するわけではない。〝タクト遊び〟を楽しむため、彼の客でいたのだ。

 けれど、だからこそ二人はいがみ合うことなく働くことができ、真逆な性格が上手く噛み合って、今もこういった関係を築けているのだろう。


「駄目だ、全然すっきりしねぇ」

「とりあえず寝たらどうですか?」

「そう言いながらお前、普通コーヒー出すか? 寝れなくなるだろー」


 髪から床に水を滴らせながら、来た時と違いTシャツにスウェットという姿で戻ってきた司が、ドカリとソファーに腰を下ろす。コーヒーを置くと苦い顔が広がった。

 「まぁ、ぐっすり寝たいなら飲まない方が良いですけど」タクトが言うと、「いや、それは困る」司は一緒に用意されていた砂糖とミルクへ手を伸ばしつつ欠伸を零した。

 ブラックをこよなく愛するタクトにとって、司にコーヒーを出す意味はあまり見出せない。尋常じゃない量の砂糖が溶かされるのだ。けれど彼は、タクトの淹れるコーヒーが大好きだと言うのだから仕方がない。

 糖分の方が眠気覚ましになるから、わざとそうしているのだろうか。考えてみるが、そうでなくとも司は見ているだけで胸焼けを起こしそうになるほどの甘党だ。極力彼の手元を見ないようにしながら、タクトは背後へと回った。

 そうして犬を世話するかのように、司の髪をわざわざ拭いてやる。でなければ、一目惚れして買ったソファーがびっしょり濡れてしまうだろう。

 三つほど歳が離れているからか、その様子は仲の良い兄弟を思わせた。

 ただし、どちらもいい歳をしているので、だとしてもなんとも言えない光景ではある。

 静かに動かなくなった司を不思議に思い覗きこんだタクトは、どうしようもなさで乾かした頭を叩きたくなりながら肩を揺さぶった。


「司さん、今日の同伴の予定は?」

「あー……? 今日は、休み……だな」

「だったらどうして僕の所に来たんですか。ホテルででも家ででも、ゆっくり寝れば良かったじゃないですか」

「メシ、食おうと……思って……」


 今すぐ夢の世界へ旅立ってしまいそうな様子に――既にほぼそうだが――溜息を我慢出来ない。それでもこのままソファーで寝かせるのは、司のためにも自身のためにも困る。

 事務所で過ごすことにした以上、来る者を拒むつもりがタクトには無く、こんな時に限って面倒事というのは舞い込みやすいからだ。


「じゃあ昼過ぎに起こしますから、ベッド使ってください」

「おう、悪いけど……頼むわ」


 助かったことに、そう言うと司がすんなりと立ち上がってくれた。

 ふらつく足取りで寝室へと消えていく背中を安堵と共に見送り、タクトはその途中で壁にぶつかっていたのを見なかったことにする。

 仕事中はどこか子供っぽさを残しながらも逞しく格好いいのだが、なぜあんなにも素はだらしないのだろう。残念でならない。

 そしてそこが、喧嘩の仲裁に入る羽目になったり、長嶋から連絡が来て警察署へ迎えにいかなければならなくなっても憎めない、ズルくて厄介な原因でもあった。

 タクトは司の仕事用携帯の電源を勝手に落とすと、一から立て直さなければならなくなった予定を考えながら自身に届いたメールを読み、またしても脱力することになる。麗華から、今更な内容のものが届いていた。


「僕はペットシッターじゃないんだけどなぁ」


 思わず呟いてしまう。

 『私のお馬鹿なわんこをよろしくうー』と、麗華もまた見た目にそぐわない無駄に男らしい性格で、司同様に憎めないのだ。

 タクトは気持ち的にもすっきりさせる為、事務所の掃除に精を出すことにした。起こさないよう静かに行うのだから、彼も大概人に対して気を使う。

 優しいと言うにはどこか浮世離れしすぎていて、近寄り難い雰囲気も必要以上にあるけれど、司や麗華もまたタクトのそういった嫌味のない気遣いや淡白な部分を好ましく思っている。

 なにぶん、良くも悪くも彼らは人を見すぎているのだ。長く浸かりすぎているうえ、今更抜け出すには知らないでいた方が良いことも、少なからず知ってしまっている。司に至っては、大袈裟ではなくこの街での夜の王なのだから。

 そう、たとえ昼を過ぎ、起こそうとしたタクトを寝ぼけて抱きしめ、麗華とホテルに居ると勘違いしてキスをしようとしたとしても、司は多くのホストから尊敬を集める兄貴分だった。


「もし、万が一にでも次あったら、今度は容赦なく顔を殴りますから」

「腹だからって、今でも十分容赦ねーだろ……。気持ち良いぐらい入ったわ」


 そしてタクトも、そんな相手と付き合えているだけあって、見た目に騙されがちだがそれなりに腕が立つ。

 司が殴られたり蹴られたりして笑っていられるのはタクトだけなことを、本人は未だに知らない。彼らは誰が見ても、先輩後輩であり親友であり、そして悪友だと言えよう。





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