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そして僕等は夜に溶ける  作者: 林 りょう
CASE1《とあるOLの場合》
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調査




 タクトは基本的にインドアな性格で、特技もそれに準じていた。

 だからといって外が嫌いなわけでも、パソコン一つで仕事を終わらせることもほとんどない。最近では一番興味を持った依頼人、長谷部一葉の件に関してもそうだ。


「器用、ねぇ……」


 依頼を受けてから二日目のこと。タクトは調査対象の男性の写真を手に、目の前のビルを見上げる。

 道路脇で止めた車にもたれながら呟いた通り、見た目だけで言えば一葉の彼氏は優しげな表情の奥で、何でもそつなくこなしそうな印象を受けた。

 しかし、タクトからしてみれば、一葉と付き合っている時点で既にそうだとは言えない。理由を聞かれれば答えるのは一言、面倒だから。それに尽きる。

 これまで多くの女性と出会ってきたタクトであっても、はっきりとは分からない違和感を感じるのだから、一葉はどこかにイレギュラーな部分を秘めているのだろう。

 何がどう転ぶか分からない危険を犯してまで、はたしてあの依頼人にそこまでの魅力があるかどうか。自分なら一夜限りであっても、間に現金が挟まれなければ手を出さない自信がある。タクトはそう考えながら、依頼を受けた時の事を思い出した。


「本当に器用なら、まず結婚してから特定の女を作らないと思うけど。そもそも結婚すらしないだろうし」


 ジャケットへ写真をしまい、腕時計で時間を確認してから、そろそろだと車内に戻る。柑橘系のほのかに甘い愛用の香水が染みこんだ空間で、ハンドルを抱え込みビルの入口を凝視していれば、次第に中からちらほらと、スーツや制服姿の人々が出てき始めていた。

 会社勤めを経験したことのないタクトにとって、彼らはどこか別の世界の人間だ。

 元より自分が見る世の中は他と違うことを自覚しているが、間接的に感じようにもサラリーマンの友人はいない。スーツを着る仕事という点では経験豊富でも、それは礼儀というより自分が商品だったからだ。

 しばらく、昼休みを外食で済ます人の中に調査対象がいないか観察しながら、自分がもしあの中に居て馴染めるだろうかぼんやりと考えてみた。

 一日中パソコンを扱うのは、今だって良くしているのでおそらく平気だろう。しかし、悪いが魅力を一切感じない。安定した収入や、キャリア。おおよそ有利とされるステータスだが、それがなければ女一人落とせないわけでもない。

 営業職ならばまだ、上手くやれるだろうか。そう思ってすぐ首を振った。タクトが好み得意とするのは、もっぱらギブアンドテイクが成り立つ関係で種類が違う。


「……通勤時間に被せた方が良かったかな」


 今日は相手を直接目で確認する為、勤めているらしい会社が入ったビルを張り込んでいるので、手持ち無沙汰な時間を読書などで潰すわけにはいかない。欠伸を一つ零し、タクトは人々が織り成す風景を一歩下がった場所でぼんやりと眺め続けた。

 そして、そろそろ空振りかもしれないと飽きに耐え切れなくなった――とっくに昼休みは終わり夕方となっていた――頃だった。一人のサラリーマンが一日の疲れを微塵も感じさせない足取りで、車の横を通り過ぎる。

 その姿を見えなくなるまで視線で追い、身体を起こしそのまま後ろへと倒れシートに沈む。唇からは疲れとも文句とも取れる小さな吐息が零れ、一分ほどぼんやりした後にエンジンをかけた。

 そのまま真っ直ぐ事務所へと戻っていく。

 この一瞬のためだけに日中を潰し、それで何が得られるというのだろう。タクトは依頼人も、調査する対象も、全員を自分の目で見ることにこだわっていた。

 その時々で装い声をかけたりもするが、基本は距離を取って眺めるだけ。ついでに依頼人が嘘を言っていないか――今回だと騙されていないかどうかも当てはまるが――確認も兼ねていたりする。

 慎重すぎるほど慎重な方がちょうど良い。その考えの元、これまでの経験と自分だけを信じ、タクトは生きてきた。

 そうして次の確認作業は、日を跨いでから行われた。

 駅直結の大型ショッピングセンターの店舗の一つ、色鮮やかな雑貨が女性の心をくすぐるテナントで、ひっそりと周囲から視線をもらうタクトの姿がそこにはあった。

 一見するとプレゼントでも選んでいるようだが、意識はレジに立つ女性へと向けられている。ふんわりとした髪に、大きく丸い瞳は小動物を思わせ、おっとりた雰囲気が庇護欲を大いにくすぐる店員だ。


「なるほど、そういう理由か」


 長谷部一葉がいてその彼氏を確認したとなれば、この依頼で残されている関係者は、一葉が望むところの〝浮気相手の女性〟しか居ない。

 しかし実際は、一葉こそが浮気相手であり彼氏が既婚者であったことを、タクトは依頼を受けたその日で既に調べ終えている。

 そんな理由を持って来店している客が居るとは露知らず、女性は当たり前に仕事をしていた。そして彼女がレジから店内へ場所を移動したのを見計らい、適当な商品を手にタクトが歩み寄る。


「すいません、少し良いですか?」

「はい。いらっしゃいませ」


 笑顔で対応してくれた女性の左手の薬指で光る指輪はまだまだ真新しく、眩しさから目が細まり自然と笑顔を作ってしまう。

 声を掛けられていることを羨ましく思う外野が居るにも関わらず、あくまで客としてスタッフの表情を変えない様子は、心から夫を慕っていることをたやすく感じさせた。

 商品の問い合わせを装い、少しのあいだ女性と接したタクトは、この日もそれだけの行動で仕事を終わらせる。そしてこの後、約束の一週間が経つまで、彼は依頼人についてを個人的に調べることに没頭した。

 感じた違和感の原因と、この依頼が作られるまでの背景へ、少しでも触れるために――

 待ちきれない時間を無理やり耐え、怒りを滲ませながら再び扉を開いた長谷部一葉を出迎えてからも、最初に感じた違和感は消えないままだった。

 静かに涙を流し、最終的に切ない表情を浮かべ頭を下げた姿は、思いのほか冷静だったなとタクトの期待をある意味裏切ってくれたが、彼が楽しみにしているのは一葉が自分の作る空間から外に出た後のこと。

 依頼そのものが終わってからこそ、探偵をしている本当の意味がある。

 その愛が辿り着く先、一葉ははたしてどのような選択を取るのか。知らないフリをして関係を続けるならそれでも良い。騙した事を非難し、新たな日々を過ごすもよし。

 ただ、一葉がそんな行動を取るとは思えないからこそ、期待している。

 「馬鹿だなあ」タクトは独りごつ。調査対象を見て実際の印象を感じ、その妻を観察した結果、なぜ一葉と付き合っていたのかは察しがついた。その上でのその言葉が、三人の内の誰に対してのものかは分からなくとも、男性が最低な男だというのはきっと変わらない。

 二人の女性は見た目や、性格から醸し出される雰囲気も正反対だった。一葉を持ち上げれば、できる女と頭の弱そうな女。妻側で語れば、可愛げのない女と可愛い女。その事実と男性の印象からすると、相手は真逆な一葉と比べることで、自分が取った選択の正しさを感じていたのだとタクトは思う。

 何かを対象として幸せを比べることでそれを実感する。身の丈以上のプライドが取らせた行動なのだろう。

 そして、一葉そのものは〝可哀想な女〟だと、愛とは無関係な場所で可愛がっていた。

 依頼の報告をした後、一葉が馬鹿な女だと笑ってくれるか尋ねてきたとき、そうすることは簡単だった。実際にそうなのだから。

 けれどタクトは、それを言いたいかどうかを聞かれれば、首を横に振っただろう。


「だってもう、飽きるほど言われてるだろうし」


 今回の依頼に関する資料の全てをシュレッダーにかけ、受け取った紙幣を指に挟みながら外を見下ろせば、ちょうど一葉がタクシーを止め乗り込む姿がある。今日は寒い部屋で独り、枕を涙で濡らすのだろうか。

 きっとそう。長谷部一葉はそういう女だ。


「遊びを知っていれば、また違っただろうけど」


 一仕事終えた解放感から伸びをしつつ呟いた言葉に他意はない。ないからこそ、タクトの凄さがそこには秘められていた。

 そのメールが届いたのは、新たな依頼もこなし終え、本人も様子が気になりだした二週間後のこと。パソコンへ一葉から連絡が来た時、その内容が不思議すぎてタクトは首を捻った。

 けれど、理由を問うぐらいなら言う通りにした方が良いだろうと判断し、この日は朝から文庫本を片手にお気に入りの喫茶店へと赴く。そうして夕方からは知り合いと、朝まで一緒に過ごした。

 帰宅後は、普段の日課を全て後回しで、二時間ほどソファーに沈んだ。シャワーを浴びてもおぼろげな頭を抱え、何も無い冷蔵庫を見て自分に対しまたかと呆れる。

 一葉からの不可思議なメールの意味を知ったのは、あまりの空腹でコンビニへ向ってからだった。道すがら震えた携帯を、相手も見ず取り口を開く。


「――はい」

『ちょっと、タクト!』


 寝不足の頭にかなり響く高い声。しかもかなり焦った様子で、タクトが怪訝に眉をしかめる。

 電話をかけてきたのは、この街に来て最初の方に知り合った、それなりに付き合いの長い女性だ。けれども夜はともかく昼間から、彼女が連絡を取ってくるのはまずあり得ない。


「どうしたんですか?」


 何か困ったことでもあったのだろうか。暢気なタクトとは裏腹に、電話の向こうからは呆れと心配の混ざった声が大きめに伝わる。


『それはこっちのセリフよ。あんた、何かやらかしたわけ?』

「何かって……、すいません。まったく話がみえないんですけど」


 昨日といい今日といい、二日連続で女性に振り回されるのかと少々げんなりしても、そんな心情を相手は察してくれない。

 あまりに声が通るので、コンビニの店内へと入ってから音量を下げるが、商品入れ替えの時間にぶつかりほとんど種類の残っていないサンドイッチが溜め息を誘う。

 それでもタクトは相手に合わせ、話を聴く体勢であった。律儀というか、女性を違和感無く立てるそういったスムーズな動作も、魅力の一つなのだろう。

 ただ、今回だけは用件を真っ先に聞くべきだった。

 タクトへ何かを確認するための電話だったはずが、いつの間にか仕事の愚痴へと変貌している電話に相槌を打ち、その状態で会計を済ませる。レジを担当していた店員がちょうど顔見知りで、同情を込めた苦笑を零してくれたおかげでいくらか気分は軽くなったが、それでも仮眠しか取っていない上に空腹な今は、疲労を誤魔化すのに苦労した。

 適当に相手をしていると感付かれてしまえば、この電話が爆弾に変わることだろう。

 けれど、長くなると思われたそれは、思わぬ形で途切れることになる。


『――って、そんなことより!』

「僕がどうかしたって話でしたっけ」


 あたかも忘れていたといった態度で、やっと本題に入れる安堵を隠す。

 ビニール袋を片手に道を歩くタクトの背後へ、二つの人影が現れたのはその時だった。


『今日の朝、私の友達からタクトのことを聞かれたって連絡があったのよ』

「……僕のことを?」


 噂をあてに事務所を探していただけなら、連絡などしてこないはず。電話の女性が不躾な介入を好まない性格をしているからこそ、タクトは知り合いとして彼女との関係を作れているので、嫌な予感を覚えた。

 何の目的で、一体誰が。少なくとも自分を探しているのが誰なのかは分かっているから、電話をかけてくれたのだろう。そう思ったタクトが詳しく話を聞こうとした瞬間、彼は肩を叩かれ振り返った。


『警察がタクトを捜してるって。面倒事に巻き込まれたんじゃないでしょうね』

「こんにちは。長谷部一葉さん、ご存知ですね?」


 にこやかにそう声を掛けてきた二人の男の一方が、険しい表情へと変わったタクトへ手帳を見せながら言う。携帯の声が聞こえたかどうか、表情からは窺えなかった。

 「お腹空いてるのに……」今度はうんざりした様子を隠すことなく呟き、手で待つよう示すと耳から浮いた携帯を持ち直す。


「すいません。また後で」

『ちょっと、タクト――!』


 引き止める声を無視して通話を終わらせ、しっかり身体ごと向き合えば、見たことのない刑事が言った。


「少しお話をお伺いしたいので、ご同行願えますか?」


 いつもの日課を怠り、朝刊を見ていない事を後悔したところでもう遅い。

 せめて買ったものを食べるのは許してくれるだろうか。そんなことを考えながら頷き、二人に着いて歩き出す。長谷部一葉の辿り着いた先は、そうしてタクトへと知らされた。





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