決意
劇的な再会は、けれどその理由によって深刻なものとなるはずだった。
しかし、透が落ち着くのを待って車内で説明を受けたタクトの反応はとても薄く、だから始め信じて貰えていないと思った。
透は居心地が悪くなり、助手席で鞄を抱き締める。横目でタクトを窺うと、彼は真っ直ぐな視線を向けていた。
「え……と。嘘じゃないんです」
恐る恐る口にすれば、タクトが安心させるような笑みを落とし、かつてもう一人がしていたように控えめな仕草で頭を撫でた。
それは言葉で示されるより深い理解があることを伝えるも、それでも透は信じられない。普通ならば、人を殺したと聞かされてこんな反応をするはずもなかった。
だというのに、タクトが口にした言葉は、家出少女を気遣う以上にはみ出た気遣い。クラシックの音楽が静かに場を飾る。
「お腹空いたりしてない?」
「…………え?」
それがより不安を煽ると分かっていながら、それでもタクトは透の行いについて何も口にしなかった。
慰めてどうにかなるものではない。かといって、叱れもしない。それは一人が負うべき罪だとは到底思えなかった。
死んだ者が居るのだから、殺したことについては透が悪い。むしろその次元は超えているだろう。ただ、そこに至るまでの全てを含めて考えれば、一体誰が彼女を責められるのだろう。
少なくともタクトは、彼女が受けた苦しみのほんの一欠けらは汲む事ができた。受けた痛みの重さを知っていた。
「信じてるというよりも、知ってると言った方が良いかもね。ニュースでやってたから」
「そっか。ニュースになってるんだ」
「それよりも。出来れば初めに自己紹介をして欲しかったけどね」
どこか寂しそうな表情の中には、再会への喜びもあって、透は相手が似た想いを持って会いに来てくれていたことに気付く。
口にしかけた〝どうして〟は、待ち望む視線によって蒸発した。
「透……。藪井透」
「僕はタクト。やっと名前を知ることが出来たね」
遠く霞みそうな思い出は、それでもそれぞれで特別であり、こうして二人は出会い直した。
もし彼らを繋げた人が見ていたならば、かつてと同じように切なく感じていたのだろうか。残念ながら知る手段はどこにもない。
「とりあえず場所を移動しようか」その言葉に、透は静かに頷いた。
音楽だけだった車内に増えたエンジン音と、走る振動が心地良い。今日まで感じていた鬱々とした眠気とはまた違ったものが全身を満たしていく。
遠のきそうな意識の中、透は得た名前を繰り返し心で呟いた。
「聞いても、いいですか?」
「ん? どうぞ」
ハンドルを軽やかに捌きながら、タクトが小首を傾げる。そういった仕草の一つ一つが記憶と重なり、その都度安心が浮ぶ。
けれど、淡い微笑が重ねて年月を示し、綺麗な横顔が対向車線からのライトに照らされ長い睫によって影を作る。そのせいで消えた分だけ不安が生まれ、蝕む睡魔は最後の一線を越えない。
「あのお姉さんは、今どうしてるんですか?」
透を誘拐し、道を変えてくれた人。彼女がいなければ、もしかすると自分が先に母親に殺されていたかもしれない。それはずっと考えていたことだ。考えて、蓋をしていたこと。
よりバッグを抱き締めていれば、タクトの唇が一度開いて空気だけ漏らし、ゆっくりと閉じる。今までスラスラと返されていた言葉が、ここに来て初めて止まった。
透は気付いていなかったが、ハンドルを握る手に力がこもる。表情だけは動かなかった。
「……もう会っていないよ」
「そっか」
「亡くなったからね」
「え……?」
伝えられた事実は、場に寂しさを作った。
沈黙に支配され、二人は別の想いを持って同じ人物を脳裏で浮かべる。
そして、同乗者に行先を伝えぬまま、走る車は高速道路に乗りスピードを上げた。
タクトからはまだ何も尋ねない。透もまた出来事だけを語り、意思が抜けている。〝これから〟が大きく穴を開けていて、車だけが先へと進む。
静かな時間は、眠さだけではない重さに耐えかね透がまぶたをこすったことで終わりを告げた。
「ひとまず冷やさないとね。でないと、ひどいことになりそうだ」
気付かなくてごめん。そんな気遣いが、透にはとても大人に思えた。
恥ずかしさも相まって頷くだけに留めていると、タクトは乗ったばかりの高速道路をあっさりと下りてしまう。
そして、見かけたコンビニで車を止めた。
「待ってて。何か欲しいものはある?」
「大丈夫です」
隣に殺人犯を置いておきながらまったく警戒をしていない様子で、キーを差しっ放しなまま店内へと入っていく。それは信用されていると取ることは難しく、まるで子供扱いだ。
けれど、彼になら警察へ突き出されても良いと透は思う。たった一言のあんなメールを読んで、わざわざ会いに来てくれたのだから。
十近く年上であれば仕事もあったはず。だとすれば、わざわざ休んで来てくれたのだろう。名前以外の素性を知らないままなので予想しかできないが、少なくとも既に十分、相手は自分のために動いてくれていた。
「これからどうしよう」
そして透自身、一昨夜からひたすらに目指していたものが達成されたことで、張り詰めた糸が切れてしまったかのようにぼんやりとしてしまう。
たかが女子高生が一人、警察から逃げ続けられるわけがなかった。そんなことは今さらな話だ。
それでもやっぱり、自分からこの逃走劇を幕引く気がおきない。無関係な人を巻き込んでいると分かっているのに、伸ばされた手を離したくない。最低なわがままが頭をもたげてばかりで、それではダメだと考える理性とせめぎ合い、結局は考えることを放棄してしまった。
「大丈夫?」
「え、あ、はい」
「そんなに張り詰めなくても良いよ。もう大丈夫だって言ったはずだけど」
「でも……」
「それとも行く先が分からないから不安だった? ごめんね。一先ず、僕の家で落ち着こう。それまでは何も言わないから」
気付かない内に戻ってきたタクトによって意識を戻されるまで、透は微動だにしなかった。
渡された保冷材はわざわざタオルでくるまれていて、告げられた言葉を咀嚼している間に車は再び発進する。
寝ていて良いと言われても難しそうに思えた透だったが、目元から伝わる冷たさは憂いまでもを静めてくれたらしい。徐々に徐々に、ストレスで乾いてしまった唇からは穏やかな吐息が漏れ始めていた。
そうして彼女は、温かい夢の中へと落ちていく。
その隣で、運転手は夜道をただただ走った。
□□□
タクトは助手席から聞こえる寝息に耳を澄ませながら、様々な考えを巡らせていた。
メールを受け取ってからすぐに事務所を飛び出し、徹夜で車を走らせていた為、彼もまた透同様疲れが溜まっている。けれど、むしろ頭は冴え渡っていた。
人気のない寂れた港は、調べても迷ってしまった場所にあり、良くこんな所を知っていたものだと関心すらする。
小柄な身体を最大限丸め、ボロボロな倉庫の影に隠れた彼女を見つけられたのは奇跡にも近い。成長した姿はかつての面影があまり残っておらず、女の子だったことに驚いたほどだ。
そして、今にも泣きそうな歪んだ表情を前に、不謹慎にも素直に可愛らしいと思った。昔も味気ないシンプルな感想を持ったというのに、こんなところで変わらない部分を知り笑ってしまいそうだった。
運転しながら横目で様子を窺うと、透は窓にもたれてとても窮屈そうにしていた。膝の上に置かれた手のなかで、保冷材がゆっくりと熱を持っていく。
周囲を確認して一旦停止すると、タクトはそっと座席を倒して目元にそれを乗せてやる。すると薄っすら、透の口角が上がっていく。
それを見て取り、不思議な衝動に震える。
今は伏せられ隠れた瞳は、夜の海が歌う中ヘッドライトの明かりで夜に飾られ、出会った頃よりは数倍あどけなく、けれど寂しげに見えた。どうしてだろう、逃げ出した理由を知らない内から静かな怒りが芽生えた。
そうして彼女が語った重すぎる内容を前にしても、その怒りは膨れ上がるだけだった。出来ることなら自分が、今からでも相手を殺しに行きたいと思うほど。タクトは何故そんなことが浮ぶのか、不思議すぎて理解が及ばない。
泣きすぎて赤味が引かないままの頬に触れたくてたまらなかった。
タクトにとって透は、特別では済まない存在。この感情は誰かと共有できるものではけしてないのだろう。彼女は、かつて必死に愛そうとした女が残した願いそのものなのだ。
だからこそ、六年経ち簡単には抱き上げてやれなくなった今でも忘れたりはしなかった。
そしてタクト自身にとっても、自分を外へと出してくれた尊く大切なものだったりする。とにかく、見捨てるつもりは微塵もなかった。
もう、あの頃の何も出来なかった無力な自分ではない。これまでで多くを手元に得てきた。
欲求に従うがまま伸びた手は、しかし寸前で止まった。
「僕はあの人とは……違う」
それは言い聞かせるような冷たさを帯びていて、握られた拳の指先が手のひらへと埋もれる。
葛藤は踏まれたアクセルから生じた音に隠された。
これからのことは、お互いが一度ゆっくり休めてから考えるべきだと思っている。交わした約束を彼女が守り続けてくれたおかげで、二人の接点はどこにも伝わっていない。だからタクトの元に居ても、捜査の手が伸びる心配は無かった。
懸念するとすれば、知り合いである横山や長嶋の来訪だが、彼らが万一現れたとしても事務所を閉めていれば問題ないだろう。
きっとどこよりも、透にとって安全な場所となれる。
既にタクトは、透がこれから決めるであろう選択に副えるよう、それがどんな形であれ全力で協力するつもりだった。
「麗華さんは怒るだろうな。司さんは……笑いそう」
誰に言われずとも、するべきことは分かっている。今すぐにでも正しい行動をさせることこそが透の為にもなるなど、そんなことは重々承知していた。
状況を聞くに透の行為は正当防衛であり、それが殺害にまで至ったのはタクトも率直に運が悪かったと考えてしまった。その場から逃走したことを除けば、情状酌量の余地はあると思われる。
けれど、それは次に浮んだ安堵によって見事に霧消している。彼女が未成年で良かったなどという、まったくもって大人として許されない非常識さは、それでも本心だ。
自覚した際、思わず十分汚れてると感じ、都合の良い感情に自嘲するしかなかった。
タクトの愛車は、夜を過ぎて朝が来ても、彼の居場所へと向かいひたすらに止まらない。しきりに透の様子に気を配る胸中では、次第に一つの感情が住処を作っていくも、本人はまだそれに名を当てはめてはいなかった。
理不尽な暴力に対し、何の抗いも示さず受け止めていた小さな身体は、今はもうそれに甘んじることなく全身で涙を流す。
透の目にとっては視界を遮るだけであったけれど、タクトにはその姿はとても眩しく映った。まるで車内にまで降り注ぐ朝日のように綺麗だった。
何故ならそれは、自分には出来なかった反応だったから。たぶんこれからも、無理なことだから。重ねられる境遇は、その受け止め方によって全く異なるものになるのだと、タクトはこの時知った。
だからなおさら、どうして彼女だったのだろうと憤らずにはいられない。
それでいて、くだらなくもこれまでの生き方は透の為に用意されていたのだと感じてしまう。自分勝手で馬鹿馬鹿しく、ひどいズルさだとわきまえていても、それでも――
「ズルイなんて言われ慣れてるしね」
苦々しい表情は温かな陽射しに彩られ、その青白さを増した。
二人は昼過ぎに一度、気まずさを抱きつつも手ごろなラブホテルで休憩を挟み、さらに夜を抜けてから事務所へと到着する。
事件が起きてから五日目にさしかかろうとしたところで、街で噂の不可思議な探偵の元へ最後の依頼人が招かれた。
彼女の望みは探偵に対し、一体どんな想いを与えてくれるのだろうか。




