急変
物語が大きく動きます。
どうぞ、もうしばらくお付き合いください。
空気が肌に張り付く、湿っぽい天気な一日の午後。タクトは街のとある定食屋の青いのれんをくぐった。
女性のはつらつとした声に迎えられながら店内に目を走らせれば、太い腕が居場所を伝える。案内を断りそちらへと向かうと、最近なにかと接点のある熱血気質な刑事がそこにいた。
「笑えるほどこういう場所が似合わないな、探偵」
「横山さんは笑えるほどピッタリですね」
昼時を少し過ぎているからか店は閑散となりかけていて、どう眺めても共通点のない二人を、店員も客も好奇心を隠しきれずにのぞき見している。
そんな中で二人は、見た目はまったく違った、けれども意味としては同じ類の笑みを交わした。
タクトが席に落ち着くと、タイミングを見計らって水が置かれ注文を聞かれる。
「同じものを」横山が注文済みな気配を感じメニューも見ずに答えかけたが、なにやら嫌な予感がして目についた蕎麦を選んだ。
そもそも、どうして二人がわざわざ待ち合わせまでしてまた会っているのかというと、前回の事務所での一件について横山が帰り際、借りは返すと言い出したからだった。
タクトとしては、純から逃れられた礼の一環だったのだが、それは太い男気に反するものだったらしい。それだけ横山にとっては、充実した時間だったということで、下心があっただけに良心の呵責を感じた。
そして、だらだらと交流が続くよりかはと思い、食事を奢ってもらう形でこうして借りを返してもらっている次第だった。
「んで? あのストーカーまがいな女は、大丈夫なのか?」
「とっくに。横山さんに心配されるほど落ちぶれたつもりはありませんよ」
言葉の棘はもはや、二人の間で遊びのようなものになっているらしい。
「メシぐらい美味く食わせろ」と横山が笑う。その顔には、どこか親しみさえ浮んでいた。
「それよりも、僕のアドバイスは役に立ちましたか?」
タクトもタクトで、出会った当初の苦手意識はもはや無くなっている。危惧さえする必要はなくなっただろう。
なぜなら、横山の陰からの詮索についても、純と同じくとある筋からの介入があったと小耳に挟んでいる。その出所には、鉄壁の刑事魂も折れざるを得なかった。
だというのに、そんな脅威ともいえる繋がりを持つ相手に、それとこれとは別だとする豪胆さには、長嶋も脱帽だったそうだ。さぞ腹を抱え、気さくな声を響かせたことだろう。
「まあ……、それなりに話しはした」
横山が鼻を掻き、歯切れの悪い反応を示す。
タクトが表情を緩めていれば、場をとりなすように注文した食事が間に並んだ。
かなりのボリュームなカツ丼定食にギョッとしていると、割り箸を乱暴に割ることで横山が動揺から立ち直っている。しかしそんなことよりもと、タクトは同じものを頼まなくて良かったと安堵していた。
珍しく一連の考えが顔に出ていたので、「しっかり食わねぇからそんなにひょろいんだよ」と笑われ、一先ず二人は食事にとりかかる。
ちなみに余談だが、タクトには体型に関する薄いという言葉が禁句だったりする。それなりに線の細さが気になっていたらしい。「そういうギャップがお前の武器だよな」とは司の言葉だ。ズルイと理不尽な文句を言われたこともあった。
「そろそろあじさいが見頃ですから、デートにどうですか」
「まだ言うか。結果を聞かないあたり、嫌味な奴だなよな」
「今さらでしょう。ちなみにあじさいの花言葉には、浮気だとか移り気だとかがあるらしいですよ」
悪質なからかいを無視し、横山はどんぶりの中身をかき込んだ。
今日のタクトはすこぶる機嫌が良いようだ。自分も蕎麦を静かに啜りながら、ふてくされる反応を楽しそうに受け取っている。
はたして仲が良いのか悪いのか。どちらにせよ、二人の持つ雰囲気が異なりすぎてミスマッチな組みあわせなのは間違いない。店内では、彼らの会話をのぞき、無造作に流されるテレビの音だけが響いていた。
「さすが女たらしは物知りってか」
「女性はそういうの好きですからね。でもま、最近では元ホストの肩書きも大分薄れてきましたけど」
「それに知ってますか?」タクトが蕎麦をやっと半分胃に納めつつ話を続ける。
その倍以上の量をすでに平らげた横山が、つまよう枝に手を伸ばしながら訝しんでいるがお構いなしだ。
「さっきの花言葉の続きなんですが、うつろいやすい心情ばかりな中に、辛抱強い愛情ってのもあるそうなんです。なんだか色々とままならないですよね」
「あーもう分かった! ったく、お前はほんと俺が嫌いらしいな」
咥えていたつまよう枝が折れたのを合図に、横山が降参した。
タクトがこの期に及んで何をと肩を竦めれば、さらに舌打ちが付け足される。それにはいささか、食べるスピードの遅さへの苛立ちも含まれていただろう。
タクトが女々しいことも、今さら直そうと思っても直せないものなので我慢してもらうしかない。
「自分はそんなに弱くないだと。お前のせいで見事に泣かれた」
普段からすればかなり小さな声で、ぶつくさと呟く中には不満がありありと篭っている。だったらなんで泣くんだと、これだら女は面倒くさいといったところか。
そういうところがまた分かりやすいのだと言えば、確実にタクトが食べ終わるのを待たず出て行ってしまうので止めておく。そのかわり、笑ってしまうのは許してほしかった。
「あと、いくら感謝しているからって、いつ帰ってくるかも分からない男の為に毎晩食事を作って待ってられるかとも言われたな」
「そうでしょうね。だいたいが、引きずるのは僕たち男で、諦めないのが女性ですから。でも、腹を割って話しをして良かったでしょう?」
アドバイスとは少し違うけれど。そう笑うと、つまらなそうに鼻を鳴らされる。
その表情に、まだ何かあるなと感じ取ったタクトは、箸を止めてジッと見つめた。
傍から見ると、優男が強面の男へ熱い視線を送っているともとれる。そんなものに横山が耐えられるはずもなく、またしても軍配はタクトに上がった。
「…………子供が腹にいるらしい」
「なんだ。ヤルことはヤッてたんじゃないですか」
「お前なぁ、言い方ってもんがあんだろ! しかも普通は、祝いの言葉が先だろうが」
どういった意味でかほんのり頬を染めた側とは裏腹に、タクトは呆れたとその感情を微塵も隠さず表情に出していた。
しかしまあ話を聞いていた限り、相当冷えた夫婦関係を送っていると思われたので致し方ない。ただ、自分の言葉によって横山はともかく奥さんが告白するきっかけとなれたのならば、的外れなアドバイスをした甲斐もありそうだ。
うって変わって「おめでとうございます」と言えば、横山も「おう……」まんざらでも無く返した。
「あいつがな、探偵。お前に礼を言っておいてくれだと」
「とんでもない。実は地味に無意味な口出しをしたと反省しているところです」
「はあ? 意味が分からん。あと、本当に男かとも聞かれたぞ。的確に女心を分かってるって、良い歳した奴がなに言ってんだか」
「横山さんこそ何を言ってるんですか。女性が女心を持ってるのは当たり前じゃないですか」
「だったら女も少しは男心を分かれってんだよ」
口元が寂しいのだろう、無意味に新たしくつまよう枝を噛む横山の前で、やっとタクトの前から蕎麦が消えた。
とはいえ、食べ終わったばかりの相手にすぐ席を立てと言うのも酷なこと。今回は借りを返す名目なのだから、横山もさすがに気を使う。
テーブルを片付けてもらい、熱いお茶が二人の温度差を埋めるように湯気をたてた。
「にしても、横山さんが僕のことを話したのは驚きです」
綾乃が手出しをする前にしろ後にしろ、タクトへの認識そのものが変わったわけではないはずなのだ。そうでなくとも、身内を巻き込むようなことは避ける男。怪しい探偵について語ったのは意外だった。
しかし、これまたバツが悪そうな顔をして横山が零す。
「俺が何もなく自分と話しをしてくれるはずがねぇだとよ」
さすがのこれには、タクトも笑いを堪え切れなかった。運悪くお茶に口を付けている最中でむせてしまう。
「良く分かっていらっしゃるようですね。分かっていなかったのは横山さんだけなんじゃないですか?」
「長嶋さんの言う事は聞くはずないしだとよ」
苦しく咳き込みつつ、それでもからかうのは忘れない。
二重の意味で「ごちそうさまです」と、タクトは朗らかに言った。
そういった、どこかちぐはぐな夫婦も悪くないと思う。口にしなければ分からないことばかりだが、口にしなくとも伝わることだってあるのだろう。観察する分には中々飽きないはずだ。特に横山が築く家族は、タクトにとってからかいが多分に含まれた楽しみが待っている気がする。
「とにかくまあ、そういうことでしたら。今後はもう少し、家に帰ってあげるべきだとアドバイスしておきます」
「ふらふらとしてる奴が良く言うこって。俺より楽しみにしてる爺も居ることだしな」
誰とは言わずとも察しはつく。よれた背広が不思議と似合うこの街の父親は、早くに息子を失くしており、へたすれば実父より横山の子供に構いそうだ。
家族……か。そんな中内心呟き、微笑ましく感じながら憂いも浮ぶ。一生縁のないものだと思っていたものは、タクトにはからずも重く圧し掛かり、ひっそりと溜め息を吐かせた。
純が押しかけて来て、綾乃が間に入ってくれたあの日。誘われるがまま食事に行った際、彼女に言われたのだ。養子にならないか、と。
あまりに予想外、突拍子もないことだったが、常に微笑みを絶やさない妖艶な女性の瞳は真剣だった。とはいえ、一度も関係を持ったことがなくとも、その問題は二人だけでどうこうできるものではない。
しかし綾乃は平然と、「旦那さんも乗り気なのよ?」そんなことまでのたまったのだから、さしものタクトも閉口した。
最終的な話を先にしてしまうと丁重にお断りしたのだが、それでも綾乃は純だけに留まらず、周囲を嗅ぎまわっていた横山の動きも封じ、無条件でタクトの平穏を守ろうとしてくれている。
どうしてそこまでしてくれるのか良い機会だからと訪ねても、結局は「タクトが大好きだからよ」と教えてはくれなかった。その正体についても、薄々気付いてはいるが語ってくれず仕舞いだ。
「息子になってくれるのなら教えてあげるけれど?」そう言われてしまうと引くしかなかった。
あの人のことだから全てを知っているのかもしれない。その上で申し出てくれていると思えたが、タクトは自分が絶対に首を縦に振らないことを考える前から分かっていた。そんなものは望んでいない。
たとえ世界中から贅沢者だと罵られたとしても、綾乃が寂しそうな表情を浮かべたことに気付いても。この時はまだ、家族というものをそう思っていた。
「んじゃま、そろそろ行くか」
「はい。ごちそうさまです」
二人の湯のみから中身が消えた頃、横山がそう言って荷物を置いたまま席を立つ。
タクトは待っている間で支度を整え、携帯を確認していた。
『次のニュースです』
その耳に、入店当初からBGMと化していたテレビから、ニュース番組のキャスターの声が入ってくる。
タクトの顔が上がり、店の片隅で天井近くの壁に備わっている画面へと目が行く。偶然、それでいて不思議ではない行動だった。
『昨夜未明、○△市の会社員男性が自宅にて死んでいるのが発見されました。警察は他殺とみており、同居している十六歳の長女が行方不明となっていることを受け、事件に巻き込まれた可能性も視野にいれつつ行方を捜しております――』
日常の中で起こるイレギュラーが淡々と述べられる。現場の映像が流れ、中継先で少しの情報が付け加えられていく。
真剣に見ていたわけではなく聞き流していると、会計を済ませた横山が戻ってきて視線がタクトを追った。
「あぁ、これか」
「無関係じゃないんですか?」
「そこそこ近けぇだろ。娘の捜索に協力するかもな」
「せちがらい世の中ですね」
腐っても刑事課所属だ。だったらこんなところで油を売っていて良いものかと思いもするが、詳しくは触れずタクトも立ち上がる。
「まったくだ」苦笑を返されつつ、二人は店を出た。
そしてあっさりと別れる。
今後も食事をするような仲に発展するとは思えないが、司と付き合いがある内はなにかと交流せざるを得ないだろう。
まさか刑事との輪が広がるとは思いもしなかった。しかもそれが、あの横暴な印象しかなかった相手とは。綾乃からの急な申し出のこともあり、眩暈を起こさない範囲で昔の自分を思い出すタクトはこの時、探偵業を抜きにもう少しこの街に居ても良いと思い直していた。
未練の扱い方が分からなかったのもあるが、まだまだ良くも悪くも色々な事が起こる。思い返せば、嫌になったり困ったりはしても、退屈だと感じたことはないのだ。もったいないかもしれない、と思える程度は落ち着いていた。
しかし、それはあっという間で覆されることになる。
次の日の朝だった。
いつもと変わらず新聞を取るついでにビルの下で早朝の空気を吸い、その日の気分によって淹れたコーヒーを啜りつつ大まかな情報を得て。それが終われば、携帯とパソコンそれぞれから入る連絡をチェックする。知り合いは大分増え、折り返しはしないというのに着信がない日はない。同時に噂も広がるばかりでどうやって知ったのか、依頼についてのアポイントメントを取ろうと連絡を入れてくる者もいる。
その全てを要不要で分け、そしてタクトはこの日も日課の最後に、とある特別なアドレスのフォルダをチェックした。ここだけは中身の有無を確認するのではない。無いことを確認するのが常だった。
六年ほどの期間、一度も変更することのなかったアドレスは、タクトにとって忘れてはならないものであり、誰にも明かすことのない秘密を形にしてるといっても過言ではない。
最後のチェックが終われば、今日もどう過ごすか決めながらの穏やかな一日が始まる。そのはずだった。
「――っ!?」
それが言葉にならない声で破られる。
らしくもない行動により、事務所に不釣合いな音が響いた。
コーヒーを口にする片手間、ちらりと横目で見たパソコンの画面にて〝新着メッセージが一通〟の文字が、赤色で存在を主張している。
手にしていたカップが落ち、それは運悪く机を跳ねて床で砕けた。こげ茶に埋もれる形で破片が散る。
けれど、タクトはそれを一切無視して画面だけを凝視した。
驚きのあまり立ち上がってもいて、その反動により背後を滑ったキャスター付きの椅子が棚にぶつかり鈍い抗議の声を上げるが、それすら意識に入らない。
震えた手がマウスをなんとか掴んでいた。ポインタの居場所が中々定まらず、赤字の上で小刻みに暴れる。
「なんで………………」
ここまで呆然となるのは、誰であろうと一生の内でそうはないだろう。タクトがなのだから、余計に動揺さ加減が窺い知れた。
届いて欲しくなかった。こんなにも年月が過ぎたのだから、もはや届くことは無いとすら思っていた。けれども叶わず、それならばタクトは見なければならない。中身を、そして内容を、可能な限り汲んでやる必要があった。
意を決して開いた先、書かれていたのは数秒で読み終えられる短さ、たった一文のそっけない言葉。
タクトはそれを見た瞬間、全てを放置して事務所を飛び出す。辛うじて鍵を閉めるといった切羽詰りようだ。
朝日に負けながらも光る画面の先では、相手からの精一杯な叫びが込められている。届いたかどうか、その知らせを差出人に伝えることなく。
――△○港で待っています。
机から滴る汚れた涙がピチャンと音をたて、弾けた。




