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そして僕等は夜に溶ける  作者: 林 りょう
CASE3《とある女子大生の場合》
17/44

大人




 どんよりと重たい雲なはずなのに、どうして雪が舞い落ちてくるだけで、雨の日とは違って見えるのだろう。特に今日は、昼間から色々な所でイルミネーションが輝いていて、余計に明るく感じる。

 ただでさえ、鮮やかに色めくクリスマス。雪が積ることのめったにないこの地域では、今年はホワイトクリスマスだと余計に浮き足立っていた。

 寒さなんて感じていない様子で両親に挟まれて歩く子供は、大きな包みを大事そうに抱えている。そこにノベルティを差し出すイベントのスタッフも、サンタクロースの格好をして自然な笑顔を浮かべていて、眺めるタクトの頬もつられて緩んだ。


「いいよね、ああいうの。なんていうか、ホッとするっていうか」

「羨ましいですか?」

「いや、まったく」


 しっとりとしたクリスマスソングが雰囲気を作る喫茶店の窓際に座るタクトの向かい側では、小野寺まゆみがホットココアの入ったカップで手を温めていた。二人ともその視線は外に向けられていて、あと一時間ほどで日は落ちるだろう。

 恋人たちが夜を祝う日に席を共にしているのだから、周囲からは例にもれず同じように思われているはずだ。これから訪れるその時間を前に、少しばかり心を落ち着かせている穏やかなカップル。雰囲気のみでいえば、お似合いだと言える。


「でもまさか、今日みたいな日に連絡が来るとは思わなかった」

「僕も、連絡がつくとは思ってませんでした」


 けれど、本人達にその気はまったくない。

 常連であるタクトに喫茶店のマスターがご馳走してくれたスノーボールを頬張りながら、まゆみは視線を動かす。窓越しに景色を見るタクトの横顔は、とても好奇心に溢れている気がした。まるで初めて物を見るかのように行き交う人々を眺め、時折何かに驚いて瞳孔を開かせ、すぐに寂しそうなものへと変化させる。

 またしてもそんな表情を見せたので、それが何によるものなのか外を探ると、丁度まゆみの視界を背の低い女性が通り過ぎた。ふわりと赤みのある髪をなびかせ、タクトがそれを追う。

 無表情なようで、意外と分かりやすい。そう思うが、それは近くで観察できたおかげだろうと、まゆみは再び正面へと顔を戻した。そしてタクトも、何事もなかったかのように彼女を見る。

 まゆみが依頼を寄越してから、二週間と二日。さすがに情報が偽名かもしれない名前や背格好だけでは、時間が掛かってしまった。

 それでもタクトは、ソウゴなる男性を探し当てた。


「でも良かったの? 絶対予定入ってるでしょ」

「それはむしろそっちでは?」

「いやー。今日はさすがに厳しいでしょ。それに私、大抵その場限りで継続はしないから」


 あっさりと言うまゆみに、タクトも淡白な反応を返す。

 タクトは、男性を探す間で何度も駅前にてまゆみの姿を見ていて、その都度彼女の隣を歩く人物が違っているのを知っている。二度ほど友人と思われる集団の中でも見かけたが、その時の表情はひどい仏頂面だった。今もそう、まるで世界の全てがつまらないと言いたげだ。

 否定していたが、色々と羨ましい事が多いのだろう。けれど、得られないことも分かっている。だから寂しくて、それを埋めるために一番手っ取り早い形での温もりを求めてしまう。そのくせ認めたくはないから、間に金銭を挟んで誤魔化し続け、そうして出会ってしまった。もっと別の方法で、温もりを与えて欲しいと思う相手と――

 タクトは静かに茶封筒を差し出した。その中には、この二週間で調べ上げたまゆみの求める男性についてが入っている。


「確認した方が良い?」

「おまかせします。ただ、開けない場合は、こちらを信用してもらう必要がありますね。僕たちは今日で終わりなので」

「終わりって……。その言い方は色気なさすぎ。まがりなりにもキスした仲なんだから」


 茶化すまゆみだったが、タクトは彼女の目から唇へ視線を落として軽く笑うだけ。子供扱いにムッとすれば、さらにそれが強まる。

 信用という単語がこそばゆかったのかもしれないし、どこかで見付からないことを望んでいたのかもしれない。まゆみはタクトの前で、封筒を開けようとはしなかった。

 矛盾に苦しむ様子を、タクトは好感を持って眺めた。

 まゆみは馬鹿ではない。その想いが相手からすれば迷惑極まりないことぐらい、依頼をするずっと以前から、それこそ自覚した瞬間に理解している。所詮自分は〝買われた女〟でしかなく、最大の魅力は現実から外れた背徳感だった。

 バッグに封筒を閉まったまゆみは、光が消えていく外をこけにしてから尋ねる。


「一つだけ確認していい?」

「どうぞ」

「いつもの場所に居る限り、また会えるかな」


 明確なことが抜けた質問は、相手によっては自分についてだと錯覚してしまうこともあるだろう。まゆみは敢えてそんな聞き方をした。あるいはタクトに、踏ん切りをつけてもらおうと目論んで。

 けれど、そんなことなどお見通しだ。今日のタクトは珍しくコーヒーではなくホットミルクを飲んでいて、内側に広がる温もりでいくらか眠気を感じながら落ち着き払った息を吐く。


「最寄駅ですからね。でなければ、見つけられなかったと思いますよ」

「そっか。いまさらだけど私、お兄さん苦手だわ」


 そして、思わずといった様子でまゆみから本人に言うべきではない本音を出させた。

 「それは当然でしょう?」タクトが意地悪く笑う。


「あなたが普段相手にしてるおじさん達とは違いますから」

「むしろよっぽど性質が悪い気がする」

「そうですか? それはよかった」


 目の前の男が一枚も二枚も上手だと分かっていても、思考とは裏腹で感情が口を出る。

 初めから感じていたことだが、タクトに見つめられる度、まゆみは一枚ずつ服を脱がされる気がしてたまらなかった。別段、いやらしいものが含まれているわけではない。けれど、心情を丸裸にされると言えるほど優しいものではなく、どちらかといえば解剖されているような、なんとも言い難い冷たさがあった。

 だからなのか。だからこそ、似ているようで違うのか。嗚呼――確かに一緒にはしたくないだろうと、冷たくなってしまったココアにひっそりと独り言を混ぜた。


「お兄さんは寂しいと思ったことってある?」

「そういえば、お母さんが事務所に来ましたよ」


 漂う沈黙を拭うように、ふと、二人の声が重なった。そして作られた暫しの沈黙。それは、先ほどまでのものとは別種のものとなる。

 母のフレーズを耳にした途端、ただでさえしかめっ面ばかりなまゆみが苛立ちを顕に足を組む。もの言いたげな目に晒されても、対するタクトは相も変わらずマイペースを貫き、ホットミルクに変わる店自慢のブレンドコーヒーを頼んだ。

 これでもそれなりに味が分かるらしいまゆみの為に、お気に入りの店で待ち合わせていたのだが、残念ながらその気遣いはホットココアの誘惑に負けてしまって意味を成していなかった。

 「いつ?」まゆみの声は、外から窓越しに届くイルミネーションの光に照らされても、暗さを拭えないほどだった。


「あなたが依頼された同じ日に、家出した娘さんを探して欲しいと」

「そう……」

「僕が何か言ってたら、今ここにいられなかったと思いますよ。言い方は悪いですけど、あのお母さんですし」


 一週間後に一度会っていた時は何も言っていなかったではないか。そうありありと訴えていたが、それも素知らぬふりで通す。まゆみには重い話でも、タクトにとっては世間話と大差ない。同情をするぐらいか。

 そういった事実があったことを、思い出したついでに伝えておこうと思っただけだったので続くものは何もなかったのだが、まゆみは並べられると予想していたお小言に構えていたらしい。拍子抜けした様子でカップから両手を離した。


「……それだけ?」

「それ以外に何かありますか」


 その表情がまるで獲物を見失った猫のようで、タクトは思わず笑いかける。ここで堪えきれず笑ってしまうと、ペルシャの気の強さにそっくりなこの脱走猫は、大いに機嫌を損ねてしまうだろう。口に水分を含むことでなんとか乗り切った。

 陽はあっという間に落ちてしまった。冷たい空気に月が煌々と輝いていて、しかしこの時季は、地上の明るさが極まっている。通行人が大分、カップルに偏ってきていた。

 本当にただ母親が来たことを告げただけのタクトに、まゆみが呆れたのか降参したのか、自分でも良く分からない感情を抱く。レトロな丸いフォルムのチェアの背もたれに全身を預け伸ばした足が、意図せずタクトの組まれた左足の下に落ち着いた。

 まるで相手にされていないのは面白くない上、何も言ってこないのは他人事だからだろうが、苦手ながらまゆみにとってタクトとの会話は居心地が良い。今まで会ってきたどの人間とも違うタイプで、必要以上に気を張るのも徐々に馬鹿らしく感じてきた。

 タクトもタクトで、愛想の悪い猫を相手にしている気が満々だったりするが、それは知らない方がきっと幸せだ。


「家に帰れとか思わないの?」

「未成年であれば建前で言うかもしれませんね」

「冷めすぎでしょ。そこは年上として、大人な態度を取るべきなんじゃない?」

「子供扱いして欲しいなら、もう報酬も貰いましたし、どうぞ駅前にでも行ってください」


 二人の間にまゆみが吹きかけた息は、粉雪のように楽しげに舞う。どうせ調べただろうに変な人だと、彼女は夜に隠れたタクトそっくりな今日の空を見上げる。

 少しでも政治に関心を持ってれば、小野寺という名字でまず思い浮かべる国会議員がいるが、まゆみの父親がまさしくその人だった。一緒に過ごした思い出など学校の先生にも劣るほど希薄な存在は、それでも生活環境だけはすばらしいものにしてくれた。

 だから、まゆみの親を知っている相手は口々に、もったいないと言ってくる。小一時間も実家で過ごしてみれば、それも見事に消えるだろうが。

 いっそありきたりすぎて笑えてしまうほど、そこで求められるの従順で完璧な子供。酸素の代わりに毒が漂い、窒息するだけではすまない。まゆみにとって家とは、居場所ではなく牢獄だった。


「今日が何の日か知ってる? 世のおじさま達にとって今後を左右し兼ねない、重要な家族サービスの日なんだけど」

「滑稽ですよね」

「うっわー……。どんな経験したら、そうなるのかすっごい疑問」


 わざと間延びさせた声とは違い、膝に置いたコートのファーをいじる指には動揺がみられた。羨ましいと思わないまゆみでさえ、さすがに滑稽とまでは思わない。自分の言い方が原因だったとしても、それはきっと思いやりなのだから。

 たとえば疲れていても、恋人の前では笑顔でいようとしたり。たとえば寝ていたくても、子供のために朝早くから出かけたり。そういったのと同じだろう。それをタクトはあっさりと切り捨てた。

 そのくせ、窓の外を眺める目はとても穏やかなのだからわけが分からない。それが灰色の目には一つの風景として映っているからだと、まゆみが気付くことはなかった。 


「ねぇ、お兄さん。今日ひま?」

「三時までなら」

「そんな夜中に予定が入ってるのが不思議。もしかして、駅前で話してた着物のマダム?」

「……あの日も居たんですか」


 綾乃のことだろう。違うと首を振り、タクトは「ここ一帯のボス猫です」と、まゆみの前では初めて年相応の普通の笑みを浮かべた。それがはたして誰なのかは、タクトの平穏の為に黙っておこう。

 「だったら……」まゆみも深く触れず、潤いが保たれた唇で孤を作る。


「私を買ってみない?」

「ホテルで財布の中身を抜かれるのはごめんです」

「そんなことしたら、数日後には〝お父さん〟が大変なことになるぐらい、私だって分かってるって」


 冗談半分で返したが、無言で頬杖をついて見つめてきたタクトから正解なのだと察した。メールが届いたことで意識が逸れ、思わず見知らぬ誰かに礼を言う。

 まゆみは心から、タクトと付き合える人を尊敬してしまった。あからさまに微妙な表情で固まる。

 タクトはといえば、どんな評価を受けようとも気にしない性質なので、顔を上げると唐突に立ち上がって伝票を手に取る。探偵の方が依頼が終われば用済みだと、驚くまゆみはお構いなしだ。


「せっかくですが遠慮しておきます」

「用事でもできた?」

「それもありますけど、なくても断りましたよ」

「なんで? 汚れてるとでも言いたいとか?」


 まさかそんなこと。まゆみの言葉をあり得ないと蹴り、座ったままの彼女を覆うようにテーブルに手をつく。

 至近距離で嗅いだ香りは、喫茶店に漂うものに紛れることなくお互いへと届き、タクトの唇がまゆみの耳元で止まる。吐息によって、フックで飾られた大きめのピアスが揺れた。


「その場しのぎで寂しさを拭えるかわり、虚しさで気が狂いそうになることを知ってるから。それに――」

「っ……、それに?」

「贅沢な我侭を喚く子供を抱いてやる義理はないよ」


 そう囁いた瞬間、赤くなったまゆみの右手が反射的に動くが、それをあっさりと掴んで事なきを得る。喉の奥から零れ出る楽しそうな音は、ひどく(いびつ)だった。

 「ほら、簡単」それが持つ意味が伝わっているとは到底思えなかったが、タクトはそれすらおかしかった。


「大人は怖いから、気をつけて」


 頬に落とされた口付けが一つ。そこはまゆみが初めて事務所を訪れた際、痣が出来ていた場所だった。厚みのない感触はどこまでも空っぽで、体内に苦味が広がる。

 まゆみは立ち去ろうとする線の細い背中へ、あくまで静かに問いかけた。


「ねぇ……、子供と大人の境目ってどこだと思う?」


 混じりのない見事な白髪をもつマスターが、ちらりと二人へ視線を走らせて迷いそうになるその言葉を届ける。小さな店内、三組ほどいた他の客はいつの間にか消えていて、邪魔をするものはなにもない。

 答えを待つ熱い視線を浴びながら会計を済ませ、タクトがまゆみと最後に目を合わせたのは、出入り口を僅かに開けてからだった。冷気が素早く手先から温もりを奪い、扉につけられた鈴を鳴らす。


「さあ? 大人びた子供なら知ってるかもしれませんよ」

「……依頼、ありがと」

「こちらこそ。メリークリスマス」


 店内に大きく鈴の音が響き渡った後、まゆみが見つめる先にタクトの姿はなかった。

 それからしばらくして、タクトが夜の駅前を通った時、まゆみの姿を見る機会が何度かあった。どうやら彼女は、相も変わらず寂しさを虚しさに変える日々を過ごしているらしい。腕を絡める相手に見覚えは無かった。

 ただ、タクトにも今回の依頼では消えないものが出来た。


 『子供と大人の境目ってどこだと思う?』


 どうしてかその言葉だけがふとした拍子に浮んできて、タクトの中の一部分を徐々に強く締めつけほどけない。

 子供でいられた期間など、記憶の中に存在しないというのに――







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