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そして僕等は夜に溶ける  作者: 林 りょう
CASE3《とある女子大生の場合》
15/44

類似




 荒れた内を静めようと深呼吸をしていたタクトの邪魔をし、無断で事務所に侵入した来訪者は小野寺まゆみと名乗った。

 先ほど怒りを買った馬鹿女と歳の変わらないまゆみは、どこか人を拒絶する独特な雰囲気を醸し出していて、それは一言でいうなら鋭利。その切っ先が向いているのは、おそらく一方向では無いだろう。


「すいません、今たてこんでまして」

「あんなのに一々神経使ってさ、疲れない?」


 タクトが立っている横の壁は、彼が蹴るに丁度良い高さで汚れを作っていた。

 まゆみはそれを一瞥し、了承もなしにソファーへと腰を下ろす。その姿で普段は頼りないと評判の探偵が、前髪を掴んで大きな舌打ちを響かせた。

 ペースを乱してくれる輩が本当に苦手なのだろう。そもそも、そういったタイプが噂を頼ることがないからこそ、タクトはタクトらしく探偵としてやっていけてると言った方が正しい。噂が流れる以前は、自分から仕事を探さない限り、扉が叩かれることなどなかったのだから。


「大丈夫、私はちゃんと依頼をお願いしに来たから」

「……だからって、大丈夫の理由にはならないと思いますけど」


 怒ることは体力を必要とする。疲れたのか諦めた様子で対面したタクトへ、まゆみがコーヒーを強請った。

 ここは喫茶店ではないと、気分が乗らないせいか珍しく振舞おうとしないタクトだったが、まゆみが意外にも歳相応の不貞腐れ方で残念がる。


「せっかく、噂の味を確かめられると思ったのに」

「噂の味?」


 好き勝手に囁かれているタクトではあるが、そのフレーズは初めて聞くものだった。人の口には戸が立てられないので尾ひれが付くのは仕方が無いことだが、だからこそある程度は把握しているつもりだ。

 いぶかしんだタクトを見て、まゆみは知らないのかと面白そうに気分を上昇させる。


「切ない味。まるで自白剤だって言う人もいるらしいよ? ロマンチックなのだと心を溶かすだとか、後は……、なんだっけ。とにかく色々」

「それって喜ぶべきなんですかね」

「だと思うけど。ねぇ、少し豆分けてくれない? どっかの珈琲好きが高値で買ってくれそう」


 物怖じしない性格だからか、それとも単純に不躾なだけなのか。馬鹿女の苛立ちに上乗せされるまゆみの態度に、そろそろ吐き気を感じてくる。

 ただ、それでも二人の女へのタクトの態度は違う。来訪者でありながらぞんざいな扱いをし、呆れなどを容赦なく浮かべつつも、まゆみに対してはしっかり相手をしていた。それはやはり、彼女の持つ雰囲気がどこか曖昧だからだろうか。

 無言で立ち上がると、タクトはキッチンの奥へと消えていった。暫くすると事務所の空気が変化を見せ、まるで古書店や小さな古き喫茶店のような、言うなれば時を落としていく。

 香りだけではなく肌で感じるその明らかな様子に、まゆみがひっそり魔法みたいだと思ったことなど誰にも分からない。それでもそんな子供染みたことをまさか自分が思うなんて。彼女は一人静かに羞恥でもだえた。


「確かに豆は、知り合いに頼んで海外から直接手に入れたりしてますけど」


 それでも所詮、下手の横好きだ。タクトが差し出したカップを持ち、香りを楽しむ姿に生意気さは感じられない。馬鹿女に似た我侭さで困らせたと思えば、真逆の落ち着きをみせたり。不思議な子だと観察してしまう。

 麗華を見ているので派手の規準が狂っているとしても、持っている物の質も服装も、全てがなんとも言えない中間ばかり。内面を上手く悟らせないようにしているのだろうか。


「好きこそものの上手なれってね。でも噂とはちょっと違ったかも」

「それなりに、あなたも? よかったら今後の参考として感想をいただけませんか?」


 その間にタクトの一杯を堪能したらしいまゆみが顔を上げ、微妙に腑に落ちない表情を浮かべるものだから、ひっそりと持っているプライドが刺激される。建前と謙遜も、こだわりを前にすると実に呆気ないものだ。

 まゆみは気付いているのかいないのか、緩く笑うとカップを置いて腕を組む。こういった仕草がまた、彼女をおしとやかに位置付けない。

 それでも今回タクトが出した種類は、あまり他人には出さないとっておきのものだ。それを本当に見極めたとすれば、好きですますにはまゆみの歳では贅沢が過ぎる。売りつけると言っていたあたり、杞憂だと思いたいが……。


「喫茶店でもやったら相当儲かるんじゃない? あー、でもそうか。やっぱり納得、噂通りかも」

「人の話を聞くように、周りからよく注意されませんか?」


 そんなタクトを他所に、まゆみは至極ご満悦だった。テーブルで隔てられた二人の距離を身体を伸ばして詰め、あるモノへと手を伸ばす。

 ジッとその行動を見つめる前で、タクトのカップの中に無数の粒が降った。甘く細かいグラニュー糖は、あっという間で熱に犯され消えていく。


「優しくもなれるし、話したくもなる。心を溶かすんじゃなくて、相手の望んだ味になれるって感じ」

「本当にそうなら、僕の技術は随分ですね」

「さっきは褒めたけど、今のはそうじゃないって分かってるでしょ?」


 タクトの反応につまらないとぼやき、彼に代わってカップの中に渦を作る。指での所業に、無理やり静めていた内側も揺れた。誘惑たっぷり濡れた人差し指を向けられるが無視しておく。

 そして、視線を一切逸らさず、本来であれば絶対に口にしない余計な味が混ざった液体を口に含むと、大人しめの色で彩られた唇を荒々しく奪う。

 タクトの中で重要なのは、客であるかそうでないか。となると、まゆみは現時点ではどちらかというと侵入者でしかない。

 突然の行動に驚き暴れるまゆみの後頭部を押えつけ、立ち上がりながら顎を上に向けさせる。そうして出来た喉の直線に、タクトは口内のものを流し込んだ。


「っ、ごほっ……、あっまぁー」

「ほんと台無しです。責任持って飲んでください」

「お兄さん、予想以上にワイルドだったんだね」

「今日は気が立ってるんで。了承なく強引に居座っているあなたが悪い」


 胸を叩かれる前にすんなりと離れれば、むせて潤んだ瞳で睨みつけながら、まゆみが舌を出して呻く。タクトも口の中の居心地が悪いのか、ゆっくりとした喋り方で、不機嫌に自分の分を淹れなおしに行った。

 この時両者共が、相手に対してつまらないとぼやいていた。

 タクトはまゆみが怒れば良いと思っていたし、まゆみもまたタクトの感情を曝け出そうと煽っていたのだが、お互いが目論見を外している。

 おそらく二人を客観的に見れる第三者がこの場に居たとすれば、誰もが同じ感想を抱くだろう。どこか二人には似たものがあるように思えた。


「だって、しょうがないじゃん。噂の探偵さんは、一件しか依頼を抱えない。かならず一週間は時間を欲しがる。気に入らないと追い返すっていうんだもん」

「良く知ってますね」

「どっかの頭まで遊ばせちゃってる馬鹿とは違うから。それに、こう見えてけっこう顔、広いんだよね」


 そう言ってまゆみは、自分の頬を引っ張って笑う。今度はちょっかいを出されないようしっかりとカップを彼女から遠ざけ、タクトは口の中の甘さを殺しながら黙って見つめた。

 干渉しないだけであって、気付いていないわけではない。何度明るい表情を見せようとも、目が笑っていないこと。その目の下、頬の辺りには化粧で隠し大分薄くなっているからといって、間違いなく殴られて出来た痣があることだって、タクトはとっくに見つけていた。ソファーに座るまでの間で、若干右足を庇って歩いているようにも思えたから、もしかしたら見えない箇所にも何かしらありそうだ。

 急に黙り込んだ相手に、まゆみの顔から不真面目さが消えていった。


「お兄さんの淹れたコーヒー、何の邪魔も入ってない」


 そこに話が戻るのかと、若干面倒くさくなったのはタクトだからか。追い返さない時点で、既に依頼を受ける気にはなっているというのに、まゆみは気付いていないらしい。内容に関わらずというのは、早々あることではないというのに。


「どんなことも普通、癖とかでるはずじゃん。あとはほら、ありきたりなところでいえば、料理は気持ちを込めてとかさ?」

「それが?」

「なのにお兄さんの味は、何もなし。空っぽ」


 何が言いたいのか首を捻れば、それに合わせてタクトの唾液が通った喉も傾ぎ、まゆみは狙ったように唇をなめた。グロスが剥がれ、彼女本来の色があらわとなる。薄く、あるいは青くさえ思える、両端が対称につりあがった綺麗な形をしている。

 貪りたいとは言えない厚みでも、なめとりたいといった控えめながらも深淵でざわめく欲求を呼ぶ。

 けれど、タクトが気になるのは先の言葉だった。まゆみが依頼を告げずからかうようにしていたのもまた、それ(・・)が嬉しかったからなのかもしれない。


「ねぇ、もしかしなくとも私たちって似てるんじゃない? つまんない、中身の無い人間ってところがさ」

「一緒にしないでください」


 間髪を入れずの拒絶を一体どう受け取ったのか、まゆみはとても同情的な視線を投げる。それが目上だったらまだしも、二、三年の差でしかないとはいえ歳下にされるのは、屈辱の一言で済ませられるものではない。

 ただ、これに関してタクトが怒ることはなかった。

 なぜなら、似ているのは間違い無いからだ。そして、薄っぺらいのも否定できない。

 自分は、自分であって自分ではない。演劇のセリフにもならない安っぽさだが、まさにそうだろう。加えて、そこに誰かが居て初めて、地に足をつけられる。まるで松場杖とするかのように。


「まぁいいや。でも、きっと理解してくれると思う。うん……、私はどうしても、お兄さんにお願いしたい」


 タクトの灰色を見たまゆみは、はたしてそれは色と呼べるのだろうかと悩んだ。遺灰のようだと思った者より、雪を降らしそうな雲を連想した者より、それはもしかしたら核心に近かったのかもしれない。


「人を探して欲しいの」

「写真はありますか?」

「ない。連絡先も知らない」

「……知っていることを全て、話せるのなら善処はします」

「全然おっけー。というか、ほとんど知らないし」


 会いたい人――会える人――が居る。その時点でまゆみは自分より遠く、よりこの世に近い場所にいる気がした。鼻で笑ってしまうも、タクトは今更ながら懐から名刺を取り出す。

 そして、仕事机から書類を取り出して契約に移り、しっかりと探偵の顔を見せた。


「相手の名前は?」

「ソウゴさん。でも偽名かもしんない」


 まゆみの字は意外にも、繊細で誰に見せても恥ずかしくない整い具合だった。元はそれなりに育ちが良いのかもしれない。

 けれど、この後に出てくる言葉に、その気配は微塵も感じられなかった。


「……どういった関係かきいても?」

「さすが、勘が良いね。ちなみに歳は43とか言ってたかな」

「その怪我も関係があるなら、料金上乗せしますから」


 最近、安請け合いがかなり板に付いてしまった。自己嫌悪に陥るタクトを前に、まゆみがバレてたのかと苦笑を零し首を振る。

 違うならまだ良いが、だとしたらまゆみ自身が問題の塊だろうと安堵はできない。どちらにせよ、といったところだ。


「これはちょっと調子のっちゃって。狙う相手間違えたって感じかな」

「どうこう言うつもりはありませんけど、程々にしておいた方が身の為ですよ」


 忠告に肩を竦める様子に、それ以上は何かを言うつもりはない。

 ただ、こうなると探すのには結構苦労するだろう。どうしようか悩んでいると、タクトが断ると思ったのか、まゆみが不安そうにしていた。


「お兄さんは、どうしてだと思う?」

「なにがです?」

「私がこんなこと平気で出来るの」


 今度はタクトが知ったことではないと軽い反応を見せるも、まゆみは黙って答えを待った。

 二人ともはっきりと口にはしないが、これといって悪びれた素振りもみせない。その理由に当てはまる言葉は、自己責任が一番しっくりくる。

 おそらく頬の怪我などは、制裁もしくは報復か。仲間割れでもいいかもしれないが、とにかくそういった類だろう。真面目ではなさそうだったが、そこまで道を踏み外しているとは、人とは見かけに寄らないものだ。


「一番手っ取り早く、満たされた気になれるからでしょう? 後腐れなく済ますには、お金が一番ですし」

「あっさり言ってくれるね」

「むしろ、僕からすれば……。いえ、年齢が上がるのは、むしろそうでないと納得してくれないからってところですか」

「そうだねー。その分、結構過激だったりするけど」


 濁した先にあるのは、自分。まゆみには関係のないタクトだ。

 馬鹿女同様、少しは耳にしているのか、まゆみは言及せずにひらりと顔の前で手を振った。

 参考に出来る情報は極僅かで、タクトの手腕が問われる難しい依頼は、こうして彼の下にもたらされた。

 自分を見つけられずに二十年あまりを過ごしてきた女が初めて求めた相手は、夜の街で偶然出会った倍を生きる男だという。その二人を繋げようとこれから奔走するのが、自分を失って長い半透明な探偵なのだから、縁とはあなどり難い。

 一日で十分頭を悩ませ、ストレスを抱えたタクトは、まゆみを帰らせてから深くソファーに沈むのだが、その一時間後にまた別の者によって苛立ちに苦しめられるなど、この時は全く予期していなかった。

 どうやらこの日は壊滅的に、運が無かったらしい。司とも、違った意味で似た者同士だったようだ。








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