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そして僕等は夜に溶ける  作者: 林 りょう
CASE2《とあるホストの場合》
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誘惑




 薄暗い店内で充満するのはアルコールと煙草、そして様々な種類の香水が混ざった香り。それはどこか魅惑的な雰囲気を醸し出していた。

 タクトは何度も目を瞬かせ、現実が薄れてしまわないように気をひき締める。懐かしさは危ない。自分がどこに居るのかおぼろげになり、混乱してしまう。

 特にこの場は、普段は薄いタクトの色が例外的に濃く残っていた。人と場所、どちらに対しても。


「浮かない顔してる」


 賑やかな中心から離れ、ひっそりと端のテーブルで傍観していたそんなタクトへ声を掛けたのは、気合が過剰に入った誰よりも目立つ格好をしている麗華だ。ドレスも髪も、入口から溢れるほど飾られていた大量の花が遠く及ばない域に達している。

 タクトは麗華が楽に座れるよう身体をずらした。


「麗華さんは楽しそうですね」

「そりゃあ、そうでしょー。司の誕生日パーティーに招待してもらえるなんて、うちの店でトップになるより凄いことなんだもん」

「プレゼントは何にしたんです?」

「もちろん、この私」


 胸に手を当て自信満々に言い放つ姿は、はっきりいって男らしい。「まじですか?」失笑しながらくだけて聞くと、「最上級のプレゼントでしょ」悪女らしく妖艶に微笑んだ。

 そんな二人に気を利かせ、かつての仕事仲間が水割りのセットを置く。自分で用意しようとした麗華の手を掴んで止めると、タクトは流れる動きで酒を作った。

 けれど麗華は少し赤く染まった頬に潤んだ瞳で、不満気にタクトを睨む。


「ほんと器用よね。タクトの動き、ここの誰よりも完璧じゃない」

「司さんがいるじゃないですか」

「あいつは客に作らせるような男だから問題外」


 大胆なスリットによって惜しげもなく太ももを晒しながら足を組み、シルバーのハイヒールを揺らす。

 会話は途切れ二人は外野として、今夜の主役へと視線を向けた。

 招待された司の客は勿論、ソワレのスタッフも楽しそうに彼の誕生日を祝っている。盛大に豪華で、賑やかで。それは司の人柄そのものにも思えた。

 けれどその中には、許容できない人物もいる。上手く周囲にとけ込んでいるようで、けれど二人からすれば浮きに浮いている。探さずともその姿はすぐに見付かった。


「あの子の名前、なんていうの」

三戸優花(みとゆうか)さんです」

「ふーん……。あらまあ、泣きそうな顔で笑っちゃって」


 この場に居る女の全てとはいわずも、大部分が欲して止まない司の心を得た勝者は、何かひっかかるものがあるのか素直に楽しめていないらしい。

 麗華がそれを刺々しく言い捨て、豪快にグラスを空ける。タクトがすぐに新しいものを作ろうとするも今度は譲らない。そして丸い氷で身体の内側をざわつかせる音を奏でて、出来上がった濃いめのそれを突き出す。

 タクトは自分の分はまだあると示すが、ひったくられた上に飲み干され、挙句「これ、ただのウーロン茶じゃない」と叱られてしまった。


「大丈夫だって。誰でも貸したげるから」

「麗華さんのものじゃないでしょう」

「付き合い悪いわねー。いいから黙って私の酒飲みなさいよ」


 黙っていれば文句なしで美人な麗華が、有名にはなっても夜の蝶を上り詰められない理由はこういうところにあるのだろう。つかまってしまった時点で手遅れだった。そう諦めグラスを口へと持っていく。

 「濃い……」そう呟くタクトの眉間に指を添え、皺を伸ばしながら麗華は軽快に笑った。


「で? タクトはサプライズゲストなのに、なんでそんな格好?」

「ちょっとした皮肉と嫌味です」


 ふっきれたのか、首元のタイを緩め大きく胸元を開けるタクト。彼はボーイの格好でこの場に居た。

 サプライズゲストといっても司に対してではなかったのだが、それではタクトがつまらなかったらしい。ちょっとした悪戯を仕掛けたわけだ。あいにく結果は、悪乗りした司にこき使われそうになるだけだったが。


「後で手が滑ったとか言って、頭からなにかぶっかけてやれば?」

「スーツが勿体無いからやめときます。そのかわり、時計でもたかろうかとは思ってますけど」


 そうして再び途切れた会話。麗華が話題を振らない限り、タクトからはあまり期待できないだろう。喋れば今のように冗談も言うし話しやすいが、自分から口を開くことはめったにない。

 麗華は先ほど名前を知った三戸優花がいる限り、司の近くには寄れなかった。いたくない。単純な嫉妬であればそんなことにはならないし、司が誰を好きになろうが自分は変わらない自信がある。

 けれど、そもそも三戸優花のようなタイプは苦手だ。不幸面を隠そうともせず、そうして他人を理由にするようなのは、女であっても女々しいと思う。司がどんな気持ちで招待したのか、その対象ではないのに気付いてしまう自分が腹立たしいし、そのお人好しな優しさ自体にも苛々する。

 こんなささくれた感情を持ったまま輪の中に居れば、ふとした瞬間に暴言を吐いてしまいかねない。司やタクト、男であれば〝どうして自分では駄目なんだ〟と考えられるのだろう。けれど、麗華はどうしても〝なんでこんな女が〟そう考えてしまうのだ。受け入れられない相手だからなおさら。自分も大概女々しくて呆れる。

 荒れた気分は普段だったら中々静まらなかっただろう。タクトが居てくれて良かったと心から思う。隣に居るだけでも、渦巻く感情が波引いていく。

 けれどその代わり、ほんの少しだけ寂しくもなる。それは魅力の一つだけれど、人の黒い感情までタクトが背負っているようでもあった。


「ねえ、タクト」


 麗華が組んだ足に頬杖を付いて隣に視線を移動させると、タクトのグラスの中身は半分ほどになっていた。


「結局さ、あの子は何で司に近づいてたの?」

「つまらない自己満足ですよ」


 綺麗な丸だった氷は、とっくに形を歪なものへと変えている。タクトの言葉には、麗華以上の棘が含まれていた。

 好き嫌いを明確に示さないタイプなのに珍しい。麗華が若干目を見張る。


「じゃあ、司そのものに原因はなかったってわけね」

「はい。彼女の姉が二年前、ホストに騙されて自殺していました」

「あー……、なるほどねぇ。それを理由に恨みを持って、ホスト相手に騙し返してたってところか。それでもってその集大成として、司に目を付けたって感じ?」


 タクトが事細かに説明しなくとも、簡単に察しがついてしまった。

 正解だと頷けば麗華が隠そうともせず舌打ちをし、タクトはひっそりと溜め息を吐く。そして次には二人して、くだらない、その一言を同時に放つ。

 けれど三戸優花は、どう騙そうとしていたかは分からないがある意味思惑を成功させているにも関わらず、浮かない表情をしている。タクトが気に食わないのはそこだった。罪悪感を感じるぐらいなら、初めからやらなければ良いと呆れてしまう。

 しかし、麗華は違った。相手は絶対に司が自分に惚れていると気付いていない。そう易々と悟らせるようであれば、司はこの世界で生きてこれなかっただろう。そのくせ基本的に甘く優しすぎるのだから、壊滅的に馬鹿で卑怯者だ。

 罪悪感を感じさせるぐらい、あいつは姉を騙したというホストの分も償おうと真摯に向き合ったのだろう。麗華は苦笑する。自分の心を持っていったのはそういう男だ。

 司が一番最初に勤めていた店を辞めた理由を、麗華は大分昔に聞いたことがある。当時の先輩から、金払いの良い客を一人騙して絞り取れと言われたらしい。それに激怒して結構な怪我を負わせてしまったそうだ。

 誠実すぎて、この仕事が一見向いていないように思えるけれど、それぐらい司は誰かを喜ばせることが好きだった。特に女の笑顔は見ていて気持ちがいいと、麗華の笑顔を良く褒めてくれる。

 麗華はおそらく司が三戸優花に惚れる原因にもなった相手を見た。タクトの瞳はどうしてか、薄暗い照明でも灰色だと見分けがつく。


「タクトはどうしてホストになったの?」


 答えは返ってこなかった。タクトは悪びれもせず堂々と聞こえないフリをして、にこやかな表情で酒を作り替える。

 「じゃあ……」麗華は諦めず別の言葉を掛けた。


「どうして辞めたのよ。店以外での実際の稼ぎは、司以上だったと踏んでたんだけど、私」


 グラスに口を付けようとしていたタクトの動きが止まり、目が細まる。その仕草はソワレで働いていた時にはまったく見せなかったもの。

 探偵になってから一年。麗華の中の女の勘が、最近のタクトは何かが変わってきていると告げていた。それが一体どんな影響を及ぼすかは分からないけれど、少なくとも今の方が人間らしいとは感じられる。


「……知ってみたくなったんです」

「それはこの店で働きながらじゃ駄目だったってわけね」

「いつか近づけると、ずっと思ってました。でも、司さんの働く姿を見ていて、段々と自分が恥ずかしくなったんです」

「ふーん……? 何に近づきたかったのかは知らないけど、真っ直ぐだからね、あれ。笑えるほど馬鹿だけど」

「教えるつもりはありません。たまに本気で悲しくなるほど馬鹿ですよね」


 話題の中心に居る人物は、相当貶されているとも知らず、新人の首を腕で固定して髪を揉みくちゃにしていた。爆笑の渦が広がっている。

 「だってさ、マネージャー」麗華が首を倒して告げると、タクトが振り向くより先に頭で二回ほど重みを感じた。そうして空気のように佇んでいた大柄な影は、何も言わず遠ざかっていく。

 驚いた表情で固まる姿に零すような笑みを作ると、麗華はグラスを置いて唐突にタクトの膝の上に向き合う形で乗った。スリットが広がり、白い肌が光ってタクトの太ももを撫でる。獲物を定めた猫のような目をして、開いた胸元へ指を侵入させ、長い爪が肌を滑った。


「重いです」

「タクト、私ともセックスしてみない?」

「ふざけ過ぎですよ」


 冗談かと思ったが本気が滲み、タクトが声を強めて逃げようとするも、麗華は失礼な発言も拒絶も無視してさらに肩へ両腕を置く。

 周囲からはタクトの表情が麗華の体で完全に隠れてしまい、抵抗している様には見えなかった。二人に近い者から徐々に司へと違和感が伝わっていくが麗華は止まらない。


「別に、司に義理立てする必要はないでしょ? さっき言った誰でもは、私も込みだったんだけど」

「とりあえずどけて下さい。僕は麗華さんとそんな関係になるつもりはない」


 タクトは焦っていた。麗華の背中で楽しげな雰囲気が変貌し、鋭い気配が自分に向けられる。司がこちらに気付いたらしい。

 本当に傍迷惑な人達だと思える分にはまだ良いが、それで殴られでもしたらさすがにたまったものではない。けれどここで強制的に退かそうと腰に手を置いたら、麗華はさらに悪乗りするだろう。

 司もなぜその状態で、別の相手に気がいったりするのか。やっぱり来るんじゃなかったと、タクトは誰か助けてくれそうな人が居ないか探し始める。


「どうして? 誰の誘いも断らないって有名だったじゃん」

「だからそれも含めて、辞めたくなったんです」

「そう……。でもさ、だったらさー」


 そこでやっと、麗華がタクトの膝から立ち上がってくれた。一先ず安堵するも今度は強い力で頬を掴まれ、強制的に顔を上げさせられる。

 酔っ払っているにしては飲んだ量は大したことなく、そもそも麗華は底なしだ。だからこそ、何かしら意図するものがあったとしても性質が悪い。

 そんな時、司とタクトの目があった。眉を下げたタクトの様子に、司も違和感を感じたらしい。そして麗華が軽率な行動を取る女ではないことも知っているので、一旦不機嫌さを静めてくれた。

 ただ、タクトと麗華では麗華を尊重するようだ。手助けはしてくれず、放置されてしまう。

 なんとか逃げてそのまま帰ろう。タクトは強く決め、麗華の手の上に自分のを重ねて剥がそうとした。

 けれど、それは色の濃い唇から零れたものによって叶わない。


「中学生の坊やでもないんだから、いい加減女を抱く事を知りな。割り切れない奴が居座りすぎたから、そんなことになるんでしょ」

「僕は、別に……」

「あの子もそう。姉であれ他人だっていうのに、それを無理に背負おうとするから、馬鹿な仕返しなんてしようとする。少しは私と司を見習えっての」

 

 大部分は八つ当たりだったが、言葉そのものはやっとタクトに言えた麗華の本心でもある。

 麗華はタクトほど夜が似合わない男を見た事が無い。繊細すぎて、一歩間違えば溶けて消えてしまうだろう。

 なにより、せっかくの良い男が何かに縛られているのはもったいなかった。タクトは本人が思っている以上に、この街の色んな人間から好かれているのだから。

 けれど、自分も司も、今まで力になれるようなことをしてこれていない。なにせタクトは、その何かについて一切垣間見せないのだ。聞く耳すら持たなかった。


「そりゃあ、私も仕事で抱かれることはあるし、抱かれてやることもある。でも、だからこそ抱きたい相手はいつだって一人だけ」

「麗華さんほど姐御って呼び方が似合う人も珍しいですよね」

「誤魔化そうとしない! あんまり女なめてると、いつか刺すわよ。タクトもいい加減、抱きたいと思える誰かを一人ぐらい見つけなさいよ」

「難しいなあ……」


 情熱的というよりも、飾らないストレートすぎる内容に苦笑してしまう。麗華なら本当に刺してきそうでなおさら怖かった。

 それに……。タクトは心の中での呟きでありながら言葉を濁した。とことん汚れたかったのだと言ったら、麗華は容赦なく右手を振り上げるだろう。それでもって丸一日、説教をしてくれるはずだ。


「僕はまだ、……抱かれているから」

「じゃあ逆に抱き返してやるぐらいしなさいよ。そしたら抱き合えるじゃない」

 

 肩を竦めると、取り上げたグラスを渡してきて顎で促す。司そっちのけで構ってくれるのは嬉しいが、そう言う麗華こそ今は慰めて欲しいはず。

 タクトは一気に濃い中身を飲みきり、麗華を見上げた。


「麗華さんは、どうするんですか?」


 強い眼差しに、タクトは〝もし〟と思わずにいられなかった。あの人がもし、麗華のように強ければ……。けれど、そう考えてすぐ、だとしたら今の自分は居なかっただろうと、それはそれで違う気がした。

 尋ねられた麗華といえば、「そんなの決まってるじゃない」明るい髪をかきあげている。


「どうもしない。私は今の状態に満足してるし」

「……司さんは、どうするんですかね」

「同じでしょ。伊達に司のお気に入りしてないからねー、私。アイツも何もしないし、今回は気の迷いだったって自分でも分かってるでしょ」


 それなら良い。麗華の方が何倍も司と付き合いは長く、理解もあるので疑う必要はなかった。

 ただ、二人は割り切りが過ぎるから、麗華は現状に満足してしまっていて、司に至っては自覚さえできていないのではないだろうか。時折司に腹が立つぐらいでタクトも今の関係に不満はないし、変わることで面倒が増える気もするので言うつもりはないが。


「どうせ、今日にでも自分が知ってるって……、優花だっけ? あの子に言って、それでお姉さんの墓参りに行かせてとでも頼むんでしょ。それで彼女は司の前に二度と現れなくなって。はい、おしまい」

「これが憎めない馬鹿ってやつですか」

「どっちかっていうと、愛すべき馬鹿でしょー」


 ドサリと座り直した麗華の呆れた視線に気付いた司が、今更不審に思ったのか二人に手招きをする。舌を出して答えると、あまりの無邪気さにタクトが噴き出してしまった。


「司さんが愛想つかされないよう祈っときます」

「私に? 大丈夫なんじゃない? 今回の件で、さらに惚れ直したから」


 しれっと言うがどこにそんな要素があったのか理解できず、女の心と勘は馬鹿にしてはいけないと肝に命じ、タクトはとり合えず、やっぱり司には高めの時計を強請っても罰は当たらないだろうと思った。

 もしかしたら恋の方がより複雑で、それぞれの感情によって様々な味を生むのかもしれない。まるでそれは、甘くも苦くもあるカクテルのように。


「で、誰か必要?」

「今日はアルコール以上に酔える美人が居るんで遠慮します。その代わり、美味しいお酒に付き合ってくれませんか? どっかの馬鹿はほっといて」


 タクトの言葉に麗華が親愛を込めて頬にキスを送ると、子供のように司が唇を尖らせて駆け寄ってきたので、二人は声をあげて笑った。





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