8 寝付かせ師と騎士の上着
エルクスの姿が人並の向こうに消えたところで、オフィーリアは口を開いた。
周りはがやがやと騒がしく、いつもより声を張る。
「あの、アルフォース様?わたしは大丈夫ですから、用事を済ましに行かれてください」
「用事?」
アルフォースが不思議そうに首を傾げた。
「はい。この前『気になること』があると仰っていましたよね」
心なしか、アルフォースの表情が緊張を帯びた。
「ああ、そのこと。もう済んだんだ」
あれ、とオフィーリアは思うが、口にする権利はない。
所詮は使用人だ、と自分に言い聞かせる。
「…そうだったのですか。わたしはてっきりまだなのかと」
それならば、オフィーリアがすべきことはアルフォースの手を煩わせないように最短経路で屋敷に戻ることである。
「では、こちらに行けばいいんですよね」
そう言うなり進もうとし始めたオフィーリアを見て笑いながら、背に手を当てて向きをやんわり変えさせる。
「いや、あちらだ」
向きを正されてオフィーリアは心底恥じ入った。自分の方向感覚の無さを呪いたくなった。
「そうでしたか…」
いや、でもわたしは確かにこちらだと…と思ったが、口には出さない。
墓穴を掘ることになりかねないのは自分が一番わかっている。
…それにしても、アルフォースは目立つ。
その類い稀な美貌もさることながら、清廉な騎士の白い制服がさらにそれを引き立てて余りある。
その姿を見慣れたオフィーリアですら目が眩みそうだ。
しかも、
「それ、貸して」
と花を入れた籠を奪われてしまったものだから、今の二人を客観的にみると
色とりどりの花を持つ騎士の服を着た美青年とそれに従う女の図、である。
どんな状況だ、と首を傾げる人がいるのも無理はない。
騎士が花を手当たり次第に配っているのか?女連れで?
それとも、あれは既にひっかけた女なのか。
オフィーリアは肩に掛けていたショールをとり、花を隠すべく、そっと籠にかけた。
「どうした?」
「いえ、少し注目を浴びていましたので」
アルフォースは「そうか…」と思案した後、籠を持つようにオフィーリアに言った。
ほっと戻ってきた籠を手に持ったところで、アルフォースはおもむろに上着を脱いだ。
そしてそれを、あろうことかオフィーリアに着せ掛ける。
何事だとあわてるオフィーリアの手から、また籠は奪われた。
「上掛けがないと寒いだろう。その上着は重いかもしれないけど」
アルフォースはどこか不機嫌そうに少し眼を細めた。
「それに、いつもより服が薄い」
確かに、現在はサティのいう『街で流行の服』に着替えさせられており、いつもの詰襟の服より軽やかだった。…主に足元と襟ぐりが。
加えてオフィーリアは寒がりである。それを知っていて気にかけてくれるのはありがたい。
しかし、今問題なのはそこでは無かった。
現在の二人は、籠を持った騎士服の美青年と何故かその上着を借り受けている明らかに騎士ではない女である。
確かに、先ほどよりはおかしな点はない。
星譚祭の雰囲気にさっきよりは溶け込めている。
その事実が、オフィーリアには不安のもとだ。
何か、アルフォースに不都合な噂が立ちはしないだろうか?
さらにオフィーリアには気になることがある。
アルフォースにはぴったりな寸法の騎士の制服も、オフィーリアにはぶかぶかだった。
袖など、手の平もう一つとさらにあともう半分ほどの長さが余っている。
不格好だ。非常に、不格好だ。
情けない顔で現状を訴えると、アルフォースはしげしげと眺めると、満足そうに頷いた。
「似合ってる」
「っそんなわけないじゃないの!」
求めていた反応と真逆の言葉を貰い、思わず間髪入れずに切り返してしまった。間髪入れなさすぎて敬語を忘れた。
慣れない素早い反応をしてしまったせいだ。
そこでまたオフィーリアは項垂れた。
「申し訳ありません、失礼を…」
「問題ない。いや、なんか嬉しいな。これから敬語をやめてそうしてほしい」
「無理です」
それから、それた話を強引にもとに戻し、籠をオフィーリアが持てば問題は無いのだと必死に説得を試みるが、アルフォースは聞くそぶりをみせない。
「いいじゃないか、少し暑いなと思ってたんだ」
その言葉に、『洋服掛け』という単語がオフィーリアの頭のなかをちらついた。
そうですね、くしゃっと手に持つより掛けておいた方が皺になりませんものね。
オフィーリアは諦めた。
今回は珍しく頑張ってみたが、結局はいつものごとく諦めた。
例によって、諦めの早さは健在なのだった。
オフィーリアは彼方を見つめながら思った。
---わたしは頑張りましたよ。後で文句は受け付けませんからね--