6 寝付かせ師と黄色い花
どこかへ行ったエルクスが戻ってきて、これからどこで何をしようかという議論を3人(実質2人)で始めていくらもたたないとき、予想だにしていなかった低い声が辺りに響いた。
「サティ!」
ほっとした顔を隠しもせずに駆け寄ってきた男性に、呼ばわれた当のサティは呆けた顔でそちらを見つめて固まっている。
完璧な淑女の仮面は剥がれ落ちてしまっていた。
「ロベルト……?」
「よかった、見つかって」
と邪気のない笑顔で近寄ってくる自分の恋人をしばらく凝視した後、ようやく自分を取り戻したサティは険しい顔で彼を睨んだ
「あら、ロベルト。あなた、今日は仕事があるってわたしを袖にしたくせに、結局遊び歩いてるわけ?」
ロベルトはその言葉に足を止め、困ったような笑みを浮かべた。
「…きみが誘ってくれたとき、その日は仕事があるから『夜からしか』会えないって言ったんだけど。もしかして、聞いてなかった?」
「あら!」
そう声を上げて、口に手を当て、その手の陰で小さく呟いた言葉は、最も近くにいたオフィーリアにだけ聞き取れた。
「…聞き間違えちゃったのかしら」
どうやら、サティのはやとちりだったようである。
「どうりで、迎えに行っても居なかったのか…まあ、誤解も解けたところで、これから一緒に過ごせるかな、サティ?」
約束をすっぽかされた挙句に人ごみの中を探し回るはめになり、そのうえ非難を受けたというのに、怒るそぶりも見せないロベルトに、毎度のことながら感動したオフィーリア。
なんとしても彼に報いてあげたい気持ちがわきあがった。
「えーーっと…そうねぇ…」
サティは珍しくも口ごもった。
ちらりとオフィーリアを伺う視線を感じた。
その視線にオフィーリアは覚悟を決め、お腹の底に力を込めた。
サティを気兼ねなく行かせてやらなければ。主に、ロベルトのために。
「行きなさいよ、サティ。ごめんね付き合わせちゃって。わたしもエルクス様とゆっくりお話したいし、楽しんできて」
それまで黙って成り行きを見ていたエルクスも口を開いた。
どうやら、大方の状況は会話で把握したらしい。
「遠慮せず行きなさい。両手に花は惜しいが、私も漸く知り合えたオフィーリア嬢と仲を深めたいしね」
「そう言ってもらえると、とても嬉しいですわ」
オフィーリアは気合で顔に嬉しげな表情を貼り付けながら、精一杯甘えた声を心がけた。
かなり決死の想いである。いろんな意味で。
サティはオフィーリアの狙い通りに
まあ、オフィーリア、あなたってば…そうなの!?
というアイコンタクトをしながら嬉しげな顔でオフィーリアとエルクスをちらちら盗み見た。
素直なサティはオフィーリアの笑顔をそのまま受け取ったらしく
「オフィーリアをよろしくお願いしますね、門限は12時ですから」
「もちろん責任を持って屋敷まで送り届けるよ」
というような会話をエルクスと繰り広げている。
そして一通りエルクスにオフィーリアを連れ歩く際の注意点(?)のようなものを述べ、オフィーリアの耳元に口を寄せた。
「多分知らないだろうから星譚祭の決まり事を言っとくね。もし、素敵な男性だと思ったら、その人からもらった花を一輪手折って--あ、これは一つの茎に何本か花がついてる場合ね。花が一つだけだったら、その花の花びらを一つだけ抜いて--それに口づけて相手に渡すのよ」
「え?」
聞いたことのなかった話に戸惑ってサティを見ると、彼女は唇の端を綺麗に持ち上げた。
誘うように紅い紅のひかれたそれの蠱惑的な動きに、おもわずどきりとした。
「その行動の意味は、『あなたの想いに応えます』なの」
オフィーリアが先ほどエルクスにもらって手に持ったままだった赤い花を意味深に見ながら目配せするサティに今日何度めかの引き攣った笑いを返した。
さっきサティにどきりとした気持ちはどこへやら。
そろそろ目じりに涙が溜まりそうになってきた。
でも、ここは踏んばらねば。決死の覚悟で始めた演技が水の泡だ。
ぼろが出ないように頷くだけに留めると、サティは特に何も不信には思わなかったようで、続きをまくし立てた。
「ものすごい美男子が誘ってきても、黄色の花だけは『想いに応え』ちゃだめだからね!黄色の花は一夜の恋。了承したと思われて変なとこに連れ込まれちゃうから」
そんな意味で黄色の花を差し出されていたとは!
慄いて籠の中の花を見た。そこには少なくない数の黄色が入り乱れている。
それらを「ありがとう」と受け取っていた事実に気が遠くなりそうになった。
「あとの色は…確か大丈夫だと思う。ま、エルクス様がいてくれるんだから、そこは心配しなくてもいいかな。」
ではまた、と嬉しげにお辞儀をして去っていく二人が人ごみに紛れて見えなくなるまで見送り続けた後、オフィーリアはエルクスを振り仰いだ。
「では、わたしもここで」
失礼します…という言葉はエルクスの言葉に強制的に飲み込まされた。
「オフィーリア嬢、何か食べるものでも探そうか。あなたは何が好きかな?」
「いえ、あの、わたしは」
「女性は甘いものが好きだと思うのだが、飴細工などどうだろう。すばらしい技術を持った職人がいると噂の店が向こうで夜店を出してるらしい」
「お待ち下さい。その、え、エルクス様…」
ふいに、エルクスは足を止めてくるりとオフィーリアに向き直った。
「甘いものは嫌い?」
「いえ…好きです…」
諦めてため息のような声音でいうと、エルクスは楽しそうに笑みを浮かべた。
***
彼が言うところの飴細工の店は、目を疑うほどの繁盛ぶりだった。
むうっとするほどの熱気が、人だかりとは少々離れているオフィーリアにも感じられる。
「すごいな。さすが世紀のウィリーヌだ」
独り言を言ったらしいエルクスの言葉に、オフィーリアは思わずくいついた。
「あの店の職人は、ウィリーヌなのですか!?」
今日初めて見るオフィーリアの興味深々な様子を、エルクスは面白そうに見下ろした
「そうだよ。しってる?」
ウィリーヌとは、おそらくこの国で最も有名な飴細工職人だ。
実は甘いものに目がないオフィーリアは目下のところ彼の作った菓子を食べることが夢の一つだったのだが、ウィリーヌの店は王都から遠く、その菓子を買うためだけに行くには無茶な距離であるため、それを叶える目途は全くたっていなかった。
その職人が王都の星譚祭のためにわざわざやってきたようだ。
がぜん、オフィーリアの目は輝いた。
「もちろんです。一度はその飴細工をこの目で拝見したいと常々思っていました」
エルクスは、頬をそめてなやましげなため息をつくオフィーリアを目を細めて見た後、彼女が桃色の視線を投げ続ける店に目を向けた。
「…サティ嬢が、君は人ごみが苦手だと言っていたな。良ければ、私が行って買ってこよう」
オフィーリアはやっと店から目を外し、あわてて強く首を振った。
「とんでもございません!!わたしが行きます」
「いや、レディに買わせる気はない。」
「しかし…」
「希望のものは?」
反論を受け付ける気のない様子のエルクスに、戸惑いつつも返事を返した。
「…では…飴細工を一つ。モチーフはお任せします」
了解、と言って歩いて行こうとする背中が、ふいに立ち止った。
そして振り向くと、一言、
「くれぐれも、ここから動かないように」
先ほども似たような注意を受けたことを思い出し、オフィーリアは非常に情けなくなった。
自分は、そんなに頼りなく映るのだろうか。
エルクスを待っている間、数人の男の人が花を手に現れたが、いずれも丁寧に断り、花だけ受け取った。
花は拒否してもいいが、受け取る方が礼儀として適っており、よけいな波風をたてなくて済むとサティから教わっていたためである。なんでも、『一度差し出した花を突き返されるほど男のプライドを傷つけることは無い』らしい。
最後に話しかけてきた男の人が出した花が黄色だったときには、さっき知った黄色についての裏事情を思い出して鳥肌が立ったが、なんとか受け取った。
その最後の人が去って、入れ替わりに帰ってきたエルクスの手にある飴細工を見て、
オフィーリアは左手に持ったままの黄色の花に感じた嫌悪感も、ついでに言うとエルクスへの苦手意識もすべてぽろりと手放した。
「きれい・・・・・」
エルクスは、うっとりと見つめるオフィーリアに苦笑して、二つの飴細工をオフィーリアがよく見えるように差し出した。
「どちらが好みかな?まあ、二つともあげてもいいのだけど」
一つは鳥が木の実を啄んでいる姿。もう一つは二匹の鹿が仲良く寄り添っている姿である。
いずれも透明に澄んだ姿が神々しくもあり、オフィーリアはこれほど『動き出しそう』と表現すべき作品を目にしたことがなかった。
「とんでもない…では、こちらの鳥の方で。あの、お代は…」
「もちろん、必要ない。---どうぞ」
「ありがとうございます。でも、そういうわけには」
「いや、自分が買ってきたものの代金を女性に払わせるなど、私の主義に反する。ここは素直に受け取っておきなさい」
優しく言い聞かせるような声音に、おもわず情けない顔になった。
正直、会ってから今までのエルクスに対する態度は友好的だったとは言えなかった。
最初の冗談を真に受け、彼を警戒していた自分がひどく愚かに思えた。
「申し訳ありません。その、お手数ばかりおかけして」
---実際のところ、お菓子につられてまんまと懐柔されたようなものなのだが、オフィーリアがそれに気づくことはなさそうである。
「いやいや、ハインセウム家の珠玉の君に出会えただけで今夜の私は非常についている」
オフィーリアは、エルクスが上機嫌に発した言葉に、羞恥に頬を染めた。
使用人であるのに、まるでその家の深窓の姫君であるかのような言われようである。
「わたしはハインセウム家の一介の使用人です、ご冗談をいうのはやめてください」
「今日は身分なんて関係ない。日頃は身分の壁があっても、今日だけはただ素敵な女性に跪くことができる、素晴らしい日だ」
オフィーリアの目を見つめたまま、その飴を持っていない方の手を取って唇に寄せる。
まだその手に持ったままだった黄色の花がそのまま彼に近づくのが、目の端に映った。
「…騎士様、お戯れが過ぎますよ」
「戯れなどでは」
この状況をどうしてくれようかと真っ白になりつつもかろうじて思案していたその時、
それまで一度として外されなかった彼の目線がかすかに揺れた。そして、わずかに眉が上に上がる。
「ついにお出ましだ」
そう呟く声が、確かに聞こえた。
ここで終わりたくて長めにしてみました。
わかりにくいところがあったら遠慮なく指摘をお願いします。
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ご指摘ありがとうございます。早速書き換えました(*^^*)