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20/22

19 覚悟

オフィーリアはきょろきょろと辺りを見回した。

やめようと思っても、無意識に周囲を伺う動きが止まらない。

ぐちゃぐちゃと心のなかの自分は分裂し、自分が何を望むのか、何が最善なのか、何もかもが纏まらなかった。



あいたい

---あえない


名前を呼んで

---返事はできないけれど


なら、一目だけでも。


店先に出ていた花屋の売り子にも「どうかしましたか?」と聞かれてしまったのだから、かなりの挙動不審ぶりだったのだろう。

その言葉に我に返ったオフィーリアの唇に苦い笑みが浮かんだ。

今更なにをかんがえてるの?

わたしは逃げることを選んだのに。



注意力は散漫ながらも、なんとか順調に頼まれ事をこなせていることは唯一の救いだ。

蝋燭、布、等々をきちんと買い求め、最後の頼まれ物を求めて装飾店へと入り、店主にジネットが入用な物を書いたリストが入った封書を渡した。

それを読んだ彼女は「ははぁ~」と感心したような、驚いたような声を漏らし、オフィーリアを見、幾度か頷いた。

その反応を不思議に思い、どうしたのか聞こうと口を開きかけたのだが。

先に「ちょっとそこら辺で待ってて」と言われて結局聞けずじまいになってしまった。

店主が品物をまとめてくれている間、店内を見て回っていたのだが、なぜだかえらく彼女から視線を受けた気がする。

用事かと思って目を合わせると、オフィーリアが口を開く前ににっこりと笑みを返し、店主は作業に戻る。

なんなのだろう?

多少の居心地の悪さは感じたものの、紙袋に包装された商品を受け取ると、これでこの街に居る理由は無くなってしまった。



オフィーリアは待たせていた馬車の踏み台に足を掛け、ゆっくりと体を箱の中へと滑り込ませた。

馬車は街の喧騒を余所に心地よく揺れながら静かに帰路を辿る。

喧々たる人々と一線を隔てたところで、一人静寂な空間に居るオフィーリアは気持ちが鎮まっていくのを感じた。


まるで、白昼夢を見ていたかのようだ。

あの町に帰れば何もかも、ありふれた日常に戻る。

きっと時間が経てばもう思い乱されることもないだろう。



***


漸く帰り着き、まず買った物をジネットに届けに行こうと荷物を確認していたとき、ふいに年嵩の修道女であるステラが、隣の部屋から顔を覗かせた。

彼女はオフィーリアを見るとそのまま真っ直ぐに歩み寄ってきた。

オフィーリアは明らかに自分を目指してくる彼女にとりあえず挨拶をしようと手を止めて向き直った。


「あ、ただいま戻りました」


「おかえりなさい。それよりオフィーリア、あなたにお客様が来ているわ」


「お客様、ですか?」


ここに来て一カ月ほどしか経っていないことを考えると当然のことなのだが、オフィーリアに個人的な客が来たことなどこれまで一度もない。

しかし、最近では徐々に知り合いが増えてきたし、心当たりは無いが何か用事がある人でもいたのだろうか?


「ええ、見たことない人だけど、ほら、修道院(ここ)からすぐ右側の家の…フィネットさんが連れて来たのよ。待っててもらったんだけど、あなた遅かったわねぇ。待たせてるうちに彼、ぐったりしちゃってて。本当に焦ったわよ。でも疲労だったみたい。あなた知り合いなら責任もって看病しなさいよー?じゃないといつまでたっても、可哀想に看病する人が決まらなくって困るわ。…女子皆でじゃんけんとか…決まるわけないじゃないの、まったく嘆かわしい。」


この町の外から来たオフィーリアの個人的な知り合いである“彼”。

きらりと一人の顔がちらついた。

落ち着いたはずの気持ちがまた波立ち出す。

オフィーリアは動揺して思わず忙しなく定まらなくなった目を誤魔化そうと、平静を装って問い返した。


「はあ、じゃんけん…。何方(どなた)がいらしてるんですか?」


「それが、名前聞く前に寝台行きになったから聞けて無いの。まあ、見たらわかるでしょ?二階の一番右端の部屋に寝てもらってるから見てきてあげてね」


そんなはずは無い、と思う。でもいくら否定しても怖れとともに僅かな期待があることは事実だった。

そう、それは紛れもない期待だ。

どんなに目を逸らそうとしても、浅ましい願望が滲んでいることは否定できない。



もし、彼だったら

もし、もう一目でも逢えたら

もし、追ってきてくれたら


---わたしは、どうしたらいい?


心臓が、痛い程大きく鼓動する。


買ってきた物はステラに「そんなの私が渡しとくから!」と奪われてしまった。

嗚呼、もう少し猶予が欲しかった…

そう思うが、ステラに急かされるままに向かわされ、その扉の前に立ってしまえば、もう引き返すことはできなかった。

扉をノックし、恐る恐る声をかける。

「お待たせしてすみません、-----オフィーリアです」


返事はない。

しばし唇を噛みながらドアの前で逡巡したが

「入りますよ?」

と声をかけ、ゆっくりと押し開けながら中を見ると


彼が、そこに眠っていた。

オフィーリアは眼がその姿を映した瞬間、これは避けられないことなのだと覚悟した。

ぎゅっとドアノブを握りしめ、自分の体を自らそこに縫いとめる。

おそらく、これは自分がつけねばならないけじめなのだ。

逃げることなど許されない、いや、自らが許さない。

オフィーリアが奥歯を噛みしめて見守る先で、アルフォースは魘されるようなうめき声をあげ、厭わしそうに首を振った。

そういえば、ステラが過労だと言っていた。それを裏付けるような青白い顔が痛々しい。

そっと、手に触れるとやがてアルフォースの呼吸が落ち着き、規則正しい寝息へと変わった。


オフィーリアはいつもの癖で彼の額にかかる銀糸の髪をそっと払った。

その眠る顔は不安になるほど、精巧な人形にしか見えない。

あの深い緑の瞳が見たい。オフィーリアはもどかしい程そう願った。

なのに同じくらいの強さでこちらを見ないでほしいとも思う。


思わず引き寄せられるように腰を折って顔を覗き込んだため、オフィーリアの長い髪がカーテンのようにアルフォースの顔の横に落ち、二人の顔と外の世界とを薄く線引いている。


そのまま、もう少しだけよく見ようと微かに顔を下げた刹那

ぱちりと、黒にも見紛う深緑の瞳がオフィーリアを見返した。


「オフィーリア…?」


掠れた呟き声に、はっと身を引いた。

しかしアルフォースは寝起きとは思えないほどの俊敏な動きでオフィーリアを捕まえた。


「どこにも行くな、オフィーリア」


微かに寝ぼけているのか、何処かぼんやりした声でそう言うと、アルフォースはオフィーリアをぐっと抱き込んだ。それはすっぽりとオフィーリアを包み込んでいるのに、縋るように必死だった。なだめようと力を篭めて身じろぎすると、離れるのを許さないと言うが如くさらに強く腕に力がこもる。



背骨がきしむようだ



オフィーリアは必死に身をよじって右手をオフィーリアを抱き込む手にかけた。

それを、アルフォースはオフィーリアが手をはがそうとしたと思ったのだろうか、その右手の動きを封じるように握った。その掌を、オフィーリアもぐっと握り返す。

すると、あんなに強かった拘束の力が僅かに弱まった。

オフィーリアは心拍数がさらに一気に駆けあがった自分に言い聞かせるような気持ちで、呟く。


「…落ち着いて…」


「ほんとうに、オフィーリアか?」


こちらを見るのは探るように、確かめるように戸惑いがちな目だった。

知っていた。

夢という幻に怯えていた自分が可笑しかった。

彼があんな風に言う訳がないのだ。

確かに、知っていたのに。


たまらなく泣きそうだった。

それを隠すために、笑みを作った。おそらく、それはとても歪んだ笑みだっただろう。

しかしその顔を見ると、アルフォースは細く息を吐いた。


「探したんだ」


アルフォースはオフィーリアの髪に顔を埋め、くぐもった声で続ける。


「ほんとに、必死で探した」


「…何故、探したんですか?」


久しぶりに感じる体温に戸惑いながら細い声で問うと、小さく笑う声とともに、僅かな振動が伝わってきた。


「君は方向音痴だ。また迷子になってしまったみたいだから、迎えにきた。」


「……置き手紙を見たでしょう?」


「みた」


少しオフィーリアの体を離しそのまっすぐな目でオフィーリアを覗き込んだ。


「本当に、駆け落ちだったのか?」


オフィーリアはその視線に耐えられず思わず目を逸らした。

しまった、と思うが、目を元に戻すこともできない。


「…ええ」


「オフィーリア、神に誓ってそれが真実だと言えるか?」


答えられず、ただぎゅっと目を瞑った。

そして、閃くように、オフィーリアは知った。


自分が何を欲しがったのか。


オフィーリアは、彼の気持ちが欲しかった。

自分と同じ気持ちを返してほしかったのだ。

他の誰かではなく、自分が彼を幸せにしたかった。

無意識に、望まないようにと枷をかけていたのに




オフィーリアは体を起こそうとした。その動きを止めようとアルフォースは一瞬手に力を篭めたが、何を思い直したのか、オフィーリアが腕の中から出るに任せた。

オフィーリアは窓の外を見る体を装って、アルフォースに背を向けた。


「わたしは弱くて身勝手な、馬鹿な女なんです。わたしはこんな身分だから望みなんか叶うはずがないと。---自分の立場を言い訳にして心に予防線を張るくせに、人からそう宣告されるのは怖くて。ちょっと恐れた未来が見えると怖気づいて逃げ出してしまうんです、わたしは…」


アルフォースは気付いただろうか?

これが、彼の問いに対する答えだということに。

オフィーリアが言葉を止めて幾拍か、その小さな部屋は自分の呼吸音さえも聞こえそうなほどの静寂に満ちた。

少しの間の後に、その空間に静かな声がじんわりと響く。



「君は、何を望んで、何を諦めた?」



アルフォースはオフィーリアを追ってきた。

それほどまでに、真摯に向き合おうとしてくれる。

ならば、神に誓って嘘偽りのない自分で応えよう。

『あなたは、あなたの心のままに』

振り向いてアルフォースの瞳だけをひたすら見つめた。

そう、今決別しなければ。

誰にも終わりを告げず、そして自分もまた告げられないように。

自分の中でだけは綺麗な記憶だけを抱いて生きていきたいなんて。

そんなものは、ただの甘えにすぎないのだから。

伝えてしまえ。そして、終わりにしよう。





「あなたを。---あなたのことが好きです。」



そう言った刹那、再び強い力で腕を引かれ、よろめいた体を抱きとめられた。



「…オフィーリアが望むことによっては諦めることも覚悟しようと思いながらここまで来たけど」



「どう頑張っても、君を手離せそうにない。だから」


問いかけるように、彼は囁く


「帰ろう、オフィーリア」


オフィーリアは目を閉じ、涙の代わりに静かな息を落とした。

まだそう言うのだろうか。

これまでと同じでいることはできないと、今はっきり伝えたのに?


「いつか、あなたは後悔する」


そして、わたしも。

しかし、アルフォースは間を置かずに切り返す。


「しない」


「するに決まってます」


オフィーリアは、アルフォースが反論を口にする前にと、言葉を続ける。


「--アルフォース様、わたしたちはあのままでは居られません」


「あのまま?」


「わたしがさっき言ったことを、聞いていなかったの?あなたはわたしに幼い頃のままに傍に居続けることを望んでいるかもしれないけど。もう、無理です。わたしは--」


言い募ろうとした言葉を遮るように、アルフォースは静かに言った。


「変わらないことを望んでいたのは、君だろう?」


はっと気付いた。


いつでも、先に目を逸らすのはオフィーリア。

確かにいままでと同じであることを望んでいたのは自分、オフィーリア自身だった。


初めて会ったときの幼い彼は世界の全てに怯えているように見えた。

オフィーリアは、やつれて目ばかり大きく目立つ、自分よりも小さな男の子を、守りたいと思った。

そのとき握ったオフィーリアよりも小さかった手は、いつのまにか自分をすっぽり抱き込んでしまうほどに大きくなっていたのだ。


この腕のなかにいる間は、何も心配することはないのだと、そう思うほど力強い男の人の腕だ。


泣きたいほど幸せだった。


このままこの腕に抱きつぶされて死んでしまえばいい。


そう思うのに、力強いのにその腕はどこまでもやさしくて、離せば消えると思っているのではないかと疑うほどしっかり抱く癖に、壊れないようにとひどく気にしているのだ。



「もう、君は何も心配しなくていい。帰ろう」



オフィーリアは何も答えず、ただ駄々っ子のように首を振りながら、涙を三粒だけ落とした。

アルフォースは微苦笑した。

「わかって無いな。そうか、これが伝わって無いから話が拗れるのか。--すまない。---僕は、ずっと、君に恋しているんだよ。昔から、君だけに」


オフィーリアは驚きに呼吸を忘れた。


恋?


「オフィーリアだって、星譚祭の夜、プロポーズを受ける意思があることを示したじゃないか」


寝耳に水の話に、思わず聞き間違いかとしばし黙った。

しかし、そのまま場を止めてもいられず、控えめに一語呟いた。


「………え?」


「僕の花に応えただろう?」


「---え…え、あの花は白色で」


「そうだよ、白だ。慣例通りに『一生あなたを守ります』って気持ちを込めて渡した。」


「ぇええぇーーーー!?」


彼はその反応に困ったように笑った。

しかしすぐに、その瞳が暗く陰る。


「その様子だと知らなかったみたいだけど…応えてくれて、すごく嬉しかった。だけど、どうしても母上のことが頭を離れないんだ。君が、僕のせいで危険な目に遭ったら、どうしたらいい?」


苦しげな眼で、彼はオフィーリアを見遣る。


「君の許に帰って、疲れを癒してもらう。僕はそれだけでも幸せだったんだ。わざわざ君の存在を世間に知らしめて君の身の危険を煽ってしまうくらいなら、このままの関係も選択肢の一つだと、一瞬でも思ってしまったことは確かだよ。でも漸くわかった。そんな僕の態度が、君を迷わせた」


オフィーリアはとっさに首を振った。それに遅れながら、もどかしいほど言葉がもつれて唇からこぼれる。


「---違います。わたしが。わたしが勝手に」


「いや、僕はただ独占したいと思う幼稚な身勝手さしか持っていなかった。そんな男に、何も護り抜けるはずがないんだ。でも、僕はこれから君をもう迷わせないと誓う----何者からも、どんなことからも、必ず護ると誓うから」


こちらが苦しくなるほど真剣な目に、オフィーリアは息をするのさえ躊躇した。


「僕の妻になってほしい」


自分が傍に居れば、アルフォースが謗られる原因を作るかもしれない。

いつか、アルフォースには、オフィーリアよりも大事な人ができるかもしれない。



だから何だ。



傍にいて欲しいと、彼が望むのならば。

守ると、唯一だと、言ってくれるのならば。

それ以上に、まだ起こりもしていない未来に怯えることに、いったいどんな価値がある?


信じたい


彼の言葉を


彼だけを



アルフォースはこんなに弱くて狡いオフィーリアでも、それでも良いと言ってくれるのだ。

オフィーリアが弱いままでも逃げ出さなくていいように、自分が守るからと。

もう終わったと思っていた。こんな選択をした自分を顧みる人などいないと。

『この世で本当に取り返しがつかないことは貴方が思うよりずっと少ないのよ、オフィーリア』

ジネットの優しい笑顔が頭をよぎる。

--ええ、ジネット様、本当に。



オフィーリアは涙で湿った声で「はい」と、それだけをやっと口にした。

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