13 リーフィナという少女
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馬車のなかで、一生懸命世話をしたにも拘らず、やはり花は少し萎れてしまった。
寒くなってきた気候がせめてもの救いである。
居てもたっても居られず、着いて間を置かずに、年嵩の使用人が多いなかで、話しかけやすそうな侍女に話しかけ、花の保存方法を聞いてみた。
その花を見せながら相談すると、「なるほどねーえ?」とにやりと笑われた。
いままで見たことのない程の、完璧なにやり顔だった。
少しオフィーリアが引き腰になったのも、無理はないだろう。
そのにやり顔の侍女、クラーラはにやにやしながらも助言はしっかりしてくれ、押し花にすることができた。
しかし、別れ際に
「若い子はいいねぇ~」
と言われたことは謎だった。
からかわれたのかどうかも定かではなく、オフィーリアは曖昧な笑みを返すに留めたのであるが。
オフィーリアはできあがった押し花を小さな額に入れ、そのすべらかな硝子を優しく撫でながら、これは思い出の品だから…と無意識で自分に言い訳していることに気付き、自嘲した。
この期に及んで、自分はなんて未練がましいのだろう。
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レスターに頼まれた仕事は、休んでいる侍女の仕事の埋め合わせと
あと一つ。知り合いの貴族のお嬢さんのお世話だった。
なんと、田舎から王都へ移り住み始めたのだが、慣れない生活で気を病み、体調を崩してしまった令嬢が静養するために近くの屋敷に来ているという。
完全に気鬱になってしまっており部屋に引きこもってしまっているそうだ。
レスターはその子の親に、なんとかならないだろうかと泣きつかれたというか、泣き言を漏らされたらしい。
それに、「新しい人間と引き合わせてみるのも手かもしれない。自分のところには人当りのいい使用人がいるから」と協力を申し出てしまったのだが。
その直後に人手不足に陥り、そちらまでとてもじゃないが手が回らなくなってしまった。
しかし、引き受けた手前、断ることはなんとしても避けたい。
そこで王都の屋敷から、普段の仕事から子供の相手までこなせそうな人材を拝借することにしたのだという。
その経緯を聞き、確かにサティなら上手くやれそうだなあ、と思った。
しかし自分はどうだろうか。却ってレスターの顔に泥を塗ることになりかねないのではないだろうか。
当初、その令嬢の相手にと想定していた侍女にそちらを任せ、自分は屋敷内の仕事に従事するほうがいいのでは。
悩んだ末にその旨を告げると、
「いや、お前なら近くに寄れた時点でこちらの勝ちだ」
と、真面目な顔で言われた。
…何に対して勝つのかよくわからなかったのだが、なぜか絶大な信頼を寄せられていることは理解した。
そのことで逆に怖気づきそうになったのだが、大手を振って送り出されては、腹を決めるより他に選択肢はなかった。
件の令嬢であるリーフィナは、屋敷の自身の部屋に籠城を決め込んでいた。
その何者をも跳ね返す固い決意は、オフィーリアに感動にも似た驚きを与えてしまったほどである。
オフィーリアも、もちろん最初は部屋に入れてもらうこともできず締め出しをくらったが、閉ざされた扉に向かって、根気強く語りかけること三日。
ついに--薄い隙間ではあったが--扉を開いてもらうことに成功したのである。
それからオフィーリアが部屋に招き入れられるのに、さほど時間はかからなかった。
彼女は、オフィーリアと打ち解けると、今まで一人でいた時間をとりかえすような勢いで話し続けた。
リーフィナは、とても喋るのが好きなようで、オフィーリアなどは圧倒されてしまい、最初は聞き役に徹するほかなかった。
リーフィナ曰く、「みんな、淑女らしくなさってくださいってずっと言うの。もう、うんざり!!」だそうだ。
あまりにも周りが口煩く、どうにも我慢ができなくなってああいう状態になったのだと、少女は言った。
リーフィナは良くも悪くも、自分の感情に素直な少女だった。
彼女は体全体で喜び、怒り、悲しむ。
微笑みよりも満面の笑み。
しかしそれが、『淑女』という女性像を大切にする貴族社会において、仇となった。
『淑女らしくない行動』をとるリーフィナの気質は、彼女の家に連なる者としては目を瞑れないところなのだろう。
しかし、余所者であるオフィーリアには、それを気にしないでいる余裕がある。
その場限りで無責任だと詰られるかもしれないが、今の優先順位はこの、彼女が引きこもる城を平和的に開門することだ。
それからいろいろ説得することは、オフィーリアの仕事ではない。
そうこうしているうちに当初の(アルフォースに伝えていた)予定である一か月が過ぎ、
『こちらで精神的に参っている人の世話をするため、もうしばらく滞在する』とアルフォースに報告する手紙をしたためた。
目の回るような忙しさの一月目を終えると、仕事にもだいぶ慣れてきた。
加えて休暇中だった正規の侍女が一人戻ってきたため、オフィーリアの仕事の拠点がリーフィナの世話に移り、リーフィナとはなかなか穏やかな関係を築くことに成功していた。
相も変わらずおしゃべり好きなリーフィナは自分の話を気の済むまで語り終えたせいか、近頃の興味はオフィーリアに移っているようで、リーフィナに質問攻めにされることが、オフィーリアの日課となりつつある。
「ねえ、オフィーリアは、家に新しくきた侍女なの?」
そもそものそこの事情を知らなかったらしいリーフィナは、今更のことながらそんなことを聞いてきた。
「いいえ。貴女のお父様の知り合いのハインセウムという家に仕えている者です。
こちらでは、一時的にお世話になっております」
ふうん、とリーフィナはどことなく不満そうに相槌をうった。
「今のところには、どうして仕え始めたの?」
「その家の若君専属の侍女のような者として雇われたのが最初ですね」
「その人があなたの主人ね。専属って、何?まさか乳母ではないわよね」
「いえ、寝付かせ師として…ええっとですね…その、今から9年前のことですが。まだ幼かった若君が不眠に悩んでいたのです。それを治すためにわたしは雇われました」
思わず『寝付かせ師』と口走ってしまい、そんな自分を悔いた。
その失態を補おうと、いらないことまで言ってしまうという自分の迂闊さが悲しい。
ハインセウム家としては、寝付かせ師のことも、雇っている経緯も隠している事柄ではないが、内情を話してしまうのは良くない。
なんなら、最初から普通の侍女だといっておけば良かったと思うが、もう後の祭りだ。
そんな自己嫌悪するオフィーリアを余所に
リーフィナは納得したようなしてないような顔でオフィーリアの言葉を考えた後、口を開いた。
「何故、眠れなかったの??」
思わず、オフィーリアは逡巡した。
「…すみません、わたしの口からリーフィナ様にお話しすることはできません」
「どうして?わたくしが子供だから?」
きっと、幾度も子供っぽいと詰られたのだろう。
リーフィナは少し傷ついたような顔をして言った。
それを宥めようと優しく言葉を返す。
「違いますよ、お嬢様。使用人には守秘義務がございます。どうかご理解くださいませ」
それに、幼い女の子が聞いてあまり気分のいい話ではないだろう。
----アルフォースの不眠は精神的なショックが原因だった。
…彼が9歳のとき、彼の母親が殺されてしまったのだ。---それも、目の前で
庭先で幼いアルフォースが母親と遊んでいるときだったそうだ。
レスターもおらず、警備も手薄だった。
下手人は、当時、神童と名高い将来を嘱望された息子を持ち、自身も名声をほしいままにしていたレスターの、その順風満帆さを妬んだ者が差し向けた刺客であったという。
オフィーリアは覚えている。
どことなく暗い気配が漂う屋敷内。
憔悴しきっているのに、無意識に神経は研ぎ澄まされて休むこともままならない様子のアルフォース。
その隣で、レスターもまた、やつれきっていた。
「…そうね、ごめんなさい。考えのないことを言ったわ」
自分の非を認め、立場が下の者に謝罪を口にできるということに、聡い方だ、と感心した。
「いえ、わたしが余計なことを口にしたのが悪いのです…申し訳ありません」
「眠れないって辛いことよね…」
オフィーリアの言葉をきいているのかいないのか、リーフィナはどこかぼんやりとした、それなのに悲しそうな表情で独り言のようにもらした。
そのいつもと違う様子に、どうしたのか聞いてもいいものか迷っているうちにその表情は消え、代わりに心配そうな顔をして、言葉が続いた。
「ねえ、今はその方はお元気?」
「はい。」
しっかりと、頷いた。
オフィーリアと会った当初は、母親の命を奪った、剣という凶器に触ることすらできなかったのに。
今は剣に自らの忠誠を乗せ、王の騎士として仕えている。
「よかった…」
心底ほっとしたように呟く姿に、オフィーリアは思わず微笑んだ。
「リーフィナ様はお優しい方ですね」
リーフィナは首を傾げた。
「優しいのはいいこと?」
「もちろんです」
オフィーリアが断言した言葉に、悩むように眉が寄せられた。
「でも、皆、わたくしは今のままでは駄目だっていうのよ。優しいことは良いことなのに、『淑女になること』よりも価値がないの?」
ああ、この子はいったい自分が否定されることにどれほど傷ついていたのだろう。
自分の持つ全てが駄目なのだと思わされてしまうくらいに。
天真爛漫さの陰に隠れる傷を垣間見て、切ない思いが心に灯る。
「…その方たちは貴方の全てを否定しているわけではないんです。優しさがいけないと言ってはいないのですよ。」
しっかりと、心に刻んでくれるようにと、目をじっと見つめて言葉を続ける。
「わたしはリーフィナ様が豊かな感情を持たれていることは美徳だと思います。
でも、場合によっては素直な言動は自分を苦しめる刃となります。
皆様は、リーフィナ様がそのせいで傷つかないように、煩く言ってくれているのですよ。」
リーフィナは目を丸くした。
その大きな目が不安と希望で揺れるのが、微かに見えた。
「わたくしのため?」
実際はその家の使用人としての矜持など様々な想いもあるだろうが、それは告げる必要もないだろう。
根底にリーフィナのためという気持ちがあることは、きっと間違っていないだろうから。
「ええ。リーフィナ様が無理だと思われるなら、四六時中淑女でいる必要はありませんよ。求められるときに、然るべき対応がとれれば良いのです。
貴方が傷つくことを心配する皆様のためにも、いつか、淑女の仮面をかぶれる女性になってください。」
にこりと、安心させるために笑顔を向ける。
「変わるために、全てを捨てることは無いんです。優しくて、感情が豊かで、聡い淑女になればいいのですよ」
「そっか…大事なものは捨てなくてもいいのね」
出過ぎた言動だったのかもしれない。
でも明るい表情になったリーフィナを見て、まあいいか。と思い直した。
オフィーリアが肯定すると、リーフィナが何かに気付いたようにぱっと顔を上げた。
「ねえ。わたくしが王都に行ったら、オフィーリアが仕えている人に会うこともできるかしら」
少し、未来を想像した。
そのとき自分はそこには居ないだろうけど、あの人になら、きっと。
「もちろんです。きっと、リーフィナ様も仲良くなれると思いますよ。」
「その人は、いいひと?」
ええ、とオフィーリアは穏やかに微笑んだ。
「とても、優しい方です。---彼に仕えることができたことはわたしの誇りですわ」
リーフィナは黙ってオフィーリアの顔をじっと見た。
そして、唐突な言葉を口にする。
「ねえ、オフィーリアは、その人に恋しているの?」
からかうでもなく、ただ気付いた事実を確認するように、リーフィナは言った。
---そんなことは有り得ないと言わなければならなかった。
いいえ、わたしは主として彼を尊敬して-----
しかし、真摯な顔で見上げられ、澄んだ瞳に嘘を吐くなと言われているような錯覚に、めまいにも似たものを感じた。
そして、その瞳のあまりの純粋さに、うっかり言ってしまったのだ。
「お慕いしております」
と一言
いままで口にしたことのなかったことを。
-----アルフォースから返事の手紙が届いた。
レスター宛ての手紙もあり、そちらには文句がずっと書き連ねてあったようで、レスターは苦笑していたが、オフィーリアにきた手紙には体調や身辺に気を付けるようにという注意の他、近況が簡単に書かれていた。
そして最後には、また『早く帰って来い』と記してあった。
リーフィナとの最初の攻防戦や屋敷での日々は書くと話が進まないので割愛しました。
もし気が向いたらいつか番外編で書くかもしれません
……気が向いたら (笑)
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指摘を受けたので3/10編集しました。多少、中身が変わっています。
ご指摘、ありがとうございました*^^*
※お話自体から読み取れる情報には変わりがありません