10 寝付かせ師と白い花
アルフォースはそれまでより言葉少なだった。
何か考え事をしているアルフォースの足は速く、時折置いて行かれそうになってしまう。
必死について行っていたのだが、人にぶつかってしまい、謝っているうちに、見失ってしまった。
目立つはずの銀色の髪も、白い服も、雑踏に紛れてしまってどこにいるのだか全くわからない。
その姿を探すために首をありったけ伸ばして右往左往していると
とん、と後ろから肩をたたかれた。
振り向くと、人の良さそうな灰色の瞳がオフィーリアを見下ろしていた。
「君、誰か探してるの?」
救世主とも言える人物の登場に、ほっと安堵の息を漏らした。
知らない人が溢れるなかに会話ができる相手が現れただけで、とても心強かった。
「そうなんです、はぐれてしまったみたいで」
「連れの人の外見は?」
「銀色の髪に深緑の目の男性です。目立つ方なのですが…」
「あ、その人あっちの方でみたかも」
大通りから逸れた路地を指さして、その人はそう言った。
「そうですか、ありがとうございます」
「案内してあげる。こっち---」
手を取ってきたその人に、有り難くついて行こうと数歩進んだが、それ以上足が前へ行くことはなかった。
急に、オフィーリアの体は、後ろへつんのめるという器用な動きをしでかしたのである。
よろめいた体が、何か暖かい壁に当たって留まった。
その壁にほぼ全体重を預けてしまっている不安定な恰好で上を見上げたが、顔をみることはできない。
しかし、確認する必要は無かった。
オフィーリアの体におかしな動きをさせた犯人であるところの手のひらが、肩を痛いほどに掴んでいた。
聞きなれた声が、耳を打つ。
「--僕の連れだ、触れるな」
地を這う声に、思わず身を震わせた。
先ほどエルクスに向けた声音の比ではない。
「…目を離すのが悪いんだろ」
気を悪くした風な声でそう言って、親切な男性が遠ざかる足音が聞こえた。
オフィーリアはあわてて、その人が去った方向へ身を捩った。
「あのっ、ありがとうございますっ!」
「お礼なんて言わなくていい」
アルフォースは憮然とした表情でオフィーリアを見下ろした。
ようやく見れた顔に、オフィーリアは言い聞かせるように話しかける。
「でも、親切にも一緒にアルフォース様を探してくれようとしていたんですよ」
「あんな薄暗いところに僕がいるわけないだろう」
確かに、アルフォースには不似合いなほど陰気な路地に見えた。
実際、現れた方向から考えて、そちらには居なかったようである。
「きっと、見間違えてしまったんですよ」
オフィーリアの二の腕のあたりに回された手のひらにぎゅっと力がはいり、さらにアルフォースに体が押しついた。
ほとんど抱えられている状態で、かろうじてつま先が地を蹴ってはいるが、既に歩いているとは言えない。
「僕以外の男を簡単に信用するな」
--無理です。
頭の中では即答したが、口に出すことはしなかった。
今までの経験上、この顔をしたアルフォースは、反論したら臍を曲げることは確実である。
「--あなたを、見失ってしまって。すみません」
息を吐いて、それだけ口にした。
とりあえず、機嫌の悪い相手には謝ってしまった方が良い。
そうすると、案の定アルフォースは後ろめたそうな顔をした。
「……いや、ちゃんとオフィーリアのことを考えてやれてなかった僕が悪いんだ。--ごめん」
アルフォースは少々落ち込んでしまったようで、沈黙してしまった。
オフィーリアはそんな彼の気分を変えようと、目に入った近くの店を指さして明るく声をかけた。
「あ、あそこで果物を買って帰りませんか?大旦那様のために」
ふと、思い当ることがあるようで、アルフォースは顔を上げた。
「そういえば明日、父上が来るな」
そう、明日久しぶりにレスターがこちらの屋敷に顔をみせる予定なのである。
「はい。確かこの果物がお好きだったでしょう?」
そう言いながら赤い果物を手に取ってみせると、アルフォースは頷いて数個買い上げた。
それから、『迷ったついで』に様々な店をひやかして回り
結局、屋敷へと行き着いたのは日付が変わる間際になってしまった。
結果的にオフィーリアのお守りに付き合わせてしまったことを詫びたのだが、アルフォースは全く取り合わなかった。
そして、アルフォースは扉の前で、腰のベルトにつけられた荷物入れから紙袋を取り出し、さらにその中から花を取り出した。
「オフィーリア、これを…」
アルフォースがオフィーリアに向ける無垢な思いを表すような、白。
可愛らしい小さな花がたくさん咲いている、素朴で可憐な花だった。
「まあ、ありがとうございます」
オフィーリアがアルフォースに向ける想いは白のように純粋ではなく、もっといろいろな感情が混ざってしまって、もうどうにもしようがなくなってしまっている。
でも、その自分の感情を隠し通してでも、この無垢な気持ちに応えたいと、その花を受け取った瞬間に、焼けつくように思った。
その誓いを示すように茎を一本手折り、口づけた。
アルフォースが目を見開き、驚いた顔でオフィーリアを見ている。
その表情がとても幼く見えて、懐かしさが溢れた。
とても優しい気持ちと、同時に痛みにも似た切なさが心に広がる。
そっと、口づけた花をアルフォースに差し出した。
ところが、アルフォースはオフィーリアが差し出した花を何も言わずにただじっと見つめている。
漸く、オフィーリアは、アルフォースがこの決まりを知らないのではないかと思い当った。
アルフォースはイベント事に積極的に参加するほうではない。
祭りの細かい決まり事など知らなくても不思議はない。
何より、オフィーリアも今日まで知らなかったのだから。
サティが『一度差し出した花を突き返されるほど男のプライドを傷つけることは無い』と言った言葉を身を以て実感する羽目になってしまった。
オフィーリアは男ではないが、これは確かにいたたまれない。
どうしようか迷って、手を引きかけた、その時
軽く握った手から、花が抜き取られた。
「ありがとう」
アルフォースはそういうと、急にオフィーリアを抱き寄せた。
いつもより強い力を込められて、苦しさにオフィーリアは身じろぐ。
それに気づいたアルフォースが腕を緩め、目を合わせて沈黙した。
目だけが何かを語っているように見えたが、生憎、オフィーリアにはそれが何か読み取ることはできなかった。
漸くオフィーリアの体から手を離すと、彼は髪をくしゃりと握って嘆息した。
「…今日は眠れないかもしれない」
とぼそりと言った。
いきなりの話の飛躍に首を傾げたが、オフィーリアは律儀に返した
「では、今夜は手を握っていましょうか?」
「…いや、いい。今夜は呼ばないから先に寝ててくれ」
それはありがたい言葉だった。
明日、レスターを迎えるための準備もいろいろあるに違いない。
---それに、オフィーリアは自分のこれからを考えるまとまった時間も欲しかった。
部屋の窓から、再びエルクスと合流するために、また賑やかな通りに消えていくアルフォースの背中を見送った。
もう、随分と冷え込んできたため、ショールをきつく身に巻きつける。
ついさっきまでオフィーリアを包んでいたその騎士の上着が、暖かさを彼に与えてくれたらいいと、そう思いながら。