9 寝付かせ師と女の人
「ところで、さっき隊長と一緒にいたけど、困ったことされなかった?」
アルフォースの思い出したような問いかけに、きちんと否定を返した。
「いえ。とても親切にしていただきましたよ。飴細工まで買っていただいて。むしろ、こちらが失礼な態度をとってしまったと思うんです」
アルフォースは幾分か渋い顔をした。
「あの人は適当にあしらうくらいが丁度良い。次、もし見かけたら即刻回避、万が一見つかってしまったら『忙しいので』とでも言って速やかにその場を離れるように」
危険物の処理の仕方を講義しているような口調に、オフィーリアは曖昧に微笑んだ。
2人がいったいどのような友好関係を築いているのか非常に気になるところである
「はあ…そういう訳には…」
なんと返事を返せばいいのかわからず、返答を濁した。
そんなオフィーリアをちらりと見て、さらに問いが重なる。
「その飴細工、早く食べたほうがいいんじゃないか?」
「でも、食べてしまうのがもったいなくて。すごく綺麗ですから」
名残惜しそうに見つめるオフィーリアにさらに促す声がかかる。
「壊したりしてしまう前に食べた方が。食べ物は口に入らないと意味がない」
確かにそうだ。それに、持ったままではいつアルフォースの上着を汚してしまうか分からない。
そうですね、と呟いて少し口に入れた。レモンのような酸味で舌が微かにジンとする。
「もしまた欲しいのだったら、僕が---」
ふいに、ふわりと籠にかけてあるショールが飛んだ。
オフィーリアの方を向いていたアルフォースは反対の手に持っている籠は死角だったため、反応が遅れた。
とっさに、オフィーリアはそれを追いかけた。
呼びかける声が背後で聞こえたが、振り返らずにショールを拾い、早足で戻ったのだが、
そのいくらもない時間の間に、アルフォースが見知らぬ女性に腕を取られているのが見えた。
近づいてもいいものか迷い、無意識に手元の飴を口に含む。
内容は聞き取れないが、何の会話をしているのか想像はつく。
身の置き場に困っていると、アルフォースの声だけが聞こえてきた。
「--唯一と心に決めた女性以外にそういう目的で触れる気も、触れさせる気もない。」
口の中の僅かに溶けだした飴が、ぱきりと小さな音をたてて折れた。
アルフォースに話しかけていた女性は何事かまだ喋りかけていたが、すぐにどこかへ居なくなった。
彼は何かを探すように周囲を見回して、少し離れたところに佇むオフィーリアを認めた。
「オフィーリア」
ほっとしたような顔で足早に近づいてくるアルフォース
『オフィーリア』
現実の声と、記憶の中の声がごちゃ混ぜに脳内に響いて、オフィーリアはめまいを覚えた。
「取りに行かせてすまない---どうした?」
軽く頭を振って、心配げなアルフォースに、なんでも。と小さく返す。
そして、気を取り直すようにオフィーリアはわらって見せた。
「それにしても、まだ着かないのでしょうか。恥ずかしながら、わたしには見覚えのない場所みたいで、ここがどこだかわからないのですが」
そう問うと、爽やかな笑顔を見せて、彼は言い放った。
「ああ、迷った」
仮にも、彼はここの治安を守る騎士。
・・・・・そんなこと、あり得るのだろうか。
***
迷ってしまったのなら道を聞いた方が良いというオフィーリアの主張は一向に聞き届けられる気配がなかった。
アルフォースは割に頑固である。
人に酔ってきたオフィーリアの様子をみたアルフォースの提案で、二人が静かな道に逸れたとき、そこを静かに歩いていた3人の人影と行き当った。
ひとりはほっそりとした女の人、あとふたりはがっしりと大きな男の人である。
明らかに護衛とわかる彼等を連れたその人は、はっと小さく息をのむと口を開いた。
「まあ、アルフォース様。ごきげんよう」
大通りの灯りに照らされて浮かびあがったのは癖のない薄い色の髪をさらりと靡かせて、お辞儀をする女性。オフィーリアはぼんやりと、きれいな人だと思いながらそれを見つめた。
容貌は幼げですらあるのに、物腰や瞳に垣間見える聡明さが、彼女を『可愛い女の子』ではなく、『綺麗な女性』たらしめていた。
僅かに、アルフォースの瞳が陰る。
「これはエルノーラ嬢。偶然ですね」
彼は一瞬で陰りを消し、いつもと同じ顔で微笑んだ。
「ええ、ほんとうに。お祭りに来られたのですか?」
「まあ、そんなところです」
え、と心の中で反論の声が漏れた。
アルフォースは(一応)仕事中なのではないだろうか
しかしオフィーリアの心の中の声に気付くはずもなく、会話は続く。
「私もですわ。星譚祭は毎年とても賑やかで楽しくて。--そちらの女性にもご挨拶してもよろしいでしょうか?」
ついと静かな視線がオフィーリアに向けられる。
オフィーリアは彼女の視線に一度だけ、どきり、と体が脈打つのを感じた。
「もちろん。彼女はオフィーリア…」
固まっていたオフィーリアはあわてて頭を下げた。
「ハインセウム家で侍女をしております、オフィーリアと申します」
エルノーラは心もち、目を大きくした。
「まあ、本当に?私はエルノーラ・ゼノールといいます」
言葉をいくつか交わし、エルノーラはその場を辞去した。
一度も振り返らず、凛々しく背筋を伸ばして歩み去るエルノーラの後ろ姿をじっと動かずに見送るアルフォース。
去っていく彼女を後ろ髪がひかれるように見つめる姿に、恋の影を見た気がした。
---騎士の上着が肩に重い。
もう頃合いだろうかと囁く声が、頭に響いた。