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種をひとつ
月が、少しずつ輪郭を失っていた。
溶けているのかもしれない、
と彼は思った。
夜という器のなかで
白っぽいものが
ゆっくり甘くなっていく。
彼は本を閉じた。
物語は終わっていた。
けれど、終わった感じがしなかった。
終わりというのは
たいてい紙の都合である。
人間のほうは
そんなにきれいに閉じない。
翌朝、彼は種を買った。
理由を聞かれれば困る。
花が見たいわけでもない。
実が欲しいわけでもない。
ただ
昨夜まで紙の上にあったものを
土の中へ移してみたくなった。
数日後
友人から連絡が来た。
「次は何を読むの?」
彼は少し考えて、
「まだ決めてない」
と返した。
机の上には
もう次の本が置いてあった。
嘘ではない。
読む本は決まっていたが
次に何が始まるかまでは
まだ決まっていなかった。
夕方、畑へ行く。
何も変わっていない土を見て
彼はしゃがんだ。
種は見えない。
けれど
見えないということと
何も起きていないということは
同じではない。
そのことだけは
先に土が知っていた。




