第7話:霧の鉄路、引き裂かれる時間
19XX年 1月 5日(日) 凍てつく霧のち雪
ポートラッシュの潮風は、ぼくたちの味方ではなかった。
市場へ行くたび、村人たちの視線が刺さるように痛い。つい一ヶ月前、「逞しい青年」として家を借りたぼくの顔は、今や産毛の残る十代後半の少年のそれへと変貌していた。一方のエイリーンは、もう「少女」ですらない。膝丈のドレスがぶかぶかになり、あどけない頬の曲線を持つ「幼子」の姿になってしまった。
「あの一家は悪魔と契約している」
「若返りの薬を使っているに違いない」
背後で囁かれる不気味な噂、そして村の境界線に現れた、黒い外套に身を包んだ『カラスの眼』の影。ぼくたちは、再びすべてを捨てて逃げるしかなかった。
目指すは、霧の都ロンドン。巨大な人口の坩堝であれば、この異形な二人も群衆の中に紛れ込めるかもしれないという、一縷の望みに賭けたのだ。
ガタゴトと揺れる夜行列車の中で、ぼくは向かいの席に座るエイリーンを見つめる。
彼女は、かつて大人だった頃の知性をかろうじて保ちながらも、その小さな身体は眠気に勝てず、ぼくの古びた上着に包まって眠っている。
今の彼女に、かつてシェルターで老人たちを救っていた「聖母」の面影はない。そこにいるのは、ただ、守られなければならない無力な子供だ。
「……ケネス……」
寝言でぼくの名を呼ぶ彼女の声は、高く、澄んでいる。
その声を聞くたび、ぼくの胸は締め付けられる。ぼくたちは、お互いの「老い」を知り、その魂の成熟に惹かれ合ったはずだった。それなのに、肉体が若返るにつれて、ぼくたちの関係は不自然に歪んでいく。
かつては恋人のようであり、今は兄妹。
そして、ロンドンに着く頃には、ぼくは彼女の「父親」のような役目を演じなければならなくなるだろう。
ぼく自身の変化も著しい。
知能や記憶は、まだあのリバプールで日記を綴っていた老人のままだ。だが、この若すぎる肉体が放つエネルギーが、ぼくの理性をかき乱す。
理由もなく走り出したくなる衝動。抑えきれない焦燥感。
「平凡でありたい」という願いとは裏腹に、ぼくの指先はかつてないほど繊細に動き、この手記に綴られる筆跡は、もはや老人のそれではなく、将来への希望に満ちた若者のような、力強く流麗なものに変わってしまった。
ロンドンという巨大な迷宮で、ぼくたちは何を見つけるのだろうか。
追っ手から逃げ延びたとしても、この時計が止まらない限り、ぼくたちはいつか、自分たちが「人間」であったことさえ忘れてしまうのではないか。
窓の外では、北アイルランドの黒い大地が遠ざかっていく。
海の向こう、霧に煙る大都会が、ぼくたちの最後の舞台になるかもしれない。
【現在の外観推定年齢:18歳】
(※追記:エイリーンは、推定8歳。彼女を抱き上げるたび、その軽さに恐怖する。ぼくの腕の中にあるのは、一人の女性の人生の残り香だけだ)




