表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白紙の残響  作者: 水前寺鯉太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/13

第7話:霧の鉄路、引き裂かれる時間


19XX年 1月 5日(日) 凍てつく霧のち雪

ポートラッシュの潮風は、ぼくたちの味方ではなかった。

市場へ行くたび、村人たちの視線が刺さるように痛い。つい一ヶ月前、「逞しい青年」として家を借りたぼくの顔は、今や産毛の残る十代後半の少年のそれへと変貌していた。一方のエイリーンは、もう「少女」ですらない。膝丈のドレスがぶかぶかになり、あどけない頬の曲線を持つ「幼子」の姿になってしまった。

「あの一家は悪魔と契約している」

「若返りの薬を使っているに違いない」

背後で囁かれる不気味な噂、そして村の境界線に現れた、黒い外套に身を包んだ『カラスの眼』の影。ぼくたちは、再びすべてを捨てて逃げるしかなかった。

目指すは、霧の都ロンドン。巨大な人口の坩堝るつぼであれば、この異形な二人も群衆の中に紛れ込めるかもしれないという、一縷の望みに賭けたのだ。

ガタゴトと揺れる夜行列車の中で、ぼくは向かいの席に座るエイリーンを見つめる。

彼女は、かつて大人だった頃の知性をかろうじて保ちながらも、その小さな身体は眠気に勝てず、ぼくの古びた上着に包まって眠っている。

今の彼女に、かつてシェルターで老人たちを救っていた「聖母」の面影はない。そこにいるのは、ただ、守られなければならない無力な子供だ。

「……ケネス……」

寝言でぼくの名を呼ぶ彼女の声は、高く、澄んでいる。

その声を聞くたび、ぼくの胸は締め付けられる。ぼくたちは、お互いの「老い」を知り、その魂の成熟に惹かれ合ったはずだった。それなのに、肉体が若返るにつれて、ぼくたちの関係は不自然に歪んでいく。

かつては恋人のようであり、今は兄妹。

そして、ロンドンに着く頃には、ぼくは彼女の「父親」のような役目を演じなければならなくなるだろう。

ぼく自身の変化も著しい。

知能や記憶は、まだあのリバプールで日記を綴っていた老人のままだ。だが、この若すぎる肉体が放つエネルギーが、ぼくの理性をかき乱す。

理由もなく走り出したくなる衝動。抑えきれない焦燥感。

「平凡でありたい」という願いとは裏腹に、ぼくの指先はかつてないほど繊細に動き、この手記に綴られる筆跡は、もはや老人のそれではなく、将来への希望に満ちた若者のような、力強く流麗なものに変わってしまった。

ロンドンという巨大な迷宮で、ぼくたちは何を見つけるのだろうか。

追っ手から逃げ延びたとしても、この時計が止まらない限り、ぼくたちはいつか、自分たちが「人間」であったことさえ忘れてしまうのではないか。

窓の外では、北アイルランドの黒い大地が遠ざかっていく。

海の向こう、霧に煙る大都会が、ぼくたちの最後の舞台になるかもしれない。

【現在の外観推定年齢:18歳】

(※追記:エイリーンは、推定8歳。彼女を抱き上げるたび、その軽さに恐怖する。ぼくの腕の中にあるのは、一人の女性の人生の残り香だけだ)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ