31 初めての痛み
お茶会から三日後、セラフィーナが初めてルネの部屋にやってきた。
ルネは初め驚き、そして喜びで顔がほころぶ。
「初めてだな、あなたから私に会いたいと言ってくれるのは」
部屋に入ると、迎え入れるためにお茶が用意される。
席に着いて、互いに一口ずつお茶を飲む。先に口を開いたのはセラフィーナだった。
「イネス嬢は大丈夫でしたか」
静かな問いかけに、ルネは罰が悪そうに答えた。
「あれから落ち着いたよ。……お茶の時間を中断して悪かった」
配偶者のセラフィーナを差し置いて、別の女性のことを優先したことを申し訳ない……という態度なのだろう。
「それは大丈夫です。気にしていませんので」
気にしていない、という言葉にルネは落ち込んだようだった。
「それはそれで……まぁいい。何か用があるのか?」
訊ねられたタイミングでセラフィーナは一冊の本を取り出す。
「これは、前王妃陛下カトリーヌ様の日記です」
「母上の日記……?」
「部屋を整理した時に出てきました。私が持っているよりも、ルネ様が持っていた方がよいと思ったので。王妃様の思いが書いてあるのではないでしょうか」
感慨深げにルネは受け取った。
彼と王妃の関係はどのようなものだったのだろうか。
ルネは語り出す。
「母上は、私を生んですぐに亡くなったんだ。関係があまり良くなかったのか、王は生きた痕跡を消すように母上の物を処分してしまっていたから……王妃の部屋にあったのだな」
「えぇ。一見分かりにくいところに隠されていたので、見過ごされていたのでしょう」
日記の場所はカトリーヌから教えてもらっていた。王の崩御は近く、時間が無いのですぐにでもルネに渡すように促され、こうして珍しく部屋に訊ねてきたのだ。
ルネ曰く、誰に聞いても王妃についての話は濁された。
カトリーヌに近い人物に話を聞けば聞くほど、彼女は気難しくいつもイライラしていたのだという。
王との関係も最悪で、なかなか子供が出来ない王妃はいつも王から責められ、末端の貴族までも揶揄されていたらしい。
ルネは、そんな中で授かった待望の子供なのだという。
だが、度重なる流産とストレスで、ルネを産んでから体調は戻らず、すぐに亡くなってしまったのだという。
王妃が亡くなってから、王の体調も徐々に悪くなった。人々はやがて王妃の呪いではないかと囁かれ、やがて王妃の話は禁句となった。
そのこともあって、王妃の私物は破棄をされたのだろう。
だから、ルネ自身は母親のことを詳しく知らないのだという。
「この日記で、前王妃様の気持ちが分かるのでないでしょうか」
セラフィーナはそう言った。これは、カトリーヌ自身からも言われていたことだ。
息子が王になる前に、母の愛を知って欲しいと。
『あの子は母親の記憶が無い。王になるにあたり、自分に足りないものを模索している中に、その日記を持って訊ねれば、その欠乏感を補完出来るだろう。きっと息子はお前への感情を決定的なものにするにちがいない』
自分の日記を指し示しながら、カトリーヌはそう言って笑った。
セラフィーナが今まで参考にしていた歴代王太子妃のようなものではない。私的な日記で、セラフィーナ自身読むのを控えていたものだった。
ルネは緊張しながらも表紙を開き、パラパラと読み進めていった。
これからは一人にしたほうがいいだろう。セラフィーナは立ち上がり、挨拶をした。
「では、私はこれで失礼します」
そう言って、ドアに向かった。ルネはセラフィーナの挨拶に返さず、日記を読みふけっているようだった。
ドアに手を掛けて、開こうとした時。
「どういうつもりだ?」
怒りに震えた声がセラフィーナの背中にかかった。先程と違う空気に、セラフィーナは困惑しながら振り返る。
「どういう……とは」
「……ここには、わたしへの恨みが綴られていた」
「え?」
「これを私に読ませたかったのか?……お前は母親に愛されていない子供だと、知らしめたかったのか?」
ルネは日記をセラフィーナの足下に投げ捨てた。
セラフィーナはその日記を広いあげ、パラパラとめくる。
『ようやく子供を産めた。忌まわしい、望まない子供。可哀想な子供。地獄に産み落としてしまった子供』
そんな文字が飛びこんでくる。
あっけに取られていたセラフィーナだったが、ルネは彼の頭の中である結論を導き出していた。
「君とはわかり合えると思っていた。共に国を背負っていけるかもしれないと。……けれど、わざと私に母上の日記を読ませた。知らなくても良い母の恨みをわざわざ持ってくるなんて……。こんな悪意を持っているとは思わなかったよ。私を精神的に追い詰めて、私を掌握しようとでも思っていたのか!?」
セラフィーナは努めて冷静に反論する。
「日記は私は読んでいません。この中に何が書かれているか知りませんでした」
「どうだかな!!そんなことは信じられない!!」
彼の根幹を揺るがすようなことを、セラフィーナの手から渡ってしまった。出来れば知られたくなかったものだっただろうこと。
ルネの中で、セラフィーナに対する思いが急速に変化する。ここ最近のところセラフィーナの王太子妃としての手腕に一目置いていた。
けれど、元々は彼女は隣国で厄介者扱いされていた、誰からも相手にされていなかった『孤独の女王』。
そんな末端貴族からも馬鹿にされていた存在に、自分の恥部を知られてしまった。
ルネの中で、一気にセラフィーナに対する感情は最悪なものとなった。
「……出て行け。さっさと出て行け!!!!」
ルネの激高に、ビリビリとセラフィーナの鼓膜が震える。
もうここにいても彼の機嫌を更に損ねるだけだ。セラフィーナは日記を抱えて、足早に部屋から出た。
歩きながら混乱した頭を整理していたが、角を曲がったところで立ち止まる。
目の前には、王妃カトリーヌが立っていた。
「私のプレゼントはどうだった?」
そう言って、口をゆがめて笑う。悪戯が成功して喜んでいるようだった。
セラフィーナはその姿に動揺するが、息を整えて落ち着けてから問いかけた。
「……だましたのですか?」
セラフィーナの問いかけに、カトリーヌはクスクスと笑う。
「お前は大分純粋だね?特に死者に対しては。生きた人間には相手にされなかったし、悪意を向けられることがあった。だから生きた人間には期待していない分警戒が出来るが、死者に対してはそれが薄い。……死者くらいしか相手にされなかった哀れな人生の末路だな」
言われたことはその通りで、セラフィーナは反論すら出来ない。
セラフィーナの人生は、死者と関わってきた時間の方が多かった。生きた人間よりも、彼女を支え導いてくれた。
だから、こうして裏切られるのは初めてだった。
カトリーヌは続ける。
「大方、自分が死者達の後悔を叶えてあげる。彼らの願いを聞いてあげる……なんて思い上がっていたのだろう」
セラフィーナの顔面に近寄って、耳元で囁いた。
「自分の身の程を知ったのなら、さっさと自分の国へ帰れ」
そう言うと、カトリーヌは霧が晴れたようにフッと目の前から消えた。
後に残ったのは、彼女の日記と耳に残った言葉だけ。薄暗い王城の廊下に、一人立つセラフィーナは動き出すことが出来なかった。
今まで付けられたことのない心の傷を、どう抱えて良いのかわからなかった。




