25 悪い予感
家の中には、ダリオの泣き声が響くだけになった。
セラフィーナはハンカチを取り出すと、ダリオの涙にそっと添えた。
それを見たアルベルトが、ダリオに言った。
「泣くな、男だろ」
セラフィーナは少し考えながら言葉を紡ぐ。
「……男とか女とか関係無いわ。辛い時に素直に泣けるのは子供の特権。素直に感情を表に出せるということは、ご両親が愛情を持って育ててくれたのでしょう」
両親のことを出されて、アルベルトの涙腺も緩んで彼も泣き出してしまう。
二人のことを慰めようとするが、どこかぎこちないセラフィーナの姿。
それを見て、ルネは先ほどセラフィーナが言ったことを思い出していた。
皇太子妃として振る舞う時は堂々としたものだが、こうして時折『人間初心者』のような表情をする時がある。
……彼女を放っておけない。
いつの間にか、ルネの心の中にそんな気持ちが生まれていた。
けれど、それは今まで愛を誓い合ったイネスに対しての裏切りだ。それに、ルネはセラフィーナに対して今までひどい態度を取っていた。
今更どんな態度を取って良いか分からない。
ゆくゆくの王として輝かしい人生を歩んできたつもりだったが、初めて過去の自分が憎らしくなった。
ルネが思い悩んでいると、セラフィーナが彼に声を掛ける。
「……ルネ様。ラウンダスに来る途中の街から騎士達を連れてきてくださいませんか?」
「急になんだ。何をしようとしている?」
セラフィーナは兄弟達を見ながら言った。
「この街で、良くないことが起こっています。……アルベルト、あなたたちと同じような状況は他の家でもあるんじゃない?」
聞かれたアルベルトは恐る恐るうなずいた。
「この辺一体は皆親が出稼ぎに行っているんだ。子供だけなのを分かっているから、強盗も多発しているし……怪我をした友達もいる」
セラフィーナはアルベルトとダリオの様子を見る。
二人は身を寄せ合って、震えていた。特にアルベルトは弟を守らなければという責任からか体をこわばらせている。
「……このまま放っておけば、この街は滅びてしまう」
「滅びる?大げさでは……ラウンダスに初めて来た君に何がわかるんだ」
ルネは半分呆れながら言った、それにセドリックが補足をした。
「いえ、そうとも言い切れません。この家に来るまでの街の様子でも、大人が少ないのは明らかでした。子供ばかりの街で暴漢達が幅をきかせている状況は良くないです」
セラフィーナはそれにうなずいて、改めてルネに言った。
「早急に動きましょう……ルネ様は護衛の騎士達に声をかけて、ここから一番近い街の兵士達を派遣してもらえますか。ラウンダスの隣には辺境伯の領土があったと思うので……」
そこまで言ったところで、ルネは疑問で遮る。
「護衛?」
ルネの疑問に、セドリックが目線をそらしながら答えた。
「セラフィーナ様の護衛は私だけですが、ルネ様にも護衛はいます。気配を消して数人付いてきておりました。ルネ様が街に出る時はいつもそうしているようです」
いつも、と言われてルネは過去の記憶がよみがえる。
イネスと共に、平民に紛れてデートをした時も見られていたのか、と気恥ずかしくなった。
気を取り直して、ルネは懸念を口にした。
「セラフィーナはどうするのだ?」
「私はセドリックと共にここに残ります」
「なっ!危険だろう!護衛一人では何の役にも立たない!」
下げられたセドリックはなんとも言えない表情を浮かべるだけだったが、セラフィーナがそれに答えた。
「先ほどの男が戻って、二人に何をするか分かりません。中央の人間にバレないように荒い手を使うかもしれない」
その言葉に、聞いていたアルベルトの肩がびくりとした。
「大丈夫です。これだけ騒いだらあの男は暫く戻ってきません。それに、辺境伯の地へはそこまで遠くないので時間はかからないでしょう。……この二人を守るためにはその方法しかない。次の王として、出来ることをしてください」
セラフィーナはの決意は固かった。
ルネはなおも説得しようとしたが、セラフィーナの言った『次の王』という言葉がルネの心を押しとどめた。
王子妃と辺境の小さい街の国民のどちらが大事かは、ルネの価値観では王子妃だ。
王族は何者にも代え難い。それは彼が幼い頃から叩き込まれた価値観だった。
けれど、その王太子妃本人が国民を助けたがっている。
自分に今できる最善のことを考え、そしてまだ愛と呼ぶには早いけれど、それに近い感情を持っているセラフィーナの願いを叶えたいとルネは思った。
「すぐに戻るから、戸締まりをきちんとしているように」
そう言って、ルネは後ろ髪を引かれながら家から出て行った。
ルネが去った後に、セドリックが口を開く。
「セラフィーナ様、何かお考えがあるのでしょうか」
セラフィーナがいつもと違う空気を纏っていることを、セドリックは気がついていた。
凪のように落ち着いている彼女が、珍しく焦った空気を出している。
セラフィーナはそれに気がつかれたことに小さく驚きながらも、口を開く。
「この街はもうすぐ恐ろしいことが起こる」
セラフィーナは先程自分の目で見たことを思い出していた。
ルネ達と話していた時に、家の外から突然大声が響いた、
その声は町中の人間が叫んでいるのではと錯覚するほどの轟音だった。
耳を凝らせば、皆同じ事を言っている。
「速く逃げて」
「ここはもう終わりだ」
「逃げて」
「『あの方』の怒りが限界だ」
「逃げて」
「貴方たちだけでも助かって」
「逃げて」
「領主の館から離れて」
「お願い……逃げて」
生きている人間へ、このラウンダスから脱出するように願う言葉。
一斉に死者達が言い出したということは、生きた人間ではなく、死者に関する何か恐ろしいことが起ころうとしている。
そして、その中心にあるのは領主の館。
きっと、これから良くないことが起こる。この街が滅びるような恐ろしいことが。
普通に考えれば、すぐに逃げなくてはならないだろう。
けれど、街全員に声を掛けて移動する時間は無い。そして、声を掛けたところで、セラフィーナは王太子妃として顔が認知されているのはせいぜい王都止まりだ。
辺境のラウンダスの人達に知られていないので、突然逃げろと喚く不審な女にしかなれないだろう。
死者の世界で起きる恐ろしいことを、生きた者達から救うには……。
セラフィーナはセドリックに言った。
「これから領主の館に行く」
「領主の……!?ルネ殿下の言うように、こちらで身を潜めていたほうがいいです。何かあった時に、一人ではあなたを守り切れない可能性がある」
セドリックの言うことは最もだったが、セラフィーナの決意は固かった。
「あなたには苦労を掛けます。でも、ここは何も言わずに私に付いてきて欲しい。王子妃としてやるべきことがあるの」
セドリックは息を飲んだ。
自分を見つめるセラフィーナの目が、今まで見たことがないはっきりとした彼女自身の意志を感じた。
彼女の中で大きな変化が起きて、そして自らの足と手で動きだそうとしている。
彼女が王太子妃として生きていくには、今この瞬間の出来事が大きく影響する。そんな予感をセドリックは感じていた。
自分の選択は、王太子妃の騎士として間違ったものだろう。
けれど、ここで彼女の意志に沿わなければ、身体は守れても王太子妃としての精神を守ることが出来ないかも知れない。
王太子妃と一介の騎士と比べるにはおこがましいが、それでも『どう在りたいか』は何よりも重要になることは身にしみて分かっていた。国を守り、王族に忠誠を尽くす。それがセドリックの在り方だが、今はそこにセラフィーナを支えるということも加わっている。
異国から来て、辛い状況に置かれてもブレる事が無い彼女の心も守りたい。
彼女が掴もうとしている『在り方』をすぐ近くで見たい。
なら、自分も覚悟を決めなければ。
セドリックはセラフィーナに答えた。
「わかりました。けれど、危ないことはしないでくださいね」
セラフィーナは微笑んで答えた。
「ありがとう。危ないことはしないつもりだけれど……少し、あなたにも茶番に付き合ってもらうかもしれない」




