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下・序

 目覚めた沙千也は暫く自分の居場所が分からなかった。

 木目の細かい柾目の板と飾り彫りのある垂木。長方形のシーリングライト。微かに漂う香の匂い。ぼんやりと辺りの有様を眺めていた彼はそこで文字通り飛び起きた。

「お目覚めですか」

 女が一人、枕元で正座しながら彼を見下ろしていた。黒い質素な制服はメイド帽こそ被っていなかったものの、まるでドラマに登場する使用人メイドそのものの格好だった。完全に年齢不詳の女は、彼が完全に目覚めこちらを凝視したことを確認すると柔らかく笑んで、

「吟二郎様がお待ちです」

 すると女はふと思い付いたかのように付け足す。

「ゆっくり身支度を整えた後で大丈夫ですよ」


 この三日間、客人としてこの要塞のような建物に軟禁されていた。監視カメラだらけの高い外塀と、トラックが突っ込んでも受け止められそうな鉄の門。庭にはドーベルマンが放たれ、強面の男たちが徘徊する。全て相手を威圧することに傾注し造られた建物は、応接室や廊下からトイレに至るまで、外部の人間が立ち入る可能性のある場所全て、何かしら相手に緊張感を与えるように出来ている。

 しかし沙由妃と沙千也に与えられた部屋は、広い庭に面した気持ちの良い場所で、この大きな屋敷の一番奥の一角にあった。造りは旅館の一室に良く似ている。普段からも客室として使われているのだろう。 沙千也の部屋に並んで沙由妃の部屋があり、その隣はユニットバスと脱衣所、トイレになっていた。二人はこの一角から動かないように警告されると、沙千也は大人しく自分の部屋で大半の時間をテレビを見て過ごした。無論、最初に空港で受けるような身体検査をされ、武器を持っていないか確かめられたが、その時に携帯も取り上げられ、沙由妃は例の細身の折り畳みナイフを預かると言われて持ち去られた。

 庭の奥にも建物が見えたが多分、ここの主のプライベートゾーンなのだろう、目隠しの生垣が視界を遮っていて、時折剣呑な男たちが徘徊しているのが見えていた。

 メイド服を着た世話係は食事を運び雑用を承った。沙千也は断ったが沙由妃は平然と洗濯物を出していた。これでは普段『啄木荘』での暮らしと変わりがなかった。


 十五分後、精一杯のスピードで身支度を整えた沙千也がメイドの案内で応接室に赴くと、そこには既に沙由妃の姿があった。彼女は独りで、座ると起き上がるのに苦労しそうな柔らかいレザーソファにちょこんと座っている。

「おはよう」

 言葉を掛けると沙由妃は顎を突き出すようにして無言で頷く。すると沙千也の到着を待っていたのか、横のドアが開き楠田が入って来る。昨日は例の女の葬式だった筈だ。楠田は未だに黒服に黒いネクタイを締めていた。

「おはようございます」

 沙千也が声を掛けると、

「おはよう」

 楠田は笑みまで浮かべ、挨拶を返した。当人に命じられたとはいえ、この人のおんなを殺した。その思いは常に沙千也の頭にあり、楠田が豹変して二人に危害を加える夢まで見ていた。この三日間、会うこともなかった。なので沙千也にとり楠田の葬式の後とは思えないリラックスした表情と態度は意外でもあり、逆に緊張を覚えることでもあった。

「どうだ、きちんと休めたか?」

 楠田は二人の正面のソファに座る。スーツのポケットから金色のシガレットケースを取り出すと慣れた手つきで一本取り出し、古風な卓上ライターで点ける。その仕草に気を取られていた沙千也には楠田の次の言葉は唐突で衝撃的だった。

「あなたの技、使わせて貰う。準備は要らなかったな」

 沙由妃は身動ぎせずに視線だけを楠田に送り、

「いつでもいい」

 楠田は何か確かめるかのように数秒沈黙した後で、

「誰を、とは聞かないんだな」

 沙由妃は思わせ振りな苦笑を浮かべ、

「聞いても何の意味もない」

「身内でもか?」

「身内などいない」

「彼がいる」

 沙千也の顔が見る見る青くなる。ごくり唾を飲む音が二人にも聞こえたに違いない。

「こいつは別だ。逝って貰ってはこちらが困るので例外とさせて貰う」

 沙由妃は無表情のまま返す。

「ジョークだよ」

 楠田は笑ったが沙千也はほっとすることも出来なかった。沙千也の反応を笑い混じりに眺めた後、表情を改めると、再び沙千也が驚くようなことを言い出した。

「その技、素人でも出来るのか?その、ナマエとやらを唱えれば」

「出来る」

 あっさりと沙由妃。

「面白い」

 楠田はフーッと煙を天井に吐き出すと、

「それは私にも使えるということだな?」

「無論だ」

「覚えるのに時間は掛かるのか?」

「別に。こちらが読み取った那真会を『式』に従い唱えるだけだ。訳もない」

「では」

 楠田は身を乗り出して煙草を灰皿に捻り潰す。

「その式とやら、聞かせてもらおう」


 沙由妃が語る『式』とは、いわば手順のことだった。いくつか唱える呪文があり、沙由妃言う所の『孤庫櫓こころ』を無にして相手のことだけ考える集中力を要し……

まるで遊戯の手順を説明するような沙由妃の隣で、沙千也は必死に表情を押し殺す。思いもかけない展開に彼は途方に暮れていた。

 伊勢の語った作戦の流れにはない有様。教えることを断ったり、出来ないと否定したりすれば片付いたはずなのに。素直に説明し出した沙由妃の行動。既に予定外で一人無垢の人間が死んでいる。万が一この楠田が技を身に付け、手当たり次第に意にそぐわない人間を処刑して行ったらどうなるのか。それを止められなかったとしたら。

 空恐ろしい顛末を想像しながら、沙千也はただ固唾を飲んで見守るだけだった。


 その夜、沙千也の部屋で二人きりの静かな夕食の後。

 メイドが食卓を片付け退出すると、沙千也は自分に用意された部屋に帰ろうとした沙由妃を引き止める。テレビを点け、やや音量を上げるとぼそぼそ不明瞭な小声で話し掛けた。

「盗聴されているだろうから、小さな声で話すよ」

「だろうな。で、なんだ」

 沙由妃はそっけない。

「あんな事を教えてよかったのか?」

「あんなこと?」

「アイツに語った式とかいうやつだよ」

「別に。那真会が分からなければ意味がない」

「分かれば意味がある、そう言う事だろ?」

 沙千也は不安からか声がしわがれた。

「安心しろ。那真会を読み解けるのは詠み人だけだ。式が分かったからと言って解ける訳ではない」

「でも、式とやらを教える必要もなかっただろう?」

「イチイチ細かいヤツだな」

 沙由妃は眉間に皺を寄せると、

「おっちゃんの話した計画なんて在って無いようなものさ。実際台本通りに物事が動いていくなんてお目出度いことあるもんか。こっちは相手に合わせて、とにかく結果を出せばいいんだよ」

「一体何をしようとしている?」

「いいから黙って見ていろよ。これ以上この話はするな」

 沙由妃はぷいっとそっぽを向く。金色の髪がさらっと流れて輝いた。沙千也は何か言い掛け、口を噤み、再び開いたが口をいたのは本当に聞きたいことではなかった。

「なあ、那真会って……どんな風に見えるんだ?」

 沙由妃は暫く沙千也の顔を眺めていたが、呟くように

「……ぽかんと浮かんでいる」

「え?」

 沙由妃はチッと舌打つ。

「だ、か、ら。宿主の頭の上」

 沙千也は想像してみるがどうもしっくりとこない。

「すると、何?人の頭の上、マンガの吹き出しみたいにその人の那真会が浮かんでいる。そういうこと?」

 沙由妃は気だるそうに頷くと、

「乱暴な表現だがそう思って間違いはないよ。見えない者に対しては、こいつはどうも説明のしようがないからな」

 そこで彼女は折っていた膝を揃え、例の体育座りをすると、

「念を込め、相手の相を観る。浮かび上がるまでの過程は宿主により様々だ。早い者は直ぐに見えて来るし数分掛かる者もいる。どっちにしても時間が経てば宿主の那真会、その字面じづらが水面から浮かび上がるように見えてくる」

 そこで首を振ると、

「言っとくが、言詠み以外は見えないぞ」

「分かってる」

「じゃ、何故聞く?」

「興味があって」

 沙由妃はフンと鼻を鳴らし、

「帰っていいか?」

「うん」

 沙由妃はさっと立ち上がり出て行こうとする。

「あ、沙由妃」

「何だ」

 沙千也はその立ち姿を見上げながら、

「無茶はしないで欲しい」

 沙由妃はフッと笑んで、

「信じろよ、先触人さきふれと

 言葉尻でストンと襖が閉じた。


 翌日の午後。

 再び楠田に呼ばれた二人は、今夕『コロシ』を行なうと告げられる。

「相手は新谷と言う奴だ。ウチにちょっかいを出し続け、三人やられている。何故かサツも鈍くてね。ウチが表立って反撃しないものだから手を拱いてやがる」

 楠田は煙草をフーッと吐き出すと、

「どうせウチが手を出したら両方一挙に潰しに掛かるつもりなんだろうよ。俺はさんざそれを野郎に伝えたんだが……どうもオツムの出来が良くない武闘派は視野が狭くてな」

 沙千也はじっと動かず、沙由妃は退屈そうに手を組み替えている。そんな二人の様子に気付いたのか楠田は、

「小玉さんよ。野郎は俺が殺りたい。あんたは奴のナマエを読み取ったら俺に教えてくれ。カタを付けて堂々と引き上げる。なあに、傍目には心臓発作にしか見えないさ。奴の配下は気にするな。万が一そこでドンパチ始まってもこっちは正当防衛だしな。会見の話はサツにもリークしてあるし。安心しな、あんたらはきっちり護ってやるよ」

「警察沙汰になるなら、その前に消えたいが」

「そうか、そうだよな。今後の商売に障りがあるからな。分かったよ。ナマエだけ伝えたらあんたらは先に帰っていい」

 殺人を世間話のように話す楠田は怖かった。その大きな手はテーブルの上に組まれ、時折指を組み代えていたが、その手が人の首に絡み付いて締め上げる様を沙千也はまざまざと思い浮かべることが出来た。喪に服する意味なのか未だ黒服の楠田はにこやかに微笑みながらそれが出来る気がする。

「では五時少し前に迎えをやる。小奇麗な格好は出来るのか?そうか、ではそれを着て待っていてくれ」

 沙由妃が軽く頷くと楠田が立ち上がる。そのまま黙って部屋を出て行った。沙千也は楠田も怖かったが、平然と顔色も変えない沙由妃が実は一番怖かった。



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