表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/14

上・急

 一瞬呆気に取られた男たちが申し合わせたように笑い出す。それはそうだろう、と沙千也も思う。我知らず溜息を吐きそうになり慌てて俯いた。

「お控えなすってって言った方がよかねえか?」

 凄んだ男が笑いながら沙千也を小突く。暴力に慣れた者の力の入れ具合は強く、沙千也は思わずよろけて倒れそうになったが何とか踏ん張った。笑いものにされる屈辱を押し殺し、出来るだけ無表情でいようとする。沙由妃は、と見れば背筋を伸ばして顔を上げ、すくっとした立ち姿には威厳すら漂っていた。

「おい、いい加減にしないか」

 黒塗りのベンツから男が一人降りて来るなり男たちを一喝する。

「丁寧に名乗った人を邪険にするものじゃない」

 ピンストライプのスーツに真っ赤なネクタイをした男は三十手前に見える。身長が高く百九十に近いのではないかと思われ、それに見合う筋肉質の体型と大きな手を持つ。右手の人差し指と薬指に何かの紋章が入った指輪をしていて、それが沙千也の目を引いた。

「良く来たね。私はクスダという。さあ、立ち話も何だ、乗りなさい」

 楠田と名乗った男はベンツに戻り二人を手招く。沙由妃が先に歩み寄り沙千也が続いた。

 楠田は二人を後席に座らせると自分は助手席に座り、運転する男に無言で行けと指示した。

「紹介状があるだろう」

 楠田は振り返ると大きな右手を差し出し、沙千也はデイバッグから、表に『楠田吟二郎殿』と墨書された白い角封筒を取り出して差し出す。受け取った大きな右手の指輪から、絡まった金色の蛇がこちらに鎌首をもたげ、その目に嵌ったダイヤがきらりと光った。楠田は封書から取り出した厚手の便箋を暫く眺めていたが、やがて、

「沙由妃さんとやら。今まで何人やった?」

「覚えていないが二百人は超えている、と思う」

 沙由妃の無遠慮な物言いに、ひやりとした沙千也が思わず座り直す。しかし楠田はすっと笑んだだけで、

「それは凄いな。幾つからやっている?」

「十三から」

「今、十八だよな?」

「そうだ」

「なるほど。では江島の所の菊池をやったのもあんたかい?」

 沙由妃はただ前を向いて答えない。

「恐れ入ったな」

 それきり楠田は腕を組んで前を見つめ黙り込んだ。ベンツの車内は空調が効いて薄っすら汗をかいていた沙千也には心地よかった。しかし車が次第に街中へと入って行くと緊張から再び汗が額に涌いてくる。この後どうなるかは楠田次第だが、九割以上の確率で受け入れるはずだ、もし拒否されても殺されはしないだろう、とリムジンバスの帽子の男は言っていた。しかし実際どうなるかはこの助手席に座る男が決めるのだ。

 暫く黙考した後で楠田はおもむろに運転手へ告げる。

「行き先を変えるぞ。エリコの所へ行け」


 車はそのまま街を通り過ぎ、再び郊外へ出る。街の外は途端に田畑が目立ち始め、行き交う車もトラックが多くなる。

「小玉さん」

 楠田が長い沈黙を破り、振り返らずに沙由妃を呼ぶ。

「何か」

 沙由妃は相変らず強気な姿勢を崩さない。

「仕事は一人に付き三本と聞いたが、随分と安いな」

「これでも高いという人もいる」

「そいつは人の何たるかが分かってない奴だな」

「こちらは貰えるものが貰えれば良い。依頼人が何を考えようと自由だ」

 楠田は明らかにお愛想と分かる笑い方をすると、

「乾いているな、あんた」

「悪いがこういう性格だ」

「で、大田さん」

 沙千也はごくりと唾を飲むと、

「何でしょうか」

「いつから彼女の付き人をしているんだね?」

 無闇に話を拡げない。あのタクシー運転手の声が聞こえるようだ。

「……お答え出来ません」

 楠田は沙千也の緊張を汲み取り、今度は本当に笑い出す。

「まあ、いい。大変だな、あんたも」

 すると楠田は表情を改め、運転手に、

「どこか適当な所に停めろ」

 直ぐにベンツが路肩に停まり、

「少し外で待っていろ」

 楠田が命じると無口な運転手はそのままドアを開けて外に出て行った。直ぐ後ろには楠田の部下の車が停まり、物騒な連中はバラバラと外に出てベンツを囲んだが、楠田が窓を開けて「離れていろ」と一喝すると、渋々と自分たちの車の周りへ戻って行った。

「相談があるんだが」

 部下が離れて煙草を吸ったりぶらぶらと歩いたりし出すと、楠田が沙由妃に問う。

「あんたの技とやら、直ぐにでも使えるのかね」

 彼女は黙って頷いた。

「では、そいつを験してもいいか?」


 三十分後、沙由妃たちは大学病院の中にいた。のどかな田園風景の中に対照的な白い建物が林立している。楠田は駐車場に運転手と付いて来ようとした剣呑な連中を「待っていろ」の一言で置き去りにすると、後は無言で病院に入って行く。意外にも楠田は真っ直ぐ面会者受付へ行き、記帳して正規の手続きでバッジを貰った。二人にバッジを渡すとふらりエレベーターホールへ向かう。エレベーターは面会者で混み合っていたが、楠田が押した最上階まで乗っていたのは彼らだけだった。

 最上階は一見して他の病棟と違い、間隔で間取りが広いと分かる木目調のドア、暖色系のLED照明、廊下は天窓付きの高い天井と凝った造りになっていた。

 楠田はナースステーションへ行き、居合わせた看護師に一言二言声を掛けると更に奥へと進んだ。そして病棟の端に近い一室の前へ来ると、ドアを軽くノックする。ドアには「面会謝絶」のプレートが下がっていたが彼は返事を待たずに頓着なくドアを開き、二人を招き入れた。

 部屋は個室だったが六人部屋と同じだけの広さがあり、専用バスルームとトイレもあった。しかしこの病室の患者はそれを使うことはないな、と沙千也は思う。窓際から少し離れた場所に設置されたベッドの周囲は医療機器だらけだった。心電計や血圧計などに接続されたモニターの上げるピッピッピという音や酸素吸入器のシューッシューッという規則正しい音が病室を満たしていた。

「憐れなものだ、こうして二年が経つ」

 楠田は独り言のようにそう言うとベッドに歩み寄り、患者の頭の部分を隠していたカーテンを開いた。

鼻や口に挿管され、髪の毛はキャップに隠れて見えなかったが若い女だと分かる。観測機器のパッドが接続された腕は透けるように白く細い。

「枝里子」

 楠田はそっと患者の頭に触れると暫くそのままで動かなかった。沙千也は次第に息詰まるような緊張感を覚え、汗が彼の額を流れ落ちた。どういう展開になるのか分かったからだ。

「小玉さん」

 楠田は患者の女を見つめたまま、その声は聞き取り辛い。

「あんたの技、相手が苦しまないように出来るのか?」

 しかし沙由妃が答える前に沙千也が一歩前に出て、

「どういう人なんですか?」

 思わず口を突いて出ていた。言った瞬間、しまったと思った沙千也だったがもう遅い。しかし楠田は力なく笑うと、

「今更そんなことを聞いてどうする?」

「申し訳ありません」

 楠田は頭を下げる沙千也の方を振り返るとぶっきらぼうに、

「俺の女だよ」

 そして沙由妃に、

「どうなんだ、苦しまずにやれるのか?」

「相手による」

 沙由妃の態度は変わらない。

「どんな人間だったら苦しまないんだ?」

「抜け殻のような者。絶望し自ら死を厭わない者。闇に囚われた者。絶望の淵に辿り着いた者たちだ」

「ではこの女は正にそれだ」

 楠田の声は低く、囁きに近い。

「二年前、俺を狙って車に細工をした野郎がいた。本当なら俺がこうなったはずだが、あの日、急な呼び出しがあって、俺は使いの者の車で移動したので助かった。こいつは俺の帰りのアシをと思って俺の車で迎えに出た。ブレーキが利かずに自爆した。命は助かったがそれ以来目が覚めない。脳に損傷がある」

 楠田はふと言葉を切ると沙由妃を見据える。

「すまんな、余計なことだった。やってくれるか?」

「今、ここでか?」

「そうだ」

 沙由妃はベッドに歩み寄ると、女の顔をしばらく眺めていた。そして唐突に、

「いいんだな?」

「ああ。だが、さっきの話、苦しまないようにしてくれ」

 沙由妃はじろりと楠田を見る。その眼差しに沙千也は背筋が震えるような寒さを感じていた。

「出来る限りやってはみるが、保障は出来ない」

「ああ、出来るだけでいい」

 沙由妃は身振りで楠田に離れるよう促す。楠田は最後に女の頭を撫でると、すっと沙千也の横まで下がった。

 沙由妃は深呼吸を二度繰り返す。吐き出す息が細く長く、シューっと音が零れる。その目はじっと女を見つめていた。

 そのまま一分ほど。待つ二人には長く張り詰めた時間が経過した後。

「貴公は『魅靭ミジン』」

 うたうように沙由妃が宣じる。すると突然、女の目がぱっと見開いた。同時にがくがくと身体が波打つように揺れ始める。

「枝里子!」

 楠田が走り寄り、身を乗り出しその手を握った。しかし女は楠田の手を振り解くように暴れ、頭を左右に激しく振るとその両目から涙が噴出した。顔は驚愕の表情に変わっていた。

「枝里子、俺だ!分かるか」

 楠田は必死に呼び掛け続ける。するとその叫びが届いたのか、挿管された口元が微かに動き、頭がこくりと揺れた。

「枝里子」

 やがて女の表情が遠くを見つめるような穏やかなものに変わる。楠田の後ろでは沙由妃が念仏に近い何かを唱えていた。

 その時、駆け付ける足音と共にドアが開き、看護師が走り寄って叫んだ。

「離れてください!」

 乱れていたモニター音は甲高いピーっという連続音に変わり、楠田を押し退けた看護師が心臓マッサージを始める。更に足音がすると看護師と医師が一人、医療機器のワゴンを運んで来た。医師は心臓マッサージを続ける看護師の肩を乱暴に叩くとその行為を止めさせ、運んで来た除細動器で蘇生を試みた。やがて首を振った医師が装置を離し、楠田に告げる。

「ご臨終です」

 医師がモニターのスイッチを切ると突然の静寂の中、楠田の静かな啜り泣きの声だけが病室に響いた。


 一時間後、デイルームで待っていた二人の所に楠田がやって来ると、無言で首を振って付いてくるよう促した。そのまま忘れてしまったかのように振り返りもしない楠田に続いて、二人は病院を無言で歩き通した。息詰まる沈黙の中、駐車場にやって来ると待ちかねていた連中が走り寄って来た。顛末を聞いていたのだろう、口々に悔やみの言葉やら慰めの言葉を言いかけたが、楠田はそれをじろり睨んだだけで黙らせ、独り車に乗り込む。二人も申し合わせたようにベンツの後席ドアを開けると静かに座った。

 楠田は続いて乗り込もうとした運転手を止めると一言、

「呼ぶまで離れていろ」

 そしてシートに寄り掛かり腕を組む。暫く静寂の時間が流れたが、それは沙千也にとって神経を磨り減らす長い、長い時間となった。

 黙考した楠田が顔を上げたのは、車に乗り込んで五分は過ぎた頃合だった。

「小玉さん、あんたの技が本物だということは分かった。聞いていいか?」

 思ったより落ち着いた物言いに沙千也がほっと気取られない吐息を吐くと、沙由妃は相変らずぶっきらぼうに応える。

「構わない」

 楠田の沙由妃に対する態度は、既に十代の小娘に対するものではなくなっていた。

「あんな技が使えるのだから、あんたは人の死というやつを理解しているのだろう?」

 まるで同格の人間に対するかのような物言いにも動じない沙由妃は、

「理解という意味にも因るが?」

「ありのままの死、その有様だ」

 沙由妃は眉根を寄せ、

「私は僧侶ではない。人の死の意味など語れはしない。一体何を聞きたいのだ?」

 楠田は苦笑すると、

「こんなヤクザが禅問答か?という顔付きだな。それは当然だ」

 自嘲の笑いが吹き消すように消え、楠田は真剣な眼差しで続ける。

「宗教的な意味ではない。頼む、あんたの意見を聞かせてくれ。例えば、死後の世界はあるのか?」

「さあ、どうだかな」

 沙由妃は視線を窓の外へ流すと、

「聞き及びだろうが、私は人それぞれに付いている『那真会なまえ』と呼ばれる真理を詠み解く。それが離れれば、人は生命活動を維持出来ずに死ぬ。そういう観点からすれば、人は那真会の器としてだけの存在であるし、器に極楽浄土が存在するのか、と問われればそんなものはない、と答えるしかない」

 楠田はそれまで後ろを振り返る形で沙由妃に対していたが、肩を竦めるや前に向き直り、そのまま会話を続けた。

「それが本当なら人間は全く哀れだな。もう一つ聞きたい。那真会は人の間を移ろい行くと聞いたが、それはたましいなのか?」

「我々はコン、と呼んでいるな。タマシイと呼ばれる存在、貴方が思っているその者の霊魂というものとは違う。それは人に付かぬ限り存在しないに等しい」

「だが、那真会とやらは人の内に存在するのだろう?例えば俺にもある。あんたにも、だよな?」

「ある」

「それはその者を動かす指針だと」

「そう言われている」

「人が死ねばその者を離れ、新たな生へ辿り着く、と」

「そうだ」

「ではそいつはやはり霊魂だ」

 沙由妃の顔を眺め続けていた沙千也はその変化を見逃さなかった。沙由妃は微かに肩を竦めると口元を緩めた。しかし口を突いて出た言葉は辛辣そのものだった。

「そう思いたければ思えばいい。その方が引導を渡したあの女への罪悪感を軽くするのだろうし、あんたの気も済むのだろうからな。それにあながち間違いでもない」

 一瞬楠田は怒り出すだろうと身構えた沙千也だったが、反して楠田は力なく俯いた。その格好のまま、暫く考え込んでいたが、やがて顔を上げると静かに、

「すまなかった。ありがとう」

 ウインドウを下げると声を張り、

「事務所に行く」

 そこで思い出したかのように、

「中村、吉野」

「へい」

 二人の部下が走り寄る。

「葬儀屋を呼んでいる。組にも言っておくが派手にはしたくない。後は任すから段取りを付けろ」

「承知しました」

「遠藤」

 運転手が歩み寄る。

「行くぞ」

「あの」

 巨漢の運転手が小さな目をきょろきょろとさせる。

「何だ」

 楠田が見上げると、

「若頭、本当に大丈夫なんで?」

 楠田はにこりとすると、

「大丈夫だ。あいつも楽になったんだ、本望だろうよ」

 すっと手を伸ばし運転手の腕に触れると、運転手は恐縮し顔を赤くした。

「さ、行こう」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ