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「お前。名前は」

 少女が突然話し掛ける。まだ背を向けたまま。恐怖で全身金縛りに近い状態で身動きもままならない彼は、思わずごくりと生唾を飲み素直に答える。

「……高木沙千也さちや

「なるほど。『忌み名』があるな。何だ」

「そ、それは言えない」

 すると意外にも少女から微かな笑い声が漏れた。

「それはそうだ。忌み名は物のと人とを別つしるしと言う。絶対に他人に知られてはならない、お前もそう親に教えられたはずだ。なあ『サチヨ』」

 沙千也はまたもや驚愕する。女名前になぞらえた彼の忌み名。親以外知る者はいないはず。

「……何故それを」

 少女は後姿のまま肩を竦める。

「お前って分かりやすいタイプだな」

 少女の態度には、まるで同級生に語りかけるような気安さがあった。相手は沙千也の知らぬ手品のような手段で人を殺したように見えるものの、自分の方が明らかに年上。いつの間にか恐怖に好奇心が忍び込む。

「ちょっとここで待ってな」

 沙千也の思いを知ってか知らずか、そのまま少女は空き地に戻る。虎縞のロープを潜るとおぞましい黒い塊の所に戻り、しゃがみ込むと何かを探していたが、塊から二つ小さなものを抜き取るや、さっさと空き地を後にする。

 少女は立て掛けてあった赤い自転車のハンドルを握り、ふと思い出したかのように沙千也の姿をまじまじと見る。彼は身動きもとれず、まだ電柱の影に佇んでいた。

 少女が傍らを離れた瞬間、逃げようとはした。だが、意に反して足が動かない。恐怖からなのか別の理由か、今の彼に分かるはずもない。

 少女は再び肩を竦めると自転車を押しながら沙千也のところへ戻って来る。

「なあ。私が怖いか?」

 ストレートな質問に彼の答えも反射的だった。

「怖いよ」

 すると彼が驚いたことに、少女はぺこりと頭を下げ、済まなそうに言う。

「悪いな。今更と思うかも知れないが、お前にはもう危害を加えるつもりはないよ」

 目前で神懸かり的な方法により人を殺めた人間。その言を信じるのは難しい。神懸りでなくとも、だ。沙千也の顔に不信が滲み出ていたのだろう、少女は吐息をきつつ、

「ああ、人殺し、な。気味の悪いものを見せてしまったな、申し訳ない」

 少女からは先程の殺気立った気配は消え、妙に大人びた言い回し以外、その辺に幾らでも住んでいる女子高生と変わりがない。

 沙千也がまだ自分を凝視しているのを見ると、少女は再び吐息を吐く。

「まあ、いいや。どうせこの先、私がコロシを行なうのを嫌と言うほど見るのだからな」

「見る?俺が?」

「そうさ。慣れるしかないな」

 少女の呆気羅漢あっけらかんとした物言いが逆に沙千也の心臓をかき乱す。

「どうするんだ、俺を」

「売り渡す。香港がいいか?それともタイ?最近はベトナムにもいいコネがあるんだが」

 彼からまるで喉を絞められた時のような音がする。すると少女は笑い出した。

「嘘だよ」

 そう言われても、最早沙千也は蛇に睨まれた蛙のように硬直し黙っているだけだった。

「さあ、そろそろやばいかな。行くぞ」

 少女が彼の右腕を軽く叩く。触れられた瞬間、何か熱いものが腕を走り、沙千也は思わず飛び上がる。しかしそんな現象より目先の心配が勝った彼は、漸く言葉を捻り出した。

「どこに?」

「いいから付いて来いよ」

「行かないと言ったら?」

 すると少女の顔が無表情に変わる。沙千也の鼓動がまた早まり出す。

(何てことを言うんだ、俺は)

 後悔するが、遅い。しかし少女はあっさりと、

「サチヤ。お前は付いて来るよ、否応もなく、ね」

 そのまま自転車を押して路地を先へと歩き出す。

 行くものか、と思う。行けば危ないに決っている。しかし、逃げる素振りを見せたら今度こそあの男のような死に方をするかも知れない。「否応もなく」と彼女は言った。確かに否応はなかった。赤い小さな自転車を転がす少女の後を、沙千也は足取りも重く辿って行く。


 少女が男を殺した空き地から二キロほど離れた県境の川、その護岸。河川敷に沿って桜並木があるため、花の季節には賑わいを見せるものの、それ以外の季節は下流にあるスポーツ広場に較べ物寂しい場所だった。時間は午前三時を回っている。人の気配も在るはずがない。

 少女は自転車を遊歩道の東屋の壁に立て掛けると中に入り、そのコンクリート製のベンチに腰掛ける。古新聞や如何わしい雑誌の類が床に捨てられ、割れたビンや潰れた空き缶があちらこちらに並ぶ。昼間でも休む気になれない場所だったが、沙千也は少々くたびれていた。慣れない酒と歩き通し、挙句に命の危機と緊張の連続とで、警戒を解かない彼は彼女から一番離れた位置に座る。

「ここで待つ」

 少女がぽつり言うと、沙千也は、

「何を待つんだ」

 かつてない疲れに現実感の薄れた彼は、相手が殺人者であることよりも自分とそう歳の変わらない少女という現実の方に軸足が移って行った。

「保護者」

 ぽつりと少女が言う。

「親か?」

「いいや」

「……親は?」

「いない」

「そうか」

 似た境遇に親近感も微かに涌いて来る。沙千也はもう一歩踏み込んだ。

「君は?」

「何だ」

「こちらは名乗った。今度は君の番だ」

 彼女は被りを振った。

「悪いが名乗れない。代わりにこれを」

 立ち上がって差出されたのは紅い紙。名刺かと思った沙千也が受け取ると、それは紅い千代紙。二つ折りの紙を開くと裏白に紅い墨蹟で文字が五つ。自分と同じ『沙』の字を見て更に興味が増した。

小玉こだま由妃ゆき?」

 彼女は黙って頷く。

「何時もこんな面倒な紹介を?」

「そうだ」

「どうして名乗れない」

 しかし彼女はそれに答えず、

「でも、これからはそれをしなくてもよくなるな」

「何故?」

「私が名乗らねばならない時」

 すっと彼女の右手が上がり、人差し指が彼を指す。

「そんな時は、お前が私を紹介するからだ」

「どうしてそんなことを」

「しなくてならないのか」

 反論を、続きを言い当てることで封じた彼女は続けて、

「それは追々説明してやるよ。だが先ずは」

 彼女はすっと右手を上向け、クイクイッとお出でお出でをする。

 彼は釣られたまま立ち上がって一、二歩前に出ると、彼女は手招きをした右手で空に印を切る。それはたじろいだ彼が思わず目を瞑ったほど早く、その直後、彼女は何時どこから取り出したものか右手に細いナイフを煌めかせる。はっと硬直した沙千也の前で彼女はそのまま自分の左手親指に切っ先を当てる。ぷっくりと血滴が盛り上がる。そしてそのまま三歩進み出ていきなり沙千也の眉間へ親指を押し付けた。

 瞬間、沙千也の意識が飛ぶ。感電したことはないが雷に打たれたのならこんな感じなのか、とその一瞬で場違いなことを考えた彼がいた。

「大丈夫か」

 はっと我に返ると目の前に沙由妃がいる。思わず飛び退ると彼女はクククッと忍び笑う。

「俺に何をした」

「お前が仕事をするのに便利なようにしただけさ。そのままでは玄人相手に戦えないし私を守護することも出来ないからな」

「戦う?」

「説明は後々。さっきそう言っただろう?」

「守護、だって?」

「あとあと。さあ、少し寝ておきな。迎えはまだ一時間は来ないから」

 眠れるもんか、と沙千也は思う。殺人を犯した人間が目の前にいる。よく分からない技を使う。呪術だろうか?額にそっと手をやり、先ほどサユキが付けた血を気味悪げに触る。何かそこだけに違和感があった。擦り落とそうか、と思ったが、それをしてはいけないような気がする。それに既に血は固まって勝手にポロポロと落ちて来る。沙由妃はそんな彼を無視するかのようにベンチの上に足を乗せ、体育座りをしていた。目を瞑り月明かりに横顔が影となって表情は分からない。

 不思議な少女だ。なんとも特徴のない顔。化粧っ気もない。やや小柄で華奢とも言えるが弱い感じは一切ない。能面のような無表情だったかと思えば一重の目が笑っていたりもする。ぶっきら棒だが愛想がない訳でもない。捉え所のない存在。なのに沙千也には、沙由妃から数秒目を離せば直ぐに視線を戻してしまう磁力か引力でもあるのではないかと思えるような存在になりつつある。

(疲れた)

 少し腰を引いて背を東屋の壁に凭れさせる。ゆっくりと視界が廻り出す。欠伸を続けて二つ、頭を振って深呼吸をし、彼は少女を見続けようとした。


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