校正者のざれごと――『盗作』と出版中止
私は、フリーランスの校正者をしている。
先日、車で移動中に上の子のプレイリストで音楽を聴いていた。「ふだんあんまり聴かない曲を聴いてみたい」という私のリクエストに応えて、いろいろな曲を選んでくれた。そのなかのひとつに、こんな曲があった。
「ある時、思い付いたんだ。
この歌が僕の物になれば、この穴は埋まるだろうか。
だから、僕は盗んだ」
ヨルシカさんの『盗作』という曲だ。彼らの名前は知っていたが、曲をちゃんと聴く機会は今までなかった。それにしても、衝撃的な歌詞とメロディー。その次の『思想犯』という曲とコンセプトがつながっているんだよと、上の子は教えてくれた。
気になったので、家に帰って検索してみた。『盗作』というのはアルバム名でもあり、アルバムのなかの14曲すべてが「音楽を盗作する男」のストーリーになっているそうだ。盗作か。すごいテーマを選んだものだな。
数年前、私の所属する校正プロダクションに、ある資格試験の問題集の校正の打診が来た。その出版社からはその資格試験についての本は初めて出すということで、校正についても何社か声をかけて、そのなかから一社を選ぶらしい。
「小山さん、出版社さんが来るから同席してくれる?」
たまたまその資格試験の問題集の校正の経験があった私に、社長が言った。
上司とともにやって来た出版社の編集担当者は、真面目そうな若い男性だった。面談で少し話したあと、私のいる校正プロダクションがその仕事を受けることになった。
それは難易度の高い試験で、問題集は科目ごとに何冊かに分けて出される。私が担当したのは経済の分野で、「需要と供給の曲線」など複雑な内容が多かった。それを、登場人物たちが会話をしながらかみ砕いて説明していく。できるだけ初心者でもわかるように、読みやすい本にしたいという。
編集担当者はとても熱心だった。私が校正したものを見ながら「ここはこうしたほうがわかりやすいですよね? 小山さん、どう思いますか」などと聞かれ、内容について二人でいろいろと話し合った。ふだん編集者というのはとても忙しく、校正したものについて事細かに話すことなどほとんどない。でも、この本についてはずいぶん意見を交換することができ、「制作に携わっている」という気持ちを強く持つことができた。
再校まで見終わり、すべてのゲラ(校正紙)を納品した。出来上がりが楽しみだった。
ひと月ほどたった頃、校正プロダクションの社長に「そういえば、あの本ってもう出版されてますよね」と聞いてみた。校正を担当した本が出版されると、編集担当者が見本を送ってくれることが多い。献本という。あれだけがんばったんだし、あの本が出ているならぜひ手元に置いておきたい。すると社長は、
「小山さん、ニュース見てないの?」
その資格試験の本は、出版中止になったという。
私が担当していた経済分野以外に、別の科目の本が何冊か先に出版されていた。その本のなかに、ある大手出版社が出している同じ資格試験の本の内容に酷似している部分が数十カ所あり、指摘を受けたという。その後、すでに出ていた本は回収され絶版となり、これから出版予定の本は出版取りやめになった。もちろん、私が担当した経済分野の本も。
執筆を担当した先生が、その大手出版社の資格試験の本やインターネットの文章をそのまま引用してしまったことが原因だった。校正者は内容のチェックはするが、世の中に数多く出ている本に酷似しているかどうかをすべてチェックすることはできない。校正をしながらネット検索していて、あまりに似ている文章を見つけると「〇〇の内容に酷似していますがOK?」などと書き添えることはあるが。
ずいぶん力を入れていた本だけに、出版中止になったことはかなりショックだった。その後、その編集担当者と仕事をすることもなかった。今でも、検索するとそのニュースは見ることができる。
ちなみに、著作権というのはどこかに申請したりする必要はなく、創作した時点で発生し、その保護期間はその著作者の死後70年と定められている。ただし、著作権法38条には「公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる」とあり、その権利にはある一定の制限がある。
そういえば、以前音楽の世界でもゴーストライターの事件が話題になっていた。あの二人はどうなったのだろうか。最近でも、まんがの賞の受賞作が類似作品があるとの指摘を受けて受賞取り消しになっていた。大物アーティストの代表曲と類似した曲がアニメのなかで使われ、ちょっとした騒動にもなった。
『盗作』という衝撃的な作品に触れたことで、オリジナル作品というものについて考えるいい機会になった。曲の歌詞は、
「嗚呼、まだ足りない。全部足りない。
何一つも満たされない。」
と続く。作った人の思いを聴くべく、今度はアルバム全部をちゃんと味わってみようか。