ダレン・アークナイツという人間③
それからまた数日が過ぎた。ダレン様はますます憔悴している。もはや動く元気すらなく、ずっと花畑にうずくまって涙だけを流している。
日が沈んで辺りが暗くなると、ハンジ殿は照明魔道具を東屋に灯し始める。ダレン様は屋敷には戻らず、この東屋で寝起きしていた。通常よりしっかり作られたここは、ベッドやテーブルなどが一式揃っている。
ダレン様は倒れるようにベッドに横たわると、
「……暗い。もっと明るくできんのか」
と、呟いた。
「出力はこれで限界です」
と、ハンジ殿。
「ならば数を増やせ。暗いのは好かん」
そう言って、ダレン様は目を閉じた。私はハンジ殿に連れられて自分の部屋に戻る。
「困りました。魔道具は入手が困難ですから」
歩きながらハンジ殿がこぼす。
「普通の火ではだめなんですか?」
「無理ですね。ダレン様は炎がお嫌いですから」
「えっ」
アークナイツは炎魔法の家だ。その息子が炎を嫌いだなんて——
「正確には宮殿炎上事件以来トラウマになってしまわれたんですよ。自分の魔法も使えないほどに。とんだ皮肉ですよ。炎の神の子孫が、炎を恐れて生きているなんて」
生きている、んだろうか。私はダレン様の姿を思い浮かべる。あの人はもう死んでしまったように見える。
*
次の日の朝、
「緊急事態です、お嬢様」
と、私の部屋の扉がバタンと開く。
見ると、いつも通りの無表情で、だけどおそらく焦っているだろうハンジ殿が立っている。
「ダレン様の経過観察のため、中央から役人がやってきました。ダレン様を出せと要求しています。ここで出ていかなければ、反抗の意志ありと捉えられ、この後の処遇に悪影響が出る。ひとまず私が対応しますので、お嬢様は大至急ダレン様に準備させてください」
それだけ言ってハンジ殿はすぐ走り去る。私は急いで庭園に向かった。
「ダレン様、今すぐ面会のご支度をしてください!」
「……嫌だ」
しかし、彼は虚ろな目で花を見つめるだけだ。
「どうか勇気を出してください。今役人と会わなければ、ダレン様の未来が危うくなってしまうんです」
私は必死に働きかける。
「そうだ。お会いになる前に、少し身体を拭いましょうか。きれいな衣装をまとって、髪の毛もまとめて。立派なお姿を見せつけましょうね」
一生懸命明るい声を出し、立ち上がらせようと腕を引っ張る。その瞬間——
「私に構うな!」
物凄い剣幕で振り払われ、私は後ろに倒れ込んだ。
「気色悪いのだ。そうやってずっと心配するふりをして……。内心では私を大罪人と忌み嫌っているくせに。さっさと死ねと思っているくせに……!」
ダレン様はかすれきった声で叫ぶ。
「どいつもこいつもみんなそうだ。みんな私のことが嫌いで、私を不幸にして楽しんでいる。 だったらもういい! もう全部やめて、望み通り死んでやる! それがお前たちの望みなのだろう!」
悲劇の主人公じみた絶叫をする彼に、
「……甘ったれるのもいい加減にしてくれませんか?」
気付けば腹の底から低い声が出ていた。
「みんなが望むから死ぬ? 違いますよ。あなたは自分が死んで逃げたいだけです。自分の運命と向き合うことが怖いから。それを人のせいにしないでください、この臆病者」
私の言葉にダレン様は目を見開いた後、
「臆病者、だと?」
と、わなわな全身を震わせ始めた。
「私を誰だと思っている! ダレン・アークナイツだぞ! 神の血を引くアークナイツ一門であり、国家元帥イェルゲンの次男だぞ! 私に向かって、そんなことを言える人間が、言っていい人間がいるはずが……」
「ダレン・アークナイツだから何なんですか。私はあなたを貴い神の子孫とも、史上最恐の大悪党とも思いません。だって、本当のあなたは——」
怒りに赤黒くそまった瞳を、私はまっすぐ見つめ返した。
「ただの腰抜けじゃないですか」
その時のダレン様の表情を見た瞬間、私ははっと我に返った。そして、自分がとんでもないことをしでかしたのだと理解した。
どうしてこんなことを言ってしまったんだろう。どうしてこんなに感情的になって……。私らしくない。完全におかしくなってしまった。
自責の念に押しつぶされそうになって、だけど立ち止まるわけにはいかなかった。
「……私はもう行きます。あなたはここでずっと泣いていればいい」
私はダレン様に背を向け、中庭から走り去る。ダレン様が出られない以上、なんとか役人に謝罪し、怒りを収めてもらわなければ。私は屋敷に駆け込み、応接間へと全速力で向かう。
部屋の中に入ると、ソファに横柄に腰を下ろした人間が、頭ごなしにハンジ殿を怒鳴りつけているところだった。彼が観察官だろう。背後には部下の役人が数人控えている。
「大変お待たせいたしました、観察官殿。ダレンの妻のランカと申します」
頭を下げ、目が合ったハンジ殿に小さく首を横に振る。
「誠に申し訳ございません。夫は体調が優れず、会うことが難し……」
「はは、ついに壊れたか、あの大罪人は!」
その途端、観察官は膝を打って大爆笑した。
「構わん、連れてこい。そもそもこっちは、ぼろぼろの大罪人を笑いに来ているのだ。惨めな格好であればあるほど好ましい。そうだ、あの気持ち悪い髪の毛を丸刈りにするのはどうだ? お前がやってくれたらチップをやるぞ、愛妾」
観察官の言葉に、部下たちがゲラゲラと笑う。
「夫にそんなことはできません」
私の台詞に、観察官はねっちゃりとした笑みを貼り付ける。
「何を義理立てしている、金で買われた愛妾風情が。本当は奴を夫となど思ってないだろう? お前だって本当は楽しんで、そして見下しているはずだ。破滅した傲慢な公爵令息を。それは悪いことではない。むしろ正しいことなのだ。大罪人はもはや何をされても文句の言えない、つまり何をしてもいい存在なのだ。せいぜい慰み者にしてやればいい」
私がぎゅっと拳を握りしめた、その時——
「報告します! ダレン・アークナイツが屋敷から逃亡しました!」
我が家の護衛が居間に飛び込んできた。
「なぜ止めなかったんですか!」
思わず掴みかかった私を、護衛は思い切り突き放す。その時の彼は、恐ろしく冷たい顔をしていた。
「おやおや、困ったなあ。この山はアークナイツの敷地。しかし山を出れば、謹慎という処分に違反する。最悪、殺してしまっても仕方ない」
兵を麓に配備せよ、との観察官の指示に、すかさず部下たちが部屋を飛び出す。どんどん状況が悪化していく。
「すぐに連れ戻します。どうかしばしお時間をくださいませ」
観察官に懇願した後、
「今すぐ旦那様を探しに行きます。ついてきてください」
と、私は部屋の中にいた十名近いメイドと護衛に呼びかける。
しかし、
「お断りします」
と、若いメイドは堂々と言い放った。
「大罪人なんてさっさと死ねばいい。むしろ死んだ方が世のためです」
その顔には侮蔑の笑みが浮かんでいる。初めて屋敷にやってきた私が見た、あれと同じ笑みだった。
「主は死ぬようなので、私たちお屋敷をやめさせていただきますね。あ、退職金は勝手にもらっていくので」
そう言うや、彼女は壁の燭台をボキリと折った。彼女だけじゃない。他の使用人たちもすぐさま収奪を開始する。手当たり次第に居間を漁りつくし、別の部屋に押しかけ。主人を助けようとする者は誰一人としていない。
「……分かりました。ならば私一人で行きます」
部屋を飛び出す私。背後で役人たち、そして使用人たちが大笑いした。