ダレン・アークナイツという人間②
そしてアークナイツ邸での暮らしが始まった。
「……なぜ芋娘がここにいる」
次の日の朝、さっそく中庭を訪れた私にダレン様が顔を引きつらせる。
「ハンジ、きちんと閉じ込めなかったのか!」
「すみません。『見逃してくれたら、私の食事代でハンジ殿のおかしも買っていいですよ』と言われてしまったもので」
ハンジ殿は棒付きキャンディをぺろぺろしながら返事をする。
「お、お前……」
「ということで、ダレン様。これからは私もお側にお仕えします」
私はダレン様に微笑む。
「幸せ夫婦計画は既に始まっているのです。そのために、ダレン様にはまず健康になっていただきます」
そう。このダレン様、物凄く不健康だ。骨と皮ばかりにやせ細って、儚げを通り越し、これじゃあもう病気の部類だろう。
「ハンジ殿に聞きました。お食事を召し上がってくださらないと。私、使用人に頼んで何か持ってき……」
「食わん。私に構うな」
そう言い放つや、ダレン様は去っていく。私はそれを追いかける。長時間に渡る攻防の末、ダレン様は疲れ果てて木陰に座り込んだ。
「分かりました。現時点では断念します。私だけ隣で食べてますね。欲しくなったらいつでも差し上げますのでお声がけを」
私はその隣に腰を下ろし、ハンジ殿から受け取った包みを開く。中身はサンドイッチ。平たいパンに肉と野菜を挟んで、甘辛いソースで絡めてある。寒い地域では、身体を温めるために辛い味付けが好まれる。この地方の屋台や軽食屋では定番のメニューだ。
「田舎臭い食い物だな」
ダレン様の憎まれ口もそこそこに、私はパンにかぶりつく。
「そんなに美味いのか?」
夢中で食べる私に、ダレン様が目を合わせないで尋ねる。
「はい、めちゃくちゃ美味しいです! ご馳走様です!」
食い気味で言ってしまった私。でもしょうがない。リーデル家で私の食事は、残飯をあさるか屑野菜をこっそり炒めて食べるか。だから、これは物凄いご馳走なのだ。
「ふーん。良かったな」
おや? 案外、物凄い意地悪というわけじゃないのかな? そもそも、食べ物を出すな、じゃなくて、外で買ってこい、だからかなり温情的な気がする。
それにしてもこのお方、お顔が本当に素晴らしい。私は麗しの横顔をおかずにパンを貪る。やつれた状態でこれなのだ。健康になったら、もっと光り輝くのでは? こけた頬や、落ち窪んだ眼窩。目の下の真っ黒いクマ。ついでに無造作におろされた髪の毛も整えて……。
手入れ要素しかない旦那様に、私の中のお世話欲が刺激される。
「ちゃんと寝ていらっしゃいますか? 私、寝かしつけが得意なのですが」
「ハンジ殿が湯浴みをしてほしいと言っていました。お手伝いしますよ」
付きまとう私に、
「もう! お前は私の何なのだ!」
と、ダレン様がしびれを切らす。
「花嫁です」
私の答えに、ダレン様はぎっと眉間にしわを寄せた。
「……花嫁花嫁言っているが、お前は偽装花嫁。金で私を押し付けられた哀れな娘だろうが」
私が何か言う前に、厠! とダレン様は言い捨て、去ってしまった。
*
それから数日。私は自室と中庭を行き来する生活を送っていた。ダレン様は基本いつもぼんやりしている。だけど、たまに悲しみの波がやって来るのか、突如としてしくしく泣き始める。
「ああ、我が愛しの姫君……。あなたは今何をなさっているのです?」
その原因はどうやら王女様にあるらしい。
「クラウス様といちゃいちゃしてるのでは?」
「いやああああ!」
そこからダレン様は大量のポエムを書いた。というか、最後の方はもうポエムじゃなかった。ノートの全面に、クラウスよ呪われてあれ、と書き込んでいた。
「失恋って大変ですよねー」
そんなダレン様を遠目に眺めながら、ハンジ殿はお茶をすする。
「王女様のこと、本気でお好きだったんですね。てっきり王になることだけが目的なのかと」
私はハンジ殿に言う。
「ダレン様は王女様が大好きです。こんなことを花嫁様に言うのは不躾ですが」
「いいえ、構いません。ただ……意外だっただけです」
私はノートにぽたぽた涙を落とす青年を見つめる。
「あの方は本当に恐ろしい大悪党なんでしょうか。私にはとてもそうは見えません」
「ダレン様は悪役ではありますよ。王女様にしつこく迫り、パーティーで調子に乗って騒ぎ、公の場でクラウスに勝負を挑み。そういった安い悪事ならいくらでもなさってます。結果、毎回クラウスにしてやられ、最後は捨て台詞を吐いて逃亡。完全なる当て馬系の悪役でした」
どうしよう。その光景、物凄く想像がついてしまう。
「世の中に流布している話は、大悪人に似合うよう脚色されたもの。実際のダレン様は恐ろしいことをなさる、いや、なされる方ではありません」
「じゃあ、宮殿の炎上も……」
その一瞬、空気が張り詰めるのを私は感じ取る。
「……宮殿が炎上したのは事実です。そしてダレン様は事件発生直後、現場に倒れていらっしゃるのを発見されました。事件の際、誰もその所在を知りません。ダレン様の魔法属性は炎。そして使われたのは炎魔法。十中八九ダレン様が犯人。誰もがそう思います。お嬢様だってそうでしょう?」
「私?」
その時、
「女神よ、なぜ私にかくたる試練を!」
と、ダレン様が柱に頭をゴンゴンし始めた。
「ダレン様ー、ちょっと落ち着きましょうねー」
ハンジ殿はそれを止めに向かう。結局私は返事をせずじまいだった。