ダレン・アークナイツという人間①
私は直感的にまだ見ぬ夫の名前を呼んでいた。しかし、反応はない。相変わらず長いまつげを伏せながら、彼はじっと花を見つめている。
「何をなさっているのです?」
再び尋ねると、彼がついに口を開いた。
「見て分からんのか」
耳に心地いい低音が空気を揺らす。
「しょんぼり中だ」
「しょんぼり?」
飛び出した奇妙な言葉に、私は眉をひそめた。
「花は悲しいな。美しく咲き誇っていても、やがては枯れていく定め。そうなれば人の通いも絶えるというもの。そこにあるのは無常だ……」
虚ろに呟きながら、彼はぼろぼろと涙を流し始める。私の眉はますますひそまっていく。
「愛を失っては、花はもう咲くことができぬ。そう。私は花なのだ。愛に敗れ、誰にも知られず散っていく悲しみの花……」
訳の分からない言葉を垂れ流していたかと思うと、
「おお、運命の女神よ、なぜ私を見放したのですか!」
と、彼はひれ伏して女神様に祈り始める。
私は思った。あ、間違えた。これはダレン様じゃない。ダレン様のわけがない。多分、全く関係ない別の人だ。
「これだから勝手にうろつかないよう忠告しましたのに」
振り向けば、ハンジ殿がそこに立っていた。
「こうして出会われてしまった以上仕方ありません。正直にお伝えします。こちらにいらっしゃるのは、誇り高きアークナイツ家の末裔にして、フォンデルシア史上最恐の大悪党と恐れられるお方。ダレン・アークナイツ公爵令息様です」
私はそう呼ばれた人物を再び眺める。祈りを捧げるのに疲れたのか、今の彼は花畑に突っ伏して動かなくなっていた。
「間違えていませんか? これがダレン・アークナイツなわけありません」
冷酷で残虐な恐ろしい貴公子様。それが私の想像していたダレン様だ。彼は何というか……全然違うじゃないか! 色々と!
「信じたくないというお気持ちは分かります。ですが、これはダレン・アークナイツです。正真正銘本物です」
ハンジ殿は真顔で言い放つ。
「ダレン様は現在、髪も結わず、服も寝間着のまま、誰とも会いたくないと庭に引きこもっていらっしゃいます。たまにすることといえば、王女様への失恋ポエムを作るか、今のようにお花とお喋りするか。要するに、とても残念な人なのです」
そうか。私の旦那様は残念な人だったのか……。
「絶望ですよねー。こういう方って、女性受け最悪だと思うんですよ。圧倒的カリスマを持つ大悪党、冷酷無慈悲の貴公子様の方がまだ夢がある。お嬢様もそう思われませんか?」
そう言ってくるハンジ殿。自分の主人に対してもこの言い草とは。薄々感じてたけど、この人かなり図太いな?
「おい、ハンジ」
その時、ダレン様が口を開いた。
「その女は何だ。なぜ見知らぬ女が私の庭にいる」
立ち上がったダレン様は、長い前髪のかかった目を私に向ける。
「紹介が遅れました。こちらのお嬢様が、ダレン様の花嫁として本日いらっしゃいました、ランカ・リーデル男爵令嬢です」
と、ハンジ殿。
「私の、花、嫁……」
そう呟いたかと思うと、
「ふざけるな!」
と、ダレン様は叫んだ。
「私はダレン・アークナイツだぞ! 神の血を引くアークナイツ一族にして、国家元帥イェルゲン・アークナイツが息子。フォンデルシアの王になる男。それがこんなつるぺた芋娘と結婚だと!? 馬鹿にするのもいい加減にせんか!」
わあ、普通に口が悪い。そして傲慢。
「申し訳ありません、お嬢様。ダレン様は性格も残念でいらっしゃるのです。むかついたら殴っていただいて構いません。命じていただければ、私が殴ることも可能です」
と、ハンジ殿が頭を下げる。
「ハンジ! なぜこやつを屋敷に入れた! 今すぐ追い返せ!」
ダレン様はまだお怒りだ。
「それはできません。お父上様が決められたことです。何より、偽装花嫁なくしては、仮処分違反としてダレン様の今後の処遇が悪化するかと」
「しかし……」
「お部屋は私が整えておきました。今後の生活についても、私が責任もってお世話いたします。どうか納得してください」
畳み掛けるハンジ殿に、ダレン様は苦渋を飲む表情で拳を握りしめる。
「……この家の食べ物は食わせるな。使用人たちも決して近づけるな。約束しろ」
「かしこまりました」
ハンジ殿が頭を下げると、今度ダレン様は私に向き直った。
「芋娘。そうは言っても、お前は帰って良いのだぞ。何なら今すぐにでも……」
「いいえ、帰りません」
私はまっすぐダレン様の瞳を見つめる。
「私はここに、あなたの花嫁として、あなたと幸せを掴むために参ったのです。だから、絶対に帰りません」
流石に予想してませんでしたよ、運命様。私は心の中で呟く。どれだけ怖いかと思っていた悪役令息様が、まさかのこういう系統のお方だったなんて。相変わらず私の人生は予想外の展開ばかりで——やりがいがあることこの上ないです!
「改めまして、ランカ・リーデルと申します。末永くよろしくお願いいたします、旦那様」
にっこり笑うと、私は自分にできる最大限美しい礼をした。
ダレン様はそれに大きく目を見開いた後、
「……馬鹿馬鹿しい。私はしょんぼりに戻る。お前はさっさと去ね」
と、ばっと私に背を向けた。