私はあなたの花嫁だから①
「お嬢様、私も参ります」
屋敷を出た私を、ハンジ殿が追いかけてきた。
「嵐の気配がします。これを」
そう言って、雨除けの外套が被せられる。見上げれば空には暗雲が立ち込めていて、いつもながら運が悪い。
「こっちです!」
木々の茂る森に踏み込むと、私はハンジ殿を先導して走っていく。狩りと同じ。痕跡をたどって追いかければいい。あの人は森を歩きなれていないから、たくさんの痕跡を残してくれて——
「っつ!」
下ばかり見ていたせいで、私は思い切り木の枝に頭をぶつけてうずくまる。
「お嬢様、落ち着いてください。このままでは遭難者が二人に増えてしまいます」
そう言われ、自分が冷静じゃないことに気付く。私は今、途方もない怒りに突き動かされていた。先ほどの観察官と使用人たち。知らなかった。ここまでダレン様がひどい扱いを受けていることを。
「……初めてここに来た時、使用人たちに無視されて、笑われたんです。ずっとダレン様の言いつけだと思っていました。私のことが嫌いで、使用人に命じて嫌がらせをしているんだと」
だけど、それは違った。屋敷の隅の小さな部屋は、ハンジ殿が精一杯整えてくれた部屋。メイドに何を入れられるか分からない食事は、わざわざ街にまで買いに行かせる。部屋の外に出るなというのは、私に危害を加えさせないため。私はずっと守られていたのだ。
「ダレン様がお嬢様を追い出したがったのは、あなたを巻き込みたくなかったからです。大罪人の花嫁に幸福な未来はない。ぼろぼろの屋敷で使用人に虐げられ、国中の憎しみを向けられる。そんな生活をさせたくなかった。そして、そうなった自分を見せたくなかったんです」
ハンジ殿は私の手を取って立ち上がらせる。
「少し、ダレン・アークナイツの話をしましょうか」
そして私たちは再び歩き出す。
「破滅する前のダレン様は、この世の栄華を極めていらっしゃいました。将来の国王と自分を呼ぶほど、それはそれは尊大で傲慢なお方でしたよ。我が物顔で王都を闊歩し、気に食わないことがあれば父上様の名前を出して威圧する。しかし、表立って非難する者は誰もいません。それほど絶大な権威と権力があったのです。
それが終わったのは、クラウスの登場によってです。親密になる王女殿下とクラウス。そしてついに、王都の全貴族が集まるパーティー会場で二人は婚約を結びます。その際、ダレン様は今までの悪事を断罪され、婚約の内定を取り消されたのです。散々こけにされ、笑い者にされ。尊い神の子と育てられた方に、あのような屈辱は耐えられませんでした。
屈辱はそれだけでは終わりません。そこから貴族たちはダレン様を見放し、クラウス陣営に回り始めました。腰巾着や取り巻きが少しずつ減り、今まで褒め称えていた者たちはそしり始め。ダレン様は失ったものを取り戻そうと必死でした。
しかしそこで宮殿炎上事件が起こります。事件発生後、ダレン様の身柄は監獄塔に幽閉。塔には国民が押し寄せ、ダレン・アークナイツを殺せと騒ぎ出しました。朝から晩までずっと、殺せ、死ね、の叫び声。投石や放火も後を絶たちません。一睡たりともできなかったことでしょう。
看守たちもここぞとばかりにダレン様をいたぶりました。尋問という名の虐待をされ、食事にはガラス片やネズミの死骸を混ぜられ。あれからです。あの方がものを召し上がらなくなったのは。
そして命じられた王都追放。暴徒の追撃をかわし、命からがらここまで逃げ延びてきました。しかし、王政の雇ったメイドも護衛も、大罪人のために働こうとはしませんでした。食事も作らず掃除もせず、おまけに屋敷の金品をくすね、好き放題に振る舞う。この屋敷、いえ、この地上のどこにもダレン様を守ってくれる場所はないのです。
ダレン様はいよいよ壊れてしまいました。庭に閉じこもり、完全に心を閉ざし。もはや再起は不能でしょう。それが悪役令息の末路です。
今まで微笑みかけてきた運命の女神がいきなり牙をむく。周囲が一瞬で敵にまわり、自分を形作っていた全てを失った。その絶望は推し量れません。しかし、最も憐れむべきは、誰も同情する者がいないことです。ダレン様は愚かな悪人だから。悪人は罰を受けなければいけないから。だから、誰もがダレン様の不幸を、死を望んでいるんです」
タイミングを見計らったみたいに、その時、ぽつり、ぽつり、と雨が降り始めた。
「ダレン様には言伝をいただいております。私が死んだら、即刻婚姻は破棄し、哀れな娘には自由を返してやれ。そして私の全財産を分け与えてやれ、と」
ハンジ殿が足を止め、私を振り返る。
「お分かりですか、お嬢様。ダレン・アークナイツが死んだ場合、一番幸福になるのはあなたなんです。それでも彼を探しに行きますか?」
ザアアッと一気に雨脚が強まる。冷たく降りしきる雨が私の身体を濡らしていく。




