3私のファン
アシカショーが終わり、あらかた水族館の展示を見終えた私たちは、水族館を出て駅に向かってのんびり歩いていた。夕食までにはまだ時間がある。
「夕食まで時間があるので、これからショッピングモールで買い物でもしませんか?」
「買い物、ですか?構いませんよ」
どのみち、今日は夕食まで一緒に過ごすという予定だったので、それまでの時間をどう過ごそうか悩んでいたところだ。彼からの提案はありがたい。
「では、電車で10分ほどの場所にモールがあるのでそこに行きましょう。ちょうど欲しい服がセールになっているので、真珠さんに見てもらって、良ければ買おうかなと思って」
「私に見てもらって、ですか?私はあまりセンスが良いとは言えませんけど」
本当は今日で彼とは終わりにしようと思っていた。そして、私にはマッチングアプリは向いていないことが分かったので、別の方法で恋人探しをしようと考えていた。そんな私が彼の服を選んでもいいのだろうか。
「真珠さんは元モデルでしたよね?その時の経験を活かしていただけたらと」
「はあ。でも今は、しがないただの事務員ですから、当てにならないと思いますけど」
「そんなこと言わないでください」
前の職業は既に彼に伝えてある。前にマッチングアプリで知り合った二人にも、会ってすぐに伝えている。そもそも、私の容姿は目立つので、相手から何かそっち系の職業についていましたか、と聞かれることも多い。そのため、先に相手には自らの前職を話しておくことにしていた。
モデルをしていたのは大学生時代と卒業後少しの間の話だ。大学時代に街中で歩いていたら声をかけられ、そこからモデルのバイトを始めた。そして、それを見た弟もモデルがやりたいというので、会社に相談したら弟もすぐに採用された。
最終的に売れっ子になったのは弟で、弟はそのままモデルとして活動を続けている。私も多少は人気が出たが、大学卒業後、3年くらいで辞めることにした。そして、現在は転職して人前に出ることのない事務職をしている。
電車に乗ってモールに到着すると、彼はモール内を迷うことなく進んでいく。私もはぐれないよう後ろについていく。水族館では手をつなぐことをあきらめていなかった彼は、モール内ではあきらめたようで、私に手を差し出してくることはなかった。
到着したのは、男性物のハイブランドが入る店で、私も弟と一緒に何度か訪れたことがあった。しかし、一般の会社員にこの店の服は高すぎる。
「この服を買おうと思っているんですけど、どうせなら、服を一式、真珠さんにコーディネートしてもらうかと」
「これ、結構なハイブランドですけど、予算は大丈夫なんですか?」
「値段のことなら、心配いりません。最近、営業の成績がいいので、収入アップすると思いますので」
彼の仕事はうっすらと聞いている。確か、元カメラマンで今は営業職をしているはずだ。本人が払うので、支払えるのなら私は構わない。要らぬ心配をしてしまったようだ。
「すみません。弟がよく利用する店で、お値段が高めのものばかり売っているので、気になってしまって。他人の収入の事を聞くのは失礼でしたね」
「何かお探しのものはございますか?」
「こちらのカーディガンを購入したいのですが、これに合わせるインナーやパンツでおすすめはありますか?」
私たちが話していたら、若い女性店員が私たちの元にやってきた。彼が店員に要望を伝えると、すぐに店員はその場から離れていく。そして、いくつかのシャツやパンツを持ってきた。
「ありがとうございます。実際に着てみてもいいですか?」
「どうぞ、試着室にご案内します。お連れ様もこちらへ」
店員は私たちの顔を交互に見ると、にっこりと微笑む。こちらも営業用の笑顔で返すと、店員は私を見て驚いた顔をした。しかし、すぐに真面目な表情になり、試着室へ歩いていく。私たちも試着室に向かった。
「お会計35,000円となります。カードはご一括でよろしかったでしょうか?」
「大丈夫です」
結局、彼は買う予定だった茶色に白のダイヤ柄のカーディガンと、店員が勧めた白のクルーネックシャツとベージュのスラックスの3点を購入した。
試着中、彼は私の意見を聞く場面もあったが、私がいなくても店員の言葉だけで充分だっただろう。店員にばかり愛想を振りまいて、私の意見にはただ適当に頷くだけだった。
「あの、もしかして、モデルの【真珠】さんですか?」
店から出るとき、店員にこっそりと話しかけられた。彼はちょうどお手洗いに行くと言って席を外している。
「そうですけど」
「やっぱり?笑顔が素敵だなと思って。お会いできてとてもうれしいです。もう、モデルはやらないのですか?」
「エエト……」
「いきなりすみません、誰にだって事情がありますよね。商品を購入したのは彼氏さんですか?」
「いえ、まだ彼氏という訳では」
「商品をご購入してもらった人に対して、こんなことを言うのはアレですけど……」
店員はあたりを見わたして、彼がいないことを確認すると、私の耳元で囁く。
「あの方、やめておいた方が良いと思います。なんだか、あまり良くない雰囲気です」
「ご忠告ありがとうございます」
店員は良かれと思って言ってくれた。そして、私も彼とのお付き合いはやめようと思っていた。話していたら、彼がお手洗いから戻ってきた。
「真珠さん、何か欲しいものでもありました?この店はメンズものだけど」
「エエト、弟の事を思い出して、服を眺めていただけです。行きましょう」
「では、今後もこちらの店をよろしくお願いしますね」
私たちは先ほどの会話を感じさせない、店員と客と言う感じで彼と接し、店員とはそこで別れた。