2手をつなぐ行為
「僕、水族館なんて久しぶりに来ました。真珠さんはどうですか?」
「私も仕事が忙しかったので、久しぶりです。やっぱり、休日は人が多いですね」
「でも、混んでいる理由がわかる気がします。魚を見ると、なんだか心が癒されます」
水族館は彼の言葉通り、混雑していた。しかし、事前にチケットをネット購入していたおかげでスムーズに入館することができた。パンフレットをもらって、一緒に水槽の中の魚を見ていたが、確かに彼の言葉通り、生き物を見ているとそれだけで心が穏やかになる。
「葛谷さんと一緒に水族館に来られてよかったです」
「それはよかったです。僕も真珠さんと一緒に来られてよかったです」
彼はずいぶんと女性に慣れているように見えた。私が彼に好意を持っているのを感じ取ったのか、さりげなく手を差し伸べてきた。恐らく、手をつなぎながら、水族館を回りたいのだろう。辺りを見渡すと、家族連れも多いが、カップルで来ている人たちも多い。親と子供、大人同士、手をつないでいる人が目に入る。
「あ、近くでアシカショーがやるみたいですよ。ちょうど11時から見たいです。折角だし、見ていきましょう!」
「そ、そうですね。見に行きましょう」
私は彼の手を取ることなく、急ぎ足でアシカショーの会場に足を進める。彼は自分の手をじいと眺めていたが、何も言うことなく私の後に続く。
(まだ私たちは出会って二度目だ。手をつなぐほど親しくなったわけじゃない。それに、人前で手をつなぐのは、恥ずかしい。それが理由だから)
決して、彼と手をつなぎたくなかったわけではない。
手をつながなかった理由を頭の中で必死に考える。公共の場で手をつなぐことがいけないわけではない。誰にも迷惑をかけていないし、自分たちの仲の良さをアピールできる。子供と大人なら、子供を見失わないようにするという理由がある。
(でも、一番の理由は……)
基本的に私は他人との接触があまり得意ではない。モデル時代もメイクや衣装を担当してくれる人たちには申し訳ないが、なるべく自分の手でできるところは自分でやってきた。自分の手汗も気になるが、他人に触られると気分が悪くなる。将来、付き合うかもしれない人でさえ、今の段階だと手をつなぐ行為に気持ち悪さを感じる。
「私、これで本当に恋人ができるかなあ」
「何か言いました?」
「いえ、ただ、アシカショーを楽しみにする大人って、どうかなと」
つい、心の中の声が口から出てしまう。慌てて笑顔を作って取り繕う。隣には手をつないでもらえなかった彼が、少し寂しそうな表情をして歩いていた。差し伸べた手を取ってもらえなかったのだから当然だろう。とはいえ、私にだって事情がある。
アシカショーの会場に着くまでの間、私たちは無言だった。
「やっぱり、アシカショーは人気ですね」
「人が多くて、後ろの席になってしまいましたね。でも、水はかからないので、逆に良かったと思うことにします。上からだとショー全体も見えますし」
「水がかからないのはよいことですけど……」
「葛谷さんは前で見たかったですか?もっと早くアシカショーの会場に来ていればよかったですね」
「いえ、それは大丈夫です。もうすぐ始まるみたいです」
私が手をつながなかったことで、彼は少し不機嫌な様子だった。言葉は丁寧だが、その中にいらだちが見え隠れしている。やはり、気持ち悪くなっても手をつなぐべきだっただろうか。隣の席に座る彼の手を見つめるが、どうしても彼と手をつなぐ気にはなれない。
彼は私にぴったりと身体を寄せてきた。手を繋げない代わりとでもいうように、距離を詰めてきた。そして、再度手を私に伸ばしてくる。それに対して、私はばれない程度に横にずれて、彼の手はさりげなく彼の身体に戻しておく。
マッチングアプリで出会ったからには、当然、大人の付き合いを期待する者も多いだろう。彼もまた、私との夜を期待している。一度目は様子見と言うことだったのか。二度目に会った時には手を出そうという魂胆か。
【それでは、ショーを開始します!まずは今日活躍してくれるアシカの紹介をしていきます!あーちゃんと、しいちゃん、よろしくね】
私たちが静かな攻防をしている間に、ショーが始まった。二匹のアシカが飼育員の指示に従って水槽と観客席ぎりぎりの場所を泳いでいく。最後に中央で高くジャンプすると、観客から盛大な拍手が送られる。
「きょ、今日の夕食、楽しみですね」
「そうですね。人気の店を予約できたので、真珠さんも気に入ってもらえると思います」
アシカショーの最中、彼はずっと私に手を伸ばし続けてきたが、私が彼の手を取ることは一度もなかった。