はぐれものの影
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あ、つぶらやさん、ひなたぼっこですか?
ここのところ、ぐずついた天気が多かったですしねえ。久しぶりに日が差すと、つい縁側でのんびりしたくなる。いいぬくみ具合ですよね。明るいですし。
現代じゃ、人工的な明るさは珍しくありませんけれど、私は自然のものが好みなんですね。
どうも電球、蛍光灯の光ってなじめないんです。笠とかカバーとかつけて調整はききますが、それらがいかにも「人間に合わせていますよ〜」感があって。
そりゃ人間の生活向けに調整しているだろうから、当然ちゃ当然なんですが。
自然界の「人間向け? 知るか、こちらの発したいように発しているんじゃい」で、こちらがそれに合わせていくのがおすすめされる……というスタイルが、
変にリミッターがないぶん、メリットも大きい。いかな職人技でも手が届かない絶妙の調整があると、私は感じているんですね。このひなたぼっこの日差しもしかり。
とはいえ、付き合い方を間違えればデメリットも多いのは、よく知られていること。
私も小さいころ、まだ何が危ないのかよく分かっていなかった時期に、ちょっと肝を冷やす体験をしてしまいましてね。
つぶらやさんの好きそうな話だと思いますし、聞いてみませんか?
陽が傾いてくる時間帯。これ、わたし結構好きだったんですよね。
太陽の位置が変わったことで、影を使った遊びに与える影響はもちろん大きいのですが、それ以上に私の心をとらえたのが、夕陽の差す道の姿。
通学路の一部に、沈みゆく夕陽を真っすぐにとらえる長い道路が、地元にありましてね。ところどころに右左折できる道を川の支流のごとく携えた、本流の河川といったかっこうです。
その道がですねえ、めちゃくちゃあったかいんですよ。
それこそ、いまやっている日なたぼっこと並ぶくらいですね。
脇道へそれない限りは、この陽を存分に浴びることができて、歩きながらでも、ついうとうとできてしまう心地よさ。
私以外のみんなも、ここのところは認めるところでして。天気のいい日かつ風に冷たいときなどは、こぞってここを歩いたものでした。
このことは、誰が話したのか。それとも、連れだって歩いているところを見られたのか、夕飯のときに親たちから話を振られます。
夕陽の差す道を歩くこと、そのものはとがめられることはありません。ただ注意をしてほしいのが、「はぐれものの影」というものについての話でした。
いわく、あまりに明るい地面の上には、ときおり不自然に影のある空間ができるのだと。
一見、何かが横切ったか、あるいは上空に浮かんだかのようにして現れるその影に触れてしまうと、良からぬことが起こる場合があるのだとか。
良からぬことの中身については千差万別。ひどく疲れたという程度のものから、神隠しにあってしまったというものまで、両親は話に聞き、また体験したことがあるのだとか。
「あんただけの話じゃない。もしかしたら、お友達もその『はぐれものの影』に出くわすかもしれない。そうなったら……」
両親が続いて話してくれたことを実践するのは、それから数日後のことでした。
くだんの夕陽の道を含めた近辺で、かくれんぼと鬼ごっこをしていたときですね。
参加者だった女の子のひとりが、見つからなかったんです。
隠れられる場所は、指定された範囲内だと知れたもので、鬼ごっこ部分が大半を占めるのですから、誰かを見失うケースなどほとんどありません。
無断で帰ってしまうか。あるいはどこかしらにはまって動けなくなっているか。
女の子以外の参加者はすべて捕まり、あとは彼女を残すだけ。
全員がほうぼうに散って探す中、私はあの夕陽の道に照らされる道沿いを探っていたんですが、ふと気が付いてしまいます。
ややだいだい色のにじむアスファルトの道路。
その一角に、ちょんと。墨を一滴だけ垂らしたような小さく丸い影が、浮かんでいるんです。
近づいて確かめた大きさは、ピンポン玉くらい。道路全体で見たなら、ほとんどの人が気づかなくてもおかしくない矮躯。
けれど、その影の主人が分からない。そばにピンポン玉が置かれているわけでもなければ、陽の差してくる方向に、浮き上がって設置されているわけでもない。
影そのものが、そこに放置されているかのようなたたずまいで、私は話に聞いた「はぐれものの影」でないかと思ったんですね。
だったら、覚悟しとかないと。
深呼吸をひとつ。私はそっとつま先で、かの影をしっかり踏むと、ぐるりと歩いてきた方を振り返ったんです。
わき道のひとつ、ちょうど子供ひとりがかがめるくらいの小さな土手に、彼女は経っていました。先ほど、私が通ってきたときにはいなかったのに、突然湧いて出たかのよう。
彼女のまわりを他の参加者が行ったりきたりして声を張り上げるのですが、それにこたえる彼女の声に返事する者はなく。通せんぼをしようとして、素直に止まる人もおらず。
まるで彼女がそこにいないかのような振る舞いを続けているのです。
私自身も、試しました。
こちらへ向かってくる子の真ん前に立つと、こちらからも走って向かっていったのです。
ごっつんこするはずの身体が、あっさりとすり抜けました。
これにより、私も「はぐれものの影」の影響下にあることを確認できましたよ。そして、この影響下にあるなら、あまりもたもたしていられないことも。
みんなにさんざん無視されて、完全にしょぼくれている彼女のそばへ寄っていきました。
ようやく自分の声とか、身体を認知されて安堵した様子を見せる彼女ですが、一緒にはしゃいでいるわけにはいきません。
キリキリキリキリキリ……。
私たちの耳に、唐突に叩き込まれたのは金具同士がこすり合わされて、あげる悲鳴に似たような響き。
両親から聞いていました。これを影の影響下で聞くと良からぬことが起こる前触れであるのだと。
すぐに影響下を脱しなくてはいけません。
私はその子に、自分のいうことを聞いてもらうようお願いし、手本を見せます。
「きーくるきーくる、きーきーきー。きーくるきーくる、きーきーきー。くろりくるくろ、くらきーきー。きーくる、きーくる……」
歌いながら、私は手のひらを「糸まきまき」のようにクルクルまわし、左右へ身体を揺らします。
両親にすべて教わったこと。私もお手本を見せてもらったときにはつい吹き出してしまい、実際に彼女も笑いかけていますが、私は真剣そのものです。
教えてもらったその日に、時間をかけて練習させられていた、「影」から抜け出す方法なのですから。
失笑している彼女をどつき、自分の真似をさせます。そうこうしている間も、また「キリキリキリ……」という音が甲高く響いてくるのでした。
そうして、渋っていた彼女自身も、そして話に聞いていただけの私自身も、急がねばならないことを悟りました。
びりりと音を立てて、私たちの着る服がひとりでに大きく破けていくのです。
その太刀筋は袈裟がけを受けたかのよう。冬のことゆえ、二人とも重ね着していましたが、その一番上の服がきれいに切り裂かれたのです。
そうしているうちに、今度は二枚目。先ほど裂かれたところから重なるようにして、インナーが犠牲になっていきます。
その先に待つであろうものを、私たちは容易に想像できました。
きーくるきーくる、歌って踊って、どれくらい経ったでしょう。
ずっと無視され、すり抜けられ続けていたみんなが、にわかに私たちを認識し始めました。
陽ももはや暮れかけ。あの道も、もはや夜の気配に身を沈めかけています。
はぐれものの影の影響は、このひと目でみんなの知るところともなりました。
みんなに認知されたとき、すでに私たち2人の着ている服は完全に切り裂かれ、その下の地肌にも同じような切り口でもって、浅く血がにじむ線ができていたのですから。
肌に傷が残らずに済んだのは、不幸中の幸いでした。
もし、もう一回斬られていたら、もっと深々としたものに……命が助かるかもわかりませんし、助かっても大きな傷は免れなかったと思います。