立春神楽
宵闇にちらちらと小雪が舞う。未だ春は遠い。
「きーさん、着付けするからこっち来て!」
元気な声に呼ばれる。人と関わる上でつけた望月という仮の名を、彼女はそう呼ぶのだ。
しびれを切らして来た彼女に、手を引かれるままに任せる。今夜の神楽舞の舞手が、急遽足りなくなったらしい。表舞台に立つことはもうないと思っていたが、やや強引に説き伏せられてしまった。
まだ必要とされていたい。自分の役目を果たしたい。その想いを見抜かれていたようだった。
「やっぱり和装似合うねぇ」
「本当に、私でいいのか? 長らく舞台に立っておらぬし、何より、異形の姿だ」
「わたしが、相手方はきーさんがいいの。練習も完璧だったし、面も着けるから大丈夫だって」
舞台袖からは、客席がよく見えた。懐かしい景色だった。
金色の四つ目と、退魔の力を持つ方相氏。かつての節分では、鬼を祓う役割を担っていた。
いつしか、異形の姿と強い退魔の力は恐れられるようになった。鬼と同一視されて追われ、誇りある役目は生命力の象徴たる豆のものに移り変わった。
「行こう、きーさん!」
高らかな笛の音、力強く響く太鼓にアクセントを加える鉦。出囃子が観客の期待を高める。
舞台に立つと、きりりと冷えた夜の空気に身が引き締まる。携えるのは桃の木で作られた弓矢。イザナギを追ってきた黄泉の住人を退けたように、桃には退魔の力がある。
囃子と共に踏みしめる足拍子は、禹歩という陰陽道における 邪気祓いの歩行の系譜を汲み、同じような効果をもたらす。
唄かけに合わせ、四方それぞれに弓矢を向ける。片や勇壮に、片や優美に。向かい合わせで舞う彼女と面越しに目が合うと、ぴたりと動きが揃う。それが心地よい。
矢をつがえて射る動作に、方相氏は退魔の力を込める。不可視の矢だけが飛んでいき、溜まった一年の穢れを祓う。
どこまでも、退魔のための神楽舞。
「最初から、私に踊らせるつもりだったのか?」
舞台裏に戻ってから、彼女に問い掛けた。
「えへへ、バレちゃった。そうだよ。わたしは陰陽師じゃないし、きーさんみたいな退魔の力はないけど、こういうことなら出来るから」
「ありがとう……。誰かと並び立てば、私もまだこうして人々の前で鬼やらいが出来るのだな」
面を外し、上気した顔で彼女ははにかんだ。眩しく、美しい姿だった。
舞が終わって一礼した時、観客からは多くの拍手が送られた。かつての追儺で、疫病や災厄の化身たる鬼を退けた時と同じように。
その場に、彼女は再び立たせてくれたのだ。鬼として追われる側に堕ちたからには、もう失くしたと思っていたものをくれた。
「また組んで踊ってくれる?」
「私で役に立てるのなら、約束しよう」
かつては立春が一年の始まりだった。その清々しさにも似た新たな心意気と共に、彼女と小指を絡めた。