『西村賢太と堕落論』
『西村賢太と堕落論』
㈠
坂口安吾の『堕落論』は、単に堕落について書いている、ということではなく、第二次世界大戦後の日本の人々が、戦争に負けたから堕落するのではなく、人間だから堕ちるのだ、ということだったと書いていたと、以前どこかで述べたと思う。実に自然な、人間の本質を、言い当てている様に思われる。
㈡
ところで、西村賢太の話になるが、藤澤清造に触れ、堕落を同化して、堕落していた西村賢太も、人間だからどこまでも堕ちることを、表現している。そしてまた、その堕落の最悪度を表現したという意味でも、人間の本質を実態した、まさに、堕落私小説家でもあったと、今になって思うのだ。
㈢
堕落することは、一見良くないことのように思われがちだが、それは一種の人間的成長の様にも受け取れる。西村賢太は、恐らく、堕ちるところまで堕ちた。だからこそ、多くの堕落した人間の共感を得たんだと思う。西村賢太と堕落論、これは、切っても切り離せない、問題ではないだろうか。